政路転生記
〜松平定信と刻をこえた男〜
玉響転生記・第十三話
まえがき
十二度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
杉田玄白との旅で、凪は「医路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「政路」であった。
飢饉と混乱の世に、厳格な改革を断行した男。
文政十二年(一八二九年)五月。齢七十一にして、なお筆を執り続けた男――松平定信。老中首座として寛政の改革を推し進め、後に隠居してもなお、自らの政治を書き遺そうとした元老中の物語である。
プロローグ 皐月の来訪
東京は、梅雨に向かう、静かな夜だった。
榊原凪は、五十六歳になっていた。杉田玄白との旅から、半年余りが経っている。
江戸の書斎で、玄白が同志・前野良沢の功績を書き記した、あの筆の動きを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『名の記されなかった男』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い政治記録の写しを眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、墨と、古い紙のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の老人が座っていた。
質素な羽織袴。厳しい顔つき。だが、その目には、深い思索の色が宿っていた。
「夜分に、失礼つかまつる」
老人は、静かに言った。
「あなたは……」
「松平越中守定信と申す。もっとも、今は隠居の身。楽翁と号しておる」
凪は、息を呑んだ。
松平定信。田沼意次の失脚後、老中首座として寛政の改革を断行し、幕府財政の立て直しと、風紀の粛正に、生涯を捧げた男。
そして、このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここに」
「さて、それがしにも、分かり申さぬ」定信は、静かに言った。「気づけば、この妙な部屋におり申した。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白。そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってまいる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を厳しい目で見つめた。
「それがしは今、齢七十一。この身は、もう長くはございますまい」
「定信様……」
「されど」老いた政治家の目に、鋭い光が宿った。「まだ、書き遺さねばならぬことが、ござる。かつて認めた回想録に、どうしても付け加えねばならぬことが。それを果たさずして死ぬのは、心残りでござる」
一章 十三度目のたゆたい
その夜、凪は政治記録の写しに埋もれながら、考え続けていた。
これまでの十二人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが松平定信の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、定信は天明七年(一七八七年)、老中首座に就任し、寛政の改革と呼ばれる一連の政策を断行する。倹約令、棄捐令、そして石川島の人足寄場の設置など、その施策は多岐にわたった。
この人足寄場、無宿者や、罪を犯した者に、手に職をつけさせ、更生させるための施設の設置を、定信に進言したのは、当時、火付盗賊改方を務めていた、長谷川平蔵という人物であった。
だが定信は、この長谷川平蔵という男を、生涯、あまり高く評価することがなかったと伝えられている。平蔵の型破りな手法や、市井の民に人気を得るその人柄を、定信は「山師的」と評し、公的な記録においては、距離を置き続けた。
平蔵は、人足寄場の設置という大功を成し遂げながら、正式な出世を遂げることなく、寛政七年(一七九五年)、志半ばで世を去った。それから三十余年が経つ今、平蔵の功績は、幕府の公式な歴史の陰に埋もれかけていた。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
定信が晩年に、かつての回想録を開いてまで書き遺そうとしたのは、本当に「己の改革の正当性」だけだったのか。それとも、その改革の陰で、見過ごされてきた者への、割り切れぬ想いだったのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、政治記録の匂いが、墨と古い紙の匂いに変わった。
玉響。
世界が、揺れた。
二章 江戸・浴恩園
気づくと、凪は、江戸の庭園の片隅に立っていた。
定信が隠居後に営んだ下屋敷の庭、浴恩園。初夏の緑が、池の水面に映えている。風が渡ると、背後の竹林がざわざわと鳴った。江戸の真ん中なのに、ここだけ時が遅い。
凪の身なりは、書生風の着流し姿に変わっていた。
「もし」
庭先にいた家臣に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「御前様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者か」
「御前様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
家臣は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「榊原とやら。お上がりくだされ」
この家臣こそ、定信の晩年の身の回りの世話をし、記録の整理を手伝っていた若き藩士であった。
三章 定信の書斎
書斎は、質素ながらも、几帳面に整えられていた。机の上には、かつて定信が四割の頃に書き上げた回想録『宇下人言』の写しが広げられ、その余白には、いくつもの墨線と推敲の跡があった。
定信は、文机の前から、鋭い目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」定信は、厳かに言った。「それがしは、この書物に最後の追記をせねば、死ぬに死ねぬ思いでござる」
「何を、書き加えようとしておられるのですか」
定信は、しばらく黙っていた。
「それがしが、いかにして老中首座となり、いかにして改革を断行したか。ここにはその正しさを綴った。だが、あの頃のことを、正しく後世に伝えるとは、果たして己の言い分だけを遺すことなのかと、この歳になって煩悶しておる」
「今、その改革を、どのように振り返っておられますか」
定信は、少し目を伏せた。
「厳しすぎた、との誹りも、甘んじて受けてまいった。それがしは、ただ、国を正そうとしたのだ」
四章 名の記されなかった男
その夜、凪は定信の屋敷の隅で、眠れぬまま過ごした。
定信の言葉が、頭から離れなかった。
――厳しすぎた、との誹りも、受けてまいった。
これまでの十二人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが定信の場合、彼が向き合っていたのは、「己の政治をどう評価するか」だけでなく、「己の理想の陰で、過小評価せざるを得なかった他者を、どう歴史に遺すか」という問いであるように思えた。
史実において、長谷川平蔵は、人足寄場という、当時としては画期的な社会更生の仕組みを作り上げた人物である。だが定信は、彼の出自や、その率直すぎる物言い、博打打ちさえ利用する市井でのやり方を、どこか胡散臭いものと見なし続けた。結果として、平蔵は公式な出世を遂げぬまま世を去り、幕府の記録において、その名は単なる「一役人」としてしか処理されていなかった。
凪は、ふと思った。
定信が、これほどまでに自らの改革を語る一方で、その改革を陰で支えた「異端の功労者」への想いは、これまで、どれほど世に向けて、はっきりと語られてきたのか。
窓の外、江戸の町の喧噪が、遠く微かに聞こえていた。
五章 平蔵の消息
翌日、凪は、書斎で書物を整理していた若き藩士と、言葉を交わす機会を得た。
「お答えする前に、名を伺っても?」
「小野田直次郎と申します」
直次郎は二十そこそこの、目元に聡さのある男だった。
「直次郎殿。長谷川平蔵様は、今、どのように語り継がれておいでですか」
「平蔵様、ですか」直次郎は、少し言葉に詰まった。「もう三十年以上も前に亡くなられたお方です。人足寄場の仕組みは今も機能しておりますが、平蔵様ご自身のお名前は、幕府の公的な御用記録の端々に残るのみで、表立って讃えられることはございませぬ。どこか、山師のような危うい男だったと、評する者もおります」
「御前様ご自身は、平蔵様のことを、どう思っておられるのでしょうか」
直次郎は、首を傾げた。
「御前様は、時折、この『宇下人言』の寄場のくだりを眺めては、複雑なお顔で筆を止められます。功績は認めておられるようですが、何か、まだ書ききれていない割り切れぬ想いがあるように、お見受けします」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
六章 旧臣・水野為長との対話
その日の夕刻、かつて定信の側近として江戸中の噂話や情報網を管轄していた旧臣、水野為長が、見舞いに訪れた。
「榊原殿と申されるか。御前様より、伺っております」
「為長殿。不躾ながらお尋ねします。あなたは、長谷川平蔵様のことを、当時、どう見ておられましたか」
為長は、少し驚いた顔をしたが、遠い目をしながら言葉を選んだ。
「我ら御側用は、平蔵殿を『危険な男』として警戒しておりました。博打打ちを寄場の教諭として雇おうとしたり、予算が足りねば自ら銭相場に手を染めようとしたり。御前様の掲げる『清廉潔白』の理想とは、あまりにかけ離れた立ち回りでしたからな」
「では、平蔵様は間違っていたと?」
「いや」為長は、首を振った。「あの男なくば、人足寄場は一日として生まれなんだでしょう。無宿の者たちに、泥にまみれて手に職をつけさせ、更生の道を開く。あの執念と泥臭い発想は、平蔵殿ならではのものでございました。御前様も、内心ではその功を痛いほど分かっておられた。ただ、己の政治の理想と、平蔵殿の型破りなやり方との間に、常に、ぎこちなさを感じておられたのです」
凪は、頷いた。
「もし、定信様が、いま見直しておられる回想録に、はっきりと、平蔵様のその『泥臭い功績』を書き記されたら、何か、変わると思われますか」
為長は、しばらく考えた。
「変わりましょう。冷徹なる老中・松平定信が、その限界を認めてまで他者を賞したとなれば、歴史の重みが、変わり申す」
七章 夜半の対話
その夜、凪は定信に呼ばれ、二人だけで書斎に残った。
「為長から、聞き申した」と定信は言った。「そなたが、平蔵のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」定信は、鋭い目で凪を見た。「それがし自身、死を前にして、向き合わねばならぬ角度でござった」
「定信様は、ご自身の改革の意図について、この『宇下人言』で雄弁に語っておられます。ですが、平蔵様の功績については、単に『人足寄場を建てさせた』という事実のみで、彼の執念や、彼が背負った泥については、何も語られていません」
定信は、しばらく、黙っていた。
「それがしは」やがて彼は、絞り出すように言った。「国の法を正そうとした。ゆえに、法を逸脱するような平蔵の、市井に阿るような立ち居振る舞いが、どうしても許せなんだ。士たる者の在り方とは、相容れなんだのだ。それゆえ、生前、彼に正当な出世も評価も、与えそびれた」
「なぜ、いまになって、そのことを気に病まれるのですか」
定信は、目を閉じた。
「……平蔵は、泥にまみれねば救えぬ命を救った。それがしには、できなんだ」
それだけ言って、定信は口を噤んだ。
凪は、深く息を吸った。定信が語らなかった続きを、凪は確かに聞いた気がした。
――それを認めねば、己の政治は独りよがりになる。
「定信様」凪は静かに言った。「あなたが本当に後世に遺したいものは、ご自身の政治の『無謬性』だけでしょうか。それとも、己と相容れぬ者であっても、確かに国を支えた一人の働き手の姿を、次の時代へと、はっきり書き伝える、その誠実さではないでしょうか」
定信は、長い間、目を閉じていた。
八章 筆を執る夜
その夜遅く、定信は、再び文机に向かい、筆を執った。
傍らでは、小野田直次郎が、無言で墨を摺っていた。
「平蔵は」と定信は、筆を運びながら、呟くように言った。「それがしの好むところとは、全く違う男であった。されど、無宿の者たちに道を示すという、あの発想の鋭さと執念は、それがしには、ついに真似のできなんだものであった」
筆先から生まれる文字が、『宇下人言』の寄場の記述の余白を、強い筆圧で埋めていった。
それは、手放しの称賛ではない。彼の危うさを指摘しつつも、その功績が代替不可能であったことを認める、定信らしい、峻厳で、しかし極めて誠実な「追記」であった。
「それがしは、あの男を、正しく評価してこなんだ」定信は、墨を継ぎ足した直次郎に、短く礼を言った。「それを、こうして書き記しておく。これが、楽翁としての、最後の政じゃ」
やがて定信は、筆を置き、深く息をついた。
「これで、ようやく、心残りが、一つ、減り申した」
九章 書き遺されたもの
その後、定信の回想録『宇下人言』は、静かに書き継がれ、後の世へと受け継がれた。
史実において、この書物は定信自身の改革の弁明の書として伝わっている。だが、その人足寄場のくだりには、長谷川平蔵という「相容れぬ男」への、複雑ながらも、その功を確かに認める率直な筆致が、静かに滲むこととなった。
凪は、その事実を知り、静かに思った。
完全な和解や、安易な美談ではなくとも、己の理想の限界を認め、共に働いた者の泥臭い功績を認めようとする、その筆の重みそのものが、一つの為政者の誠実さなのだ、と。
終章 もう一つの政路
数日後。
定信の書斎には、書き改められた回想録の草稿が、静かに置かれていた。
その中には、定信自身の政治への想いと共に、長谷川平蔵という、一人の働き手の功績が、率直な筆致で記されていた。
この草稿は、いつか、小野田直次郎のような、誰かの手によって、次の時代へと、受け渡されることになるだろう。
「厳格な老中」としてだけではなく、「己の限界をも認めた、一人の為政者」として。
エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、梅雨入り前の風が、心地よく吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の正しさだけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、書き出しの一文だけが残されていた。
『彼は、己の光で照らせぬ場所があると知った。だから、嫌いな男の提灯に、火を移した。』
風が吹いた。墨と、古い紙の匂いが、微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。
——了——
あとがき
本作は松平定信の晩年を題材としたフィクションです。松平定信、長谷川平蔵、水野為長などは実在の人物ですが、物語の展開は著者の創作です。
実際に定信は天明七年(一七八七年)から寛政五年(一七九三年)まで老中首座を務め、寛政の改革を断行しました。人足寄場の設置は、当時火付盗賊改方であった長谷川平蔵の進言によるものとされています。
定信が平蔵をどのように評価していたかについては、史料『宇下人言』等において「山師のよう」「あやふやなところがある」と評しつつも、寄場設置の功績そのものは認めるなど、複雑な視線が向けられていました。本作における二人の関係の描写や、定信が最期に『宇下人言』へ追記を行ったという展開は、本作独自の創作・演出です。
本作は、前十二作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。

