見 え な い 力

七つの不思議な日常の物語



― 短 編 集 ―


目 次



序章 声なき案内人
第一話 ホチキスの午後
第二話 スカイツリーの麓で
第三話 黄色信号の哲学
第四話 墓所の手
第五話 バイクと雨と、止まれという声
第六話 守護霊は多分、あいつだ
終章 見えない力について






序章
声なき案内人




 私には名前がない。



 少なくとも、あなた方の言葉で呼べるような名前は。



 私はいつも、そこにいる。バイクのエンジンが突然止まる瞬間に。ホチキスの芯がなぜか曲がる午後に。欲しかった棚の前に、見知らぬ誰かが立ちふさがるその刹那に。



 私は引力のようなものだ。



 地球がすべてのものを静かに引っ張るように、見えない糸で、あなたの歩みをほんの少しだけ、引き留める。



 善意か悪意か、と問われれば困る。私にはそういう区別がない。ただ、流れというものがある。川の水が岩を避けるように、人の生もまた、本来の道筋というものを持っている。私がするのは、あなたがその道筋から外れようとしたとき、そっと袖を引くだけだ。



 あなたはまだ、気づいていないかもしれない。



 だが、五十を過ぎたころから、気づき始める人がいる。



 これは、そういう人たちの話だ。







第一話
ホチキスの午後




 田代誠一は五十三歳になって初めて、道具に叱られた。



 提出期限まで二時間を切った報告書を前に、彼は慣れた手つきでホチキスを握った。経理部長として十五年。書類を綴じる動作など、呼吸と同じほど無意識だった。



 ところが、芯が入らなかった。



 カチャ、と間抜けな音がして、芯は斜めに飛び出した。もう一度。また斜めになる。三度目には、芯そのものが折れた。



 田代は舌打ちをして、ホチキスを机に置いた。別の一台を引き出しから探した。これも同じだ。どこかで爪が噛み合っていない。



 仕方なく、彼は報告書を広げて見直し始めた。



 最初のページ。問題ない。二ページ目。問題ない。三ページ目、数字を指でたどっていったとき、彼の手が止まった。



 去年の第三四半期の数字が、そのまま転記されていた。



 今年度ではない。去年だ。



 冷や汗が背中を伝った。もし、このまま役員会に提出していたら。もし、ホチキスが正常に動いていたら。



 田代はゆっくりと、ホチキスを手に取った。



「……ありがとう」



 声に出して言ってみると、不思議と恥ずかしくなかった。むしろ、胸のどこかが、すっと軽くなった気がした。



 その日から彼は、うまくいかないことを、失敗とは呼ばなくなった。







第二話
スカイツリーの麓で




 吾妻涼子は電波の話をするとき、いつも少し寂しそうな顔をした。



 墨田区に生まれ、押上で育った彼女にとって、スカイツリーは子どもの頃から空の一部だった。あの塔が建ち始めたころ、近所の大人たちは口々に言った。便利になる、電波が届く、世界とつながる、と。



 涼子にはわからなかった。どことつながるのか。



 三十八歳になった今も、わからないままだ。



 スマートフォンは一日に何百回も手に来る。ニュースが来る。通知が来る。知らない人の怒りが来る。知らない場所の悲しみが来る。



 電波はたしかに届いている。



 でも、涼子が本当につながりたい場所へは、届いていない。



 五年前に逝った母の声へは。



 その夜、涼子は珍しく酒を飲んだ。スカイツリーの見えるバーのカウンターで、赤ワインを一杯だけ。ライトアップされた塔を眺めながら、ふと思った。あれだけの電波を毎日浴びて、百年後の人間はどうなっているだろう。身体が変わるだろうか。感覚が変わるだろうか。



 あるいは、見えないものが見えるようになるだろうか。



 グラスの底に、光が揺れた。



 涼子はそれをじっと見て、母がよくやった仕草を思い出した。お茶を飲み終えた後、湯呑みの底をしばらく眺める癖。何が見えていたんだろう、と子どもの頃は思った。



 今ならわかる気がした。



 何も見えていなかったのだ。ただ、そこに手を置いて、さっきまでの温かさを感じていただけだ。



 涼子はバーを出た。



 スカイツリーは今夜も電波を飛ばし続けていた。涼子の身体を、静かに、通り抜けながら。







第三話
黄色信号の哲学




 その交差点で、三つの人生が変わった。



 渡るか、止まるか。



 午後二時十七分。商店街の外れにある横断歩道。信号は黄色に変わりかけていた。



 一人目は、急いでいた。面接に遅れそうな二十二歳だった。彼は走った。渡り切った。角を曲がったところで、ふくらはぎを痛めた。面接には間に合わなかった。



 二人目は、止まった。五十四歳の男で、最近こういうとき、なんとなく立ち止まる癖がついていた。理由はうまく説明できない。なんとなく、だ。彼が止まったことで、後ろから来た自転車が急ブレーキをかけた。倒れかけたが、ぎりぎり踏みとどまった。自転車に乗っていたのは小学生だった。



 三人目は、見ていた。老人だ。七十八歳。横断歩道の向かいのベンチで、弁当を食べていた。二人を見ていた。



 老人はかつて、同じ交差点で、渡ることを選んだ。



 二十五歳のとき。信号が黄色になるタイミングで、どうしても渡らなければならない気がして、走った。渡り切ったとき、向こうから来た若い女と肩がぶつかった。謝った。彼女も謝った。その後、なぜかコーヒーを飲んだ。三か月後に結婚した。



 渡っていなければ、妻とは出会っていない。



 子どもたちも、孫も、いない。



 老人は弁当の蓋を閉めながら思った。信号などというものは、赤と青だけではいけない。黄色があるから、人は考える。迷うから、そこで何かが起きる。



 私は何者だろう、と私は思う。



 信号の黄色のようなものかもしれない。止まれとも進めとも言わない。ただ、一瞬だけ、問いかける。



 渡るか、止まるか。



 あなたは、どちらを選ぶ?







第四話
墓所の手




 松本章は歩きながら手を合わせる男だった。



 通勤の途中、公園の隅に小さな祠があれば手を合わせる。商店街の奥に地蔵があれば手を合わせる。知らない墓地の前を通れば、少し足を止める。



 始まりは五十一歳の春だった。



 特に理由はなかった。ある朝、古い墓地の前を通りかかって、ふと思ったのだ。ここに眠っている誰かが、もしかすると自分の人生に関わっていないとも言い切れない、と。



 たとえば江戸時代の商人が、ある道を作った。その道を、明治の職人が歩いた。その職人が作った橋を、昭和の男が渡った。その男の孫が、自分の父の友人と知り合いだった。



 そういう連鎖が、無数にある。



 人間の六十億の歴史は、すべてつながっている。だとすれば、知らぬまま誰かの人生に触れていた先祖たちが、あの墓の下にいても不思議ではない。



 手を合わせるのは、祈りというより、挨拶だった。



 お世話になりました、と。



 ある秋の夕方、松本は見知らぬ墓地で、長い時間立ち止まった。うまく説明できないが、その場所がやけに気になった。石碑の名前を見た。読めない字が多かったが、一つだけ読めた。



「誠」



 父と同じ字だった。



 父は三年前に逝っていた。



 松本は深々と頭を下げた。知り合いかどうかなどわからない。でも、わからないからこそ、手を合わせるのだ。



 帰り道、空が妙に澄んでいた。







第五話
バイクと雨と、止まれという声




 中村義則がバイクを手放したのは、五十六歳の秋だった。



 乗り出そうとするたびに、何かが起きた。



 最初はタイヤ。空気が抜けていた。次はエンジン。セルが回らなかった。その次は、ヘルメットのバックルが壊れていた。一度だけ何事もなく出発できたとき、五分も走らないうちに雨が降り出した。



 ガレージに戻りながら、中村は苦笑した。



 どうにも今日は乗るなということらしい、と。



 以前の中村なら、こういうときでも強引に乗り出した。多少の雨など関係ない。バイクとはそういうものだ、と思っていた。実際、何度か転んだ。一度は骨折した。それでも乗り続けた。



 五十を過ぎたころから、変わった。



 転んだとき、身体の回復がずいぶん遅くなった。それだけではない。なんとなく、乗れない日には理由があるような気がし始めた。



 根拠はない。でも、確かにそう感じた。



 あの雨の日も、後でニュースを見たら、自分がいつも走る道で事故があったことを知った。時間帯まで一致していた。



 それ以来、中村は道具の声を聞くようにした。



 エンジンがかからない日は、かからないなりに、家で過ごす。ホチキスが詰まる日は、書類を見直す。傘が見つからない日は、少し待つ。



 損をしているような気もする。でも、得をしているような気もする。



 バイクを売った翌日、中村は近所の定食屋に歩いて行った。いつもは通り過ぎる店だった。その日は、なぜかのれんをくぐった。



 隣のテーブルに、昔の友人が座っていた。二十年ぶりだった。







第六話
守護霊は多分、あいつだ




 高木俊夫が友人の岡本を亡くしたのは、四十九歳のときだった。



 岡本は突然逝った。前日まで元気で、翌朝、眠ったまま目を覚まさなかった。医者は心臓、と言ったが、高木にはまだよくわからなかった。人はそんなに唐突に、いなくなるものなのか、と。



 岡本は高校からの友人で、ろくでもない男だった。授業をさぼって漫画を読み、人の弁当を断りなく食べ、好きな女の子の誕生日を毎年忘れた。でも、高木が落ち込んでいるときだけは、必ず気づいた。何も言わずにそばにいた。



 そういう男だった。



 五十を過ぎたころから、高木はちょっとした不思議を感じるようになった。



 書類が詰まる。道が塞がれる。信号がことごとく赤になる。そういうとき、少し待つと、後でわかる。あの道を進まなくてよかった、あの判断は間違いだった、と。



 誰かが止めてくれている気がした。



 あいつかもしれない、と高木は思った。



 岡本は生前、直感だけで動く男だった。理屈なしに、なんとなく、で決めた。外れることも多かったが、本当に大事な局面では、不思議と正しかった。



 そのセンスが、死後も続いているのかもしれない。



 高木は月命日ごとに墓参りをした。特に何か頼むわけではない。ただ、報告する。今月はこんなことがあったよ、と。上手くいかなかったことも話す。それでお前のせいかよ、と言いたい気持ちもあるが、まあいい。



 ありがとう、とも言う。



 声に出すと、少し照れる。でも、言わないよりいい。



 墓の前で手を合わせながら、高木は思った。守護霊なんて言葉は、大げさかもしれない。でも、死んでもそばにいる友人というのは、そういうものなのかもしれない。



 帰り道、岡本が好きだったラーメン屋の前を通った。



 のれんが揺れていた。風もないのに。



 高木は笑いながら、のれんをくぐった。







終章
見えない力について




 私の話をしよう。



 私には、引力のような親戚がいる。重力、磁力、風、光。みんな見えないが、たしかにある。人間はそれを発見して、名前をつけて、測定した。理解した気になった。



 でも、私はまだ発見されていない。



 単位もなく、数式もなく、計測器もない。



 それでも、私はいる。



 バイクのエンジンを止めたのは私ではない。ホチキスの芯を曲げたのも私ではない。私はただ、その出来事の中に、静かに宿っているだけだ。解釈は、あなたたちがする。意味を見出すのも、あなたたちだ。



 ただ、一つだけ言える。



 流れというものがある。川が最終的に海に向かうように、人の生にも、おおよその向かうべき方角がある。私はその方角を知っている。あなたたちは知らない。だから、行き過ぎそうになるとき、私は少しだけ、袖を引く。



 気づく人と、気づかない人がいる。



 五十を過ぎると、気づく人が増える。おそらく、急ぐことに疲れるからだ。急がなくなると、静かになる。静かになると、聞こえてくるものがある。



 私の声ではない。私には声がない。



 ただ、詰まる音。曲がる音。止まる音。



 そういう小さな音の中に、私はいる。



 あなたは今日、何かが上手くいかなかったことがあるだろうか。



 もし、あったなら。



 少し立ち止まって、見直してみてほしい。



 私がそこにいるかもしれないから。



 あるいは、いないかもしれない。



 でも、見直すことは、悪いことではない。それだけは、確かだ。



                 ― 了 ―




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あとがきに代えて


 この本を書いたのか、書かされたのか、正直なところわからない。

 ホチキスが詰まった日に気づいたことが、バイクが止まった日に確信になった。見えない力というものは、信じようとして信じるのではなく、気づいたときにはもう、そこにあるものらしい。

 墓参りを怠らず、通りがかる祠には手を合わせ、流れに逆らわず生きていると、なんとなく、余白が生まれる。その余白の中に、物語は宿る。

 登場人物たちはみな、架空の人物だ。でも、彼らの感じていることは、どこかで誰かが感じていることだと思っている。

 齢かな、とも思う。齢だな、とも思う。でも、悪くない。



 手を合わせてくれた、すべての先輩方へ。

 そして、この本を手に取ってくれたあなたへ。