願わくば、八重桜の下で煩悩を
ーNFLのDNAと神様のソロバンー
〜まえがき〜
私たちはいつから、自分の身の丈に合った幸せを「退屈」ではなく「至高」と思えるようになるのだろう。
若い頃の私は、世界が自分を中心に回っていると信じて疑わなかった。アメリカの広大な大地に夢を馳せ、大それた野望を抱き、何者かになろうともがいていた。あの頃の脳内は、常に打ち上げ花火のような煩悩で満ちていたように思う。
それから三十年以上の月日が流れた。
今や私は、どこにでもいる平凡な中年男だ。
髪の毛の行く末を案じ、腰の痛みに顔をしかめ、神社を見ければ猫が段ボールに吸い込まれるようにフラフラと境内へ入ってしまう。
本書は、そんな一人の男が、八重桜の木の下でふと足を止め、これまでの人生とこれからの生き方に思いを馳せた、ささやかな記録である。
ギラギラとした欲望が、神様の前でみるみる縮んでいくあの奇妙な瞬間の秘密。かつて目論んだ、あまりに馬鹿げた「怪物計画」の顛末。そして、神様が天上で弾いているに違いないソロバンの音について。
お茶でも飲みながら、あるいは私と同じように缶コーヒーを片手に、のんびりとお付き合いいただければ幸いである。
第一章
賽銭箱の前で、男は縮む
私は、ごく平凡な中年男である。
平凡というのは便利な言葉だ。
大成功もしていないし、大失敗もしていない。新聞に載るようなこともなければ、近所の噂になるようなこともない。毎朝起きて仕事をし、飯を食い、たまに腰をさすりながら眠る。そんな程度の人生である。
ただ一つだけ、人から少し変わっていると言われる習慣があった。
神社や寺を見かけると、つい立ち寄ってしまうのだ。
信仰心が厚いのかと言われると、自分でもよく分からない。
御利益を信じているのかと言われても、少し困る。
しかし鳥居を見ると入りたくなる。
鐘楼を見ると手を合わせたくなる。
理由は分からない。
猫が段ボール箱を見ると入りたくなるようなものである。
その日も私は移動途中に見つけた小さな神社へふらりと入った。
春は少し過ぎていた。
ソメイヨシノはすでに散り終え、境内には八重桜が咲いている。
幾重にも重なった花びらは妙に艶やかで、若い頃は気にも留めなかったのに、最近ではこういう花の方が心に残る。
人間も年を取ると派手さより厚みが気になるらしい。
私は賽銭箱の前に立った。
百円玉を入れる。
鈴を鳴らす。
ここで毎回、不思議な現象が起きる。
神社へ入る前の私は、実に欲深い。
金が欲しい。
もっと金が欲しい。
できれば一生使い切れないほど欲しい。
さらに若さも欲しい。
健康も欲しい。
髪の毛も欲しい。
そしてできれば美女とのロマンスも欲しい。
煩悩の百貨店である。
ところが神前に立った途端、その野望が急激に縮む。
脳内で再生される願い事は決まっている。
「家内安全」
「身体健全」
「生活安定」
以上。
終了。
宝くじも消える。
美女も消える。
高級車も消える。
神様の前では全員退場である。
頭を上げるたびに私は思う。
おかしい。
さっきまで私の脳内では札束が舞っていたはずなのだ。
なぜ神様の前へ来ると、企業の危機管理マニュアルみたいな願い事になるのだろう。
しかし考えてみれば当然かもしれない。
健康がなければ金は使えない。
平和がなければ恋愛どころではない。
結局、人間は本当に失いたくないものを知っている。
知っているからこそ、神様の前では格好をつけられなくなるのである。
第二章
アメリカの幻影と怪物計画
八重桜の下のベンチに座り、私は缶コーヒーを開けた。
すると記憶が三十年以上前へ飛んだ。
若い頃の私は、今よりずっと愚かだった。
そして今よりずっと面白かった。
私は本気でアメリカへ行こうとしていた。
あの頃は、自分にできないことなど何もないと思っていた。
根拠はなかった。
若さとは便利な麻薬である。
その頃の私は奇妙な夢を抱いていた。
NFL選手を自分の血筋から誕生させたい。
今なら笑う。
だが当時は本気だった。
テレビで見るNFLの選手たちは人間というより装甲車だった。
身長は高い。
肩幅は広い。
走る。
飛ぶ。
ぶつかる。
どう見ても同じ生物とは思えない。
私は考えた。
日本人だけでは難しい。
ならば現地で圧倒的な身体能力を持つ女性と結婚すればどうだろう。
そこから怪物級の子供が生まれるのではないか。
実に馬鹿である。
しかし若者の夢など大体こんなものだ。
妄想の中では私は国際的な遺伝子プロデューサーだった。
未来のスーパースターを設計していたのである。
ところが現実は映画ほど甘くなかった。
アメリカで私は二度、銃を突きつけられた。
人生で学ぶべきことは色々ある。
だが銃口ほど説得力のある教師はいない。
その瞬間、NFLの夢は消えた。
代わりに浮かんだのは、
「日本は安全だな」
という感想だった。
人間は命の危険を感じると急速に現実的になる。
夢よりも治安。
理想よりも保険証。
私の野望は見事に敗北した。
結局私は帰国した。
そしてごく普通に恋をし、ごく普通に結婚した。
人生とは案外そんなものである。
第三章
三人の子供と百年先の夢
その後、三人の子供が生まれた。
私は密かに期待していた。
自分が果たせなかった夢を、誰かが引き継ぐかもしれないと。
長男が恋人を紹介すると言った。
少し期待した。
次男の時も期待した。
長女の時も期待した。
しかし現れたのは、三人とも実に穏やかな日本人だった。
私の脳内で開催されていた家庭内国際化計画は、静かに終了した。
もちろん不満はない。
皆よくできた人たちだった。
子供たちは幸せそうだった。
それが何よりだった。
ただ、少しだけ思った。
どうやら神様は私のNFL計画に最後まで乗ってくれなかったらしい。
だが最近になって気づいた。
トップアスリートを生むのは血だけではない。
環境である。
文化である。
競争である。
幼い頃から何を見て育ったかである。
結局のところ、人間はDNAだけでは作られない。
その人を取り巻く世界によって形作られる。
そう考えると、私の計画は最初から的外れだったのかもしれない。
もっとも、若い頃の私にそんな話をしても聞かなかっただろうが。
第四章
神様のソロバン
風が吹いた。
八重桜の花びらが一枚、私の膝に落ちた。
私はそれを眺めながら思う。
若い頃の私は遠くを見ていた。
世界を見ていた。
未来を見ていた。
年を取った今の私は近くを見る。
家族を見る。
健康を見る。
今日という一日を見る。
昔はそれを後退だと思っていた。
しかし違うのかもしれない。
年齢とともに視野が狭くなるのではない。
本当に大切なものだけが残るのである。
私は時々考える。
神様は毎日どれほどの願い事を聞いているのだろう。
宝くじ。
恋愛成就。
商売繁盛。
合格祈願。
病気平癒。
世界平和。
無数の願いが空へ上がっていく。
もし神様が経理担当なら大変だ。
巨大なソロバンを持ち、朝から晩まで計算しているに違いない。
「お金が欲しい」
パチ。
「出世したい」
パチ。
「モテたい」
パチ。
「若返りたい」
パチ。
「健康でいたい」
パチ。
そして最後に、
「家族が元気でありますように」
と来る。
その時だけ神様は少し頷くのではないだろうか。
もちろん根拠はない。
だが私が神様ならそうする。
ふと笑ってしまった。
私は今でも煩悩の塊である。
金は欲しい。
健康も欲しい。
運も欲しい。
若さも欲しい。
髪の毛も、できればもう少し欲しい。
しかし、それら全部を合わせても家族の安心には勝てない。
それを認めるのが少し悔しいだけなのだ。
私は立ち上がった。
缶コーヒーは空になっている。
八重桜は静かに揺れていた。
派手ではない。
だが重たく、しっかりと咲いている。
まるで人生の後半そのものだった。
鳥居へ向かって歩き出す。
願わくば――。
そこで私は苦笑した。
結局、今日も同じ願いになる。
家内安全。
身体健全。
生活安定。
頭上では八重桜が、
「結局それが一番なんだろう」
とでも言いたげに、
春の風に揺れていた。
ー了ー
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〜あとがき〜
若い頃、私は「遠く」ばかりを見ていた。
ここではないどこか、
今ではないいつかに、
本当の幸せがあるのだと信じていたからだ。
しかし、五十を過ぎてから見る景色は随分と変わった。
私の視線はどんどん「近く」へ、そして「足元」へと向かっている。
それをかつての私が失笑するか、あるいは今の私が「これでいいのだ」と胸を張るべきかは分からない。
ただ、八重桜の下で風に吹かれながら、空になった缶コーヒーを手にしたとき、私は確かに満たされていた。
どれだけ頭の中で「宝くじが当たれば」「あの頃の若さがあれば」と不毛な引き算や掛け算を繰り返しても、神様のソロバンが弾き出す答えは、いつも決まっている。
私たちが本当に失いたくないものは、すでにこの手のひらの中にあるのだ。
私の拙い独白に最後までお付き合いいただいた読者の皆様に、心からの感謝を。
願わくば、皆様の日常にも、静かで、揺るぎない「家内安全」の風が吹きますように。

