50%でいいんじゃね?

── 宇宙人ハーフ、地球の50年を観測す ──


著:観測者Z-0050(地球名:ゼッペン)


〜まえがき〜

はじめに。
本書を手に取っていただき、ありがとうございます。あるいは、画面をスクロールするあなたの指が、たまたま「50%くらいの確率」でこのページを止めてくれたのかもしれません。


私たちは、いつからか「100%の正解」を求めすぎるようになってしまいました。絶対に失敗しない買い物、絶対に後悔しない結婚、100%正しい政治の選択、そして、スーパーのレジで「一番速く進む列」をきっちり見抜くこと。


しかし、50年という時間をこの地球で過ごしてみて、私はふと思ったのです。「そんなに完璧じゃなくても、いいんじゃないか?」と。


本書は、地球人の父と、宇宙の遥か彼方からやってきた「数値を食う宇宙人」の母を持つ、相当マイナーなハーフである私「ゼッペン」が、この50年間で集めた地球の観測データをもとに綴った、ささやかな記録です。


政治、仕事、夫婦関係、そして男たちの熱きレジ選びのサガ――。
読めばあなたの明日が、ほんの1%くらい気楽になるかもしれない、そんな「だいたい50%くらい」の視点でお届けするエッセイ(のようなもの)です。


どうぞ、肩の力を抜いて、お気に入りの飲み物でも片手にお読みください。




プロローグ  

観測開始より50年

私の名前は、地球の書類上「善辺(ぜんべ)貢(みつぐ)」という。
父が地球人で、母が……まあ、そうでない。


どうそうでないかというと、母の出身銀河は天の川より東に四百万光年ほど離れた小さな渦巻き銀河で、そこの住民は「観測」を主食にして生きている。感情を食うのではない。データを食うのだ。政治の支持率、夫婦の満足度、スーパーのレジ待ち時間の分布——そういった数値が、彼らの脳細胞を活性化させる。


父はといえば、千葉県在住のしがない会社員だった。なぜ父と母が出会ったのかについては、母いわく「観測に来たついでにラーメン屋に入ったら隣に座っていた」とのことで、それ以上の説明を母はしたことがない。


そういうわけで私は、数値を食って生きる星人と、日本のサラリーマンの間に生まれた、宇宙的に見ても相当マイナーなハーフである。

五十歳になった今年、私はこの地球での観測記録を、ひとつの文書にまとめることにした。
テーマは「50%」だ。


なぜなら、この星のあらゆるものが、だいたい50%を軸に揺れているからである。




第一章 

政権と、スーパーのレジと、だいたい同じ問題

私が地球の政治を初めて観測したのは、三十年前のことだった。
当時の私は二十歳で、父の家の狭い居間でテレビを見ていた。画面の中では、スーツを着た男たちが「この国の未来のために!」と叫んでいた。父はソファで缶ビールを飲みながら、「どいつもこいつも同じだよな」とつぶやいた。
「同じとは、どういう意味ですか」と私は聞いた。
父は少し考えてから言った。「だって、政権与党もダメ、野党もダメ、でも何かを選ばなきゃならない。そういうことだよ」
私はそれを記録した。

母星から送られてくる観測マニュアルには、こう書いてある。
「地球の政治的支持率は、長期的に見ると概ね50±15%の範囲で推移する。これは地球人の認知バイアスと社会的同調圧力の複合作用によるものであり、どの政権も100%の支持を得ることはなく、また0%に落ちることもほとんどない」


つまり、人類は最初から50%程度の合意の上に社会を作っている。残りの50%は常に不満を持ちながら、それでもその社会の中で生きている。
これを「非効率」と見るか「奇跡的な均衡」と見るかで、観測者の立場は分かれる。

ある選挙の日、私は投票所の近くに立っていた。出口調査のボランティアのふりをして、人々の表情を観測するためだ。
多くの人が、どこか疲れた顔をしていた。「しょうがないから入れた」という声が聞こえた。「まあ、マシな方を選ぶしかないよね」という声も聞こえた。


100%肯定できるものは、世の中にないはずで——そう、父もよく言っていた。
だからこそ人々は、「どのくらい目をつぶれるか」を基準に選択する。それは恋人を選ぶのと、政党を選ぶのと、スーパーのレジを選ぶのと、本質的に同じ行為なのかもしれない。

スーパーのレジの話をしよう。
これは私が三十年間で最も丹念に観測してきた現象のひとつである。
地球の男性は、なぜかレジの列を選ぶときに、異様な真剣さを発揮する。左の列をちらっと見て、右の列をちらっと見て、カゴの中の商品を数えて、レジ係の手の動きを観察して、最終的に「ここだ!」と心の中で叫びながら列に入る。


そして八割の確率で、選んだ列が一番遅い。
私が計測したデータでは、三列あるうちの最も遅い列を選ぶ確率は理論値の33%を超えて、平均42%だった。これはランダムよりも明らかに悪い結果であり、「選ぶ」という行為が却って判断を歪めていることを示している。


父はこれを「男のサガ」と呼んでいた。
私には長らくその意味がわからなかった。が、五十年生きてみて、今はなんとなくわかる気がする。


どうでもいい場所で本気になってしまう。それが地球の男というものなのだ。
そしてその敗北感の積み重ねが、男をかろうじて謙虚に保っているのかもしれない。




第二章 

若者たちが飛び込まない理由、あるいは飛び込む理由

三十歳のある春、私は大学のキャンパスで学生たちを観測していた。
就職活動の時期だった。学生たちは黒いスーツを着て、スマートフォンを見ながら歩いていた。みんな同じ服を着て、同じような不安な顔をしていた。


「選挙なんて……」という声を聞いたのもその頃だ。
一人の学生が友人に言っていた。「政権与党はダメだし、野党もイマイチだし、どこに入れても同じじゃん。だから投票しなくていいかな、って」
友人は「まあ、そうだよね」とうなずいた。

私は少し悲しい気持ちになった。「悲しい」という感情は、地球人から遺伝した父の側の感情である。母星では悲しみにあたる感情を「低周波数値」と呼び、特段それを問題視しない。しかし私はその時、確かに低周波数値を感じた。


なぜなら、「どれも100%でないから選べない」という論理は、永遠に何も選べない論理だからだ。


30歳なら70%の確信でいい。40歳なら60%でいい。50歳ならもうスタートから50%で、えい!と飛び込むしかない——そういう話を、私はいつかこの若者たちにしてみたいと思った。
が、もちろん私はただの観測者であって、介入する権限はない。

しかし十年後、あの学生のうちの一人(後に偶然、居酒屋で隣に座ることになった彼)は、こう言っていた。


「あの頃は何もしなかったけど、子どもが生まれてから変わりましたよ。100%じゃなくてもいいから、マシな方を選ばなきゃって思うようになった。親になるとそうなりますよね」


私は記録した。「子どもの誕生は、地球人の政治的関与度を平均23%向上させる」
それは確かに、私のデータにも符合していた。



第三章 

夫婦の支持率という難問

四十歳のとき、私は結婚した。
相手は地球人の女性で、名前を明子という。彼女は私のことを「変わった人」だと思っているが、まさかハーフの意味がそこまで深いとは思っていない。

結婚当初、私は明子に対する満足度を測定していた。
これは観測者としての職業的習慣であって、悪意はない。
当初の数値は、96.4%だった。
明子が笑うと、その数値が上がった。明子が眉をひそめると、少し下がった。私は毎日こっそりその数値を記録していた。

しかし五年が経ち、十年が経つと、見えなかったものが見えてきた。
明子は私が思ったより頑固だった。私は明子が思ったより要領が悪かった。お金の使い方が違った。子どもの教育方針が違った。実家との距離感が違った。
数値は少しずつ下がった。90%、85%、78%……
ある夜、私はこっそり計算してみた。明子の私に対する満足度も、おそらくそのくらいだろう、と。

「ゼッペン、なんで急に洗い物してんの」と明子は聞いた。
「いや、したほうがいいと思って」と私は答えた。
「珍しい。どうしたの」
「なんとなく」
明子は少し笑った。「ありがと」

その夜、私は記録した。
「小さな行為が、支持率を0.3〜1.2%回復させる可能性がある」

現在、私の明子に対する満足度は68%だ。
明子の私に対する満足度は、測定方法がないのでわからない。しかし、まだ一緒にいてくれているので、50%は超えているだろうと私は推定している。
50%を超えているなら、まだやっていける。
そういうものなのだ、と私は今は思っている。




第四章 

昔の人々と、お見合いと、意外な知恵

母から手紙が届いた。といっても電波信号で、解読すると日本語になる、そういう手紙だ。

「ゼッペン、あなたは今、何%ですか」
それが母の手紙の全文だった。

私は少し考えてから返信した。
「全体的に52%くらいです。でも、それでいいと思っています」

母からの返信はなかった。おそらく、十分なデータが取れたということだろう。

その夜、私は昔の日本の結婚制度について調べていた。
かつての人々は、パートナーを自分で選ぶことができなかった。親や仲介者が「この人と結婚しなさい」と決めた相手と、生涯を共にした。
現代の感覚では、それは不自由に聞こえる。


しかし、である。
自分で選んでいないということは、最初から「完璧な選択をした」という思い込みがない、ということだ。最初から70%や60%のところからスタートして、それでも共に暮らすうちに情が湧き、いつしかそれは愛と呼べるものに育っていく。
現代人は、最初に高すぎる期待値を設定しすぎる。96%を求めて選び、50%になると「失敗した」と感じる。
昔の人々は、最初から50%を受け入れて始めていたのかもしれない。

私はそれを「先人の知恵」と記録した。
そして今の法律は、選択を間違えた場合にも「何度でもOK」と言っている。これはこれで、地球人らしいおおらかさだと思う。
第五章 観測者の独白、あるいは50年目の答え

五十歳の誕生日、私はスーパーに行った。
特別な理由はない。ただ、牛乳が切れていたから。

レジに並んだ。三列あった。
私はいつものように、左をちらっと見て、右をちらっと見て、データを分析した。
左列:三人。カゴの量は中程度。レジ係の手の動きは速い。
右列:二人。しかし一人がポイントカードを財布から探している。これは危険信号だ。
中央列:四人。しかし全員の商品が少ない。

私は中央列を選んだ。
結果、中央列が一番速かった。

私は少し、嬉しかった。
五十年かけて、スーパーのレジ選びが、ようやく上手くなった。

帰り道、私は夜空を見た。
母の星は、今夜は見えなかった。雲がかかっていた。
父の星、というものはない。父は地球人で、地球にいる。今も千葉で缶ビールを飲んでいるはずだ。

50年間観測してわかったことを、一言で言うなら——
100%を求めることは、観測者にとっては正しい姿勢だが、生きることに対しては、少し違うのかもしれない。

政治も、夫婦も、仕事も、スーパーのレジも。
50%くらいのところで、えい、と飛び込んで、そこから育てていくものなのだ。
たぶん。

私はまだ観測を続けている。
明子は今夜、何かを炒めている音がする。
いい匂いがする。
私の満足度は、今この瞬間、69%に上がった。

明日も、そのくらいでいい。



エピローグ

この文書は、観測者Z-0050が地球暦2026年に作成したものである。
母星への送信は、次の満月の夜に行う予定だ。

なお、明子はこの文書の存在を知らない。
知らせるべきかどうか、私はまだ決めていない。
支持率で言えば、「知らせる」派が51%、「知らせない」派が49%、といったところだ。

そのうち、えい、と決める。


── 了 ──


(続きは、あなたの50%次第)


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〜あとがき〜

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


この文書を書き終えた今、私の部屋の窓からは静かな夜空が見えています。母の故郷である小さな渦巻き銀河は相変わらず雲に隠れて見えませんが、千葉の実家で缶ビールを飲んでいるであろう父の気配は、なんとなく感じられます。


私たちは不完全な世界に生き、日々「マシな方」を選びながら泥臭く歩いています。100%の理想とは程遠い毎日に、時にはため息が出ることもあるでしょう。しかし、50%の肯定と、50%のあきらめ(あるいは伸びしろ)を抱えて「えい!」と一歩を踏み出すことこそが、この地球を生きる面白さなのかもしれません。


さて、この本をここまで読んでくださったあなたの「満足度」は、今何%くらいでしょうか。もし50%を超えていたなら、著者としてこれ以上の喜びはありません。残りの50%は、これからのあなたの日常が、おもしろおかしく埋めてくれることを願っています。


最後に。
今、台所から明子が「ねえ、そろそろパソコン閉じてお風呂入ったら?」と声をかけてきました。
私の支持率をこれ以上下げないために、今回の観測はこのあたりで終了とさせていただきます。


また、どこかのスーパーのレジの列(おそらく一番進みが遅い列)でお会いしましょう。
観測者Z-0050(ゼッペン)