句路転生記

〜松尾芭蕉と刻をこえた男〜
玉響転生記・第十一話



まえがき
十度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
今回、彼が得た言葉は「句路」であった。
元禄七年(一六九四年)十月。大坂の旅先で病に倒れ、齢五十一にしてその生涯を閉じた男――松尾芭蕉。「軽み(かるみ)」という新たな境地を求め続けながら、最期の病床でもなお、句を練り直すことをやめなかった俳諧師の物語である。





プロローグ 神無月の来訪
東京は、冬に向かう、静かな夜だった。
榊原凪の背は、芭蕉が世を去った歳より、既に四つも年を重ねていた。葛飾北斎との旅から、一年近くが経っている。
浅草の裏長屋で、北斎が娘・お栄に向けて残した、あの最期の言葉を、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『まだ足りぬ男』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い俳諧の句集を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、枯れ葉と、旅の土埃のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の痩身の男が座っていた。
質素な旅装束。杖を携え、笠を傍らに置いている。齢五十を超えているはずだが、その姿には、どこか少年のような身の軽さがあった。
「これは、失礼つかまつる」
男は、静かに言った。
「あなたは……」
「芭蕉と申す。もっとも、生まれは伊賀の松尾、宗房と申した者でござる」
凪は、息を呑んだ。
松尾芭蕉。『奥の細道』をはじめ、俳諧という文芸を、単なる言葉遊びから、深い詩情を湛えた芸術へと高めた男。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここに」
「さて、それがしにも、分かり申さぬ」芭蕉は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におり申した。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎――そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってまいる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を穏やかに見つめた。
「それがしは今、大坂の花屋仁左衛門殿方にて、病の床に伏しており申す。旅の空の下で、命を終えることになりましょう」
「芭蕉様……」
「されど」老いた俳諧師の目に、澄んだ光が宿った。「まだ、句が浮かんでまいる。この身が朽ちる、その日まで」



一章 十一度目のたゆたい
その夜、凪は句集に埋もれながら、考え続けていた。
これまでの十人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが松尾芭蕉の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、芭蕉は元禄七年十月十二日、大坂の旅先で没する。享年五十一。死の四日前、弟子たちに請われて詠んだとされる句が、後に「辞世の句」として広く知られることになる。
 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
だが、伝えられるところによれば、芭蕉自身は、この句を「辞世」と定めることを、はっきりとは望まなかったという。生涯のほとんどを旅の空の下で過ごし、定まった住処を持たなかった彼にとって、日々詠む句のすべてが、既に死と隣り合わせの、旅の一句であったからだ。
凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
芭蕉が最期まで手放さなかったのは、本当に「一句の完成」だけだったのか。それとも――その傍らで、静かに彼を支え続けた、名もなき者への想いも、あったのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、句集の匂いが、枯れ葉と旅の匂いに変わった。
玉響(たまゆら)。
世界が、揺れた。



二章 大坂・花屋仁左衛門方
気づくと、凪は、大坂の商家の裏庭に立っていた。
南御堂の近く、木綿問屋・花屋仁左衛門の離れ座敷。障子越しに、初冬の弱い日差しが差し込んでいる。
凪の身なりは、旅の僧侶風の姿に変わっていた。
「もし」
庭先にいた若者に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「先生に、お目通り願いたい」
「あんた、何者や」
「先生のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
若者は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「榊原さんとやら言うたな。お入りください」
この若者こそ、次郎兵衛――芭蕉が、この最後の旅に伴っていた、若き従者であった。



三章 芭蕉の病床
病床の間は、狭いながらも、清潔に整えられていた。枕元には、書きかけの句稿と、硯が置かれている。門人たちが交代で見舞いに訪れ、部屋の外には、常に誰かの気配があった。
芭蕉は、床の中から、穏やかな目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「お座りなされ」芭蕉は、静かに言った。「それがしは、若き日より、旅から旅へと生きてまいった。定まった家というものを、ほとんど持たなんだ」
「なぜ、そこまで、旅を、お続けになられたのですか」
芭蕉は、しばらく黙っていた。
「発句というものは、机の上だけでは、生まれ申さぬ」彼は言った。「風の匂い、道行く人の声、季節の移ろい――その只中に身を置いてこそ、真の一句が、ふと訪れる。それがしにとって、旅こそが、住処でござった」
「今、その旅の途上で、命を終えられようとしています。悔いは、ございませんか」
芭蕉は、少し笑った。
「悔いがないと申せば、嘘になり申そう。まだ、詠みたい句がある。まだ、辿り着いておらぬ境地がある」



四章 軽みという境地
その夜、凪は花屋の離れの隅で、眠れぬまま過ごした。
芭蕉の言葉が、頭から離れなかった。
――発句は、机の上だけでは、生まれ申さぬ。
これまでの十人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが芭蕉の場合、彼が晩年に辿り着いた「軽み」という境地は、必ずしも、すべての弟子に受け入れられていたわけではなかった。
史実において、芭蕉が最晩年に唱えた「軽み」――日常の何気ない情景を、飾らず、しかし深く詠む新しい句風――は、去来や其角ら、古参の高弟たちの間でも、賛否が分かれていたと伝えられている。
離れの次の間では、高弟たちがこれからの俳諧の行く末について、熱く激しい議論を戦わせていた。その言葉の応酬の傍らで、ただ一人、輪に加わることもなく、黙々と師の薬湯を煎じ、身の回りの道具を整えている若者の姿があった。次郎兵衛である。
次郎兵衛は、亡くなった女性・寿貞(じゅてい)の子であり、芭蕉が身内同然に引き取り、この最後の旅にも、ただ一人、付き添わせていた人物だった。だが、その名は、去来や其角、丈草といった高名な門人たちの陰に、ほとんど記録として残っていない。
言葉の天才たちが生み出す熱気から切り離されたように、静かに佇む彼の横顔を、凪は見つめていた。窓の外、大坂の町の喧噪が、遠く微かに聞こえていた。



五章 次郎兵衛との対話
翌日、凪は、庭先で薬湯を煎じていた次郎兵衛と、言葉を交わす機会を得た。
「あんた、先生と何を話してるんや」
「句のお話を、伺っておりました。……次郎兵衛殿も、先生のお傍に、長く仕えておられるのですね」
次郎兵衛は、手を止めた。
「へえ。物心つく前から、先生のところにおりました」
「次郎兵衛殿ご自身は、句を、詠まれることは」
次郎兵衛は、少し寂しげな笑みを浮かべた。
「それがしは、そういう柄やありません。ただ、先生のお世話をするだけの者です」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「次郎兵衛殿は、それを、どう思っておられますか」
次郎兵衛は、しばらく黙って、薬缶の湯気を見つめていた。
「寂しくないと言えば、嘘になります」彼は、やがて言った。「先生のお傍におれること自体が、それがしにとっては、何よりのことです。……ただ」
「ただ?」
「先生の句は、百年先まで残る。せやけど、それがしの炊いた薬湯は、朝になれば消えてしまう。それでええ。そう思うてました。……先生が身罷られた後、それがしは、どうなるんやろう。ただの従者として、忘れられてしまうんやないか。そう思うことは、あります」



六章 弟子・支考との対話
その日の夕刻、芭蕉の高弟の一人、各務支考(かがみ・しこう)が、見舞いに訪れた。
「榊原殿と申されるか。先生より、伺っております」
「支考殿は、次郎兵衛殿のことを、どう見ておられますか」
支考は、少し驚いた顔をした。
「よう気の付く、心根の優しい若者でございますよ。先生の身の回りのことを、あれほど細やかに世話できる者は、そうおりますまい」
「それは、先生ご自身も、認めておられることですか」
「先生は……」支考は、言葉を選びながら言った。「口には多くを出されませぬが、内心では、あの若者に、深い情を寄せておられるはずです。ただ、先生ご自身が、常に句作りのことで頭が一杯の御方ゆえ、それを、はっきりと言葉にする間が、なかったのやもしれません」
凪は、頷いた。
「もし、先生が、はっきりと、次郎兵衛殿への想いを、言葉にされたら――何か、変わると思われますか」
支考は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……先生のお言葉には、それだけの重みがございます」



七章 夜半の対話
その夜、凪は芭蕉に呼ばれ、二人だけで病床に残った。
「門人どもから、聞き申した」と芭蕉は言った。「そなたが、次郎兵衛のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」芭蕉は、穏やかな目で凪を見た。「それがし自身、考えたことのない角度でござった」
「芭蕉様は、ご自身の句作りについて、あれほど深く語られます。ですが、次郎兵衛殿については、あまり、多くを語られないように見受けました」
芭蕉は、しばらく、黙っていた。
「それがしは……」やがて彼は、絞り出すように言った。「あの者の献身を、誰よりも、有り難く思うておる。母の寿貞を亡くし、頼るべき者とて少なかったあの者を、それがしなりに、我が子のように思うてまいった。……だが、それを、はっきりと言葉にしたことは、なかったやもしれぬ」
「なぜですか」
芭蕉は、句のことばかり考えて生きてきた。だから、と彼は言った。「身近な者への情を、言葉にする、ということに、慣れておらぬ」
凪は、深く息を吸った。
「芭蕉様。あなたは、旅の途上で句を詠み続けることこそが、ご自身の生きる道だと、仰います。ですが――もし、句のことだけを言葉にして終われば、次郎兵衛殿の献身は、あなたの旅の陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
芭蕉の目が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、句という言葉だけでしょうか。それとも――次郎兵衛殿という、あなたを支え続けた者への想いを、はっきりと、言葉にして手渡すことも、含まれているのではないでしょうか」
芭蕉は、長い間、目を閉じていた。



八章 最期の言葉
元禄七年十月十二日。
芭蕉の容態は、急速に悪化していった。
枕元には、支考、去来、丈草といった高弟たち、そして次郎兵衛、凪が集まっていた。
芭蕉は、静かな声で、言った。
「旅に病んで……夢は枯野を、かけ廻る」
それは、数日前に詠んだ句と、寸分違わなかった。
だが、彼は一呼吸置いた。
その時、凪には見えた。枯野をかける夢の向こうに、もう一人の男の背中が重なった。薬湯を煎じ、硯を清め、旅の土埃を払い続けた、名もなき者の背中が。
「……次郎兵衛」芭蕉は、呼ばずにはいられなかった。
「はい、先生」
「そなたは……それがしの句を、一つも詠まなんだな。……されど、そなたの歩みこそが、それがしの旅の『道』そのものであった。支考、皆も聞け。次郎兵衛の尽くしてくれた日々は、それがしのどの発句にも劣らぬ、見事な真(まこと)じゃ」
次郎兵衛の目に、大粒の涙が溢れ、床の畳を濡らした。
「先生……」
「それを、はっきりと言うておく。……次郎兵衛の献身なくば、枯野をかける夢も、とうに途切れておった。この者の道を、ゆめゆめ忘れるでないぞ」
支考は、嗚咽をこらえながら深く頭を下げた。
芭蕉は、静かに、息を引き取った。享年五十一。


九章 旅を継ぐ者
芭蕉の死後、その最期の言葉は、門人たちの間で、静かに語り継がれた。
史実では、次郎兵衛のその後の消息は、詳しくは伝わっていない。多くの記録は、去来、其角、丈草、支考といった高弟たちの動向を、詳細に書き留めているが、若き従者の名は、ほとんど脚注のように、僅かに触れられるのみである。
だが、もう一つの結末では――。
芭蕉の最期の言葉を聞いた支考ら門人たちは、次郎兵衛を、単なる「従者」としてではなく、師の最後の旅を最も間近で支え続けた者として、深く敬意を払うようになった。
次郎兵衛は、その後も、句を詠むことはなかった。だが、師の遺した句稿を整理し、後の世に伝える仕事に、静かに、しかし確かな誇りを持って携わっていった。


終章 もう一つの句路
数年後。
京のある寺の一室で、初老に近づいた男が、一人、古い句稿を整理していた。
筆を運ぶその姿は、句を詠む者のそれではなかった。だが、そこには、師の言葉を、次の世代へと伝えようとする、確かな光があった。
彼のもとには、時折、若い門人たちが訪れた。彼らは、次郎兵衛と呼ばれるその人物に、師の在りし日の姿を尋ねた。
「ただの従者」としてではなく、「先生の旅を、最も知る者」として。



エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、初冬の風が、冷たく吹いていた。
五十五歳。ふと、あの時の芭蕉の享年を、自分がすでに四つも追い抜いていることに気づく。言葉に人生のすべてを捧げた男に比べ、自分はどれだけの言葉を、そして身近な大切な人々への想いを遺せているだろうか。胸に去来する静かな痛みを覚えながら、凪は愛おしむように画面を見つめた。
「あなたが遺したかったのは、句という言葉だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『元禄七年十月十二日、大坂の空は、静かに暮れようとしていた。旅から旅へと生き抜いた男は、その最期に、一句への想いを語りながらも、もう一つの光を、確かに次の時代へと、手渡したのである。』
風が吹いた。枯れ葉と、旅の匂いが、微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。


――了――



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【作者注】

本作は松尾芭蕉の晩年を題材としたフィクションです。松尾芭蕉、弟子の各務支考、向井去来、内藤丈草などは実在の人物ですが、物語の展開は著者の創作によるものです。実際に芭蕉は元禄七年(一六九四年)十月十二日、大坂の旅先で没し、その数日前に「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を詠んだと伝えられています。この句が正式な「辞世の句」であったかどうかについては、諸説あります。
次郎兵衛は、芭蕉と縁の深かった女性・寿貞の子であり、最後の旅に同行した人物として記録に名が残っていますが、その後の詳しい消息については、史料に乏しく、本作における彼の心情や、芭蕉との対話の内容は、著者の創作です。
本作は、前十作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。