第10章 翌年の夏
夏が来た。
六月の長雨が上がり、東京は急に夏になった。蝉の声が始まり、空の色が変わった。光の質が変わった。夏の光は、春のそれとは違う。より鋭く、より直接的で、影を濃くする。
悟の生活は、外から見れば変わらなかった。
木曜日の夜に翠庵に立ち寄ることはなくなった。真由子からのメッセージも来なかった。悟からも送らなかった。それが二人の間の合意のようなものだった。明文化はしなかったが、二月の終わりにそういう空気になっていた。
だが仕事はあり、音楽はあり、コーヒーミルの音があった。
春に一度、旧友のバンドのライブを見に行った。学生時代から知っている友人が還暦近くになっても音楽を続けている。老いてもなお音楽に向かう姿勢に、自分の仕事へのモチベーションをもらうような気がした。音楽とはそういうものだ。年齢に関係なく、人を突き動かす。
五月に、久しぶりに大きな仕事が入った。国内の著名なアーティストの全国ツアーに、音響エンジニアとして参加してほしいという依頼だった。数十本の公演を回る長い旅だった。悟は引き受けた。
旅をしながら、音楽と向き合った。各地の会場は、それぞれ音の性質が違う。古いホールと新しいホール、天井の高さ、客席の形状。同じアーティストの同じ曲でも、会場が変われば音は変わる。それを毎回整えていく作業は、単純で地味だったが、悟は飽きなかった。音楽は生き物だ、と改めて思った。同じ曲を同じ人が演奏しても、二度と同じ音にはならない。その一回性が、ライブ音楽の本質だと悟は思っていた。
ツアーが終わったのは七月の半ばだった。東京に戻り、いつもの生活に戻った。コーヒーを豆から挽き、公園を歩き、仕事をする。翠庵の前を通ったことが一度あったが、引き戸は閉まっていた。中の様子は分からなかった。悟は立ち止まらず、通り過ぎた。
七月の終わり、悟は代官山のライブハウス「SOLEIL」で仕事があった。
一年前、真由子と初めて目が合った場所。
しみじみとした感覚があった。一年前にあそこに立っていた自分は、まだ真由子を知らなかった。名前すら知らなかった。半年後に翠庵の常連になり、冬に体を重ねることになる女を。人生の経路は不思議なもので、どこで誰に会うかを、誰も予測できない。
リハーサルを終えて、開演を待つ間、悟は舞台袖に立っていた。客が入ってくる。今夜はいつもより若い客が多い。ブレイクしたばかりの二十代のシンガーだ。
来るとは思っていなかった。
だがその瞬間、彼女が来た。
着物だった。
紺地に白い朝顔の柄。一年前とまったく同じ着物を着た真由子が、階段を下りてきた。一人だった。
悟の心が静かに波立った。
夏の夜のライブハウスに、着物の女が来た。一年前と同じ。だが一年前と違うのは、悟がその女を知っていること。半年間を共に過ごしたこと。彼女の声を、笑い方を、菓子を作るときの横顔を、眠るときの呼吸を知っていること。
真由子は客席に入り、自分の場所を見つけた。周囲の若い観客たちの中で、彼女だけが静止画のように存在していた。
変わらない立ち姿。変わらない背筋。
悟は仕事に戻った。
今夜の仕事は、いい仕事にしよう。それだけを考えた。一年前と同じ言葉が、頭の中で鳴った。
ライブが始まった。若いアーティストの音楽は、悟が普段手がけるものとは違うジャンルだったが、それがかえって面白かった。新鮮な音楽に新鮮な耳で向き合える。音楽への好奇心は、五十二歳になっても衰えていなかった。
終演。照明が戻った。
悟は機材を確認しながら、視野の端で真由子を探した。客席を抜けてロビーへ向かっている。
悟は舞台袖を出た。
ロビーで真由子は立ち止まり、上着を羽織っていた。一人だった。周囲の観客が出口へ急ぐ中、彼女だけがゆっくりしていた。
そのとき彼女が振り返り、悟と目が合った。
一秒か、二秒か。
一年前と同じだった。
だがその目の中に、一年前になかったものがあった。二人だけが知っている何かが、その目に含まれていた。半年間の何かが。翠庵の蝋燭の光が。霜夜という菓子の香りが。元日の朝の赤い着物が。
「こんばんは」と真由子が言った。
「こんばんは」と悟が言った。
「今夜も、いい音でした」
「ありがとうございます」
人混みが二人の周りを流れていた。
「お元気でしたか」と悟は聞いた。
「おかげさまで。店が忙しくて、夏の新作で手がいっぱいで」と真由子は言った。「夫が手伝ってくれているので、助かっています」
「そうですか」
「あなたは?」
「春からツアーで全国を回っていました。先週戻ってきたところです」
「お疲れ様でした」
「楽しかったです」
二人は少しの間、笑みを含んだ沈黙の中にいた。言いたいことはあった。聞きたいことも。だが今夜は、それでよかった。
「また来ます、ライブ」と真由子が言った。
「待っています」と悟は言った。「音のいい夜を」
「ええ」
真由子は会釈して、人混みの中に消えた。
悟は動かなかった。
彼女は今、夫と共に生きている。「手伝ってくれている」という言葉の中に、日常があった。翠庵を中心に、また二人の生活が回り始めている。
それでいい、と悟は思った。本当に、それでいいと思っていた。
ただ目が合って、少し言葉を交わして、それだけだった。それで十分だった。
夏はまだ始まったばかりで、心が躍るほどではないかもしれない。だが心が静かに温かくなるような夏だった。焚き火の記憶を胸に抱えながら、建物の中を歩いていけるような、そういう夏だった。
悟は舞台袖に戻った。
仕事が残っていた。音楽が待っていた。
コーヒーミルの回転音が、頭の中で鳴った。
夏の夜はまだ続いていた。
エピローグ —— 共犯者の独白
夢の話をしよう。
五十二歳の夏、私は夢の中で名前も知らない女を抱いた。目が覚めたとき、その温もりだけが残っていた。
夢の中でだけ許された、現実逃避な場面。
その夢が、現実になった。
現実になってみて分かったことがある。現実は夢より柔らかく、夢より切ない。
夢の中の女は完璧だった。夢だから。現実の真由子は完璧ではなかった。傷つき、迷い、乾いた優しさを夫に感じながら、それでも二十三年の積み重ねを守っている女だった。その完璧ではなさが、愛おしかった。
女という字は変化する。
真由子は妻であり、職人であり、私の共犯者だった。どれが本当の姿か、と問うのは無意味だ。全部が本当の姿だ。
男という字は変化しない。
私はただの男で、五十二歳で、コーヒーを豆から挽き、音を空気に溶かす仕事をしている。それだけだ。真由子と過ごした半年が、私を変えたかどうか、自分では分からない。変わっていないかもしれない。でも、天井の染みを見る目が少し変わったような気がする。あれは雨漏りの跡ではなく、何かが内側から滲み出てきた痕のように見えるようになった。
真由子のことを思い出すのは、着物の女を見たときだ。着物でなくてもいい。背筋が通った女を見たときだ。人生を重ねて、サボらずやってきた女の美しさを見たときだ。
そのとき私は少しだけ彼女を思い出す。翠庵の蝋燭の光を、霜夜という菓子の柚子の香りを、赤い着物の鮮やかさを。
共犯は続いているのか。
続いていない。でも、終わってもいない。
二人の間にあったものは、形を変えてどこかに残っている。音楽がホールに消えた後でも、その余韻が人の体の中に残るように。
夏はまた来る。また目が合うかもしれない。それだけでいい。
男は永遠に騙されたままでいい。その方が美しいものを見続けられる。
今朝もコーヒーを淹れた。豆を挽く音が台所に響いた。外では蝉が鳴き始めていた。夏の朝は早い。
窓の外の空が、眩しかった。
あとがき
書き終えて、最初に思ったのは「夏が終わったな」ということでした。
作中の時間も、現実の執筆期間も、夏から始まり夏で終わった。季節に導かれて書いた小説だったと思います。
桐島悟は私ではないし、田中真由子も誰か特定の人をモデルにしたわけではありません。
ただ「五十を過ぎて、もう恋などしないと思っていた人間が、それでも誰かに心を動かされる瞬間」を書きたかった。それは若い頃の恋とは違う。焦りも全能感もない代わりに、諦めと覚悟が同居している。そういう恋です。
作中で悟が言う「男という字は変化しない。女という字は変化する」という一節があります。
これは決して男女論を語りたいわけではありません。変化できない人間が、変化するものの美しさをどう受け止めるか。そんなことを考えていました。
真由子の夫・俊介を悪者にしなかったのは、そうしたかったからです。
誰も悪くないのに、誰かが傷つく。それが大人の関係の難しさであり、同時に現実だと思うのです。
もしあなたが読み終えて、夏の夜の生温い風や、コーヒーミルの音や、着物の衣擦れを少しでも感じてくれたなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
また次の夏に、どこかで。


