無目的推進機構
まえがき
本書は、あなたに何の気付きも与えません。
スキルアップにも繋がりませんし、読み終えたからといって「明日から頑張ろう」という活力も湧きません。タイパ(タイムパフォーマンス)は最悪です。
現在、銀河系で最も深刻な病は、何にでも「意味」を求めてしまう「目的論依存症」です。
「この本を読むことで、どのような学びが得られるのか?」
そう考えた時点で、あなたはすでに手遅れかもしれません。
これから語られるのは、全宇宙を揺るがした、ある42歳の男の「壮大な何もしなさ」の記録です。
どうぞ、できる限り姿勢を崩し、
お茶でもこぼしながら、
「だから何なんだ」と呟きつつ、読み進めてください。
もし途中で飽きたら、本を閉じて昼寝をしてください。
懲役3日にはなりませんが、特に褒められもしません。
それでは、意味のない読書時間を。
――尚も良し。
第一章
主席無目的職員、日下部ヒロシ
西暦3026年。銀河標準暦211年。
人類は「進歩至上主義」を憲法に掲げていた。
朝の歯磨き+3pt。画期的な発明+50万pt。恋愛は相手の時価総額でpt変動。
非効率は違法。昼寝は懲役3日。「目的のない行為」は精神疾患コードF-404。治療対象。
そんな銀河で、唯一“無駄”が許された宙域がある。
無目的推進機構 本部。通称ムモク。
俺は日下部ヒロシ、42歳。主席無目的職員。
業務内容:「8時間、存在すること」
評価基準:「何も変えないこと」
9:00、出勤。タイムカードは今日も「労働pt:0」を叩き出す。0が俺の仕事だ。
10:02、鼻がかゆい。0.08秒で掻く。0.1秒超えると「快楽追求罪」になる。プロの技だ。
窓の外は木星。特に見る意味はない。見る。
業務日誌に書く。『こ〜して書き込む。尚も良し』
同僚はニーナ。職務は「意味のない鼻歌」。
「ヒロシ、今日の無駄は?」
「昨日と同じ」
「いいね。私も昨日の鼻歌、忘れる仕事する」
染みないように、目を合わせず別れる。共感は摘発対象だ。
第二章
有意義な無駄、爆誕
事件は15:00に起きた。
政府から無目的監査官カノンが来訪。全身効率スーツ。歩くたび+1pt稼ぐ女。
「日下部主席。あなたの無目的がバズっています」
「は? 見てません」
「全銀河の労働ptが0.3%低下。“幸せそうな無駄”が若者に感染した」
モニターに映るのは、盗撮された俺の勤務風景。
『椅子に座って木星を見るだけの男』再生2億回。
コメント「この人、勝ち組じゃね?」
カノンは命令を下す。
「明日から“有意義な無駄”ノルマ月20本。ガス抜きになる、計算された無目的を創れ」
目的のある無目的。
俺は初めて、頭痛という“非効率”を味わった。
第三章
コップの水と20億人
「有意義な無駄」第一号。
俺は8時間かけて、コップの水を別のコップに移す動画を撮った。
こぼさない。飲まない。感想も言わない。ただ移す。
配信した。
3日で20億再生。「#無駄の神」「#ヒロシ教」爆誕。
労働ptが2.1%低下。工場が止まる。株価暴落。
進歩至上主義が、コップ1杯の水で溶け始めた。
カノン激怒。「影響与えない設定だったでしょう!」
「見てません。俺は水を移してただけです」
だが、やらかした。
うっかりコメント欄を見た。地球の12歳が書いていた。
『学校つらい。死にたいって思ってた。でもヒロシが何もしてないの見てたら、何もしなくても生きていい気がした』
胸が、かゆくなった。0.08秒じゃ掻ききれないやつ。
天井の共感罪検知ドローンが鳴る。ピーポーピーポー。
「対象、日下部ヒロシ。共感レベル4。逮捕」
第四章
無目的裁判
銀河最高法院。罪状は3つ。
共感罪。労働意欲毀損罪。尚も良し罪。
検察官「被告は“意味のない行為”で“意味”を創造した。これは思想テロである」
俺「意味を見たのはそちら側です。俺はこ〜して書き込んでただけです」
証人ニーナ。鼻歌を禁じられ「効率的呼吸法」を歌わされ、声が潰れていた。
彼女は証言台で、かすれ声で歌った。昔の、意味のない鼻歌を。
傍聴席の労働者から、鼻をすする音。+1ptスーツが次々エラー吐く。
裁判長「最終弁論を」
俺は日誌の切れ端を読むだけだった。
「どなたも傷付けず、どなたも追い越さず。
勝ちもなく、負けもなく、比べることすら不要。
ただ、やりたいからやる。無駄だとわかっちゃいても。
そちら側を見ず、気にせず、影響も与えず。
どなたの心にも染みず。ならば尚も良し」
「以上です」
法廷が静まり返る。誰かが呟いた。「…俺、今日休んでいいかな」
第五章
無職、最高
判決:無罪。
ただし無目的推進機構は解体。理由「“無目的”を組織にした時点で目的論が生じる。自己矛盾」
俺は無職になった。無pt。無価値。
晴れやかな気持ちで、解体現場のガレキに座る。
ニーナが隣に来た。
「ヒロシ、今日の無駄は?」
「特にない」
「尚も良し、だね」
二人で壊れた椅子に座る。やることがない。
彼女が鼻歌を歌う。くそ下手で、誰も得しない、最高の鼻歌。
遠くで、元労働者たちが空を見上げていた。
+1ptスーツを脱ぎ捨てて。
誰も追い越さないし、追い越されない。
ただ座ってるだけの人間が、増えていた。
第六章
監査官の休日
1ヶ月後。カノンが訪ねてきた。効率スーツじゃない。Tシャツだ。
「労働ptが30%減った。経済は停滞。でも、自殺率が0になった」
「それで?」
「休み方を教えてほしい。私、有給の取り方を知らない」
俺は教えた。「まず椅子に座る」
「次は?」
「ない」
「…尚も良し、ってやつ?」
「そう。それ」
カノンはぎこちなく椅子に座った。3分で「落ち着かない」と立ち上がる。
「何もしないって、こんなに難しいのか」
「プロの技だからな」
第七章
そちら側からの手紙
地球の少年から手紙が届いた。元コメント欄の12歳。
『ヒロシへ
あの後、学校辞めた。別に何か始めたわけじゃない。
ただ、朝起きて、窓から雲見る。
母さんが“あんた、何してるの”って聞くから、“無駄”って答えた。
母さん、最初怒ってたけど、昨日隣で一緒に雲見てた。
何も話さなかった。でも、なんか良かった。
尚も良し、だよね。 P.S. ニーナさんの鼻歌、下手だけど好き』
ニーナが手紙を読んで、0.1秒超えて泣いた。
減点とか、もうどうでもよかった。
第八章
こ〜して書き込む
ムモク跡地。俺たちは勝手に「非公式無目的支部」を開設した。看板はない。会員もいない。来たい奴が勝手に来て、勝手に何もしない。
業務日誌はまだ書いてる。提出先はない。査定もない。
こ〜して。
『6月30日:木星、昨日と同じ。ニーナの鼻歌、昨日より下手。
カノン、昼寝を覚えた。寝顔、無防備。
地球からまた手紙。雲の形、毎日違うらしい。
俺は特に何もしなかった。
そちら側を見た気もするけど、見てないことにする。
誰の心にも染みたかは知らない。知る必要もない。
ただ、やりたいからやった。
無駄だとわかっちゃいても。
尚も良し』
ペンを置く。
風が吹いた。誰も命令してない、ただの風。
ニーナが「次、コップの水やる?」って聞いた。
「やる。意味はないけどな」
「それでいい。尚も良し」
目的もなく、ゴールもなく、進歩もない。
誰も傷つけず、追い越さず、追い越されず。
勝ちも負けもない、比べることすらない。
宇宙の隅で、俺たちは今日も無駄をやる。
それだけで、宇宙はちょっとだけ、呼吸していた。
『無目的推進機構』 完
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あとがき
この物語は、どなたの心にも染みないように書かれました。
もし染みたら、それはあなたの心が勝手に染みただけです。
本書は一切の責任を負いません。
尚も良し。

