皇路転生記 〜崇徳院と刻をこえた男〜
玉響転生記・第二十四話
まえがき
二十三度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
菅原道真との旅で、凪は「梅路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「皇路」であった。
都を追われ、遠い配流の地で、なお人としての情を、失わずにいた男。
長寛二年(一一六四年)八月。齢四十六。保元の乱に敗れ、讃岐の地に流されて、九年になろうとしていた男――崇徳院。後に、日本三大怨霊の一人として、恐れられることになる元天皇の物語である。
なお、平安時代後期という遠い時代のことゆえ、崇徳院の生涯については、史実と、『保元物語』をはじめとする、後世の物語や伝説とが、分かちがたく織り交ざっている。本作もまた、その伝説の重なりの上に、一つの物語を紡ぐものである。
プロローグ 葉月の来訪
東京は、残暑の厳しい、蒸し暑い夜だった。
榊原凪は、六十四歳になっていた。菅原道真との旅から、半年余りが経っている。
大宰府の配所で、道真が味酒安行への感謝を詩に込めた、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『見返りを求めぬ人』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、後世の人が記した『保元物語』の写しを眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、潮風と、古い経文のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の男が座っていた。
質素な衣。伸び放題の髪。だが、その目には、深い疲労の中にも、どこか高貴で人間らしい温かさが宿っていた。
「夜分に、驚かせたな」
男は、静かに言った。
「あなたは……」
「崇徳院と申す。かつては、この国の帝であった」
凪は、息を呑んだ。
崇徳院。第七十五代天皇として即位しながら、父・鳥羽上皇との確執の末、保元の乱に敗れ、讃岐国へと流された元天皇。後に、日本三大怨霊の一人として恐れられることになる人物。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、麻呂にも、分からぬ」崇徳院は、静かに、力なく微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真――そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を静かに見つめた。
「麻呂は今、讃岐の地で、九年の歳月を過ごしておる」
「崇徳院様……」
「されど」元天皇の目に、複雑な光が宿った。「まだ、伝えておきたいことが、ある」
一章 二十四度目のたゆたい
その夜、凪は『保元物語』の写しに目を落としながら、考え続けていた。
これまでの二十三人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが崇徳院の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、崇徳院は保元元年(一一五六年)、保元の乱に敗れ、讃岐国へと配流される。九年にわたる配流生活の末、長寛二年(一一六四年)八月、その地で崩御したと伝えられている。
晩年、鳥羽上皇の菩提を弔うため、三年をかけて写経した大乗経を都の寺へ納めようとしたが、朝廷はこれを拒み、送り返してしまう。この仕打ちに絶望した崇徳院は、後に「日本国の大魔縁とならん」と、自らの舌を噛み切った血で誓いを書き記したと、『保元物語』は伝えている。
だが、崇徳院の讃岐での日々には、もう一つの側面があった。配流当初、彼を迎え入れ、庇護したのは、讃岐国司庁の首席官人・綾高遠という、地元の豪族であった。高遠の娘との間には一男一女が生まれたが、いずれも幼くして世を去り、菊塚、姫塚と呼ばれる塚に葬られたという伝承がある。
凪には思えた。
院の胸中に渦巻く都への怨念の陰で、讃岐の情と我が子への想いは、どれほど声を持ち得たのか、と。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、写本の匂いが、潮風と経文の匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。
二章 讃岐・鼓岡の御所
気づくと、凪は、讃岐国鼓岡にある、崇徳院の御所の裏手に立っていた。
晩夏の潮風が、質素な御所を吹き抜けていく。
凪の身なりは、御所に仕える下人風の姿に変わっていた。
「もし」
庭先で御所の管理を差配していた、品格のある老爺に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「院に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ。ここはみだりに立ち入る場所ではない」
「院のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
老爺は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラとやら申したな。お入りくだされ」
この老爺こそ、綾高遠――官人の身分でありながら、周囲の目を恐れず、崇徳院を讃岐で長く支え続けてきた男であった。
三章 崇徳院の御所
御所は、都の内裏とは比べようもない、質素な造りであった。だが、文机の上には、写経の道具が静かに置かれている。
崇徳院は、文机の前から、疲れた、しかし澄んだ目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」崇徳院は、静かに言った。「麻呂は、この地で九年を過ごしてきた」
「都への想いは、今も、お強くあられますか」
崇徳院は、しばらく黙っていた。
「都への未練が、ないと申せば嘘になろう」彼は言った。「されど、この地にも、麻呂を支えてくれた者たちがおった」
「綾高遠殿のことでしょうか」
崇徳院は、少し目を細めた。
「高遠がおらねば、麻呂はこの地で、住む場所すらおぼつかなかったであろう」彼は、静かに言った。「そして……高遠の娘との間に生まれた、二人の子のことも、近頃、よく思い出す」
四章 名の記されなかった子ら
その夜、凪は御所の片隅で、眠れぬまま過ごした。
崇徳院の言葉が、胸から離れなかった。
これまでの二十三人は、皆、有限の生の中で何を選ぶかという問いを抱えていた。だが崇徳院の場合、彼が向き合っていたのは、「都への怨念をどう引き受けるか」だけでなく、「讃岐の地で結んだ、確かな情を、どう遺すか」という問いであるように思えた。
後世、崇徳院は「大魔縁となった恐ろしい怨霊」としてばかり語り継がれることになる。だが、その陰で、讃岐の地で育まれた小さな家族の情と、幼くして失われた命への哀しみは、歴史の表舞台に語られることはなかった。
窓の外、讃岐の海の潮騒が、遠く微かに聞こえていた。
五章 高遠との対話
翌日、凪は、庭先で静かに佇んでいた高遠と、言葉を交わす機会を得た。
「院は、亡くなられたお子様たちのことを、よく話されますか」
高遠は、遠い目をしながら答えた。
「ああ。菊塚、姫塚に眠るあの子らのことを、時折、愛おしそうに話される。……あの子らが元気であったなら、と」
「院にとって、あなたと、あなたの娘の存在は、どれほどのものだったのでしょうか」
高遠は、静かに言った。
「都から見放され、この讃岐に流されてきた御方じゃ。それがしにできることは、ただ、住まいを整え、不自由なきよう共に日々を過ごすことだけであった。ただそれだけのことよ」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「院ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
高遠は、しばらく黙って、遠くの山並みを見つめていた。
「院は、いつも感謝の言葉をかけてくださる。ですが……それを、はっきりと後の世に向けて、書き記されたことは、まだないように思う。院の心は今、都への無念で張り裂けそうなのだ」
六章 娘・綾御前との対話
その日の夕刻、高遠の娘であり、崇徳院との間に子をもうけた、綾御前が御所を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。院より、伺っております」
「あなたは、院のことを、どう見ておられますか」
綾御前は、少し目を伏せた。
「都ではあれほどの地位におられた御方が、この讃岐で、あのように静かに悲しみを抱えて過ごしておる。……それを見るのは、胸が締め付けられる思いです」
「お子様たちを亡くされたことは、院にとって、どれほどの意味を持つのでしょうか」
「院は……」綾御前は、言葉を選びながら言った。「表には出されませぬが、内心では、深く、深く、涙を流しておられるはずです。ただ、都から届く冷酷な仕打ちのせいで、心がいつも張り詰めておられるのでしょう」
凪は、頷いた。
「もし、院が、はっきりとあなた方への想いを言葉にされたら――何か、変わると思われますか」
綾御前は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……院のお言葉には、それだけの重みがございます。院ご自身の心もまた、救われるのではないかと、私は思うのです」
七章 夜半の対話
その夜、凪は崇徳院に呼ばれ、二人だけで御所に残った。
「高遠や、綾御前から、聞き申した」と崇徳院は言った。「そなたが、あの子らのことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを申し上げました」
「いや」崇徳院は、静かに凪を見た。「麻呂自身、向き合わねばならぬ角度でござった」
「院は、都への無念について、深く思いを募らせておられます。ですが、讃岐で結ばれた情や、亡くなられたお子様たちへの想いについては、あまりに語られる場が少なかったように見受けられました」
崇徳院は、しばらく黙っていた。
「麻呂は……」やがて彼は、絞り出すように言った。「都に、あれほど裏切られながらも、この讃岐の地で、高遠や、綾御前や、あの子らと過ごした日々もまた、麻呂にとって、確かな、生きた証であった。……だが、怨念にばかり心を奪われ、それを、はっきりと言葉にしてこなんだ」
「それは、なぜでございましょうか」
「都への無念が、あまりに深く、麻呂の心を蝕んでおったゆえ、じゃろう。呪わねば、己の形を保てぬほどにな」
凪は、深く息を吸い、寄り添うように言った。
「院。菊塚に眠る子らは、院の怨念を語りませぬ。ただ、父としてのあなたを待っております」
崇徳院の目が、微かに揺れた。
長い間、彼は目を閉じていた。
八章 語られた言葉
その夜遅く、崇徳院は、高遠と綾御前を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「高遠、綾御前」崇徳院は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「都は、麻呂を見放した。されど、そなたたちは、麻呂を見放さなんだ。……菊塚、姫塚に眠る、あの子らのことも、麻呂は生涯、忘れはせぬ」
高遠と綾御前は、深く頭を下げた。
「都が麻呂を怨霊と呼ぶとも、この地の情まで奪わせはせぬ」崇徳院は、静かに、しかし帝の響きをもって続けた。「高遠、綾御前よ。子らの名と、ここでの日々を、語り継いでくれ。それが麻呂の、もう一つの皇路じゃ」
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて崇徳院は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が安まった。そなたのおかげじゃ、サカキバラ」
九章 残されたもの
この夜からおよそひと月後、長寛二年八月、崇徳院は、讃岐にてその生涯を閉じることになる。享年四十六。
『保元物語』は、都から送り返された写経を前に、崇徳院が絶望のうちに恐ろしい誓いを立てたと伝えている。この物語は、後世、彼を「日本三大怨霊」の一人として位置づけることになり、平安末期から鎌倉期にかけての政情不安の多くが、彼の祟りとして語られることになる。
だが、讃岐の地には、また別の記憶も、静かに残されていた。彼を庇護した綾高遠、その娘との間に生まれ、幼くして世を去った二人の子ら――それらの存在は、後の世、菊塚、姫塚として、讃岐の地に、今も大切に守られている。
崇徳院の没後、歌人・西行法師が、その霊を慰めるため、讃岐の地(白峯陵)を訪れたと伝えられている。西行が手向けた歌に応え、崇徳院の霊は、静まったという。
恐ろしい怨霊としての物語の陰にも、確かに、人としての情の記憶が、息づいていた。
終章 もう一つの皇路
八百年余りの後。
京都・白峯神宮の境内に、崇徳院の霊を慰めるための社が、今も、静かに佇んでいた。
また、遠く讃岐の地には、菊塚、姫塚と呼ばれる、小さな塚が、今も大切に守られている。
「日本三大怨霊の一人」としてだけではなく、「讃岐の地で、確かな情を結んだ、一人の人間」として。
エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、残暑の風が、まだ、蒸し暑く吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、都への怨念だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『長寛二年八月、讃岐の空は、静かに暮れようとしていた。都を追われ、遠い配流の地で生きた男は、その最期の日々に、己の無念を抱えながらも、もう一つの光を、確かに、讃岐の地へと、語り遺したのである。』
風が吹いた。潮と、経文の匂いが、微かにした。
書斎の古時計が、六十四年の重みを抱えて、静かに時を刻んでいた。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。
――了――
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あとがき
本作は崇徳院(崇徳上皇)の最晩年を題材としたフィクションです。平安時代後期という遠い時代のことゆえ、崇徳院の生涯については、史実と、『保元物語』をはじめとする、後世の物語や伝説とが、分かちがたく織り交ざっており、本作もその伝説の重なりの上に書かれています。綾高遠は実在の人物とされていますが、物語における対話の内容や、娘・綾御前についての具体的な描写は、著者の創作です。
実際に崇徳院は、保元元年(一一五六年)の保元の乱に敗れ、讃岐国へ配流され、長寛二年(一一六四年)にその地で亡くなったと伝えられています。晩年、鳥羽上皇の菩提のために写経した大乗経を都へ納めようとしたものの、朝廷に拒まれ送り返されたことに絶望し、恐ろしい誓いを立てたとする逸話は、『保元物語』に記されていますが、これが史実かどうかについては、研究者の間でも意見が分かれています。
讃岐国司庁の官人・綾高遠が崇徳院を庇護し、その娘との間に生まれた子が幼くして亡くなったという伝承は、地元・香川県坂出市などに、今日まで伝えられています。
本作は、前二十三作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

