ポルシェで追いかけてきた男

――環八の哲、青春滑稽譚――

田中哲夫(七十余歳) 著


〜まえがき〜

この物語は、昭和の終わりごろ、東京の西側を走る環状八号線と第三京浜を主な舞台として繰り広げられた、ある若者の滑稽な青春の記録である。

主人公の名前は田中哲夫。当時二十三歳。月給十二万円。自動車部品商の新入り社員。昼飯はコンビニのおにぎり一個。愛車はイタリア製の古い中古車で、缶スプレーで自家塗装済み。

彼はなぜか「環八の哲」と呼ばれていた。

本人が言うには「意味はない」らしいが、読んでいただければわかる通り、いくつかの点において非常に意味のあるあだ名だったと思う。

さあ、エンジンをかけよう。

ウェーバーの4連が吼えるかどうかはともかくとして。





第一章 ミッションが逝っちまった夜

俺の名前は田中哲夫、二十三歳。

身長は百七十ちょうど。体重は——まあ、そこはどうでもいい。大事なのは俺が、その頃すでに「環八の哲」などというおそろしく大仰なあだ名を仲間内に頂戴していたという事実だ。

「環八の哲」。

いかにも速そうじゃないか。いかにも只者じゃなさそうじゃないか。

実態はといえば、月給十二万円の自動車部品商の新入り社員で、昼飯はほぼ毎日コンビニのおにぎり一個、夜は仲間の家に転がり込んでカップ麺をすすっているというありさまだったが、まあそういう細かい話は置いといて。

問題はその夜だった。

真夜中の環状八号線。通称・環八。東京の西側をぐるりと囲むあの道路は、昭和の終わりごろ、深夜になると不思議な生き物たちが集まる場所だった。チューンドカーを持て余した若者たちが、それぞれの愛車を引っ提げて出没し、信号と信号の間で鬼のように踏み込み、また次の信号で素知らぬ顔で止まる——そういう文化が、公然と、しかし一応はこっそりと、息づいていた時代の話だ。

俺はその夜、イノチェンティのミニに乗っていた。

フルローンで手に入れた、俺の初めての愛車である。イノチェンティというのはイタリアのメーカーで、イギリスのミニをライセンス生産していた。ただでさえ小さいミニが、なぜかイタリア人の手にかかるとさらに濃くなるというか、個性が爆発するというか——まあとにかく、普通のミニよりもさらに変な車だった。

俺はこれが大好きだった。

「環八の哲」の愛車にしては、いくらなんでも小さすぎるという声は聞こえなかったことにして。

さて。その夜の対戦相手は、スキャットでチューンしたワーゲンだった。

スキャットというのはチューニングショップの名前で、フォルクスワーゲンのエンジンをいじって速くするところだ。チューンドワーゲンというのはこの時代、なかなか侮れない存在で、外見はのんびりとした甲虫なのに、信号が青になった瞬間に恐ろしいダッシュをかますという、ある種の詐欺みたいな車だった。

「行くか」と俺は心の中でつぶやき——実際には声に出していたが、相手には聞こえていなかったはずだ——アクセルを踏んだ。

ミニが唸った。

ワーゲンも唸った。

結果から言うと、俺は負けた。

それだけならまだよかった。問題は、興奮のあまりクラッチミスをしたことだ。

ガキンッ——という音がして、ミッションが逝った。

正確に言えば、ミッション内部のどこかが逝ったのだろうが、その夜の俺にはそんな細かいことを考える余裕はなかった。路肩に止まり、ハザードを焚き、うなだれた。エンジンはかかっている。でも車は動かない。

「環八の哲」の夜は、あっけなく終わった。


第二章 修理屋のオヤジと銀色の遺産

翌朝、なけなしの貯金をはたいてレッカーを呼び、俺はミニを近所の修理屋に運んだ。

「斎藤自動車」という看板を掲げたその店は、環八からちょっと入ったところにある、古い古い工場だった。外観は廃墟と見分けがつかないが、中に入るとエンジンの音と油のにおいが充満していて、なんだかんだで仕事はしているらしかった。

オヤジは六十がらみで、全身に油を染み込ませた作業着を着ていた。顔も油っぽかった。きっと生まれたときから油まみれで、死ぬときも油まみれなんだろうなという感じの人だった。

「ミッション、ね」とオヤジは言った。「見てみないとわかんないけど、高くつくよ」

「どのくらいですか」

「ん~、五万は見といたほうがいいね。部品があればの話だけど」

五万。

俺の月給の半分に近い数字が、工場の油っぽい空気の中に浮かんだ。

「ちょっと、払えるかわからないんですけど」と俺は正直に言った。カッコ悪いとは思ったが、嘘をついてもしょうがない。

オヤジは俺をじろじろ見た。新入り社員特有の、貧相だが若さだけはある、という風貌を観察するように。

「そうか。じゃあ、こういうのはどうだ」

オヤジが指差したのは、工場の片隅に停めてある一台の車だった。

銀色のボディ。長いボンネット。流れるようなクーペのフォルム。

俺はその車を見て、首を傾げた。なんとなく見たことはある。でも車種まではわからない。

「アルファロメオだよ」とオヤジは言った。「1750GTヴェローチェ。つい最近入ってきたやつでね。前のオーナーが手放したんだ。古いけど、まあ、なかなかいいもんだよ」

「これと素交換ですか」

「そう。ミニと取り換えっこ。どうだ?」

俺はもう一度、その銀色の車を見た。

アルファロメオ。

なんとなく、金持ちの車、というイメージしかなかった。俺みたいな人間が乗る車ではない、というか。でも目の前の現実として、俺にはミニの修理代を払う金がない。

「少し、乗ってみてもいいですか」

「どうぞ」

俺は助手席のドアを開けた。

ガボッ——という音がした。

ドアの建付けが、すでにそこそこヤバかった。

しかし、シートに座ってエンジンをかけた瞬間、俺の中で何かが変わった。

ツインカムの4気筒が目覚め、ウェーバーの4連キャブが空気を吸い込み始める音。タコメーターの針が、まるでロータリーエンジンみたいに軽やかに、しかし力強く上がっていく。

「これ、速いですか」と俺は聞いた。

「速いよ」とオヤジは言った。「ただ、ドアの底に水が溜まってるし、トランクも雨漏りしてるし、錆もそこそこ出てるし、まあいろいろ問題はあるけどね」

「でも、エンジンは?」

「エンジンは元気だ」

それで十分だった。

そのとき俺はまだ知らなかったのだが、のちにこの車は俺の人生を大きく変えることになる。まあ変えるといっても、大半はろくでもない方向に変えるのだが、それはまた後の話だ。


第三章 白く塗られた哲とピレリのP7

アルファロメオ・1750GTヴェローチェを手に入れてから、俺はしばらくこの車のことを研究した。

といっても図書館に行くわけでも本を買うわけでもなく、仲間の中でちょっと詳しそうなやつに話を聞いてまわるという、きわめてアナログな研究方法だったが。

わかったことは三つ。

一つ目。アルファロメオというのはイタリアの名門メーカーで、レースでも伝説的な実績を持つ、由緒正しいブランドだということ。

二つ目。1750GTヴェローチェに積まれているツインカムエンジンは、非常によくできたエンジンで、適切に整備されていれば驚くほど気持ちよく回るということ。

三つ目。イタリア車は壊れる。とにかく壊れる。壊れることで有名。壊れることがアイデンティティ。

三つ目に関しては、入手してわずか三日で実感することになった。

まずドアの底に溜まっていた水が、走行中に車内に染み出してきた。助手席の足元がじわじわと濡れていくのを発見したとき、俺は「まあ、こんなもんか」と思った。この鷹揚さが後々どれほど俺を苦しめるかは、このときはまだわからなかった。

次にトランクを開けたら、なぜか工具袋が水浸しになっていた。雨漏りである。

さらにはウインカーが左右逆に出るという、なかなかスリリングなバグが発覚した。左に曲がろうとすると右のウインカーが光り、右に曲がろうとすると左が光る。これは周囲の車にとって迷惑以外の何物でもないが、俺はしばらくこれを「イタリア車の個性」と呼んでいた。

それでも、エンジンは最高だった。

アクセルを踏むと、タコメーターが軽やかに上がる。ウェーバーの4連が吼える。リアタイヤが煙を吐く。

「こりゃあ面白い」と俺は思った。

そして俺は決断を下した。

仲間から譲ってもらったピレリのP7を履かせ、ボディを白く塗り替えることにしたのだ。

ピレリのP7というのは、当時イタリア車に純正採用されていた高性能タイヤで、グリップが良く、かつかっこよかった。これで銀色のボディをP7で引き締める……はずだったが、塗装屋に金がなかったため、俺は自分でボディを塗ることにした。

缶スプレーで。

仲間に「それはやめとけ」と言われたが、俺は聞かなかった。

結果は、まあ、遠目には白かった。

近くで見ると、ムラがあった。

さらに近くで見ると、垂れていた。

しかし俺は「味がある」と言い張り、その状態で環八に戻ったのだった。

「環八の哲」、出陣。乗り物はアルファロメオ(ドア浸水・トランク雨漏り・ウインカー左右逆・缶スプレー塗装)。

この状況を「出陣」と呼ぶのは、いくらなんでも無理があったかもしれない。


第四章 アメ車との遭遇と第三京浜の夜

環八の規制が強化されたのは、俺たちにとって不測の事態だった。

といっても別に違法レースをしていたわけではない——というのは建前で、実態は信号ダッシュを繰り返していたわけだが、まあ細かいことは置いといて。とにかく、おまわりさんが増えた。パトカーが増えた。用賀近辺は特に厳しくなった。

「場所を変えよう」

誰かがそう言い、俺たちは第三京浜へと移った。

第三京浜は、東京と横浜をつなぐ有料道路だ。深夜は交通量が少なく、直線が多く、料金所があるのにみんな深夜はそこそこ飛ばす、という、当時の若者には都合のいい道路だった。

そこで俺たちは、新しい住民たちと出会うことになった。

横浜ナンバーの連中だ。

彼らはなんというか、俺たちとはまたちょっと違う種族だった。東京の若者が「速くて個性的な車」を求めていたとすれば、横浜の連中は「とにかくデカくてアメリカン」を追い求めていた。

アメ車が来た。

まずケツを上げたカマロ。シボレーカマロというのはアメリカのマッスルカーで、V8エンジンをぶち込んだ、直線番長的な車だ。リアを持ち上げてシャコタンにしているやつがいて、なんというか見るからに速そうだった。実際、直線では速かった。

次にコルベット。お坊ちゃんたちの車、というイメージがあった。なぜかというと、コルベットはアメリカのスポーツカーの中でも特に高級で、当時の日本では相当なお金持ちでないと乗れなかったからだ。コルベットに乗っている若者を見ると、俺は「こいつの親父は何をやってる人なんだ」と反射的に思ったものだった。

しかし俺のアルファは、彼らに対して意外に善戦した。

1750ccという小さなエンジンで、重たいカマロをぶっちぎったとき、俺は心の底から「イタリア万歳」と思った。重量が違う。車重が違う。エンジンの性格が違う。アメ車はトルクで押してくるが、アルファはエンジンが軽く回って、コーナーでも姿勢を保つ。

もっとも、これは俺の運転が上手かったわけではなく、単純に車の性格の違いだったのだが、当時の俺はそれを「俺の腕」だと思っていた。この誤解が後々まで続くことになる。

問題は、ポルシェだった。

横浜から来る連中の中に、ポルシェを持ち込むやつが現れた。

ポルシェ911。リアエンジン・リアドライブという変態的なレイアウトを持つ、ドイツのスポーツカーだ。エンジンがリアに乗っているという構造上、コーナーでの挙動が独特で、下手なドライバーが乗るとスピンする。しかし上手いドライバーが乗ると、まるで別世界の走りをする。

「あいつには勝てない」と俺は思った。

実際に勝てなかった。

ただそれよりも問題なのは、ポルシェのドライバーたちが、なぜか全員どこかずれていることだった。見た目はちゃんとした金持ちなのに、行動が読めない。なんというか、普通の人間ではない感じがした。

特に、あの夜に出会った男は——


第五章 朝の環八に現れた73カレラ

その朝は、ハコスカとやりあった。

ハコスカというのは日産スカイライン、C10型のことで、「箱型のスカイライン」を縮めてそう呼ぶ。当時すでに古い車だったが、チューンされたL型エンジンを積んだやつは、なかなかどうして速かった。

俺の隣に並んだそいつは、真っ黒に塗られたボディで、キャブレターから吸い込む音がでかく、デュアルの排気管から出てくる低音がいかにも速そうだった。

「負ける気などない」

俺は心の中でそう言い聞かせた。実際には少し怖かったが、まあそこは「環八の哲」のプライドというものがある。

信号が青になった。

俺はドカンとアクセルを踏んだ。

クラッチをちょっとだけ滑らせながらも——これはミスではなく技術だと俺は思っていたが、客観的に見ればミスだ——アルファが飛び出した。

ハコスカも飛び出した。

結果は、圧勝だった。

俺の圧勝。

いや、本当に勝ったのだ。ハコスカのドライバーが出足でもたついたのか、あるいはエンジンのパワーバンドが上の方にあったのか、とにかく俺のアルファが最初の一区間で綺麗に前に出た。

「よっしゃあ」と俺は叫んだ。車内で。一人で。

しかしその直後。

バックミラーに、白い車が映った。

911かな、と思った。ポルシェのシルエットに似ていた。

だが違った。

より低く、より幅広い。ボディラインが、なんというか、もっと攻撃的だった。

それは1973年型のポルシェ・カレラだった。

俺はこの時点では、73カレラと911の違いをよく知らなかった。どちらもポルシェ、どちらも速い、という認識しかなかった。しかし後になってわかるのだが、73カレラというのは911の中でも特別な存在で、排気量も大きく、エンジンも専用のRSユニットを積んだ、非常に贅沢な車だった。

その車が、俺のアルファを、いとも簡単に抜き去った。

「速え」と俺は思った。当然だ。

しかし問題はその後だった。

73カレラは俺を抜いた後、なぜか減速した。そしてハザードを出しながら、路肩に止まった。

止まれ、と言っている。

手で、こっちへ来い、と合図している。

俺は少々腹をたてた。レースに負けた上に呼びつけられるというのは、どういう了見か。

しかし止まらないわけにもいかず、俺はアルファを路肩に寄せた。

ドアを開けて降りると、向こうの車からも人が降りてきた。

五十がらみの男だった。

見るからに金持ちそうだった。服が違う。靴が違う。髪の毛が違う。そして顔が——なんとも良い感じで微笑んでいた。


第六章 おいおいそのロメオ、もったいないぞ

男の名前は、栗田さんと言った。

「おいおい、そのロメオ、そんな乗り方しちゃあもったいないぞ」

これが第一声だった。

俺はとっさに「はあ」としか言えなかった。なぜかというと、この言い方が怒っているわけでも馬鹿にしているわけでもなく、本当に心配しているような口調だったからだ。

「それに」と栗田さんは続けた。「煙、吐き出し始めてるから、ちょっと調整してあげなよ」

「煙、出てますか」

「うん。白い煙。キャブが濃すぎるんじゃないかな。フライホイールも重いまんまだと、ブレーキングで変なクセが出るよ」

俺は面食らった。この人、車のことをよく知っている。

「なんなら」と栗田さんは言った。「うちのすぐそこだから、寄ってかないか?」

俺はそのとき、人生で初めて男に軟派された、と思った。

「男に、ですか?」と俺は頭の中で確認した。「そうだな、男だな。でも変な感じはしない。むしろ親切そうだ。それにあの73カレラが気になる。すごく気になる。カレラのエンジンルームを見てみたい」

「わかりました」と俺は言った。

こうして俺は、見知らぬ金持ちの家へついていくことになった。

母親に「知らない人についていっちゃダメ」と言われて育ったはずだが、まあ相手が73カレラに乗っているなら別だろう、と俺は判断した。この判断基準はかなりおかしいが、当時の俺には完全に正しいロジックだった。

栗田さんの家は、環八からちょっと入った、杉並の高級住宅街にあった。

道が細くなり、植木が増え、門構えが立派になっていく。俺のアルファが場違いな感じで走っていく。缶スプレーで塗った白いボディが、この住宅街には全く似合わない。

「ここだよ」と栗田さんが言った。

ガレージのシャッターが上がった。

俺は、思わず「あっちゃあ」と声を出した。


第七章 ガレージという名の別世界

広い。

まずそれだけ思った。

普通の家のガレージではない。少なくとも六台は入る広さで、コンクリートの床は油一つ落ちていないほど綺麗で、壁には工具がずらりと並んでいた。蛍光灯の光の下に、六台の車が並んでいた。

ベントレー。

フェラーリ・ディノ。

アルファロメオ・2000GTV。

ランチア・ストラトス。

ポルシェ930ターボ。

そして、さっきまで俺の前を走っていた73カレラ。

「あっちゃあ」ともう一度言った。

あるべきところには、あるもんだ。

俺が人生で初めて実感した、富の実在性とはそういうものだった。金持ちというのは概念ではなく、実際にこういうものを持っている。ガレージに六台の名車を並べている。そういう人間が本当にいる。

「全部、乗るんですか」と俺は聞いた。

「うん、まあ。気分によって」と栗田さんは言った。まるで服を選ぶような口調で。

俺が言葉を失っていると、栗田さんが「ちょっとボンネット開けてみなよ」と言った。俺のアルファの話だ。

俺が恐る恐るボンネットを開けると、ガレージの奥の方から、一人の男が出てきた。

四十がらみの、がっちりした体格の男だった。作業着を着ているが、どこか只者でない雰囲気があった。

「神崎さん、ちょっとこのロメオ見てやってくれる?」と栗田さんが言った。

神崎さんと呼ばれたその男は、俺のアルファのエンジンルームを覗き込み、しばらく眺め、それからキャブレターに触れ、カムカバーを手で叩き、

「キャブですね」と言った。「それに、カムかな?タイミングがちょっとずれてるかもしれません。とりあえず調整してみます」

「お願い」と栗田さんは言い、俺に向かって「中で待ってなよ」と言った。

中、とはガレージに続く母屋のことだった。

俺は通された居間で、腰が引けた状態でソファに座った。

すごい家だった。天井が高い。絵がかかっている。飾り棚に、なんだかよくわからない置き物がある。床がやたらと綺麗だ。

「お茶、飲む?」と栗田さんが聞いた。

「あ、はい、ありがとうございます」と俺は言った。

そのとき、奥の扉が開いた。

俺はそちらを見た。

見て、固まった。


第八章 カレラの助手席から降りてきた人

その人は、有名だった。

どのくらい有名かというと、テレビをつければ見ない日はないくらい有名で、雑誌の表紙を飾ることも珍しくなく、名前を言えばほぼ全員が知っている、そういう有名人だった。

女優とも言える。歌手とも言える。タレントとも言える。要するにそのすべてを兼ね備えたような人で、当時の芸能界でも特別な存在だった。

俺はその人の名前を、ここには書かない。プライバシーの問題ではなく、栗田さんに「女のことはナイショで頼むよ」と念を押されたからだ。

その人は居間に入ってきて、俺を見て、少し驚いた顔をして、それから微笑んだ。

「あら。お客さん?」

「うん」と栗田さんは言った。「ロメオで来た若いの。神崎さんにちょっと見てもらってる」

「あー、さっき追いかけてた子ね」

さっき追いかけていた子。

俺は二十三歳だった。「子」と呼ばれる年齢ではないと思っていたが、この状況では反論できなかった。

お茶が出てきた。俺は両手で受け取った。

その後しばらく、三人で話した。

俺は何を話したか、正直あまり覚えていない。緊張のあまり、何か意味不明なことを言っていたと思う。車の話をしたような気もするし、仕事の話をしたような気もする。ただ一つ確かなのは、栗田さんがとても気さくで、その人もとても自然体で、なぜかこの場違いな若造を完全に受け入れてくれていた、ということだ。

三十分ほどして、神崎さんがやってきた。

「調整しました。キャブのニードルを少し絞って、タイミングも直しました。オイルも見たら少し減ってたので、補充しておきました。あと——」

神崎さんは少し間を置いた。

「ドアの浸水は、まあ、そのうち本格的にやらないとまずいですね。トランクの雨漏りも。それから塗装は……」

俺は身を縮めた。缶スプレーの件がばれた。

「缶スプレーですか?」と神崎さんは静かに聞いた。

「はい」と俺は答えた。

「……まあ」と神崎さんは言った。何も言わなかった、とも言える。プロのメカニックの沈黙は、時として雄弁だ。

「ありがとうございます」と俺はお礼を言った。「お代は……」

「いらないよ」と栗田さんは言った。「また来なよ」

俺は家を出た。

アルファのエンジンをかけると、さっきとは明らかに違う、綺麗な音がした。

俺は「得したな」と思いながらも、なんとなく落ち着かない気分で環八に戻っていった。


第九章 違う世界と仲間への口滑り

その後、何度か栗田さんの家にお邪魔した。

二回目は車の調子が悪くなったときで、神崎さんに診てもらった。三回目は特に用事もなく、ただなんとなく近くを通ったついでに寄ってみた。栗田さんは毎回歓迎してくれた。

しかし行くたびに、俺は「違う世界だ」という感覚を強くした。

何が違うか。

まず、余裕が違う。栗田さんは常にゆったりとしていて、焦っていない。俺が月給十二万でカツカツになっているのと対照的に、時間的にも金銭的にも余裕がある。

次に、関心の質が違う。俺が「速く走れるか」「かっこよく見えるか」に関心を持っているのに対して、栗田さんは「車そのものをどう理解するか」「どう大切にするか」に関心があるようだった。

「ロメオはね」と栗田さんはある日言った。「速く走らせるための車じゃないんだよ。走ること自体を楽しむための車なんだ。レースに勝つための車じゃなくて、走っている時間が幸せになる車。そこがアメ車とも、ポルシェとも、根本的に違うんだよね」

俺はなんとなくわかるような、わからないような顔をした。

正直を言えば、当時の俺にはまだそれがよくわからなかった。走ること自体を楽しむ?それはそうだけど、速く走ったほうが楽しくないか?レースに勝ったほうが嬉しくないか?

そういう疑問が、俺の中にまだあった。

そしてそれよりも大きな問題があった。

仲間への口の滑りだ。

環八仲間の一人、タカシというやつに、俺はうっかり話してしまった。

「な、最近おもしれえことがあってさ」と俺は言った。「杉並の金持ちの家に行ったんだけど、そこのガレージにベントレーとかディノとかストラトスとか入ってて、しかも——」

「しかも?」

「……有名人がいた」

「え?誰?」

「それは言えない」

「なんで言えないんだよ」

「頼まれてるんだよ、ナイショにしてくれって」

「言えよ!絶対言わないから!」

「……」

「誰なんだよ!俺たちの仲間じゃないか!」

俺は「わかった」と言って話した。

翌日には仲間全員に広まっていた。

「環八の哲が杉並の金持ちに気に入られて、有名人と仲良くなった」という話は、かなり誇張されながら広まり、最終的に「哲が女優と付き合ってる」という謎の噂になっていた。

「付き合ってません」と俺は否定したが、誰も信じなかった。

そしてこの噂は、当然のように栗田さんの耳にも入った。

「哲くん」と栗田さんはある日、静かに言った。「女のことはナイショって言ったよね?」

「言いました。すみません」

「まあいいけど、ちょっと気をつけてくれないかな」

「はい」

俺はそれ以降、栗田さんの家に行くのを遠慮するようになった。深入りする前に、と自分に言い聞かせて。

本当は単純に気まずかっただけだが。


第十章 もぬけの殻と50年後の記憶

数年が過ぎた。

俺はアルファロメオを手放し、別の車に乗り換え、また別の車に乗り換え、仕事も変わり、引越しもして、あの頃の仲間たちとも少しずつ疎遠になっていった。

環八はいつのまにか整備され、深夜の密会の場ではなくなった。第三京浜も変わった。時代が変わった。

栗田さんのことが、時々気になった。

あの73カレラは今もあるのだろうか。ディノは。ストラトスは。神崎さんは今も働いているのだろうか。

数年後、近くを通ったついでに、俺はちょっと寄ってみることにした。

杉並の高級住宅街。あの細い道を入って、あの門のある家のところへ。

しかし、そこにあったのは、全く違う景色だった。

門はあった。だが、向こうに見えるはずの立派な家は、なぜか様子が違う。カーテンが閉まっている。庭が荒れている。

そして、塀に一枚の紙が貼ってあった。

差し押さえ、という文字が読めた。

俺はしばらくそこに立ち、それから何も言わずに車に戻った。

あの豪邸が。あのガレージが。あのベントレーとディノとストラトスが。神崎さんが。そして——

その後、俺はテレビをなんとなく意識して見るようになったが、あの人の姿を見かけることはなくなっていた。芸能界というのは移り変わりが激しい。あれだけ有名だった人でも、時代と合わなくなれば消えていく。

良い時代は、そう長くは続かない。

それが、あのガレージが俺に教えてくれた、最大の教訓だったかもしれない。

あれから五十年が過ぎた今も、俺は時折あの朝のことを思う。

缶スプレーで塗った白いアルファロメオで走った環八の夜を。ハコスカをぶっちぎった瞬間の興奮を。バックミラーに映った73カレラのシルエットを。路肩に止められ、腹をたてながら降りていったら、金持ちそうなオヤジが良い顔で微笑んでいたあの場面を。

あのとき俺は二十三歳だった。世界は広くて、夜の道路は長くて、アクセルを踏めばなんでも解決すると思っていた。

実際にはなんでも解決するわけではなかったが、まあそれはそれで。

俺の手元に、今も一枚の写真がある。

白く塗られた——缶スプレーで——1750GTヴェローチェが、環八の路肩に止まっている写真だ。ドアが少し歪んでいる。塗装が垂れているのが、写真でもわかる。

我ながら、笑える車だった。

でも、あのエンジンの音は本物だった。ウェーバーの4連が吼えて、タコメーターが踊って、リアタイヤが煙を吐いた。それは本物だった。

「環八の哲」は今、七十を過ぎた。

だが、あの銀色のボディを白く塗り替えた若造のことを、俺はまだちゃんと覚えている。

あいつのことは、笑えるけど、嫌いになれない。


エピローグ ウェーバーの4連は、今日も夢の中で鳴っている

最後に一つだけ、付け加えておきたいことがある。

あれから何年も経って、俺は中古車屋で一台の車に出会った。

アルファロメオだった。

1750GTヴェローチェ。あの頃のものより少し後の型だったが、間違いなくヴェローチェだった。

ボディは赤。きちんとプロが塗った、ちゃんとした赤。缶スプレーではない。

価格を見て、俺は「高えな」と思った。昔は人気がなかったアルファロメオも、時代が経つにつれてクラシックカーとして価値が出てきていた。俺が修理屋のオヤジとミニと交換したあの時代が、まるで夢のようだった。

俺はその車を買わなかった。

もう同じことはできないとわかっていたから。あの夜の環八はもうない。あの仲間たちはもうあの場所にいない。あの缶スプレーの白いボディで走ったあの頃には、もう戻れない。

でも、少しだけエンジンをかけさせてもらった。

ツインカムが目覚め、ウェーバーの4連が空気を飲み込む音がした。

タコメーターが、ロータリーみたいに軽やかに上がっていく。

俺はそれを聞きながら、二十三歳の頃の自分を思い出した。無知で、虚勢を張っていて、缶スプレーで車を塗って、環八の哲などというあだ名をありがたがっていたあの若造を。

馬鹿だったな、と思う。

でも、楽しかったな、とも思う。

良い時代は、そう長くは続かない。

だからこそ、時折こうして思い出す。

あの朝の環八を。

あの73カレラの後ろ姿を。

あの金持ちオヤジの、良い感じの笑顔を。

そして、ウェーバーの4連が鳴り響く、あの一瞬を。

          ――了――



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〜あとがき〜

五十年前の話を書いた。

記憶というのは不思議なもので、昨日のことは忘れても、二十三歳の夜の環八の空気は今でもはっきり覚えている。アスファルトの匂い。エンジンの音。缶スプレーで塗った白いボディ。

あの頃の俺は、とにかく無知だった。アルファロメオが何者かもよくわかっていなかった。ポルシェと73カレラの違いもわかっていなかった。栗田さんという人物が何をやっている人なのか、最後までちゃんと理解しなかった。

でも今になって思えば、わからないことだらけだったあの時代が、案外一番豊かだったかもしれない。わかってしまえば、驚けなくなる。知ってしまえば、発見がなくなる。

良い時代は、そう長くは続かない。

だから今のうちに書き残しておく。七十を超えた「環八の哲」の、若き日の滑稽譚を。

ウェーバーの4連は、今日も夢の中で鳴っている。

田中哲夫 記