剣路転生記 〜宮本武蔵と刻をこえた男〜
玉響転生記・第二十七話


まえがき
二十六度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
手塚治虫との旅で、凪は「漫路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「剣路」であった。
六十余度の勝負に一度も敗れず、ついには剣を離れ、独り、兵法の真髄を書き遺そうとした男。
正保二年(一六四五年)五月、初旬。齢六十を過ぎ、肥後・熊本の霊巌洞に籠り、なお筆を執り続けていた男――宮本武蔵。『五輪書』を書き上げながら、その最期、己の剣を受け継ぐ、一人の弟子への想いを、静かに遺そうとした剣豪の物語である。





プロローグ 皐月の来訪
東京は、初夏に向かう、静かな夜だった。
榊原凪は、六十五歳になっていた。手塚治虫との旅から、半年余りが経っている。
半蔵門病院の病室で、手塚が万籟鳴への感謝を、震える手で書き記した、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『異国の恩人』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い兵法書の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、墨と、洞窟の湿った岩肌のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の武人が座っていた。
質素な着物。痩せた体躯。だが、その目には、驚くほど静かで、それでいて深い光が宿っていた。
「夜分に、無礼つかまつる」
武人は、静かに言った。
「あなたは……」
「宮本武蔵と申す。兵法者じゃ」
凪は、息を呑んだ。
宮本武蔵。六十余度の決闘に一度も敗れず、『五輪書』を著すことになる剣豪。そして――この半月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも、分からぬ」武蔵は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚――そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を静かに見つめた。
「それがしは今、霊巌洞に籠り、兵法の書を、書き上げようとしておる」
「武蔵様……」
「されど」剣豪の目に、澄んだ光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、ある」


一章 二十七度目のたゆたい
その夜、凪は兵法書の写本に埋もれながら、考え続けていた。
これまでの二十六人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが宮本武蔵の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実と伝説において、武蔵は正保二年五月、肥後国熊本の霊巌洞にて、その生涯を閉じたと伝えられている。死の七日前には、『独行道』と呼ばれる、二十一箇条の自戒の書を、書き遺したという。
武蔵の生涯には、あまり知られていない側面があった。彼が兵法書『五輪書』を書き上げたのは、己一人のためではない。それは、寺尾孫之允という、彼の忠実な弟子に、その剣の道のすべてを託すために書かれたものであった。だが、後世、武蔵という名は、伝説的な剣豪としてあまりに大きく語られることになり、その教えを受け継いだ弟子の存在は、あまり広くは知られていない。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
武蔵が最期に書き遺そうとしたのは、本当に「己の兵法の極意」という理(ことわり)だけだったのか。それとも――その極意を受け継ぐ、弟子への人間的な想いも、そこにあったのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、兵法書の匂いが、墨と岩肌の匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。


二章 肥後・霊巌洞
気づくと、凪は、肥後国熊本にある、霊巌洞の入り口に立っていた。
初夏の緑が、洞窟の周囲を、静かに覆っている。
凪の身なりは、修行僧風の姿に変わっていた。
「もし」
洞窟の前にいた従者に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「武蔵様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「武蔵様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
従者は、訝しみながらも、奥へと入っていって、しばらくして戻ってきた。
「榊原とやら申したな。お入りくだされ」
この従者こそ、武蔵の身の回りの世話をしていた、若き門人であった。


三章 武蔵の洞窟
洞窟の中は、質素ながらも、静謐な空気に満ちていた。岩の上には、書きかけの『五輪書』の草稿が、几帳面に置かれている。
武蔵は、岩座から、澄んだ目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」武蔵は、静かに言った。「それがしは、この書を、書き上げねば、死ぬに死ねぬ思いでな」
「何を、書き遺そうとしておられるのですか」
武蔵は、しばらく黙っていた。
「兵法の道の、すべてじゃ。地、水、火、風、空――五つの巻に分けて、それがしの会得した、剣の理を記しておる」
「今、ご自身の来し方を、どう振り返っておられますか」
武蔵は、少し目を細めた。
「孫之允のことを、近頃、よく思い出すのじゃ」


四章 名の記されなかった弟子
その夜、凪は洞窟の片隅で、眠れぬまま過ごした。
武蔵の言葉が、頭から離れなかった。
――孫之允のことを、近頃、よく思い出すのじゃ。
これまでの二十六人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが武蔵の場合、彼が向き合っていたのは、「己の兵法をどう完成させるか」だけでなく、「己の道を受け継ぐ者を、どう遺すか」という問いであるように思えた。
史実において、『五輪書』の冒頭には、確かに寺尾孫之允の名が相伝の相手として記されている。だが、それはあくまで兵法を授ける「器」としての記載であり、武蔵が彼に抱いていた個人的な情愛や、師としての深い感謝までは、峻厳な兵法の理(ことわり)の書に馴染まぬとして、削ぎ落とされているようだった。後世、宮本武蔵という名は、佐々木小次郎との決闘をはじめとする数々の伝説と共に大きく語り継がれることになるが、その剣の道を地道に受け継いだ弟子の内面は、陰に隠れがちであった。
凪は、ふと思った。
武蔵が、これほどまでに己の兵法の理を語る一方で、それを受け継ぐ弟子への「人間としての想い」は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのだろうか。
洞窟の外、初夏の風が、木々を、静かに揺らしていた。


五章 門人との対話
翌日、凪は、洞窟の前で薪を割っていた若き門人と、言葉を交わす機会を得た。
「先生は、孫之允様のことを、よく話されますか」
「はい」門人は、手を止めずに頷いた。「稽古の後、いつも『孫之允の太刀筋は、粘りがある』と、仰せになります。昨夜も、灯りの下で『あやつの忍耐は、兵法の要じゃ』と」
「孫之允様のお名前は、世に、広く知られておりますか」
門人は、首を振った。
「いいえ。先生のお名前は、多くの武芸者に知られておりますが、孫之允様のことまでは、あまり」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「先生ご自身は、それを、書に記しておられますか」
門人は、薪を積みながら、少し考えた。
「……いいえ。先生は、書の冒頭にあの方の名を据えられました。技の理は一字一句違えず記されます。ですが、あの方への感謝や想いといった心の内までは、まだ、どこにも」


六章 養子・伊織との対話
その日の夕刻、武蔵の養子であり、
豊前・小倉藩の重臣を務める宮本伊織が、病床の父を案じてはるばる肥後まで洞窟を訪れた
「榊原殿と申されるか。父上より、伺っております」
「伊織殿は、孫之允様のことを、どう見ておられますか」
伊織は、少し驚いた顔をした。
「あの御方なくば、父の兵法は、後の世に、正しく伝わらなかったでしょう。父の教えを、忠実に受け継ぐ器量を持った、数少ない弟子です」
「それは、武蔵様ご自身も、認めておられることですか」
「父は……」伊織は、言葉を選びながら言った。「遺言めいたことを、嫌う質です。『死を飾るな』が口癖でな。されど、内心では、誰よりも、孫之允殿への厚い信頼を、抱いているはずです」
凪は、頷いた。
「もし、武蔵様が、この書に、はっきりと、孫之允様への想いを書き記されたら――何か、変わると思われますか」
伊織は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……父の言葉には、それだけの重みがございます。単なる技の受け皿としてではなく、愛弟子としての確かな情が記されれば、道は、決して途切れませぬ」


七章 夜半の対話
その夜、凪は武蔵に呼ばれ、二人だけで洞窟に残った。
「門人や、伊織から、聞き及んだぞ」と武蔵は言った。「おぬしが、孫之允のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」武蔵は、静かに凪を見た。「それがし自身、向き合わねばならぬ角度であった」
「武蔵様は、ご自身の兵法の理について、この書に、あれほど詳しく記してこられました。孫之允様の名も冒頭にございます。ですが、彼という存在に対する、あなたの真実の想いについては、あまりに冷徹に、削ぎ落とされているように見受けました」
武蔵は、しばらく、黙っていた。
岩の滴が、一つ、落ちる音がした。
「……それがしは」やがて彼は、静かに言った。「孫之允の忍耐強さと、誠実さを、誰よりも買うておる。あの者がおらねば、それがしの兵法は、この洞窟と共に、朽ち果てておったやもしれん」
「なぜ、それを書に記されなかったのですか」
「兵法の理を、正しく後世に残すことに、心を奪われすぎておった。受け継ぐ者への想いを言葉にすることは、ただの私情の吐露であり、書を濁すものと、後回しにしてきたのじゃ」
凪は、深く息を吸った。
「武蔵様。あなたは今、『五輪書』の完成を、何より優先しておられます。ですが――もし、孫之允様への師としての情を、はっきりと言葉にしないまま終われば、彼の存在は、あなたの巨大な名声の陰に、ただの記号として埋もれてしまうかもしれません」
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の兵法の理だけでしょうか。それとも――孫之允という、あなたの道を受け継ぐ者の存在と、その絆を、次の時代へと、はっきり書き伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
武蔵は、長い間、目を閉じていた。


八章 筆を執る夜
その夜遅く、武蔵は、岩座に向かい、筆を執った。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「孫之允は……」武蔵は、筆を運びながら、静かに言った。「忍耐強く、誠実に、それがしの教えを学び続けてくれた。この書は、理の書であると同時に、あの者のために書いたものじゃ」
筆先から生まれる文字が、草稿の奥書に、静かに刻まれていった。それは冷徹な兵法の解説ではなく、道を託す者への、深く温かい、師としての祈りそのものであった。
「これを、記しておかねば、死ねぬな」
凪は、静かに、その筆の動きを見つめていた。
やがて武蔵は、筆を置き、深く息をついた。
「……これで、ようやく、心残りが、一つ、減り申した」


九章 遺されたもの
この夜から半月後、正保二年五月十九日、宮本武蔵は、霊巌洞にて、その生涯を閉じることになる。死の七日前には、『独行道』と呼ばれる、二十一箇条の自戒の書も、書き遺したと伝えられている。
史実において、『五輪書』は、寺尾孫之允に相伝され、以後、彼を通じて、武蔵の兵法・二天一流は、後世へと、受け継がれていくことになる。養子の伊織は、後に、武蔵の事績を伝える碑文――小倉碑文を建立し、その生涯を、後世に伝えた。
凪は、その事実を知り、静かに思った。
伝説的な剣豪としての名声の陰にも、確かに、その道を、地道に受け継いだ弟子の存在が、息づいていたのかもしれない、と。
終章 もう一つの剣路
数百年後。
凪は、都内の古い道場を訪ねていた。
壁に掛かる二天一流の系図。その始まりには、いつも、寺尾孫之允という、一人の弟子の名が、記されている。
「伝説的な剣豪」としてだけではなく、「己の道を、誠実な弟子に、託した一人の兵法者」として。
凪は、静かに、頭を下げた。


エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、初夏の風が、心地よく吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の兵法の理だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『正保二年五月、肥後の空は、静かに暮れようとしていた。六十余度の勝負に一度も敗れなかった男は、その最期の日々に、己の兵法を語りながらも、もう一つの光を、確かに、道を継ぐ者へと、書き遺したのである。』
風が吹いた。墨の匂いだけが、微かに残っていた。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

——了——



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あとがき
本作は宮本武蔵の最晩年を題材としたフィクションです。宮本武蔵、寺尾孫之允、宮本伊織などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
実際に武蔵は正保二年(一六四五年)五月十九日、肥後国熊本の霊巌洞にて、その生涯を閉じたと伝えられています。死の七日前、五月十二日には『独行道』を、また、それ以前には兵法書『五輪書』を書き遺しており、同書は弟子の寺尾孫之允に相伝されたとされています。養子の宮本伊織は、後に小倉碑文を建立し、武蔵の事績を後世に伝えました。
なお、武蔵の生涯については、佐々木小次郎との決闘をはじめ、後世の物語や創作によって、大きく脚色されている部分も多く、史実と伝説とが、分かちがたく織り交ざっています。本作もその重なりの上に書かれています。
本作は、前二十六作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。