【おまんま】と【長生き】の哲学
〜鳴海仙人の「20の教え」に振り回された男の記録〜
まえがき
人は時々、「人生の正解」が知りたくなります。
恋人の作り方。
結婚の仕方。
お金の貯め方。
健康で長生きする方法。
誰かが答えを教えてくれたら、どんなに楽だろうと思うことがあります。
けれど世の中の答えというものは、たいてい難しく、面倒で、時には意識が高すぎて疲れてしまいます。
そんな中、この物語に登場する鳴海仙人の教えは、驚くほど雑です。
「普通でOK」
「使わないこと」
「食べないこと」
そして最後には、「自ら命を断たないこと」。
あまりにも単純で、時にふざけていて、少し下品で、かなり適当。
なのに、なぜか心のどこかに引っかかる。
人生とは、案外そんなものなのかもしれません。
この物語は、一枚の怪しい巻物に振り回されながら、少し遠回りし、たくさん笑い、少しだけ賢くなっていく、ある普通の男の記録です。
もし最近、人生に疲れていたり、難しく考えすぎていたり、あるいはただ笑いたかったりしたなら、肩の力を抜いて読んでみてください。
そしてできれば、お茶でも飲みながら、ゆっくり、おまんまを噛みしめながら。
さて。
それでは、鳴海仙人の少々迷惑で、たぶん少し優しい二十の教えをどうぞ。
プロローグ
巻物との遭遇
世の中のあらゆる悩みには、すでに答えが出ているらしい。
少なくとも、本屋に並ぶ本たちはそう言っている。
「絶対に失敗しない投資術」
「誰でも三週間で人生が変わる習慣」
「たった一日五分で異性にモテる心理学」
そんな本が平積みされているたび、三十三歳独身、平凡以下でも平凡以上でもない会社員・佐藤一郎は、少しだけ腹が立った。
――そんなに簡単なら、なぜ私は独身なのだ。
給料は普通。顔も普通。身長も、よく見れば普通。営業成績も「まあ普通ですね」と上司に言われる程度。
趣味は動画視聴。休日は洗濯、昼寝、スーパー。
人生に派手な敗北もない代わりに、劇的な勝利もない。
唯一の問題があるとすれば、恋人がいないことくらいだった。
「普通って、意外と苦しいんだよな……」
土曜の昼、カップ焼きそばをすすりながら呟いた、その翌週。
一郎は、人生最大級の厄介事を祖父から押しつけられる。
「一郎、お前にこれを託す」
正月に帰省した実家。
居間でみかんを食べていた一郎に、祖父が妙な和紙の束を差し出した。
巻物だった。
いや、正確には“巻物っぽい何か”。
紙は茶色く変色し、端はボロボロ。ところどころ醤油のようなシミまでついている。
どう見ても、歴史的価値より先にカビを心配するべき代物だ。
「……何これ」
「ひいじいさんの、そのまた上が、場末の天才から授かったらしい」
「全部うさんくさいな」
「人生の答えが書いてある」
一郎は笑った。
祖父は真顔だった。
怖かった。
「鳴海仙人という人の教えらしい」
「誰」
「知らん」
「知らんのかい」
祖父は熱いお茶をすすった。
そして静かに言った。
「お前、彼女おらんだろ」
一郎の胸が刺された。
「……いますけど?」
「嘘つくな。親戚全員知っとる」
一郎は負けた。
祖父は巻物を押し付けた。
「困った時に読め」
「いらない」
「読むまで帰さん」
帰りたい。
だが祖父は本気だった。
しかたなく一郎は巻物を広げた。
そこに書いてあった第一条を見た瞬間、彼の人生は、静かに狂い始める。
第一条
彼女の作り方
まずは身なりを整えよ
特に! は不要
普通でOK
いや 普通でなきゃ NO!
気取るな
嘘をつくな
カネを使え
足を運べ
まめに動け
欲を言うな
以上…
「……なんだこれ」
妙に説得力があった。
というか、普通に正論だった。
「普通でなきゃNO!」の圧がすごい。
一郎は巻物を閉じた。
そしてその夜、珍しく真面目に考えた。
――俺、普通じゃないのか?
翌週。
彼は美容室にいた。
「今日はどうされます?」
若い美容師が微笑む。
一郎は深呼吸し、人生で最も真剣な顔で言った。
「一番普通にしてください」
美容師が固まった。
「……普通、ですか?」
「はい。普通でなきゃNOらしいんで」
「誰に?」
「仙人に」
美容師は一瞬だけ遠くを見た。
「ああ……そういう感じですね」
何が“そういう感じ”なのかは知らない。
十分後。
一郎は“ものすごく普通”になっていた。
鏡を見ても印象がない。
記憶に残らない。
証言者の少ない容疑者みたいな髪型だった。
しかし、巻物は言っている。
普通でOK。
いや、
普通でなきゃNO!
ここから、一郎の人生は巻物中心に回り始める。
会社の同僚・鈴木真理にも、彼は異様に真面目になった。
「鈴木さん」
「はい?」
「僕は普通の男です」
「急に何」
「貯金も普通、顔も普通、収入も普通です」
「う、うん」
「でも、まめに動きます」
「え?」
「カネも、給料の範囲内で使います」
「怖い怖い怖い」
だが鈴木は笑った。
少し困ったように。
そして少しだけ安心したように。
「……なんか、一郎くんって変だけど、嘘なさそうだよね」
その言葉に、一郎の胸は高鳴った。
巻物、効いてる。
効いてしまっている。
だが彼はまだ知らなかった。
この巻物が、人類の恋愛常識を時々盛大に踏み外すことを。
そして。
第二条が、その静かな恋愛を奇妙な方向へ加速させることを――。
第一章
凡人の恋愛、深淵の家族
恋愛というものは、たいてい勘違いから始まる。
そして三十三歳独身、普通を極めようとする男・佐藤一郎の場合、その勘違いは“巻物”から始まった。
⸻
鈴木真理と食事へ行く約束を取り付けた翌日。
一郎は再び巻物を開いた。
人生において最も危険な瞬間とは、「ちょっとうまくいった時」である。
調子に乗る。
人はだいたい、それで失敗する。
だが一郎には鳴海仙人がいた。
安心である。
たぶん。
第二条
彼氏の作り方
欲を言うな
それ以上を求めるな
まずは己を知るべし
以上…
「……深い」
深いのか雑なのか、もはや判断がつかない。
だが、一郎は真面目だった。
真面目すぎた。
彼はノートを取り出し、自分のスペックを書き始めた。
【佐藤一郎の己】
顔:中の下〜中
年収:普通
運動神経:やや終わっている
会話力:沈黙寄り
特技:スーパーの半額シールを見つける速度
「うん、欲を言わない方がいいな」
自己分析の結果、一郎は現実を受け入れた。
そして鈴木さんへの態度が、急に“仏”みたいになる。
初デート。
駅前のファミレス。
一郎はメニューを見ながら言った。
「高いの頼んでください」
「えっ?」
「僕、欲を言わないので」
「意味わかんない」
「己を知ったんです」
「怖いって」
だが鈴木は笑った。
一郎の変な真面目さが、妙に安心感を生んでいた。
派手じゃない。
押しつけない。
変だけど嘘がない。
その結果、気づけば二人は毎週会っていた。
デートコースも異様に地味だった。
ファミレス。
イオン。
公園散歩。
スーパー。
たまに図書館。
夜九時前解散。
健全を通り越して、老人会みたいな恋愛だった。
だが安定感はすごかった。
三週間後。
鈴木がぽつりと言った。
「一郎くんってさ」
「はい」
「本当に、それ以上求めないよね」
「欲を言うなって仙人が」
「仙人誰なの」
「知らないです」
「知らないの!?」
鈴木は笑った。
そして少しだけ顔を赤くした。
「……でも、なんか安心する」
一郎の心臓が跳ねた。
これは。
これはもしかして。
巻物、神では?
だが、人生はそんなに甘くない。
恋愛が少し進むと、人は次を考える。
未来だ。
結婚だ。
家族だ。
ある夜、公園のベンチで鈴木が言った。
「私たち、このままどうなるのかな」
その瞬間。
一郎の頭に警報が鳴った。
どうなる!?
どうすれば!?
一郎は帰宅後、靴も脱がずに巻物を広げた。
そして絶句した。
第三条
結婚の仕方
作っちゃえ!
子供
以上…
第四条
子供の作り方
やるべし!
以上…
追伸
心 清らかにしてから…
あれ?
そりゃ〜ムリか?
笑
「順番!!!」
深夜二時。
アパートに絶叫が響いた。
「仙人!! おかしい!!」
どう考えても順番がおかしい。
というか雑だ。
雑すぎる。
しかも最後。
そりゃ〜ムリか?笑
笑うな。
何を他人事みたいに笑っている。
一郎は額を押さえた。
普通を極めた結果、彼と鈴木はまだ手も繋いでいない。
いきなり第三条で飛躍しすぎである。
翌週。
喫茶店。
一郎は真剣な顔で鈴木を見た。
「鈴木さん」
「なに?」
「人生の順番について相談があります」
「重い」
「結婚って……どう思います?」
鈴木がコーヒーを吹きそうになった。
「急!!」
「あと子供についても」
「急すぎる!!」
「でも仙人が」
「また仙人!?」
鈴木は腹を抱えて笑い始めた。
涙が出るほど笑っていた。
「一郎くん、変すぎる」
「すみません」
「でも」
彼女は笑いながら言った。
「たぶん、そういう真面目なところ嫌いじゃない」
その瞬間、一郎は少し泣きそうになった。
恋愛経験の乏しい男にとって、“嫌いじゃない”は実質プロポーズに近い。
数ヶ月後。
二人は普通に付き合い始めた。
普通に恋をした。
普通に喧嘩もした。
普通に仲直りした。
そして数年後。
普通に結婚した。
結局、第三条と第四条の順番だけは完全に無視した。
現代社会の倫理と法律のほうが勝ったのである。
だが。
結婚生活というものは、平和が続くと人を余計な方向へ考えさせる。
ある晩。
食卓で妻が何気なく言った。
「もし子供できたらさ」
「うん」
「男の子かな、女の子かな」
一郎の箸が止まった。
その瞬間。
脳内で巻物が勝手に開いた。
――第五条。
いやな予感しかしなかった。
第二章
アルカリ性の男、生物学的神秘への暴走
結婚というものは、穏やかな日常の連続である。
朝起きて、顔を洗い、仕事へ行き、帰宅し、夕飯を食べ、「今日スーパーで卵安かったよ」と報告し合いながら生きていく。
少なくとも、一郎はそう思っていた。
だが、平穏というものは長く続くと、人を妙な方向へ賢くさせる。
つまり――余計なことを考え始める。
そして、佐藤一郎の家には余計なことを増幅させる古びた巻物があった。
ある夜。
味噌汁をすすりながら、妻・真理が言った。
「ねえ」
「うん」
「もし子供できたら、男の子かな、女の子かな」
その瞬間。
一郎の脳内で、バサァァッと巻物が開いた。
いや、開いてしまった。
やめろ。
嫌な予感しかしない。
しかし彼の身体は、もはや反射的に立ち上がっていた。
「ちょっと待って」
「え?」
「確認してくる」
「何を?」
「人生を」
「怖い怖い怖い」
一郎は寝室へ駆け込んだ。
そして巻物を開き、沈黙した。
第五条
男の子の作り方
まずはストレスを無くし
身体を清め
アルカリ性を保ち
深く挿入し
沢山出すべし!
異常
いや 以上…
第六条
女の子の作り方
その逆
以上…
「雑!!!!」
雑すぎる。
だが妙に具体的だ。
そして何より、一郎は真面目だった。
真面目な人間ほど、怪しいものを真剣に信じると危ない。
翌日から、一郎は変わった。
いや。
壊れ始めた。
まず、食生活。
「酸性は危険だ」
という謎理論のもと、一郎は突然アルカリ性食品に執着し始めた。
キャベツ。
ほうれん草。
海藻。
豆腐。
納豆。
わかめ。
気づけば冷蔵庫は、ほぼ畑になった。
真理が言う。
「今日の晩ご飯、またキャベツ?」
「アルカリだから」
「何目指してるの?」
「未来」
「怖い」
レモンも避けた。
酢も恐れた。
梅干しを見る目まで敵意を帯び始めた。
会社ではさらに悪化した。
「佐藤!」
上司の怒声。
「この資料なんだ!」
普段なら心が削れる場面。
だが一郎は静かだった。
いや、静かすぎた。
心の中で唱えていた。
アルカリ……アルカリ……
「聞いてるのか!」
ストレスを無くせ……男の子……アルカリ……
「おい!」
「はい!」
「反省してんのか!」
「身体を清めます!」
「何の話!?」
同僚たちは少し距離を置き始めた。
昼休み。
社員食堂。
後輩が小声で言う。
「佐藤さん最近やばくないですか」
「宗教かな」
「いや健康系かも」
「キャベツ教?」
惜しい。
仙人教だった。
夜。
風呂。
一郎は異様に身体を洗っていた。
洗う。
また洗う。
さらに洗う。
タオルが悲鳴を上げるほど洗う。
真理が脱衣所から声をかける。
「一郎くん?」
「うん」
「もう四十分入ってるよ」
「身体を清めてる」
「何から」
「運命」
「何それ」
真理は少し本気で心配し始めた。
そして最も危険だったのが、
『沢山出すべし!』
である。
一郎は意味を勝手に拡大解釈した。
「体力だ」
「栄養だ」
「生命力だ」
という結論に至り、急にプロテイン生活を開始。
朝プロテイン。
昼プロテイン。
夜プロテイン。
気づけば肩幅が微妙に広くなっていた。
真理が言う。
「あなた何になるの?」
「父親」
「怖いって」
だが地獄はここからだった。
ある夜。
ふと続きを見た一郎は固まった。
第七条
双子の作り方
抜かずの2回
以上…うそ
第八条
3つ子の作り方
それは…
そう
そんな感じ
でも
3回は…
ムリ?
かもねえ
以上…
「うそ!?!?」
深夜二時。
リビングに絶叫が響いた。
真理が飛び起きる。
「なに!? 地震!?」
「仙人が嘘ついた!!」
「誰!?」
「双子!!」
「何言ってるの!?」
一郎は巻物を突きつけた。
真理は読んだ。
数秒沈黙した。
そして。
声を出して笑い始めた。
「なにこれ!!」
涙を流して笑っている。
「“うそ”って書いてる!」
「適当すぎる!!」
「三つ子、“そんな感じ”って!」
夫婦で深夜に爆笑した。
腹を抱えた。
涙が出た。
あまりにくだらなくて。
そして、その夜ふと真理が言った。
「なんかさ」
「うん?」
「変な巻物だけど」
「うん」
「最近、前より笑ってるよね私たち」
一郎は少し黙った。
確かにそうだった。
普通の毎日。
普通の夫婦。
でも巻物のせいで、日常が少しだけ面白くなっていた。
仙人。
たぶん変人。
でも。
もしかしたら、少しだけ優しい人だったのかもしれない。
……いや。
まだそう思うのは早かった。
次の条文で、一郎の人生は再び壊れる。
その名も。
愛人の作り方。
第三章
ひろし問題、あるいは人生最大の誤解
人間というものは、平和が続くと余計なことを考え始める。
結婚三年目。
佐藤家は平和だった。
朝は味噌汁。
夜はスーパーの見切り品談義。
休日はホームセンター。
夫婦喧嘩の理由は、
「食パンを冷蔵庫に入れるか否か」
程度である。
平和すぎた。
そして平和な人間は、時に愚かな好奇心を持つ。
ある夜。
真理が寝静まったあと、一郎はなんとなく巻物を開いた。
理由は特にない。
しいて言えば、
暇だった。
そこで目に飛び込んできたのが、第九条だった。
第九条
友達の作り方
常に
相手の立場で物事を考えて
ウソはなし
損得も抜き
笑顔で
対等よりは
少々 腰を低く
以上…
「……普通に良いこと言うな」
むしろ社会人研修で配ってほしい。
一郎は翌日から実践した。
会社で後輩に言う。
「困ってたら言って」
「え?」
「損得抜きで」
「佐藤さん急にどうしたんですか」
コンビニ店員にも笑顔。
マンション管理人にも笑顔。
結果。
少しだけ人間関係が良くなった。
同僚に昼飯へ誘われる回数も増えた。
真理が言った。
「最近、なんか感じ良くなったね」
「仙人」
「もう驚かない」
だが。
鳴海仙人は人を油断させてから落とす。
問題は第十条だった。
第十条
愛人の作り方
ひろし〜
おせえ〜〜て〜〜?
あっ!
すまん…こ
以上…
「……は?」
一郎は二度見した。
三度見した。
上下逆にもした。
意味は変わらなかった。
「ひろし誰だよ!!!」
深夜一時。
マンションに悲鳴が響く。
寝室から真理。
「今度は何!?」
「ひろし!!」
「誰!!」
「知らない!!」
「じゃ寝て!!」
翌朝。
一郎の脳内は“ひろし”に占拠されていた。
会社で課長が話していても、
ひろし……
昼飯中も、
ひろし……
帰宅途中も、
ひろしとは……
そして運命の日。
会社名簿を見てしまう。
いた。
営業二課。
田中宏(ひろし)
一郎は立ち上がった。
「いた……」
後輩が引いた。
「佐藤さん?」
「いたんだ……」
昼休み。
営業二課。
「すみません」
「はい?」
四十代くらいの穏やかな男性が振り返る。
田中宏。
ひろし。
一郎は真顔で言った。
「愛人ってどう作るんですか」
空気が止まった。
コンビニ袋を持つ社員が凍る。
コピー機が動きを止めた気がした。
田中宏は三回瞬きをした。
「……え?」
「巻物に」
「何の話?」
「ひろしに教えてもらえって」
沈黙。
数秒後。
ひろしが言った。
「君、疲れてる?」
その日の夕方。
なぜか総務から
メンタルヘルス相談窓口の案内
を渡された。
だが、一郎は諦めない。
町内会のひろし。
居酒屋店員のひろし。
保険屋のひろし。
見つけるたび聞いた。
「愛人ってどう作るんですか」
結果。
変な人認定された。
当然である。
そしてある夜。
真理に全部バレた。
「あなた」
「はい」
「最近、“ひろし”探してる?」
「……」
「愛人って何?」
一郎は土下座した。
違う。
本当に違う。
これは学問なのだ。
人生研究なのだ。
説明すると、真理は五秒黙った。
そして爆笑した。
「バカじゃないの!?」
涙を流して笑っていた。
「“すまん…こ”で終わってるじゃん!」
「確かに」
「これ絶対、仙人わかんなくて逃げてるだけ!」
その瞬間。
一郎は悟った。
――仙人、適当だ。
人生の真理を言う時もある。
だが時々、普通に逃げる。
そんな人なのだ。
しかし次の条文で、一郎は再び混乱する。
なぜならそこには、
夫婦という生き物にとって極めて危険なテーマが待っていたからである。
おっぱいと、おちんちんと、おまんま。
第四章
おまん…の真実と、夫婦の平和
結婚生活というものは、不思議である。
付き合っていた頃は、ちょっとした言葉で胸が高鳴った。
名前を呼ばれるだけで嬉しかった。
手を繋ぐだけで事件だった。
だが数年も経つと、
「醤油取って」
「ティッシュ」
「風呂まだ?」
で会話が成立する。
それは冷めたという意味ではない。
むしろ、暮らしに馴染んだということだ。
夫婦とは、だいたいそんなものである。
そして佐藤一郎は、そんな穏やかな暮らしのなかで、再び余計なことを始めようとしていた。
原因はもちろん、巻物だ。
ある夜。
真理がテレビを見ながら言った。
「最近あなた、巻物見て静かになると怖い」
「今回はたぶん大丈夫」
「前もそう言ってた」
一郎はページを開いた。
そして、嫌な沈黙が訪れる。
第十四条
おっぱいの触り方
後から
前から
いやいや
お好きなよ〜に!
ど〜ぞ!
以上…
第十五条
おちんちんの…
それも
ど〜ぞ勝手に…
いや
そ〜っと
いやいや
ぎゅっ! と
いやいやいや
もっと…
ん〜?
以上…
「雑!!!!」
雑すぎる。
説明責任を放棄している。
最終的に
ん〜?
で逃げるな。
真理に見せると、彼女は腹を抱えて笑った。
「仙人、絶対途中で面倒くさくなってる!」
「人生の先生じゃないの?」
「疲れる先生だねえ」
二人はしばらく笑った。
だが。
問題は次だった。
一郎は第十六条を見た瞬間、息を呑んだ。
そこには、妙に丁寧で、静かで、やけに含みのある文章が書かれていた。
第十六条
おまん…
決して慌てず
ゆっくりと
少しづつ入れて
静かに
優しく
何度も
良く噛んでから…
おまんまの食べ方
以上…
「……あぶな」
危なかった。
危うく早合点するところだった。
いや、たぶん仙人は狙っている。
絶対に狙っている。
しかし、一郎は妙に感動してしまった。
ゆっくり。優しく。よく噛んで。
たしかに、食べることは生きることだ。
これまでの人生。
彼はいつも急いでいた。
朝は立ったままパン。
昼はスマホを見ながら牛丼。
夜はテレビを見つつ流し込む。
だが仙人は言う。
慌てるな。
翌日から、一郎は変わった。
また変な方向に。
夕食。
炊き立ての白米。
味噌汁。
焼き魚。
真理が席につく。
その前で一郎は姿勢を正した。
「いただきます」
静かだった。
妙に厳かだった。
そして。
箸で白米を少量持つ。
ゆっくり口へ運ぶ。
噛む。
噛む。
さらに噛む。
沈黙。
噛む。
「……何してるの?」
「おまんま」
「え?」
「決して慌てず」
もぐもぐ。
「ゆっくりと」
もぐもぐ。
「少しづつ」
「怖い」
「良く噛んでから」
「気持ち悪い」
真理は即答した。
しかし一郎は真剣だった。
米の甘み。
湯気。
味噌の香り。
魚の塩気。
不思議と、全部が前より美味しかった。
気づけば夫婦の食事時間が少し長くなった。
会話も増えた。
仕事の話。
スーパーの特売。
子供の話。
将来の話。
なんでもない話。
ただ一緒に、ゆっくり食べた。
ある夜。
真理がふと言った。
「最近さ」
「うん?」
「ご飯、美味しいね」
一郎は少し笑った。
「仙人のおかげかも」
「悔しいけどね」
真理も笑った。
ふざけた巻物だった。
下品で雑で適当で、ひろし問題まである。
なのに。
たまに核心を突いてくる。
人生とは案外、
ちゃんと食べること
なのかもしれない。
……そんな風に、一郎が少しだけ仙人を見直しかけた時だった。
次のページ。
そこには再び、家庭崩壊寸前の教えが待っていた。
第十七条
外国語の覚え方
その国に彼(彼女)を作ること
以上…
「終わった」
最終章前編
外国語とオカネと、食べない男
人生には、たまに
「いい話だったのに台無し」
という瞬間がある。
鳴海仙人の巻物は、その連続だった。
第十七条
外国語の覚え方
その国に彼(彼女)を作ること
以上…
「終わった……」
一郎は静かに呟いた。
真理も巻物を覗き込み、三秒後に吹き出した。
「最低!」
「いや、待って。これは語学学習効率の話かもしれない」
「浮気を学問にしないで」
「違う違う、国際交流!」
「へえ」
真理が笑顔になった。
危険な笑顔だった。
「じゃあ例えば英語なら?」
「……アメリカ?」
「アメリカに彼女?」
「いやその」
「フランス語は?」
「フランス?」
「へえ」
笑顔が増した。
怖かった。
その夜。
一郎は誓った。
外国語は独学でいい。
翌週から彼は英会話アプリを始めた。
巻物に逆らった初めての瞬間だった。
だが仙人はしつこい。
ページをめくると、今度は生活の根幹を揺さぶる真理が待っていた。
第十八条
オカネの貯め方
使わないこと
以上…
「暴論なのに正論!」
反論できない。
悔しいほど正しい。
その日から一郎は節約を始めた。
コンビニを減らす。
自販機をやめる。
なんとなく買っていた物をやめる。
気づけば財布の中身が減らなくなった。
真理が驚く。
「最近、お金残ってるね」
「仙人」
「また仙人」
「使わない」
「小学生?」
だが事実、家計は少し楽になった。
旅行積立ができた。
子供用の貯金も増えた。
派手ではない。
でも少し安心した。
そして、一郎は思う。
――仙人、やっぱり時々すごい。
その矢先。
次の条文で全部壊れた。
第十九条
体重の減らし方
食べないこと
以上…
「雑!!!!」
あまりにも雑。
雑すぎる。
だが。
一郎は少し太っていた。
三十代後半。
腹だけが地味に出始めていた。
健康診断でも言われた。
“少し運動を”
一郎は真面目だった。
だから、また真に受けた。
翌日。
朝食抜き。
昼、サラダ。
夜、豆腐。
以上。
三日後。
フラフラだった。
会議中。
意識が遠のく。
上司が言う。
「佐藤、意見あるか?」
「……仙人……」
「誰?」
昼休み。
後輩が言った。
「佐藤さん顔色やばいっす」
「食べない」
「何を?」
「人生を」
「病院行ってください」
帰宅。
真理が絶句した。
「ちょっと!何その顔!」
「痩せる」
「死ぬ!」
その夜。
久々に夫婦喧嘩になった。
「何でも巻物信じればいいってもんじゃない!」
「でも仙人が!」
「仙人は責任取ってくれないでしょ!」
静かになった。
その言葉が、一郎の胸に刺さった。
確かにそうだった。
仙人は指南する。
笑わせる。
惑わせる。
でも。
人生を生きるのは自分だ。
一郎は黙って台所へ行った。
炊飯器を開けた。
白米の湯気。
懐かしい匂い。
そして思い出した。
決して慌てず。
ゆっくりと。
良く噛んでから。
一郎は茶碗を持った。
小さく笑う。
「……おまんま、か」
真理がため息をついた。
「もう」
「ごめん」
「バカ」
でも彼女は笑った。
そして味噌汁をよそってくれた。
「食べな」
「うん」
「普通に」
「……はい」
人生に近道はない。
結局、
ちゃんと食べて、ちゃんと働いて、ちゃんと笑う。
それしかないのかもしれない。
そして。
長い年月が流れる。
白髪が増えた。
子供が育った。
夫婦で歩く速度も少し遅くなった。
ある冬の日。
古びた巻物を前に、一郎は静かに座っていた。
最後の条文を読むために。
最終章
長生きの仕方
人は、気づけば老いる。
ある日突然ではない。
少しずつだ。
階段を上る時、膝が先にため息をつく。
スマホの文字が小さくなる。
夜更かしがしんどくなる。
気づけば、鏡の中に父親みたいな顔がいる。
佐藤一郎、七十一歳。
髪はほぼ白。
腹は少しだけ出ている。
だが、顔は穏やかだった。
「あなた、また見てるの?」
キッチンから真理の声。
結婚して三十年以上。
会話は相変わらず雑だ。
でも、それが心地よかった。
「最後なんだよ」
「また仙人?」
「うん」
真理は笑った。
「ほんと好きだねえ、その怪しい紙」
「人生変えられたからね」
「半分壊されたけど」
それもそうだった。
普通を極めて変な髪型にし。
アルカリ性に狂い。
ひろしを探し。
ご飯を異様に噛み。
一時は豆腐だけで生きようとした。
なのに、不思議だった。
振り返ると、全部笑える。
全部、ちゃんと人生だった。
居間には家族写真が並んでいた。
娘の成人式。
息子の卒業式。
旅行先で撮った変な集合写真。
孫の変顔。
そして、少し若い自分と真理。
なんだかんだ、悪くない人生だった。
一郎は深呼吸し、巻物の最後を開いた。
古びた紙。
掠れた墨。
最後の条文。
第二十条
長生きの仕方
自ら命を断たないこと
以上…
一郎は黙った。
笑うと思った。
また雑なオチだと思った。
でも違った。
静かだった。
胸の奥が、少し熱かった。
ああ。
そういうことか。
仙人はずっと、
難しいことなんか言っていなかった。
モテたいなら、ちゃんとしろ。
家族は大事にしろ。
笑え。
趣味を持て。
飯を食え。
無理をするな。
生きろ。
ただ、生きろ。
そういうことだったのだ。
真理が隣に座る。
「どうだった?」
一郎は少し笑った。
「結局さ」
「うん」
「生きてりゃ勝ちなんだな」
真理は鼻で笑った。
「雑なまとめ」
「仙人っぽいだろ」
二人で笑った。
しばらく沈黙。
台所から炊き立ての匂いがした。
味噌汁の湯気。
魚の焼ける音。
真理が立ち上がる。
「ご飯よ」
一郎は巻物をそっと閉じた。
そして立ち上がる。
少しだけ腰を気にしながら。
食卓につく。
茶碗を持つ。
白米。
湯気。
変わらない匂い。
一郎はゆっくり口へ運んだ。
噛む。
噛む。
そして笑った。
「……今日も、うまいな」
真理が言う。
「また三十回噛んでる」
「仙人だから」
「まだ言う」
娘が笑う。
孫が笑う。
家族が笑う。
一郎も笑った。
人生とは、案外たいしたことではない。
気取らず。
嘘をつかず。
欲を言いすぎず。
ちゃんと飯を食って。
少し笑って。
そして、また明日を迎える。
それだけで、人間の人生は、たぶん百点満点なのだ。
外では、冬の風が吹いていた。
けれど家の中は、あたたかかった。
食卓には湯気があり。
笑い声があり。
生きてきた時間があった。
一郎はもう一口、おまんまを噛みしめた。
決して慌てず。
ゆっくりと。
良く噛んでから。
そうして今日も。
生きる。
ただ、生きる。
それでいいのだ。
【完】
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あとがき
ここまで読まれたあなたは、もう立派な“鳴海仙人被害者の会”会員です。
この物語を書きながら何度も思いました。
人生って、結局そんなに難しくないのかもしれない、と。
もちろん現実は大変です。
恋愛もうまくいかない。
家族でぶつかる。
お金に悩む。
身体もしんどくなる。
でも、だからこそ、
ちゃんと食べて、
誰かと笑って、
少しでも眠って、
また次の日を迎える。
それだけでも十分すごいことなのではないかと思うのです。
鳴海仙人の教えは雑です。
びっくりするほど雑です。
途中で投げ出すし、ひろしに丸投げするし、「ん〜?」で逃げます。
けれど、最後だけは少し優しい。
「自ら命を断たないこと」
それはたぶん、人生の最低ラインであり、最高ラインなのかもしれません。
今日もご飯が食べられた。
少し笑えた。
誰かと話せた。
それだけでも、きっと百点満点です。
どうか、慌てず、ゆっくりと、良く噛んで。
そして、また明日も。
〜おまけ 原詩〜
How to 20 …
1. 彼女の作り方
まずは身なりを整えよ
特に! は不要
普通でOK
いや 普通でなきゃ NO!
気取るな
嘘をつくな
カネを使え
足を運べ
まめに動け
欲を言うな
以上…
2.彼氏の作り方
欲を言うな
それ以上を求めるな
まずは己を知るべし
以上…
3.結婚の仕方
作っちゃえ!
子供
以上…
4.子供の作り方
やるべし!
以上…
追伸
心 清らかにしてから…
あれ?
そりゃ〜ムリか?
笑
5.男の子の作り方
まずはストレスを無くし
身体を清め
アルカリ性を保ち
深く挿入し
沢山出すべし!
異常
いや 以上…
6.女の子の作り方
その逆
以上…
7.双子の作り方
抜かずの2回
以上… うそ
8.3つ子の作り方
それは…
そう
そんな感じ
でも
3回は…
ムリ?
かもねえ
以上…
9.友達の作り方
常に
相手の立場で物事を考えて
ウソはなし
損得も抜き
笑顔で
対等よりは
少々 腰を低く
以上…
10.愛人の作り方
ひろし〜
おせえ〜〜て〜〜?
あっ!
すまん…こ
以上…
11.家族の作り方
何よりも
そこを優先すべし!
以上…
12.笑顔の作り方
楽しかったら
素直に
気取らず
思ったまま
表現すべし!
以上…
13.趣味の作り方
今 やりたいことを
我慢せずに やるべし!
そして
その道の先輩方の指導を
そのまんま
素直に受け入れるべし!
以上…
14.おっぱいの触り方
後から
前から
いやいや
お好きなよ〜に!
ど〜ぞ!
以上…
15.おちんちんの…
それも
ど〜ぞ勝手に…
いや
そ〜っと
いやいや
ぎゅっ! と
いやいやいや
もっと…
ん〜?
以上…
16.おまん…
決して慌てず
ゆっくりと
少しづつ入れて
静かに
優しく
何度も
良く噛んでから…
おまんまの食べ方
以上…
17.外国語の覚え方
その国に彼を作ること
以上…
18.オカネの貯め方
使わないこと
以上…
19.体重の減らし方
食べないこと
以上…
20.長生きの仕方
自ら命を断たないこと
以上…


