泡沫転生記

〜土方歳三と刻をこえた男〜


まえがき
 由井正雪、明智光秀、真田信繁、石田三成――四度の邂逅を経て、榊原凪は一つのことを、確信するようになっていた。
 歴史の中で「美しい最期」として語り継がれる者ほど、その死の直前に、誰にも見せない迷いを抱えている。
 泡沫(うたかた)――歴史の濁流に消えゆく、命の儚いまたたき。
 その泡沫の導きは今度は、幕末の函館へ、彼を運ぼうとしていた。
 明治二年(一八六九年)五月。旧幕府軍、最後の砦。
 新選組副長にして、蝦夷共和国陸軍奉行並――土方歳三。「鬼の副長」と恐れられ、 shadow(影)のように生きて、そして後世、もっとも人気のある「敗者」として愛され続ける男の物語である。




プロローグ 春浅き来訪
 東京は、桜の盛りを過ぎ、葉桜の季節を迎えていた。
 榊原凪は、四十九歳になっていた。真田信繁との旅から、一年近くが経っている。
 あの朝、茶臼山の空の下で信繁が見せた笑み――死に場所ではなく、生かす場所を選んだ男の顔――を、凪は今も鮮明に覚えている。
 書き上げた小説『日本一の兵、もう一つの生涯』は、前二作を上回る反響を呼んだ。だが凪自身は、その評判よりも、自分の中に積み重なっていく何かの方が、気になっていた。
 自分は、なぜ何度も、あの泡沫の運命に選ばれるのか。
 その夜、凪は書斎で、資料を広げたまま、うたた寝をしていた。
 ふと、革と鉄の匂いがした。硝煙の匂いも、微かに混じっていた。
 目を開けると、部屋の隅に、男が立っていた。
 洋装の軍服に、ブーツ。腰には洋剣。だが、その佇まいには、どこか和装の頃の名残――すっと伸びた背筋、静かに据わった目――があった。年の頃は三十五、六。整った顔立ちだが、表情は硬く、まるで能面のように動かない。
 「夜分に相すまぬ」
 男は短く言った。声には、多摩の訛りが微かに残っていた。
 「あなたは……」
 「土方歳三」
 凪の呼吸が、止まった。
 新選組副長、土方歳三。近藤勇亡き後、旧幕府軍を率いて蝦夷地・箱館まで転戦し、明治二年五月、五稜郭の攻防戦の中で命を落とすとされる男。史実では、一本木関門への出撃中、銃弾を受けて落馬し、絶命したと伝えられている。
 「なぜ、ここに」
 「分からぬ」歳三は硬い声で答えた。「気づけば、この妙な部屋にいた。由井殿、明智殿、真田殿――そなたが会うてきた男たちの気配が、うっすらと分かる。奇妙なものだな」
 「……何をお求めですか」
 歳三は、初めて微かに笑った。それは苦笑に近かった。
 「今宵、拙者は、五稜郭で最後の軍議を終えたところじゃ。明日、拙者は馬に乗り、一本木の関門へ向かう。……そこで、拙者は死ぬことになっておるのだろう」
 凪は、答えられなかった。
 「そなたの目を見れば、分かる。図星のようだな」
 歳三は、静かに言った。
 「だが、拙者には、まだ定まらぬものがある。それを確かめに、参った」

一章 四度目のたゆたい
 その夜、凪は資料に埋もれながら、考え続けていた。
 正雪には、牢人を救うという大義があった。光秀には、生きるか汚名を負うかの選択があった。信繁には、己の武名か、誰かの命かという天秤があった。
 土方歳三の場合は、何が問われるべきなのか。
 史実において、歳三の死は、すでに一つの「型」として完成されている。旧幕府軍はすでに勝ち目を失い、榎本武揚は新政府軍との降伏交渉を模索していた。それでも歳三は、部下たちの前で気弱な姿を見せることを拒み、最後まで戦い抜く姿勢を崩さなかった。そして、一本木関門の先、弁天台場で孤立した新選組の戦友・島田魁たちを救うべく、単騎で駆けつけ、銃弾に斃れた。
 この死に様は、後世「最後まで武士であり続けた男」として、圧倒的な人気を獲得することになる。
 だが、と凪は思う。
 その死は、本当に歳三が望んだものだったのか。それとも――新選組という組織の「型」、鬼の副長という「役割(ロール)」を、最後まで演じ切ることを、自らに強いていただけなのか。
 凪は、暗い天井を見つめた。
 「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、桜の花の匂いが、硝煙と潮の匂いに変わった。
 泡沫。
 世界が、揺れた。

二章 五稜郭
 気づくと、凪は雪の残る荒れ地に立っていた。
 北国の、冷たく澄んだ空気。遠くに、星形の城郭――五稜郭が見えた。周囲には、旧幕府軍の兵たちが、疲れた顔で警備に当たっている。
 凪の身なりは、洋装の書生風に変わっていた。
 「もし」
 警護の兵に声をかけると、彼は怪訝な顔をした。
 「土方様に、お目通り願いたい」
 「お主、何者だ」
 「土方様のお指図で参った者です。到着を告げていただければ、分かるはずです」
 兵は訝しみながらも、奥へと走っていった。
 しばらくして、案内の者が戻ってきた。
 「榊原殿とお見受けする。ご案内いたす」
 凪は、五稜郭の中へと通された。

三章 歳三の執務室
 執務室は、和洋折衷の妙な部屋だった。畳の上に、洋式の机と椅子。壁には、地図と、一振りの刀が掛けられている。
 歳三は、机に向かっていたが、凪が入ると立ち上がった。
 「よう参った」
 「参りました」
 「座ってくれ」歳三は椅子を勧めた。「拙者は、この北の果てまで来て、ようやく椅子というものに慣れた」
 凪が座ると、歳三は自らも腰を下ろし、しばらく黙って窓の外を見ていた。
 「明日、拙者は一本木の関門を越え、弁天台場へ向かう」と歳三は口を開いた。「あそこには、島田魁をはじめ、京の頃から拙者に従うてきた新選組の生き残りが籠っておる。すでに敵に包囲され、孤立無援じゃ。拙者が出て、彼らを救い出さねばならぬ」
 「勝算は」
 「ない」歳三は、あっさりと答えた。「榎本殿は、すでに新政府軍と裏で接触しておる。もはや、この戦、負けは決まっておる。拙者が行かねば、島田たちはあそこで全滅する。ならば、拙者もろとも、華々しく散るまでよ」
 「では、ご自身が死ぬために行くのですか」
 歳三の目が、初めて凪を捉えた。
 「そなたに、正直に申そう。拙者は、近藤の分まで、生きねばならぬと思うてきた。近藤勇――拙者の盟友であり、義兄弟であり、新選組を共に興した男じゃ。奴は、板橋で斬首された。武士として、あまりに惨めな最期であった」
 「……」
 「拙者は、近藤の名誉を、取り戻したかった。新選組が、ただの人斬り集団ではなく、最後まで義を貫いた武士団であったと、後の世に示したかった。だが――」
 彼は、言葉を切った。
 「それは、拙者自身の望みなのか、それとも、死んだ近藤への義理立てに過ぎぬのか、拙者には、もはや分からぬ。島田たちを救いたいという思いの裏で、拙者は、自分の死に場所を躍起になって探しておるだけなのかもしれぬ」

四章 問いの重さ
 その夜、凪は五稜郭内の一室で、眠れぬまま過ごした。
 歳三の言葉が、頭から離れなかった。
 ――拙者自身の望みなのか、それとも、死んだ近藤への義理立てに過ぎぬのか。
 正雪の場合、彼の大義は牢人という「他者」のためのものだった。光秀の場合、迷いの果てに「生きる」という選択があった。信繁の場合、己の武名と、他者の命との天秤だった。
 歳三の場合は――死者への「義理」と、生者である自分自身の「生」、そして前線で孤立する戦友たちの命との天秤なのかもしれない。
 近藤勇の名誉のために死ぬことは、本当に近藤が望んだことなのか。それとも、歳三自身が、そう思い込んでいるだけなのか。そして、島田たちを救うために死地に飛び込むことは、本当に彼らを救うことになるのか。
 凪は、暗闇の中で、由井正雪、明智光秀、真田信繁――これまで出会ってきた男たちの顔を思い浮かべた。
 彼らは皆、最後には「生きる」ことを選んだ。あるいは、誰かを「生かす」ことを選んだ。
 歳三にも、同じ問いを向けるべきなのか。
 窓の外で、潮騒が響いていた。夜明けは、近かった。

五章 榎本武揚との対話
 翌朝、凪は思わぬ人物と対峙することになった。
 榎本武揚――蝦夷共和国総裁であり、旧幕府海軍の総帥。
 榎本は、凪の存在を知ると、五稜郭の一室に彼を招いた。
 「榊原殿と申されるか。土方君より聞いておる」
 「榎本様、お目にかかれて光栄です」
 「単刀直入に聞こう」榎本は言った。「そなたは、土方君に、何を吹き込んでおる」
 「吹き込んでなど、おりません。ただ、問いを立てているだけです」
 「問い、とは」
 「土方様が、本当に何を望んでおられるのか、です」
 榎本は、しばらく凪を見つめた。その目の奥には、深い疲弊と、隠しきれない自責の念があった。
 「正直に申そう」と彼は言った。「拙者は、これ以上の無駄死には避けたい。国際法に照らし、降伏の条件を詰める覚悟はできておる。だが、彼(土方)は頑として『弁天台場の島田たちを救いに出撃する』の一点張りでな。……彼は、私の諦めきれない『武士の意地』を、代わりに背負って死のうとしているように見えて、痛々しいのだ」
 「榎本様は、土方様に、生きてほしいとお思いですか」
 「無論じゃ」と榎本は即答した。「彼ほどの男を、こんな北の果てで、武士の意地などというもののために無駄死にさせてなるものか。だが――拙者が言えば言うほど、彼は『新選組の規律』を盾にして頑なになる。妙な男よ」
 凪は、頷いた。
 「なぜだと思われますか」
 榎本は、少し考えた。
 「彼にとって、『生き延びること』は、近藤君への、そして新選組という組織への裏切りそのものに思えるのかもしれぬな」
 「それは、真実、裏切りなのでしょうか」
 榎本は、凪を見た。
 「そなたが、彼に問うべきことじゃな。拙者ではなく」

六章 軍議
 その日の午後、五稜郭内で軍議が開かれた。
 土方歳三、榎本武揚、大鳥圭介、 shadow(影)のように控える幹部たち。凪は末席で、記録役として同席を許された。
 議題は、新政府軍の総攻撃に対する防衛、そして弁天台場の救出についてであった。
 「弁天台場は完全に包囲されている」と大鳥圭介が言った。「今から救援に向かうのは、自殺行為に等しい。土方君、気持ちは分かるが、そなたが出るというなら、拙者も同行しよう」
 「いや」歳三は首を振った。「大鳥殿、そなたはここに残れ。この城の守りは、そなたに任す」
 「土方君一人で、何ができる」
 「拙者一人で、十分じゃ。島田たちを見殺しにはできぬ」
 榎本が、口を挟んだ。
 「土方君。もう一度問う。私が正式に使者を立て、降伏交渉を行えば、弁天台場の将兵の命も救えるやもしれぬ。そなたが今、死地に出撃せずとも――」
 「榎本殿」歳三は、静かに、しかし強い口調で遮った。「それでは新選組の意地が立たぬ。降伏など、近藤が草葉の陰で泣くわ。拙者が出ることで、僅かでも時を稼ぎ、奴らの意地を通させてやる。それだけのことじゃ」
 凪は、そこで初めて、末席から口を開いた。
 「畏れながら、申し上げます」
 全員の視線が、凪に集まった。
 「土方様。もし、あなたが出撃して戦死されることが、新選組の意地を通すことではなく、むしろ弁天台場の島田様たちに『我々を救うために副長を死なせてしまった』という、一生の十字架を背負わせることになるとしたら――それでも、あなたは出撃されますか」
 歳三は、激しく凪を睨みつけた。
 「榊原、そなたに何が分かる」
 「分かります。島田様たちが本当に求めているのは、あなたと共に死ぬことでも、あなたの死と引き換えに生き延びることでもありません。指揮官であるあなた自身が、生きて進む姿のはずです」
 歳三は、しばらく答えなかった。その拳が、机の上で激しく震えていた。
 軍議は、結論を出せぬまま、いったん解散となった。

七章 届かぬ伝令、残された願い
 その夜、五稜郭に一人の負傷した兵が転がり込んできた。弁天台場の島田魁の元から、決死の覚悟で包囲網を潜り抜けてきた伝令であった。
 凪は、歳三と共にその兵の元へ駆けつけた。
 兵は息も絶え絶えに、一枚の書状を歳三に手渡した。そこには、島田魁の、力強い文字が残されていた。
 『土方さん。弁天台場はもはやこれまで。なれど、我らは一歩も引く気はなし。伏してお願い奉る。土方さん、どうか我らを救おうと、一本木の関門を越えて来んでくだされ。あなたが死ねば、新選組は本当に終わる。生きてくだされ。ただの、一人の男として、新しい時代を見てくだされ。それが、残された我らの最後の願いにございます』
 「島田……」
 歳三は書状を握りしめ、言葉を失った。
 凪は、その背中に静かに声をかけた。
 「島田様は、あなたの『鬼の副長』という役割ではなく、あなたという人間の『生』を願っています」

八章 夜半の対話
 深夜、凪は歳三に呼ばれ、二人だけで執務室に残った。
 「拙者は、激しく迷うておる」と歳三は言った。その声は、かつてないほどかすれていた。
 「何を、ですか」
 「島田たちの願いは分かった。だが、拙者が出撃を取りやめ、生き延びたとして――それは、これまで散っていった近藤や、多くの隊士たちに対する裏切り、卑怯にはならぬか」
 凪は、これまで三度、投げかけてきた問いの重みを、今度は自分自身に向けられて感じた。
 「土方様」と凪は静かに言った。「私は以前、真田信繁様にお会いしたとき、こう申し上げました。『あなたが討死したとしても武名は残る。しかし、あなたが誰かを生かすために戦い、その誰かが未来に命を繋いだとしたら、その方が遥かに大きな意味を持つのではないか』と」
 「うむ」
 「土方様の場合、生かすべき相手は、前線の兵たちであり、そして他ならぬ、あなた自身かもしれません。あなたがここで死ねば、新選組の本当の姿を、近藤様の真実の想いを、誰がのちの世に伝えるのですか」
 歳三の目が、微かに揺れた。
 「拙者が、伝える、と……」
 「近藤様のために死ぬことは、あなたの本当の望みですか。それとも、あなた自身が、ただ一人の人間として、この先の時代を生きてみたいという気持ちは、本当にないのですか」
 歳三は、長い間、黙っていた。
 「拙者は……」
 彼の声が、初めて震えた。
 「拙者は、時代に置いていかれるのが、恐ろしいのかもしれぬ。刀の時代は、終わる。拙者のような男は、もう、必要とされぬ時代が来る。ならばいっそ、刀とともに、この時代の最後の男として、散った方が――」
 「その方が、楽なのですか」
 歳三は、凪を見た。
 その目に、初めて、深い疲労と、隠しきれない迷いが浮かんでいた。

九章 夜明けの采配
 翌朝、明治二年五月十一日。
 凪は、執務室を出た歳三の姿を見た。
 洋装に身を包み、腰に洋剣を佩いたその姿は、昨夜の迷いを感じさせなかった。だが、目には、これまでとは違う、静かな光が宿っていた。
 「榊原」と歳三は言った。
 「はい」
 「拙者は、一本木の関門へは、出ぬ」
 凪は、小さく息を呑んだ。
 歳三はそのまま榎本武揚の元へ歩み寄り、毅然と言い放った。
 「榎本殿。弁天台場の島田たち、そして関門の兵たちに、新政府軍への降伏の使者を、今日中に出していただきたい。拙者が出撃を辞める代わりに、一つだけ、条件がある」
 榎本が、驚きと安堵の混ざった顔で頷いた。
 「何なりと言ってくれ、土方君」
 「拙者の名で、兵たちの助命を、新政府軍に嘆願していただきたい。彼らは、拙者に従うてきただけの者たちじゃ。責任はすべて、この陸軍奉行並である拙者が背負う」
 「無論じゃ。必ずや、全員の命を救う交渉をしてみせる」
 歳三は、凪を見た。
 「そなたの問いが、拙者に、死に場所ではなく――生き延びて、この先の時代を、この目で見るという道を、選ばせた」
 「土方様……」
 「近藤の名誉は、拙者が死ぬことでは、取り戻せぬ。むしろ、拙者が生き延び、あの男が何のために戦ったのかを、語り継ぐことでこそ、取り戻せるのかもしれぬな」

十章 一本木の空
 その日、土方歳三が出撃を取りやめ、榎本武揚による迅速な降伏交渉が始まったことで、一本木関門および弁天台場での激しい戦闘は最少限に抑えられた。
 島田魁をはじめとする新選組の生き残りたちは、副長の生存と「生きろ」という命令を知り、涙を流しながら武器を収めた。
 交渉は数日を要したが、最終的に、旧幕府軍の将兵の多くは、死罪を免れることとなった。
 土方歳三もまた、榎本、大鳥らとともに投獄されたが、数年後に赦免され、明治の世を生きることを許された。
 史実の歳三は、この五月十一日、一本木関門への出撃中に銃弾を受け、落馬して戦死したとされる。享年三十五。
 だが、もう一つの結末では――歳三は、その日、馬に乗らなかった。

エピローグ もう一つの時代
 数年後。
 北海道のある牧場で、一人の男が、馬の世話をしていた。
 かつて「鬼の副長」と恐れられた面影は、すっかり和らいでいた。頬には白いものが混じり、目元には、深い皺が刻まれている。だが、その背筋は、今も変わらず、まっすぐだった。
 男の名は、もはや土方歳三ではなかった。彼は、実際の生存説に語られる「稗田(ひえだ)」という新しい姓を名乗り、静かに、牧場を営んでいた。
 時折、彼のもとを訪ねる者があった。島田魁をはじめとした、かつての新選組隊士たち、あるいは、彼らの子や孫たち。彼らは、口を揃えて言った。
 「あなたのおかげで、私たちは生きています。そして、近藤先生の物語を、次の世代へ繋ぐことができます」
 男は、そのたびに、何も言わず、ただ静かに頷いた。
 東京では、榊原凪が、自室の窓辺に立っていた。
 北の空を見つめながら、彼は静かに呟いた。
 「あなたは、時代に置いていかれたのではありません。ただ、時代とともに、生き延びただけです」
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『明治二年五月十一日、函館の空は、抜けるように青かった。鬼と呼ばれた男は、その日、刀を鞘に納め、剣ではなく、己の足で、新しい時代へと歩み出したのである。』
 窓の外で、風が吹いた。潮の匂いに、微かに、硝煙ではなく、青々とした草の匂いが混じっていた。
 泡沫(うたかた)のまたたきは、今日もまた、静かに続いている。

――了――


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【作者注】
 本作は箱館戦争を題材としたフィクションです。土方歳三、榎本武揚、大鳥圭介、島田魁などは実在の歴史人物ですが、物語の展開は著者の創作によるものです。実際の箱館戦争(明治二年、一八六九年)では、土方歳三は五月十一日、一本木関門への出撃中に銃弾を受け、落馬して戦死したとされています。
 本作は、土方歳三が生き延びたとする一部の民間伝承・都市伝説(土方生存説・稗田姓の伝承)を下敷きに、前四作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、泡沫(うたかた)のまたたきは、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。