右足から始める男

〜 あるいは、人生を支配する小さな儀式について 〜

著:なんとなく文庫



まえがき

私たちは日々、効率や合理性を求められて生きています。
「それにはどんな意味があるの?」「エビデンスはあるの?」
そんな言葉に少しだけ息苦しさを感じたことはないでしょうか。
本作の主人公、田中誠一(43歳)にも、他人から見ればまったく意味のない、けれど彼にとっては重大な「こだわり」があります。それは、階段を右足から上ること、そして着替えの順番を絶対に崩さないこと。
これは、そんな一見無駄に見える「小さな儀式」に人生を支配され、同時に守られている男の、ささやかで愛おしい日常の物語です。
ページをめくる前に、まずはあなたの「いつもの足」で、この物語の一歩を踏み出してみてください。






第一章 啓示は駅の階段で訪れた

田中誠一、四十三歳。

大手食品メーカーの経理部に勤めて十八年。趣味は特になし。特技も特になし。強いて言えば、エクセルの関数を組むのがやや得意であることと、もうひとつ——

階段を上がる前に、最初の一歩が右足か左足かを、数メートル手前から看破できる、という謎の才能があった。



これは本人が最初に気づいたのは中学三年の春のことだった。

通学路にある歩道橋。毎朝渡るそれを、ある朝なんとなく眺めていたら、ふと思った。

「……左足からになりそうだな」

そして実際、左足から上り始めた自分がそこにいた。

翌朝も、翌々朝も。田中少年は確信した。俺には才能がある、と。



もっとも、その才能が何かの役に立ったことは、三十年間、ただの一度もなかった。

就職面接でその話をしたら、面接官が静かに次の質問へ移った。

合コンで披露したら、相手の女性が急にスマホを取り出した。

母親に話したら「ご飯食べなさい」と言われた。



それでも田中は、毎朝、駅の階段の手前で立ち止まり、予測を立て、そして——できれば右足から上りたい、と思うのだった。

右足からが好きだった。なんとなく、縁起が良い気がした。根拠は何もない。ただ、なんとなく。



だから今朝も、田中は東西線・落合駅の地下への階段、その五メートル手前で、歩幅を微妙に調整した。

〇・三歩ほど、小さく刻む。

そして——右足から、完璧に、降りた。

一日が、始まった。

第二章 ズボンの秩序

田中家の朝のルーティンは、鉄のように固まっていた。



六時十五分 起床

六時十七分 トイレ

六時二十分 洗顔

六時二十八分 着替え



この「着替え」のくだりが、田中の人生においてひとつの宗教的儀式の様相を呈していた。



まず、パンツは左足から。

これは絶対だった。もう何年も前から、理由もなく、ただそう決まっていた。右足から履こうとすると、なぜか体がぎこちなくなる。宇宙の法則に逆らっている気がする。

靴下も左足から。これもまた然り。

ズボンも左足から。



下半身については、すべて左から始まる。



一方、上半身はその逆だった。

シャツは右腕から通す。上着も右腕から。コートも右から。

下が左で、上が右。これが田中誠一の宇宙の秩序だった。



ある朝、ぼんやりしていた田中は、うっかりズボンを右足から履いてしまった。

……気づいたのは、ベルトを締めたあとだった。

田中は三秒間、静止した。

(……まあ、いいか)

と思ったが、玄関で靴を履こうとしたとき、なぜか右足から履きたくなった。靴は左からと決まっているのに。

田中は靴を脱いだ。

玄関に戻った。

ズボンを脱いだ。

左足から履き直した。



会社に三分遅刻した。

上司に理由を聞かれ、「電車が」と言った。

電車は定刻通りだった。

第三章 同志との出会い

事件が起きたのは、社内の喫煙ルームだった。

田中は煙草を吸わないが、たまに缶コーヒーを持って息抜きに入ることがある。そこで、営業部の後輩・木村と二人きりになった。



木村は二十八歳。いつも元気で、体育会系で、朝のミーティングでは「本日も全力で参ります!」と言うタイプの人間だった。田中とは対極にいると思っていた。



その木村が、ふと言った。

「田中さん、変なこと聞いていいですか」

「どうぞ」

「階段って、右足から上がりたくないですか?」



田中の缶コーヒーが、止まった。



「…………」

「あ、おかしいですよね、忘れてください」

「いや」田中は静かに言った。「わかる」

「え?」

「わかる。数メートル手前から、どっちの足になるかわかるだろう」

「わかります!!」



喫煙ルームに、奇妙な連帯感が満ちた。



二人は二十分間、語り合った。

木村もまた、右足から階段を上りたい派だった。そして、着替えには独自の順序があった。木村の場合、すべて右から始める、という流儀だった。下も上も右から。田中とは違うが、「こだわりがある」という点では同じだった。



「逆から羽織っちゃったとき、やり直しますか?」田中は聞いた。

木村は即答した。「やり直します」

「脱いで?」

「脱いで」



田中は初めて、この世界に自分と同じ、いや自分より重症な人間がいることを知った。

木村はコートを間違えた場合、たとえ真冬の屋外でも、いったん袖を抜いてから着直すのだという。

「寒くないですか」

「めちゃくちゃ寒いです。でもやらないと落ち着かない」



田中は、この後輩を尊敬した。

第四章 伝播

それから一週間後、田中は妻の洋子に、木村の話をした。



洋子は三十九歳。パートで薬局に勤めており、基本的に合理的な人間で、「なんとなく」という言葉をあまり使わない。田中が以前、「右足から階段を上りたい」と話したときは、「そう」と言ってチャンネルを変えた。



だが今回、木村の話を聞いた洋子は、しばらく黙ったあと、こう言った。

「……私も、お風呂は左足から入るわ」



田中の箸が、止まった。



「いつから?」

「気づいたらそうなってた。右から入ると、なんか違う感じがする」

「違う感じって?」

「なんか……バランスが悪い感じ」



田中は思った。この人とは、うまくやっていけると。

十五年越しに、そう思った。



翌週、洋子が娘の菜々子(十二歳)に聞いてみた。

菜々子は即座に答えた。

「靴は右から。それ以外は全部左」

「それ以外って?」

「ぜんぶ」



田中家は、三者三様のルールを持つ一家だった。

そして誰も、誰かにそれを強制しなかった。

各自が、各自の宇宙の秩序に従って、毎朝着替えていた。

第五章 哲学的考察

田中は、ある夜、考えた。



なぜ、人はこんなことにこだわるのだろう。



合理的な意味は、まったくない。右足から階段を上ろうが左足から上ろうが、到着する場所は同じだ。ズボンをどちらから履いても、ズボンはズボンだ。宇宙は気にしない。神様も(もし存在するなら)もっと大事なことで忙しいに違いない。



それでも——



右足から、ちゃんと上れた朝は、なんとなく気分がいい。

着替えの順序が守れた日は、なんとなく一日がうまくいく気がする。

根拠はない。統計もない。エビデンスはゼロだ。



だが、人間とはそういうものではないか。



コーヒーを左手で持つと落ち着く人がいる。傘は必ず右手に持つ人がいる。メールの文末に「よろしくお願いいたします」を三回書かないと送信できない人がいる(田中の同僚・佐藤がそれで、一度「よろしく」が二回になったときに送信ボタンを押せず、結果として大事なメールが五時間遅延した)。



人生とは、無数の「なんとなく」で構成されている。

そしてその「なんとなく」が、毎朝の小さな安心を作り出している。



田中は缶ビールを一口飲んで、テレビを消した。

明日も、右足から降りよう、と思いながら。

第六章 事件

問題は、出張先で起きた。



大阪のクライアントへの訪問。田中は新幹線で向かい、ホテルにチェックインし、翌朝、スーツに着替えようとした。



そこで気づいた。



スーツのジャケットを、左腕から通してしまった。



田中は固まった。

左腕からジャケット。これは、田中の宇宙において、あってはならないことだった。

右腕から、と決まっている。上半身はすべて右から。これは不変の法則だった。



(……まあ、いいか)



と思おうとした。朝九時の商談まで、あと四十分しかない。



(いや、でも)



気になる。



田中は、ジャケットを脱いだ。

右腕から着直した。



すっきりした。

商談は、うまくいった。

因果関係は、まったくない。

終章 なんとなく、それで良い

田中誠一は今日も、東西線・落合駅の地下への階段の、五メートル手前に立っている。



朝の通勤ラッシュ。周囲の人々は誰も、足元など見ていない。スマホを見ながら、イヤホンをしながら、みんな自動的に階段を下りていく。



だが田中は、見ている。

感じている。

〇・三歩、小さく刻む。



そして——右足から、完璧に、降りる。



今日も良い一日になる。

根拠はない。

ただ、なんとなく。





あなたは——いかがでしょうか。


—— 了 ——


アマゾン キンドル



あとがき

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
作中の田中ほど極端ではなくても、「靴を履くのはいつも右から」「お風呂で体を洗うのは左腕から」といった、自分でも気づいていないレベルのルーティンが、誰しも一つや二つはあるものです。
もし、間違えて逆から始めてしまったとき。
「まあいいか」と進むのも人生ですが、「わざわざ脱ぎ直して、いつもの順番でやり直す」という非合理的な行動の中にこそ、人間の愛おしさや、張り詰めた日常をサバイブするための「心の防波堤」があるのではないかと思い、この筆を執りました。
明日、あなたが駅の階段を上るとき、ふと「あ、今どちらの足から踏み出しただろう」と思い出して、少しだけ口元を緩めていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
どうぞ、明日も良い一歩を。できれば、あなたのお好きな方の足から。


—— 著者:なんとなく文庫