潮時を見極めよ

― ある男の、静かな手放し ―


まえがき

私たちはいつから、「増やすこと」ばかりを正しいと思うようになってしまったのだろう。
若さ、知識、人脈、財産、思い出。人生の前半戦において、それらは生きるための武器であり、自分という存在を形作る大切なピースだった。
しかし、人生には折り返し地点がある。
還暦を過ぎ、かつての相棒たちや愛する者が一人、また一人と舞台を去っていくとき、私たちはそれまで抱え込んできた荷物の重さに、ふと立ち止まることになる。
本書は、ある一人の元板金職人の男が過ごした、静かな半年の物語である。
彼が手放していくのは、若き日の情熱の象徴だったバイクであり、身体を焦がした波乗りの板であり、いつしか義務感に変わっていた人付き合いだ。
それらは一見、「老いへの敗北」や「諦め」のように見えるかもしれない。しかし、男が一つ荷物を降ろすたびに、その人生には不思議な、そして美しい「余白」が生まれていく。
これは寂しい物語ではない。残された限られた時間を、もう一度自分のために生き直そうとする男の、静かで誇り高き「選択」の記録である。あなたが今、人生のどの季節にいたとしても、この男の背中が、これから歩む道をやさしく照らしてくれることを願っている。




一 バイクと煙草の男

 波の音が遠ざかっていく夢を、正一はよく見る。

 目が覚めると、枕もとに煙草が一本、立ててある。誰も置いた覚えがない。灰皿の隣、いつも自分が置く位置に、まるで最初からそこにいたかのように、すっと立っている。

 田中正一、六十三歳。元板金職人。現在は年金と、月に何度かの軽作業で暮らしている。妻の節子は五年前に逝き、息子は大阪にいる。

 朝六時。正一は台所でインスタントコーヒーを淹れながら、窓の外を見る。十月の空はまだ薄暗く、隣家の屋根に雀が三羽、並んでいる。

「今日もあいつが来るかな」

 声に出して言ってから、自分が誰のことを言っているのか、少し考える。あいつ、というのは友人の健二のことだ。死んで四年になる健二の。

 正一と健二は高校からの付き合いだった。二人でバイクに乗り、二人で波乗りを覚え、二人で職人になった。健二は板金ではなく溶接を選んだが、どちらも手に職を持つ男だという点では同じだった。

 健二が死んだのは冬の朝だった。脳梗塞。布団の中で、眠るように逝った。六十歳を手前にして。

 通夜の夜、正一は健二の顔を見ながら思った。まだ早いだろう、と。お前はまだ、バイクに乗るはずだったじゃないか。波乗りだって、腰が痛えとか言いながら、まだ板を抱えて海に入るはずだったじゃないか。

 その夜から、枕もとに煙草が立つようになった。
  *  *  *

二 煙草を立てるもの

 最初は気のせいだと思った。自分が無意識に置いていると思った。しかしそれにしては、置き方が几帳面すぎた。斜めでも倒れてもいない、まっすぐに、フィルターを下にして、立っている。

 正一は煙草をやめて久しい。節子に頼まれてやめたのが二十年前。だから家には煙草などない。

 では、どこから来るのか。

 あるとき、立っている煙草のそばに耳を近づけてみた。かすかに、煙の匂いがした。ただの煙草の匂いではなく、もう少し複雑な匂い。焼けた鉄の匂いが混じったような、懐かしい匂い。

 健二はよく作業着のポケットに煙草を入れたまま溶接をしていた。煙草がほんの少し焦げるのを、あいつは気にしなかった。

「健二か」

 正一は言った。返事はなかった。ただ、カーテンが揺れた。窓は閉まっているのに。

 それ以来、正一は枕もとの煙草を「健二からの便り」と解釈することにした。解釈、というよりも、そう決めた。理屈は関係なかった。そう感じた、それだけだ。

 六十を過ぎた男は、こういうことに論理を持ち込まなくなる。理屈で割り切れないものが、人生には確かにある。それを知っているだけで、もう十分だと思うようになる。

  *  *  *

三 バイクを手放す日

 十一月の初旬、正一はバイクを売ることにした。

 ホンダのCB750。三十年前に中古で買い、ずっと乗り続けてきた一台だ。何度もエンジンを開けて、自分で直した。塗装も二度やり直した。今は艶消しの黒になっている。

 売ると決めたのは、転んだからだ。大きな転倒ではない。信号で停車するときに、左足が滑っただけだ。しかし車体を支えきれず、右側に倒れた。ゆっくりと、抵抗しながら倒れるバイクの重さが、正一の右膝に来た。

 起こすのに手こずった。若い頃なら一瞬で起こせた二百キロの鉄の塊が、正一には重かった。通りがかりの若者が手伝ってくれた。ありがとうと言いながら、正一は膝の痛みよりも別の痛みを感じていた。

 その夜、枕もとに煙草はなかった。

 翌朝も、なかった。

 正一は台所に立ちながら、そのことを考えた。健二が来ない夜が続くのは、久しぶりだった。

「売るな、ということか」

 呟いてみた。返事はない。雀もいない。空が白みはじめている。

 いや、違う、と正一は思い直した。健二が来ないのは、止めようとしているからではない。健二は止める男ではなかった。何があっても、正一の選択を笑って見ていた。お前がそうしたいなら、それでいいだろ、という顔をしていつもそこにいた。

 では、なぜ来ない。

 考えながらコーヒーを飲んでいると、ふいに気づいた。健二が来ない夜というのは、正一が迷っていない夜だ。自分の中でもう答えが出ている夜だ。

 そうか。お前は迷っている俺のところに来るのか。

 バイクを売ることは、もう決まっていた。

  *  *  *

四 業者が来た日

 バイク買取の業者が来たのは、晴れた午後だった。

 三十代の、愛想のいい男で、CB750を見るなり「これ、いい状態ですね」と言った。正一はそれが素直に嬉しかった。三十年、大事にしてきた。

 査定の間、正一は縁側に腰を下ろして庭を見ていた。節子が植えた金木犀がもう盛りを過ぎ、地面にオレンジ色の花びらが散っていた。

 業者の男が戻ってきて、金額を提示した。正一は即座に頷いた。値段の話をする気分ではなかった。

「思い切りましたね」と男は言った。「大事にされてたバイクでしょうに」

「潮時というやつだよ」

 正一は答えた。男はにこりと笑って、書類を取り出した。

 CB750が積載車に載せられていくのを、正一は玄関から見ていた。後ろ姿が遠ざかる。エンジンの音が聞こえないまま、ただ荷台の上で揺れながら消えていく。

 泣かなかった。

 泣くかと思ったが、泣かなかった。かわりに、胸の中でどこかの扉が静かに閉まる音がした。

 その夜、煙草が二本、枕もとに立っていた。

 正一は少し笑った。「二本は多いだろ」と言った。カーテンが揺れた。

  *  *  *

五 海へ

 十二月に入って間もなく、正一は波乗りの板を持って海へ行った。

 最後に乗るためではない。見に行くためだ。板を抱えて砂浜に立ち、波を見る。ただそれだけのつもりだった。

 しかし海に来ると、身体が勝手に動く。ウェットスーツを着て、板を持って、波打ち際まで歩いてしまった。十二月の海は冷たかった。寒さが足首から上ってくる。

 波は小さかった。穏やかな日で、腰くらいの高さの波が、規則的に崩れていた。

 正一はしばらくそこに立っていた。

 健二と二人でここに来た日のことを思い出す。健二は上手くなかった。波に乗ろうとするたびに板から落ちて、水を飲んで、それでも笑っていた。「俺には向いてない」と言いながら、毎週来た。向いてないけど好きだ、それでいいだろ、という顔をして、毎週来た。

 波が一つ来た。

 正一は板に腹ばいになり、パドルをした。五年ぶりかもしれない。腕が重い。しかし身体は覚えている。波の引き込む感覚を、身体が覚えている。

 立てなかった。膝まで立ちかけて、板からずり落ちた。冷たい海水に沈み、鼻に水が入り、立ち上がると胸まで濡れていた。

 でも、乗った。ほんの一秒か二秒。板の上に立った。

 砂浜に戻り、ウェットスーツを脱ぎながら、正一はぼんやりと海を見た。波が来て、崩れて、消える。また来て、崩れて、消える。

「最後にしておく」

 正一は海に向かって言った。返事はない。波の音だけがある。

 しかしそう言ったとき、砂浜の先の方で、人影が一瞬揺れた気がした。振り返ると誰もいない。ただ風が砂を巻いて、その向こうに夕日が傾いていた。

 健二だろうか。わからない。でも正一は手を振った。波に向かって、あるいはそこに誰かいたかもしれない場所に向かって、一度だけ、手を振った。

  *  *  *

六 付き合いを減らすこと

 一月になって、正一は幾つかの誘いを断り始めた。

 町内会の新年会。元職場の同期の集まり。かつての取引先との飲み会。どれも悪い集まりではなかった。しかし、行くと必ず疲れた。家に帰ると、身体ではなく気持ちが磨り減っていた。

 何が疲れるのか。

 考えてみると、人の話を聞くのが疲れるのではなかった。愚痴を聞くのも、自慢話を聞くのも、それ自体はさほど苦ではない。疲れるのは、そういう話に対して適切に反応しなければならない、その義務感だった。

 うなずいて、笑って、「そうですね」と言って、「大変でしたね」と言って、「それは良かったですね」と言う。六十年以上生きてきた正一には、それが習い性になっていた。しかし還暦を過ぎてから、それがひどく消耗することに気づいた。

 ある夜、断りの電話を二本かけた後、正一は台所で缶ビールを開けた。

「お前はどうだったんだ、健二」

 声に出して聞いてみた。健二は人付き合いがよかった。誰とでも打ち解けて、場の空気を明るくした。でも、あいつも疲れることはあったはずだ。

 枕もとの煙草のことを考えながら、ビールを飲んだ。今夜は来るだろうか。

 布団に入ると、煙草が一本、立っていた。

 正一は手を伸ばして、そっと触れた。指先に冷たさと、かすかな温もりが同時にある気がした。

「お前も疲れてたんだろ」

 言うと、部屋の隅が少し明るくなった気がした。気のせいかもしれない。電柱の明かりが、窓から漏れたのかもしれない。

 でも正一には、健二が笑った気がした。そうだよ、と言っている気がした。

  *  *  *

七 手放すことと、残すこと

 二月の末、正一は押し入れの整理をした。

 節子の遺品はもう片付けてある。しかし自分の物が増えすぎていた。道具類、工具、本、レコード。三十年、四十年前のものが積み重なっていた。

 捨てるか、残すか。その判断を一つ一つしながら、正一は半日を過ごした。

 波乗りの板は、息子に送ることにした。息子は海から遠い場所に住んでいるが、いつか誰かに譲ることができるかもしれない。捨てるよりはいい。

 レコードは残すことにした。これは捨てられない。節子も好きだったものがある。健二と一緒に聴いたものもある。物が消えたって、音楽は消えない。でもレコードがなければ、この音楽とは二度と会えない。

 工具は半分処分した。もう使わない道具を取っておいても、置き場所を取るだけだ。

 夕方、全部片付け終わって、正一はぼんやりと空になった押し入れを眺めた。

 空白が怖くない。それが意外だった。むかしは物で埋めたかった。押し入れも、予定も、付き合いも。でも今は、空白がある方が、なんだか呼吸しやすい。

 人間は年を取ると、空白に慣れてくるのかもしれない。あるいは空白の意味が変わるのかもしれない。空白というのは、欠落ではなく、余白なのだと。

 その夜、枕もとに煙草はなかった。でも部屋の空気が、かすかに変わっていた。

 焼けた鉄と煙草の匂い。健二の匂い。

 正一は「ありがとう」と言った。何に対してかは、よくわからない。でも言いたかったから、言った。

  *  *  *

八 ご同輩

 三月になった。

 近所の公園で、正一は見知らぬ老人と話した。八十近い男で、ベンチに座って鳩に餌をやっていた。

「何をそんなに考えてるんだい」と老人は言った。正一が隣のベンチに座って、空を見ていたからだ。

「いや、手放すことについて、考えてました」

「手放すこと」

「ええ。色々と、手放し始めてまして」

 老人はしばらく鳩を見てから言った。

「儂もそれをやった。七十を過ぎた頃から。バイクを売って、畑をやめて、友人の集まりを減らして」

「寂しくなりませんでしたか」

「最初はな。でも途中から、これは寂しさじゃないと気づいた。荷物を降ろした感覚だと気づいた」

 正一はうなずいた。荷物を降ろす、という言葉が、ちょうど良い言葉に聞こえた。

「残りの時間を、自分のために使っていいんだよ」と老人は続けた。「それは勝手じゃない。そういう歳になった、ということだ」

 老人が立ち上がり、杖をついて歩き去った。正一は見送って、それからまた空を見た。

 春の空は、薄い青だった。雲が一つ、ゆっくりと流れていた。

 持ち時間は、こうしてる間にも減っていく。でも、何かを手放すたびに、残った時間が少し透明になっていく気がする。

 夕方、家に帰ると、台所の窓から夕日が入っていた。節子が好きだった時間だ。金色の光が、床と壁をゆっくりと染めていく。

 正一はコーヒーを淹れながら、これからのことを考えた。

 まだバイクも乗れるかもしれない。いや、乗れない。でも乗れたとしても、もう乗らない。それは敗北ではなく、ただの選択だ。身体に合わせた、身の丈の選択だ。

 波乗りも、もうしない。でも海へは行く。ただ座って、波を見る。それで十分だ。

 付き合いも、必要なものだけにする。疲れる集まりには行かない。でも本当に会いたい人とは、ちゃんと会う。

 それで、何かが失われるか。

 少し考えて、正一は思った。失われるものもあるが、残るものの方が、たしかに重い。

 布団に入ると、健二の煙草が立っていた。一本。

「お前もそう思うか」

 聞くと、カーテンが揺れた。

 正一は目を閉じた。遠くで、波の音がする。夢の中でいつも聞く、あの波の音だ。

 ゆっくりと遠ざかっていく波の音を聞きながら、正一は眠った。

  *  *  *

エピローグ 潮時

 四月の朝。

 桜が散り始めた窓の外を見ながら、正一はコーヒーを飲んでいた。

 今日は息子から電話が来る予定だ。正一が板を送ったことに、息子が礼を言ってきた。なぜ送ったかは聞かなかった。息子はそういう男だ。聞かずに受け取る。それが正一には嬉しかった。

 今朝の枕もとに、煙草はなかった。

 最後に立っていたのは、いつだっただろう。もう一週間ほど来ていない。

 正一はそのことを寂しいとは思わなかった。健二はきっと、もう来なくていいと思ったのだ。正一が迷わなくなったから、もう来る必要がないと思ったのだ。

 それでいい。

 それが健二らしい。

 花びらが一枚、窓を流れた。薄いピンクが、春の光の中でゆっくりと落ちていく。

 正一は窓を開けた。四月の朝の空気が入ってきた。まだ少し冷たく、しかしもう春の匂いがした。

「潮時、というやつだよ」

 声に出して言った。誰もいない台所に、声が消えた。

 でも消える前に、ほんの一瞬、焼けた鉄と煙草の匂いがした気がした。

 正一は窓の外に向かって、一度だけうなずいた。

 桜が散り続けていた。






  *  *  *




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あとがき

本作は、ある素晴らしい詩との出会いから生まれた。
そこには、還暦を越えた男が自らの衰えを受け入れ、ハードな遊びや厄介な付き合いから手を引いていく覚悟が、淡々と、しかし力強く綴られていた。最後に添えられた「そんなことだよ ご同輩」という言葉に、私は救われるような、背中を押されるような感覚を覚えた。
私たちは、何かを辞めたり諦めたりすることに、どうしても罪悪感を抱きがちだ。まだ頑張れるのではないか、ここで引いたら負けなのではないかと、自分を追い詰めてしまう。
しかし、この詩が教えてくれたのは、「潮時を見極めること」は敗北ではなく、限られた持ち時間を自分のために使うための、きわめて理性的で贅沢な決断なのだということだ。
小説化にあたり、正一という男の傍らに、あえて「目に見えない相棒」を配した。職人として共に生きた親友の気配は、正一が自らの人生を整理していく上での、無言の肯定者である。人は一人で生まれ、一人で死んでいくが、心の中に響く「あいつの声」がある限り、決して本当の意味で孤独にはならない。
押し入れを空にした正一が呟いた「空白は欠落ではなく、余白なのだ」という言葉は、そのまま、この物語を通して私が読者の皆様に届けたかった想いでもある。
最後に、この物語の種を撒いてくださった原詩の作者に、心からの敬意と感謝を捧げます。桜の散る春の朝、正一が感じたあの爽やかな風が、皆様の心にも届きますように。




【原詩】

潮時を見極めよ

還暦を越したら
男は
そろそろ潮時を考えねばならない

まずはハードな遊びから

バイク
波乗り
それから
それから… と

そして
あれこれの付き合いをも
そろそろ潮時かと
減らしてしまおう

面倒な
厄介な
苦手な 連中…

背負う必要など
ない

時間は刻々と進み
身体もまた
仕方なくも劣る

永遠など
どこにもなく

すべては
有限なのだ

持ち時間は
こうしてる間にも
急ぎ足で
減って行く

もう
自分の為にと
割り切っても良い

そんなことだよ
ご同輩…