刻渡転生記
〜真田信繁と時をこえた男〜

まえがき
 『慶安転生記〜由井正雪と時をこえた男〜』で由井正雪と、『玉響(たまゆら)転生記〜明智光秀と時をこえた男〜』で明智光秀と、『残心転生記 〜石田三成と刻をこえた男〜』で石田三成と時を越えて向き合ってきた榊原凪。
 三度の邂逅を経て、彼の中で一つの確信が育っていた。
 歴史を変えることなど、自分にはできない。ただ、決断の淵に立つ男の隣に座り、彼が己自身に問えないことを、代わりに問うことができるだけだ。
 玉響――魂の微かな揺らぎ。
 その揺らぎは、今度は大坂へ、彼を運ぼうとしていた。
 慶長二十年(一六一五年)五月。豊臣家、最後の戦。
 そして、日本史上もっとも美しく、もっとも悲しい敗者として語り継がれる男――真田信繁、後の世に幸村と呼ばれる武将の物語である。




プロローグ 雨夜の来訪
 東京は、梅雨の只中にあった。
 榊原凪は、四十八歳になっていた。
三成との旅から一年余りが過ぎていた。しかし凪の脳裏には、さらにその前、丹波亀山で見た明智光秀の顔――地獄を飲み込んだような澄んだ目――が、今も時折よみがえっていた。あの後に書き上げた小説『三日天下を生きた男』は、静かな評判を呼んだ。歴史の「if」を扱った作品として、思いのほか多くの読者に届いた。凪自身も驚くほどに。
 だが凪は知っていた。この評判は、始まりに過ぎないということを。
 その夜、窓を叩く雨の音に混じって、凪はふと、別の音を聞いた。
 馬のいななき。具足が擦れる、硬く乾いた音。そして、微かな血と土のにおい。
 振り返ると、部屋の隅に、男が立っていた。
 朱色の具足。烏帽子形の兜は、脇に抱えられている。年の頃は四十九、五十ほどか。日に焼けた顔には深い皺が刻まれ、体つきは戦場を生きてきた者特有の、無駄のない引き締まりがあった。だが、その目は――信じがたいほど穏やかだった。まるで、すでに死を通り過ぎてきた者の目のように。
 「夜分に、押し入るご無礼をお許しあれ」
 男は静かに一礼した。
 「……あなたは」
 凪の声は、掠れていた。すでに三度目である。しかし、慣れることなどなかった。
 「真田左衛門佐信繁と申す」
 その名を聞いた瞬間、凪の背筋を、冷たいものが走った。
 真田信繁。後世、真田幸村の名で語られる男。大坂の陣において「日本一の兵(つわもの)」と、敵将・徳川家康方の記録にすら称えられた武将。そして――もうすぐ、安居神社の境内で、その生涯を終えることになっている男。
 「なぜ、ここに……」
 「分からぬ」と信繁は答えた。「気づけば、この見慣れぬ部屋に立っておった。由井殿を、そして明智日向守殿を助けたという男は、そなたか」
 凪は、答える代わりに、深く息を吐いた。
 「時が、近いのですか」
 信繁は、小さく頷いた。
 「慶長二十年、五月七日。明日、拙者は最後の戦に出る。……いや、すでに拙者の中では、出陣は決まっておる。ただ――」
 彼は言葉を切り、凪をまっすぐに見た。
 「己の中に、まだ定まらぬものがある。それを確かめに、参った」

一章 三度目のたゆたい
 その夜、凪は一睡もできなかった。
 由井正雪のときは、牢人という「救うべき者」がいた。明智光秀のときは、本能寺という巨大な分岐点があった。
 だが、真田信繁の場合は、何が問われるべきなのか。
 史実において、信繁の最期はすでに「美しい」ものとして完成している。徳川方十五万に対し、豊臣方はわずか五万。勝算などない戦であることを、信繁自身が誰よりも理解していた。それでも彼は、家康の本陣に猛烈な突撃を敢行し、あと一歩のところまで追い詰めながら、力尽きて散った。
 その死に様は、後世「日本一の兵」という最大級の賛辞を、敵からさえ引き出した。
 ――ならば、自分は何を問えばよいのか。美しく死ぬと分かっている男に、これ以上何を望めばいいというのか。
 凪は、パソコンの前に座ったまま、朝を迎えた。
 窓の外で、雨が上がっていた。
 彼は、正雪と光秀に投げかけてきた、あの問いを思い出していた。
 「あなたが本当に望んでいるのは、何ですか」
 答えは、行ってみなければ分からない。
 凪は、静かに目を閉じた。
 「行きます」
 部屋の空気が震え、雨上がりの土の匂いが、濃い松の香りに変わった。
 玉響。
 世界が、激しく揺れた。

二章 茶臼山の陣
 気づくと、凪は野営地の外れに立っていた。
 空気は、初夏のものだった。乾いた土埃と、鎧が擦れる音、そして遠くから地鳴りのように響く陣太鼓。
 目の前には、赤備えの旗指物を背負った兵たちが、粛々と隊列を組んでいる。茶臼山――大坂城の南、天王寺口に近い高台。史実に照らせば、ここは翌朝、真田隊が最後の陣を敷く場所だった。
 凪の身なりは、旅の商人風の羽織袴に変わっていた。腰には、護身用の脇差が一本。
 「もし」
 声をかけると、陣を警護していた若い足軽が振り返った。
 「左衛門佐様に、お目通り願いたく参った」
 「お主、何者か」
 「殿のお指図で参った者にございます。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 足軽は訝しげな顔をしたが、凪のただならぬ佇まいに圧されたか、やがて陣の奥へと駆けていった。
 凪は、しばし陣の様子を眺めた。
 兵たちの顔には、疲労と緊張、そして――奇妙な静けさがあった。負け戦を悟った者たちの顔だ、と凪は思った。それでも彼らは、逃げようとはしていなかった。そこにあるのは、諦念ではなく、盲信でもない、ただひたすらに張り詰めた武士の意地だった。
 「榊原殿でござるな」
 案内の武士が戻ってきた。
 「殿がお待ちです」

三章 信繁の陣幕
 陣幕の中は、驚くほど質素だった。
 具足櫃、地図を広げた文机、そして小さな酒器がひとつ。
 信繁は、地図に向かっていたが、凪が入ると顔を上げた。
 「よう参った」
 「参りました」
 凪は正座し、頭を下げた。
 「明日の采配について、思案しておった」信繁は地図の一点を指した。「家康の本陣は、思いのほか手薄と見た。ここを衝く」
 「勝算は、あるのですか」
 信繁は、微かに唇を歪めて笑った。
 「勝算、か。……正直に申せば、ない。数の差は如何ともしがたい」
 「ないのに、なぜ突っ込むのですか」
 「一つの賭けじゃ。家康の本陣さえ崩せれば、敵軍は浮き足立つ。その隙に秀頼様を……いや、徳川の肝を冷やしてやれば、戦の流れが変わるやもしれぬ。……だがな、榊原よ」
 信繁は、酒器を手に取り、一口含んだ。
 「正直に申そう。拙者は、ただ死に場所を求めておるだけかもしれぬ」
 凪は、息を呑んだ。
 「なぜ、そのように……」
 「この戦、すでに城の堀は埋め立てられ、勝ち目はない。城内では、和睦を望む声と、徹底抗戦を叫ぶ声が入り乱れておる。誰も、この先の絵図を描けておらぬ。拙者の父、真田安房守昌幸は、徳川を二度まで退けた知将じゃ。だが父は九度山で無念のまま世を去り、拙者は十年余り、飼い殺しにされた。この大坂での戦は、拙者にとって――最後に、真田の武士として、名を残す唯一の機会でもあるのだ」
 真田の誇り、そして父への思慕。それが信繁を死へと駆り立てている。凪はその背負うものの重さに圧倒されていた。

四章 問いの重さ
 その夜、凪は与えられた陣幕の隅で、眠れぬまま夜を過ごした。
 信繁の言葉が、頭から離れなかった。
 ――拙者は、ただ死に場所を求めておるだけかもしれぬ。
 史実の信繁は、この戦いで散ることで「日本一の兵」と呼ばれた。その死は、後世、限りなく美しいものとして語り継がれる。
 だが、と凪は思った。
 美しい死は、本当に、信繁という一人の人間が心から望んだものだったのか。それとも――家臣たちへの、あるいは豊臣家への、あるいは亡き父への「責任」が、彼を死の美学へと押し出しているだけではないのか。
 正雪には、牢人を救うという大義があった。
 光秀には、迷いの果てに「生きる」という選択肢があった。
 信繁には、何があるのか。
 凪は、光秀が最後に選んだ言葉を思い出していた。
 「生きるぞ、榊原。死ぬまで、生きる」
 あの言葉を、信繁にも向けるべきなのか。それとも、信繁の場合、死してなお語り継がれることこそが、彼の望む「生き方」なのか。
 凪には、まだ分からなかった。
 陣幕の外で、梟が鳴いた。夜明けは、近かった。

五章 豊臣秀頼への使者
 翌朝、凪は思わぬ形で、もう一人の当事者と対峙することになった。
 大野治長――豊臣秀頼の側近であり、城内の政務を一身に背負う人物である。
 治長は、信繁の陣を訪れ、凪の存在を知ると、鋭い目を向けた。
 「榊原殿と申されるか。左衛門佐殿より聞き及んでおる。殿がそなたを呼びたいと仰せだ」
 凪は驚いたが、拒む理由はなかった。信繁の目配せを受け、彼は大坂城の本丸へと案内された。
 本丸御殿の一室で、凪は豊臣秀頼と対面した。齢二十二の若き主君は、巷間噂されるような愚鈍な人物では決してなく、聡明な目をしていた。しかし、その表情には、拭いきれぬ孤高の不安が浮かんでいた。
 「そなたが、左衛門佐の申す、未来の記憶を持つという者か」
 「はい」
 秀頼は、しばらく凪をじっと見つめた。
 「教えてくれ。未来の史書は、拙者を、豊臣を、どう記しておる」
 凪は、答えに詰まった。史実を語れば、秀頼は数日後、大坂城の炎の中で自害することになっている。だが、ここで確定した未来を予言のように突きつけることが、凪の役割ではない。
 凪は静かに、しかし真っ直ぐに秀頼を見返した。
 「未来の史書には……秀頼様はお母上とともに、大坂城と運命を共にされた、と記されています。豊臣の栄華の幕引きを、見事に演じきられた、と」
 「演じきった、か……」
 秀頼は自嘲気味に、小さく笑った。
 「拙者は、幼き頃よりこの城の中で育った。父・秀吉が築いた栄華という名の檻の中でな。拙者自身の手で、何かを成したことは、一度もない。……もし、生き延びる道があるとするならば、それは拙者にとって、名誉なことだろうか。それとも、ただの恥だろうか」
 凪は、その問いの切実さに胸を突かれながらも、一年前の記憶を呼び覚ました。
 「秀頼様。私は一年前、明智光秀という武将に会いました。彼は、家臣たちの命のために『三日天下の謀反人』という汚名を選ぶか、それとも自らの心に従って生きるか、その狭間で苦しみました。彼は最後に、汚名を恐れず、生きることを選びました」
 「汚名を恐れず、生きた……」
 「はい。そして彼は言いました。『拙者は、いずれ殺されるかもしれぬ。だが、己の心を裏切ることだけは、選ばぬ』と。見事な死を演じることだけが、武士の誉れではないはずです」
 秀頼は、長い間、目を閉じて沈黙していた。やがて目を開けたとき、その瞳には、これまでになかった微かな光が宿っていた。
 「その言葉、しかと心に留め置こう」

六章 軍議
 その日の夕刻、大坂城内で最後の軍議が開かれた。
 真田信繁、大野治房、明石全登、毛利勝永、そして大野治長。凪は末席で、記録役のように同席を許された。
 議題は、翌朝の戦の采配についてであった。
 「もはや、城を枕に討死する他あるまい」と大野治房が息巻いた。「和議はすでに破れておる。徳川方はこちらの言い分など聞く耳を持たぬ」
 「治房殿」
 それまで黙っていた信繁が、静かに口を開いた。その声には、不思議な重みがあった。
 「討死するにしても、無為に死ぬのと、意味を持って死ぬのとでは、違いがあろう。我らが望むのは、ただの華々しい自滅か、それとも豊臣の血を、未来へ繋ぐことか」
 大野治長が顔を上げた。「左衛門佐殿、それはどういう意味だ」
 信繁は末席の凪を一度だけ見つめ、それから地図を強く叩いた。
 「明日の突撃、拙者は家康の首を狙う。だが、それは真田の武名を挙げるための死に花ではない。家康の本陣を叩き、徳川全軍を恐怖でマヒさせる。敵が混乱し、こちらの動きを追えなくなる『一刻』を作り出す。その一刻こそが、我らの勝機だ」
 「勝機とは……」
 「その隙に、秀頼様と若君を城外へお逃がしする。これ以外に、豊臣が生き延びる道はない」
 緊迫した沈黙が落ちた。これまで「死に場所」を探していたはずの信繁が、明確に「誰かを生かすため」の戦略を提示したのだ。
 明石全登が、深く頷いた。「……左衛門佐殿がその一刻を作ってくださるなら、私に策がございます」

七章 夜半の対話
 軍議のあと、凪は信繁に呼ばれ、二人だけで陣幕に残った。
 「榊原よ。そなたに問う」信繁は酒器を傾けた。「もし拙者が、家康の首を獲ることを諦め、その代わりに秀頼様と若君を落ち延びさせる時間稼ぎに徹したとしたら――それは、武士として卑怯であろうか」
 凪は、その問いの重さを、全身で受け止めた。これは、正雪や光秀に投げてきた問いの、鏡像だった。今、信繁は自らその問いを立て、凪に投げ返している。
 「左衛門佐様」と凪は静かに言った。「私は、以前、明智光秀様にこう申し上げました。『生きて訴え続けることが、最大の武士道だ』と。あなたが誰かを生かすために戦い、その誰かが未来に命を繋いだとしたら――それこそが、後世に『日本一の兵』と呼ばれるに足る、真の武士道ではないでしょうか」
 信繁は、目を閉じた。「日本一の兵、か。皮肉なものよな」
 「未来の人間は、皆、『生きよ』と説くのですか」
 「はい」と凪は答えた。「私たちは、死者からではなく、生き延びた者の言葉から、多くを学ぶからです」
 信繁は、長い沈黙のあと、小さく笑った。その顔から、すべての迷いが消えていた。

八章 明石全登の決意
 その夜更け、凪の元を明石全登が訪れた。
 「榊原殿」とキリシタン武将は囁いた。「左衛門佐様のご決断、見事なもの。実を申せば、拙者はかねてより、密かに手筈を整えておった」
 「手筈、とは」
 「万一の場合、秀頼様と若君を、船にて西国へお逃しする策じゃ。薩摩の島津家は義理堅い。あそこなら徳川の手も容易には届かぬ。だが、これまでは秀頼様も城内も『美しく散る』ことばかりに囚われ、この策を切り出す隙がなかった」
 全登は、凪をじっと見た。
 「そなたの言葉が、左衛門佐殿を動かし、殿の心を動かした。明日、拙者の策は、ただの絵空事ではなくなる。命を繋ぐための戦が、始まるのだ」

九章 夜明けの采配
 翌朝、慶長二十年五月七日。
 凪は、陣幕を出た信繁の姿を見た。
 朱色の具足に身を包み、兜を小脇に抱えたその姿には、凄まじい覇気が満ちていた。
 「皆の者」
 信繁は、集まった赤備えの将兵に向かって、地を傷つけるような声で告げた。
 「これより、家康の本陣に突撃する。だが、これは討死のための戦にあらず。家康の本陣を叩き、敵の目をすべて我らに引きつける。その隙に秀頼様を城外へお逃がしする。――者ども、深追いは無用! 敵陣を突き崩したのち、速やかに退くぞ。一人でも多く、生きてここを脱せよ!」
 兵たちの間に、大きな衝撃が走った。討死を覚悟し、悲壮感に満ちていた男たちの目に、にわかに「生への執念」というギラついた光が宿る。
 信繁は、馬に跨がった。そして、凪を見た。
 「榊原よ。そなたの問いが、拙者に、死に場所ではなく、生かす場所を選ばせた。真田の戦、とくと見よ」
 「左衛門佐様……ご武運を」
 馬蹄の音が、朝靄の中に激しく響き渡った。

十章 本陣崩し
 真田隊三千五百の赤備えが、怒涛の勢いで徳川の泥海へと突き進む。
 地を震わせる咆哮、肉を裂き骨を砕く音。凄まじい乱戦の中、信繁の赤備えは、史実通り家康の本陣へと三度に渡り突撃を敢行した。
 「真田、恐るるに足らず! 押し包め!」と叫ぶ徳川の宿老たちを、信繁の槍が次々と叩き伏せる。ついに真田の刃が家康の至近に迫ったとき、家康は恐怖のあまり「もはやこれまで」と切腹を覚悟したという――そこまでは、史実の記録通りだった。
 だが、ここから歴史が激しく分岐する。
 家康の旗本たちが総崩れとなり、本陣が完全にパニックに陥ったその刹那、信繁は家康の首にトドメを刺しにいくのを、あえて止めた。
 「ここまでだ! 全軍、退けい! 引けい!」
 信繁の雷鳴のような大音声が響く。城の方角を見れば、明石全登の合図である煙が上がっていた。秀頼たちの脱出が成功した証拠だった。
 勝ちに乗り、討死を覚悟して突き進もうとする兵たちを、信繁は自ら馬を駆って引き留めた。「目的は達した! 無駄に死ぬな! 生きて真田の誇りを繋げ!」
 混乱の極みにあった徳川軍は、突如として統制を保ったまま鮮やかに撤退を始めた真田隊を、追撃することすらできなかった。
 史実の信繁は、この戦いの直後、安居神社の境内で力尽き、その首を差し出したことになっている。しかし、この世界線において、安居神社に残されたのは、信繁が脱ぎ捨てた、血に染まった主将の具足だけだった。
 大坂城は炎上した。しかしその裏で、秀頼と若君、そして真田信繁は、明石全登の手筈通り、密かに用意された船で西へと落ち延びていったのである。

終章 薩摩の空
 数ヶ月後。
 一艘の船が、瀬戸内を西へ向かっていた。
 甲板に立つ男は、もはや赤備えの鎧を纏ってはいない。粗末な旅装に身を包み、その顔には、戦場の緊張の代わりに、どこか穏やかな諦観と、未来を見据える静かな光が浮かんでいた。
 「殿、まことに薩摩でよろしいのですか」
 供の者が尋ねると、信繁は遠い水平線を見つめながら、静かに笑った。
 「島津殿は義理堅い。……それに、もう十分に戦った。これからは、違う生き方を探す番じゃ。真田の名を捨てても、生きておれば、また語れることもある」
 秀頼もまた、名を変え、ごく少数の近臣とともに薩摩の地で新しい土を踏んだという。豊臣家は名目上滅亡したが、その血脈と、彼らの「生」の意志は、歴史の闇に深く、確かに息づいていた。
エピローグ もう一つの歴史
 気がつくと、凪は自分のマンションの床に座り込んでいた。
 東京の梅雨は、まだ明けていなかった。窓の外で、雨が静かに降っている。
 凪は、しばらく動けなかった。全身に残る土埃と、松の香りが、あの戦場が幻ではなかったことを告げていた。
 やがて、彼はパソコンの前に座り、新しいファイルを開いた。
 数ヶ月後、凪の机の上には、刷り上がったばかりの一冊の本が置かれていた。
 表紙には『日本一の兵の明日(あす)』という題字が躍っている。
 歴史との整合性も、世間の評価も、今の彼にはどうでもよかった。ただ、あの朝、確かに一人の武将が「死に場所」ではなく「生かす場所」を選んだという事実を、言葉として残したかった。それだけだった。
 窓の外、雲の切れ間から、微かな夏の光が差し込んでいた。
 彼はパソコンの画面を見つめた。そこには、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『慶長二十年五月七日、天王寺口の空はどこまでも高かった。日本一の兵と呼ばれた男は、己の武名ではなく、誰かの明日のために槍を振るい、そして静かに、歴史の表舞台から姿を消したのである。』
 風が吹いた。松の匂いが、微かにした。
刻は人から人へ渡る。
その渡りは、今日もまた誰かの決断の傍らで静かに続いている。

――了――



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【作者注】
 本作は大坂の陣を題材としたフィクションです。真田信繁、豊臣秀頼、大野治長・治房、明石全登などは実在の歴史人物ですが、物語の展開は著者の創作によるものです。実際の大坂夏の陣(慶長二十年、一六一五年)では、信繁は家康本陣に迫る果敢な突撃の末、安居神社付近で討死し、豊臣秀頼は淀殿とともに大坂城内で自害したとされています。
 本作は、真田信繁が薩摩へ落ち延びたとする民間伝承(真田生存説)を下敷きに、前三作『慶安転生記』『玉響転生記』『残心転生記』と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして刻渡とは、時を越えて受け渡される「決断」のことなのかもしれません。