漫路転生記 〜手塚治虫と刻をこえた男〜
玉響転生記・第二十六話


まえがき
二十五度の邂逅を経て、榊原凪はまた新たな「刻」へと導かれることになった。
 植村直己との旅で、凪は「極路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「漫路」であった。
 医師の道を捨て、漫画とアニメーションに生涯を捧げた男。
 平成元年(一九八九年)一月。齢六十。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』など、数々の名作を世に送り出しながら、なお病床でペンを離そうとしなかった男――手塚治虫。世界中から「マンガの神様」と呼ばれながら、その最晩年、自らの原点にいた一人の異国の恩人への感謝を、静かに抱き続けていた漫画家の物語である。




プロローグ 睦月の来訪
 東京は、平成という新しい時代を迎えたばかりの、冷え込む夜だった。
 榊原凪は、六十五歳になっていた。植村直己との旅から、半年余りが経っている。
 府中の書斎で、植村がシオラパルクの人々への感謝を手記に綴った、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
 書き上げた小説『単独行の恩人たち』は、静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い漫画雑誌の縮刷版を眺めながらうたた寝をしていた。
 ふと、インクと消しゴムの粉のような匂いがした。
 顔を上げると、部屋の隅に一人の小柄な男が座っていた。
 丸眼鏡に、ベレー帽。だが、その顔はひどく痩せ、疲れ切っていた。それでも、その目には少年のような尽きせぬ好奇心の光が宿っていた。
 「やあ、こんばんは」
 男は、朗らかに言った。
 「あなたは……」
 「手塚治虫です。漫画を描いております」
 凪は、息を呑んだ。
 手塚治虫。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』をはじめ、数々の名作を生み出し、後に「マンガの神様」と呼ばれることになる漫画家。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
 「なぜ、ここにいるんでしょうねえ」
 「さあ、僕にも分かりません」手塚は、朗らかに笑った。「気づいたら、この妙な部屋にいました。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村――あなたが会ってこられた方々の気配が、なんとなく伝わってきます。不思議な方ですね、あなたは」
 彼は、凪を穏やかに見つめた。
 「僕は今、病院のベッドの上です。三本も連載を抱えているんですが……なかなか思うように描けません」
 「手塚様……」
 「ですが」漫画家の目に、澄んだ光が宿った。「まだ、伝えておきたいことがあります」


一章 二十六度目のたゆたい
 その夜、凪は漫画雑誌の縮刷版に埋もれながら考え続けていた。
 これまでの二十五人には、皆「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが手塚治虫の場合、その重さはまた違う質のものだった。
 史実において、手塚は平成元年二月九日、スキルス性の胃癌により六十歳でその生涯を閉じる。病床でも三つの連載を抱え、医師や妻の制止を振り切ってまでペンを握ろうとし続けた。彼の最期の言葉は「頼むから、仕事をさせてくれ」であったと伝えられている。
 手塚の生涯には、あまり知られていない側面があった。彼のアニメーションへの憧れは、しばしばディズニーの影響として語られてきた。だが、彼が最も敬愛していたのは、実は十代半ばに見た一本の中国アニメーション映画――万籟鳴監督の『鉄扇公主』であったという。手塚は、亡くなる三ヶ月前の昭和六十三年十一月、病を押して上海を訪れ、当時八十代であった万籟鳴と再会を果たしていた。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 手塚が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは己の作品や仕事への執念だけなのか。それとも、その原点にいた異国の恩人への感謝もあるのではないか。
 凪は、暗い天井を見つめた。
 「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、漫画雑誌の匂いがインクと消しゴムの匂いに変わった。
 玉響。
 世界が、揺れた。
 目を開けると、鼻を刺す消毒液の匂いがした。


二章 東京・半蔵門病院
 気づくと、凪は東京・半蔵門にある病院の廊下に立っていた。
 真冬の冷たい空気が、病院の廊下を静かに満たしている。
 凪の身なりは、出版社の編集者風の姿に変わっていた。
 「失礼します」
 病室の前にいた人物に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
 「手塚先生に、お目にかかりたい」
 「あなたは、どなたですか」
 「先生のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 その人物は訝しみながらも病室へと入っていった。
 しばらくして、戻ってきた。
 「サカキバラさんとやら。お入りください」
 この人物こそ、手塚プロダクションのマネージャーを務めていた若き編集者であった。


三章 手塚の病室
 病室には、点滴の管の傍らに原稿用紙とペンがそっと置かれていた。
 手塚は、ベッドの上から疲れた、しかし澄んだ目で凪を見た。
 「よく来てくれました」
 「参りました」
 「座ってください」手塚は、朗らかに言った。「僕は今、『ネオ・ファウスト』をなんとしても完結させたいんです」
 「なぜ、そこまで仕事にこだわられるのですか」
 手塚は、しばらく黙っていた。
 「描くことしか、僕にはできないんです」彼は言った。「今ここで自分が描かなければ、誰が描くんだろうと、いつも思ってしまう」
 「今、ご自身の漫画家人生をどう振り返っておられますか」
 手塚は、少し目を細めた。
 「上海の、万籟鳴先生のことを、近頃よく思い出します」


四章 名の記されなかった恩人
 その夜、凪は病院の一室で眠れぬまま過ごした。
 手塚の言葉が、頭から離れなかった。
 ――上海の、万籟鳴先生のことを、近頃よく思い出します。
 これまでの二十五人は、皆、有限の生の中で何を選ぶかという問いを抱えていた。だが手塚の場合、彼が向き合っていたのは「己の作品をどう完成させるか」だけでなく、「己を育てた恩人をどう正しく伝えるか」という問いであるように思えた。
 史実において、手塚のアニメーションへの原点は、しばしばディズニーの影響として広く語られてきた。だが、彼自身、十代半ばに見た万籟鳴監督の中国アニメーション『鉄扇公主』からの影響が、ディズニーよりも早く、そして深いものであったと周囲に語っていたと伝えられている。亡くなる三ヶ月前、病を押してまで上海を訪れ、老いた万籟鳴と再会したのも、その恩を生涯忘れていなかったからであろう。
 凪は、ふと思った。
 手塚が、これほどまでに己の作品への執念を語る一方で、その原点にいた異国の恩人への感謝は、これまでどれほど広く、正しく語られてきたのか。
 窓の外、半蔵門の夜は、未完の原稿用紙のように白く静まっていた。


五章 マネージャーとの対話
 翌朝、凪は病室の外で待機していたマネージャーと、言葉を交わす機会を得た。
 「先生は、万籟鳴先生のことをよく話されますか」
 「はい」マネージャーは、頷いた。「多くの人は、先生がディズニーの影響を受けたと思っていますが、実は先生ご自身が最も敬愛していたのは万籟鳴先生だったのです」
 「そのことは、世間に広く知られておりますか」
 マネージャーは、首を振った。
 「いいえ。先生のお名前は世界中で知られておりますが、万籟鳴先生のことまでは、あまり知られていないように思います」
 凪は、その言葉の重さを静かに受け止めた。
 「先生ご自身は、それをどう思っておられるのでしょうか」
 マネージャーは、しばらく考えていた。
 「先生は、上海への旅の後、よく万籟鳴先生のことを懐かしそうに話されるようになりました。ですが……それを、まとまった形ではっきりと書き記されたことは、まだあまりないように思います」


六章 息子との対話
 その日の昼過ぎ、病室では手塚の息子が父の描きかけの原稿をそっと整理していた。
 「サカキバラさんと申されるか。父より、伺っております」
 「あなたは、万籟鳴先生のことをどう見ておられますか」
 息子は、少し驚いた顔をした。インクで汚れた指をハンカチで拭いながら答える。
 「父にとって、特別な存在だったのだと思います。父はディズニーに影響を受けたとよく言われますが、本当の原点はもっと別のところにあったのでしょう」
 「それは、お父様ご自身もはっきりと感じておられることですか」
 「父は……」息子は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも万籟鳴先生への敬愛を抱いているはずです。ただ、いつも次の作品のことばかり考えている人ですから」
 凪は、頷いた。
 「もし、お父様がはっきりと万籟鳴先生への感謝を書き記されたら――何か、変わると思われますか」
 息子は、病床の父を一瞥してから答えた。
 「変わるかもしれません。……父の言葉には、それだけの重みがあると思います」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は手塚に呼ばれ、二人だけで病室に残った。
 「マネージャーや息子から聞きました」と手塚は言った。「あなたが、万籟鳴先生のことをあれこれ聞いておられるそうですね」
 「差し出がましいことを、申し上げました」
 「いえ」手塚は、穏やかな目で凪を見た。「僕自身、向き合わねばならない角度でした」
 「手塚様は、ご自身の作品について世界中であれほど語られてこられました。ですが、万籟鳴先生への感謝については、まとまった形で語られる場がなかったように見受けました」
 手塚は、しばらく黙っていた。
 「僕はね」やがて彼は、静かに言った。「締切から逃げてるうちに、人生の締切が来ちゃった。次、次ってやってるうちに、最初の“ありがとう”を言い忘れてたんですよ」
 自嘲するように笑って、彼は続けた。
 「多くの人が、僕をディズニーの影響を受けた漫画家だと思っています。それも間違いではありません。ですが、僕の本当の原点は十代の頃に見た万籟鳴先生の『鉄扇公主』でした。……あの一本の映画がなければ、僕はアニメーションの道を志さなかったかもしれません」
 「なぜ、それをもっとはっきりと語ってこられなかったのですか」
 「振り返って、恩人への感謝をまとめる時間を、作ってこなかったのでしょう」
 凪は、深く息を吸った。
 「手塚様。あなたは今、『ネオ・ファウスト』の完結を何より優先しておられます。ですが――もし万籟鳴先生への感謝をはっきりと言葉にしないまま終われば、その恩はあなたの名声の陰に埋もれたままになってしまうかもしれません」
 手塚の目が、微かに揺れた。
 「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の作品だけでしょうか。それとも――万籟鳴先生という、あなたを育てた恩人の存在を、次の時代へとはっきり書き伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
 手塚は、長い間、目を閉じていた。


八章 鉛筆を握る夜
 その夜遅く、手塚は意識が戻った合間に「鉛筆をくれ」と静かに言った。
 凪は、その傍らに静かに控えていた。
 「万籟鳴先生は……」手塚は、震える手で鉛筆を握りながら途切れ途切れに言った。「僕に、アニメーションという表現の“美”を最初に教えてくれた人でした。ディズニーより先に、僕の心を動かした人です」
 震える手で綴られる文字が、原稿用紙の隅に小さく残された。
 「これだけは……書いておきたい。僕の原点は、あの人だったと」
 凪は、静かにその手の動きを見つめていた。
 やがて手塚は鉛筆を置き、静かに目を閉じた。
 「これで……少しは、コマの外の仕事ができたかな」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、平成元年二月九日、手塚治虫はその生涯を閉じることになる。享年六十。立ち会ったマネージャーによれば、その最期の言葉は「頼むから、仕事をさせてくれ」であったという。
 凪は後年、関係者の証言で知ることになる。史実において、手塚が万籟鳴を敬愛し、亡くなる三ヶ月前に上海で再会を果たしていたことは、後年、手塚プロダクションの関係者によって静かに語られることになる。ディズニーの影響ばかりが語られがちな手塚のアニメーションの原点に、実はこの中国の巨匠との出会いがあったことは、今日少しずつ知られるようになっている。
 凪は、その事実を知り静かに思った。
 世界的な名声の陰にも、確かに、名もなき、あるいはあまり知られていない恩人たちの存在が、原稿の欄外の走り書きのように息づいているのかもしれない、と。


終章 もう一つの漫路
 数十年後。
 日本と中国、それぞれのアニメーション史を紹介する展示の一角に、手塚治虫と万籟鳴、二人の名前が並んで記されていた。
 「マンガの神様」としてだけではなく、「異国の一本の映画に心を動かされた一人の少年」として。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は書き上げたばかりの原稿を静かに読み返していた。
 窓の外では、真冬の風がまだ冷たく吹いていた。
 「あなたが遺したかったのは、ご自身の作品だけではなかったはずです」
 凪は、静かに呟いた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の最後の一文が残されていた。
『平成元年二月、東京の空は静かに暮れようとしていた。医師の道を捨て、漫画とアニメーションに生涯を捧げた男は、その最期の日々に己の仕事を語りながらも、もう一つの光を確かに異国の恩人へと書き遺したのである。』
 風が吹いた。インクと消しゴムの匂いが微かにした。
 玉響の揺らぎは、今日もまた静かに続いている。

——了——


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あとがき
 本作は手塚治虫の最晩年を題材としたフィクションです。手塚治虫は実在の人物ですが、物語におけるマネージャーや息子との対話の内容、病床での具体的な描写は著者の創作です。
 実際に手塚は平成元年(一九八九年)二月九日、スキルス性胃癌のため六十歳で逝去しました。病床でも複数の連載を抱え、最期の言葉は「頼むから、仕事をさせてくれ」であったと手塚プロダクションの関係者が伝えています。
 手塚のアニメーションへの原点について、多くの人がディズニーの影響を想起しますが、手塚プロダクションの関係者によれば、実際に手塚が最も敬愛していたのは中国のアニメーション映画『鉄扇公主』を手掛けた万籟鳴監督であり、ディズニーよりも早く、深い影響を受けていたとされています。手塚は、亡くなる三ヶ月前の昭和六十三年十一月、病を押して上海を訪れ、当時八十代であった万籟鳴と再会を果たしました。この再会の詳しい様子や、手塚が最晩年に抱いていた具体的な想いについては、本作における描写は著者の創作です。
 本作は、前二十五作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、玉響は、いつの時代にも静かに揺らいでいるのかもしれません。