本日 掲載予定をひとつ
先行してここに…
〜序章〜
神様を信じるようになったのは
見えなかったものが
見えるようになってからで
それまでは
神社へと出掛けても
なんとなく願い
なんとなく手を合わせていた
そう
どうせ届かない願いだと思い
適当に
適当なお賽銭を投げ込み
お正月と
ここ一番の頼み事がある時にだけ
昨今
神社へと出掛けると
不思議かな
突然 気配がして
ここは本物だな なんて思い
撮れば
必ず映り込む オーブたち
それが何者なのかは
今まだ分からないけれど
お社で浮遊する彼らは
きっと神様からの使いなのだろうと
勝手に想像し
そこへと
願いを託すようになった
それは
どこにでも姿を見せるのではなく
どんなに豪華な作りの神社でも
現れないことがある
それとは逆に
質素で小さなお社でも
それは美しく現れることばかり
もちろん
それで本物か偽物かなんて
疑ってはいないけれど
見えてしまうから
仕方がない
オーブたちは
相変わらず毎日
どこでも
目の前を浮遊し
僕もまた懲りずに
毎日 話し掛けてもいるが
戻る言葉は聞こえて来ない
真夜中に目が覚め
天井をと見れば
これまた必ず
ひとつのオーブが
僕を守っているのか
それとも監視しているか
浮遊していて
ありがとうとだけ
声を掛け
また寝落ちする
実家の仏壇には
多くのご先祖さまが宿り
ぱふの仏壇には
ぱふがいる
次の世の気配が
確かにらそこにはあって
還暦とは
そこを知らせる
準備段階なのだろう
神様か
仏様か
はたまた
違う何者なのか
いずれにせよ
取り巻く彼らは
確実にここにいて
それに気付いた者へと
何らかの
発信をしているのかもしれないと…
正解
――神様、それはシステムエラーです
著:田中ケンジ(本人談)
※この物語はフィクションです。
ただし神様の残業代未払い問題は実在するかもしれません。
〜まえがき〜
「もし、神様のシステムエラーで、あなたの人生が勝手にやり直されるとしたら?」
はじめまして、田中ケンジです。……あ、いえ、正確には「本作の主人公と同じ名前の、どこにでもいるサラリーマン」です。
私たちは日々、「あの時、別の選択をしていれば」「もし過去に戻れたら」なんてことを、居酒屋のビール片手に、あるいは夜中の布団の中で、一度くらいは妄想するものです。
しかし、それが本人のあずかり知らぬところで、しかも「天界のブラック企業」の「杜撰なシステムアップデート」のせいで強制執行されたとしたら——それはもはや、ただの災難でしかありません。
本書は、28歳の中堅商社マン・田中ケンジが、深夜三時に突然やってきた「神様代理」の誤発注により、22歳の就職活動直前にタイムスリップさせられてしまう物語です。
未来の記憶を持ったまま、もう一度人生のルートをなぞることは、果たして「幸福」なのでしょうか?
それとも、タイムラインの崩壊とお役所仕事な天界の対応に振り回される「地獄の残業」なのでしょうか?
これは、誰もが一度は夢見る「人生のやり直し」を、徹底的にリアルな(そしてちょっとブラックな)ビジネスマンの視点で描いた、大真面目で、少しおかしなライト文芸です。
どうぞ、肩の力を抜いて、コンビニの温めすぎた弁当でも食べながら、気楽にお楽しみください。
田中ケンジが最初に気づいたのは、枕元でスマートフォンが光っていることだった。
午前三時十七分。
画面には「不在着信:天界宅配(株)」とある。
ケンジは二十八歳、都内の中堅商社に勤めるごく普通のサラリーマンだ。身長百七十二センチ、体重六十九キロ、顔は「言われてみれば悪くない」という評価を上司から一度だけもらったことがある。特技は領収書の整理と、コンビニ弁当を電子レンジで温める最適時間の目測だ。趣味はない。あえて言えば睡眠だが、今それを妨害されている。
「天界宅配……?」
ケンジは眼鏡をかけ、着信履歴を確認した。発信元の番号は「0120-HEAVEN-1」となっていた。フリーダイヤルである。
折り返すべきか迷っていると、今度はドアホンが鳴った。
インターフォンの画面に映っていたのは、白いスーツを着た初老の男性だった。頭頂部は見事に輝いており、顎には白いひげ。手には何やら大きなタブレット端末を持っている。タブレットの画面には大量のエラーメッセージが流れていた。
「田中ケンジさんのお宅でしょうか。天界宅配の者です。お荷物のお届けに参りました」
男は丁寧にお辞儀した。名刺らしきものを差し出したが、そこには「神 様(代理) 内線:無限大」とだけ書いてあった。
ケンジはしばらく固まっていたが、やがてインターフォン越しに言った。
「……荷物の心当たりが、ないんですけど」
「はい、こちらでも驚いておりまして」と男は困ったように頭を搔いた。「実は誤発注でして。本来は六十歳の田中ケンジさんにお届けする予定の商品が、ご同姓同名の二十八歳の田中ケンジさんのほうへ……」
ケンジはドアを開けた。
男の手には、クリアファイルに入った一枚の書類があった。
タイトルは——
【人生やり直しパッケージ 申込確認書(仮)】
下部には、見覚えのない田中ケンジのサインが書いてあった。
しかもハンコまで押してある。
第一章:神様はブラック企業にお勤めでした
玄関先で立ち話というわけにもいかず、ケンジは神様代理をリビングに通した。
神様代理の名前は「ガブ」と言った。本名はもっと長いが、舌を三十七回転させないと発音できないため、地上では略称を使っているという。ガブはソファに腰掛け、タブレットをテーブルに置いた。画面には相変わらずエラーメッセージが流れ続けている。
「あの、そのエラーは何ですか」とケンジは聞いた。
「ああ、これは弊社のシステムです。今年に入って三回目のアップデートをしたんですが、また不具合が出まして」
「神様のシステムが不具合……」
「はい。正直、前のバージョンのほうが安定していたんですが、上——というか上の上——がどうしても新機能を入れたがりまして。『因果応報リアルタイム反映』とか『前世記憶部分開示』とか、まあいろいろ追加したんですが、そのたびにあちこち壊れて」
ガブはため息をついた。見た目は初老だが、よく見ると目の下にくっきりとクマがある。
「残業は多いですか」とケンジは思わず聞いた。職業病である。
「月三百時間は超えますね」
「それ、うちの会社より多い……」
「しかも代休なしです。宇宙ができてから一度も。一応、安息日というものが設定されているんですが、実際は仕事のメールが来ます」
ケンジは同情した。神様でもブラックな職場があるとは、宇宙は広い。
ガブはタブレットを操作し、問題の書類を表示した。
「今回の件をご説明しますと、弊社では六十歳以上の方を対象に『人生やり直しパッケージ』というオプションサービスを提供しております。夢の中でご本人にご案内し、ご希望の場合は手続きを進めるというものです」
「夢の中で?」
「はい。よく『神様が夢に出てきた』とおっしゃる方がいらっしゃるでしょう。あれの大半は弊社の営業です」
ケンジは遠い目をした。神様も営業ノルマがあるのか。
「で、今回は六十歳の田中ケンジ様——別の方です——に夢でご案内する予定だったのですが、システムの誤作動で、二十八歳のあなたの夢に乱入してしまいまして」
「あれ、でも僕、神様の夢なんて見てないですよ」
「そうなんです、そこがまた困っていて」ガブはタブレットをケンジに向けた。
ERROR CODE: TK-2847
対象者:田中ケンジ(28歳)
ステータス:夢への侵入に成功
問題:対象者がぐっすり寝すぎており夢を見ていない
対応:書類に自動サインを実行
結果:申込完了(未確認)
備考:この処理は承認を得ていません
「……僕が寝すぎてたせいで、勝手に申し込まれた?」
「誠に申し訳ございません」ガブは深々と頭を下げた。「本来であれば夢の中でご説明し、ご本人の意思を確認したうえで進めるものを、システムが自動で……」
「キャンセルできますか」
「それが」ガブは言いにくそうに続けた。「申込後七十二時間以内にキャンセルの手続きをしていただく必要があるのですが……」
「何時間前の話ですか、これ」
「七十一時間五十九分前です」
ケンジは額に手を当てた。
「残り、一分しかないじゃないですか」
「はい。なのでこうして急いでご説明に来た次第です。キャンセルするかどうか、今すぐご判断いただければ——」
そのとき、ガブのタブレットが派手なアラーム音を上げた。
SYSTEM: タイムアウト
キャンセル受付期間終了
『人生やり直しパッケージ』
対象者:田中ケンジ(28歳)
開始日時:本日より
内容:二十二歳からの人生やり直し
※取り消し不可
沈黙が流れた。
「……」
「……誠に申し訳ございません」
「神様って、クーリングオフできないんですか」
「宇宙法は消費者契約法の管轄外でして……」
ケンジはソファに深くもたれ、天井を見上げた。さっきまで普通の水曜日の深夜だったはずなのに、人生が強制的にやり直されることになってしまった。
しかも誤発注で。
二章:「人生やり直しパッケージ」へようこそ
ガブはタブレットで「よくあるご質問」のページを開き、ケンジに見せた。
【人生やり直しパッケージ FAQ】
Q1. どこからやり直せますか?
A1. 二十二歳(大学四年生・就職活動開始直前)から
スタートとなります。記憶は全て保持されます。
Q2. 元の時代(二十八歳)には戻れますか?
A2. 戻れます。ただし、「正解ルート」を
達成した場合のみです。
Q3. 「正解ルート」とは何ですか?
A3. 弊社システムが判定します。
詳細はお答えできません(システムエラーのため)。
Q4. 失敗するとどうなりますか?
A4. やり直しがリセットされ、最初からやり直しです。
ただし記憶は引き継がれます。
Q5. 無限にやり直すことになりますか?
A5. 弊社の規定では最大三回のやり直しまでです。
四回目はお受けできません。
Q6. なぜ二十二歳なのですか?
A6. 諸般の事情(予算)です。
「『正解ルート』がシステムエラーで不明ってどういうことですか」とケンジは言った。
「大変申し訳ありません。判定基準を管理しているサブシステムが、先ほどのアップデートで……」
「つまり、何が正解かわからないまま人生をやり直せと?」
「おっしゃる通りです」
ケンジはしばらく考えた。
「そもそも、なんで六十歳の人向けのサービスなんですか。人生やり直したいのは若い人じゃないですか」
「それが逆なんです」とガブは言った。「若い方は将来に不安があるので、やり直したがります。でも六十歳以上の方は、今の人生に満足していることが多いんです。だから過去に戻っても『やっぱり今でよかった』と気づいて帰ってくる。そのほうがシステム負荷が軽いんですよ」
「つまり神様視点では、やり直しは引き留めるためのサービス……?」
「正確には、今の人生の価値に気づいていただくための体験型プログラムです」
なんとも深い話だが、今のケンジには関係ない。二十八歳には二十八歳なりの満足があるし、明日も朝九時に出社しなければならない。
「本当にキャンセルできないんですか」
「はい。ただ、できるだけ早く『正解ルート』を達成していただければ、元の時代に戻れます。平均的には三ヶ月から半年ほどで……」
「半年!?」
「あくまでも平均です。最短記録は三日です」
「最長は?」
ガブは少し目を逸らした。
「それは……個人情報なので」
「教えてください」
「……十四年です」
ケンジは再び天井を見上げた。
そして翌朝、目が覚めると、彼は大学のキャンパスにいた。
三章:二十二歳に戻った男の悲劇
最初に気づいたのは、膝が痛くないことだった。
二十八歳のケンジは、学生時代にバスケットボールで痛めた右膝が、階段を下るたびに微妙に痛む。しかし今は、何ともない。むしろ体全体が軽い。
次に気づいたのは、スーツではなくジーンズとパーカーを着ていることだった。
そして周囲を見回すと、見覚えのある大学のキャンパスが広がっていた。桜が咲いている。四月だ。
「うわあ……」
ケンジは六年前の記憶を整理した。二十二歳、大学四年生、就活が始まったばかりの春。あのころは何も考えていなかったし、何も考えていないなりに毎日が楽しかった。
ポケットにスマートフォンがあった。画面を見ると、見覚えのない古い機種だ。しかもバッテリーが七十三パーセントある。
着信があった。発信元:ガブ。
「もしもし、田中さん。無事に到着されましたか」
「到着というか……本当に戻ってる」
「はい。ご不便をおかけしますが、このスマートフォンは弊社との連絡専用になっております。データプランは無制限です」
「それだけが救いだ。で、何をすればいいんですか。正解ルートって」
「繰り返しになりますが、詳細はシステムエラーのため——」
「だいたいの方向性だけでも」
ガブは少し迷ってから言った。
「過去のご利用者様の傾向から申し上げると……大切な出会いを大切にすることで、正解と判定されるケースが多いようです」
「大切な出会い」
「はい。では何かあればご連絡ください。私はいつでも出ます。残業代は出ませんが」
電話が切れた。
ケンジは桜の木の下のベンチに座り、現状を整理した。
六年前の自分に戻った。記憶はある。未来を知っている。就活でどの会社に受かるかも、どの会社を断るべきかも、株価も(細かいことは忘れたが)だいたい覚えている。
「大切な出会い」——それはきっと、カミさんのことだろう。
ケンジは結婚して三年になる妻、麻衣のことを思った。出会ったのは二十五歳のとき、同じ会社の先輩の結婚式の二次会だった。つまり今から三年後だ。
問題は、その二次会がなぜ開催されたかである。先輩の田村さんが、同じ会社の女性と結婚したから。その田村さんの相手が、麻衣の大学時代の友人だったから。その友人が田村さんと出会ったのは、ある合コンがきっかけで——
ケンジは頭を抱えた。
蝶が羽ばたくと嵐が起きる、というが、今のケンジは六年分の因果律の糸を一本も切らずに保存しなければならない。
しかも何が「正解ルート」かもわからない。
そのとき、スマートフォンが鳴った。ガブからではなく、登録された連絡先からだ。画面に表示された名前は「モリ(同期)」とある。
森。そうだ、大学の同期の森だ。ケンジは受話器を取った。
「もしもし」
「ケンジ! 今どこ? 今日ゼミ休んだじゃん。教授激おこだよ」
「あ、ごめん。ちょっと事情があって……」
「いいからさ、夜飲みに行こうぜ。タケシも来るって。就活の情報交換ってことで」
ケンジはすぐに思い出した。この飲み会だ。この日の飲み会で、森がある会社の説明会の情報を教えてくれたのだ。ケンジはその会社に就職し、そこで田村先輩と出会い、結婚式があり、二次会があり、麻衣と出会った。
「行く。絶対行く」
「おっ、珍しくノリいいじゃん」
ケンジは立ち上がった。第一歩は順調だ。
——そう思っていたのは、その日の夕方まででした。
居酒屋に着いたケンジは、早速やらかした。
森とタケシ、そして初めて見る顔が二人、計四人でテーブルを囲んだ。ビールが来て、乾杯して、就活の話が始まった。
そこでケンジは、六年後の知識をつい使ってしまったのだ。
「あの業界、五年後に再編されるから気をつけたほうがいいよ」
全員が静止した。
「……何で知ってんの?」と森が言った。
「え、あ、なんとなく」
「業界アナリストでもないのに五年後の再編が分かるの?」
「勘?」
「すごい勘だな」
その夜、ケンジはスマートフォンをトイレでこっそり開き、ガブに電話した。
「ガブさん、未来の知識を使っていいですか」
「それはお控えいただいたほうが……」
「なぜですか」
「タイムライン保護の観点から……ではなく、弊社システムが非常に不安定なため、未来知識の使用がトリガーになってシステムがさらに暴走する可能性が……」
「神様のシステムが私の発言でクラッシュするんですか」
「軽いフリーズ程度に収めたいので、できれば……」
ケンジは電話を切り、席に戻った。
六年分の記憶を持ちながら、それを使えない。これは拷問だと思った。
四章:運命の人は四十七都道府県にいる
翌日から、ケンジは慎重に動き始めた。
記憶を頼りに、元の人生と同じルートをなぞる。同じ会社の説明会に行き、同じような答えで面接を通過し、同じ会社に内定をもらう。我ながら完璧だと思った。
問題が起きたのは、就職して半年が経ったころだった。
元の記憶では、このころ田村先輩に飲みに連れて行ってもらったはずだ。しかし今回、田村先輩は違う部署に異動していた。
「田村さん、異動になったんですか」と同期の女性社員に聞いた。
「そうそう、大阪に。でも来月戻ってくるらしいよ」
一ヶ月のズレ。些細なことに見えるが、ケンジは焦った。元の記憶では、田村先輩に連れて行ってもらった飲み屋でのトラブルがきっかけで仲良くなったのだ。田村先輩が一ヶ月不在ということは——
その日の夜、ガブに電話した。
「田村先輩が一ヶ月大阪にいるんですが、どうすればいいですか」
「弊社のシステムでは、お客様の細かい行動履歴まではフォローしておりまして」
「フォローって、監視してるんですか?」
「いえ、弊社では『カルマ観測』と呼んでおります。行動の善悪を記録するためです。プライバシーには配慮しておりますが」
「どの程度配慮してますか」
「トイレの中は見ていません」
「それだけですか」
「シャワー中も……だいたいは」
ケンジは話を戻した。
「田村先輩と仲良くなる別の方法はありますか」
「田村様のカルマ観測ログを確認しますと……田村様は月に一度、将棋クラブに参加されております」
「将棋、できないです」
「コーヒーを飲まれる喫茶店も分かりますが」
「それはさすがにストーカーでは」
結局ケンジは田村先輩が戻るまで一ヶ月待つことにした。
その間に別の問題が起きた。
同期の山口という男が、ケンジに強烈に懐き始めたのだ。
元の記憶では、山口はケンジとほとんど関わりがなかった。しかし今回のケンジは、入社初日の研修で山口の隣の席になり、昼飯に誘い、仕事の悩みを聞いてあげたため、山口が「田中さんは俺の親友だ」と勝手に思い込んでいた。
「田中さん! 今夜飲みに行きましょう! 僕の彼女を紹介したいんです!」
「あ、ごめん、今夜は……」
「彼女の友達も来ます! 田中さんにぴったりの子だと思うんですよ!」
ケンジは固まった。
麻衣との出会いは三年後だ。今ここで別の誰かと出会うわけにはいかない。しかし断り続けると山口が傷つくし、そもそも「正解ルート」が何かわからない以上、ここが重要な分岐点である可能性もある。
ケンジはガブに緊急連絡した。
「山口の彼女の友達と会っていいですか」
「弊社としては、ご自身のご判断で……」
「正解ルートかもしれない?」
「それがシステムエラーで分からないと申し上げております」
「断ったほうが正解かもしれない?」
「それも……」
「ガブさん、ちょっと正直に言ってください。このサービス、設計上の欠陥がありませんか」
少しの間があった。
「……現在、社内で改善の議論中です」
ケンジは山口の飲み会に行くことにした。どうせ麻衣以外の人を好きになることはないだろう、という謎の自信があった。
山口の彼女の友達は、確かに感じのいい人だった。名前は橋本さんといった。でもケンジの心はざわつかなかった。麻衣と話しているときのあの感覚——「この人と話しているときが一番ラクだ」というあの感じ——がなかった。
翌朝、ガブから着信があった。
「田中さん、昨夜の判定ですが」
「正解でしたか」
「システムがフリーズして、判定が出ませんでした」
「……」
「申し訳ありません。再起動に三日かかります」
五章:タイムラインが崩壊する音
一年が経ったころ、ケンジは重大なことに気づいた。
元の記憶では、二十三歳のケンジは何も考えずにただ働いていた。飲みに行き、仕事をし、たまに実家に帰り、友人と遊んだ。そこに大きな意味はなかった。でも今のケンジは、毎日「これは正解か」と考えながら生きている。
その結果、元の記憶とだいぶ違う行動をとっていた。
元の記憶では行かなかった飲み会に行き、元の記憶では読まなかった本を読み、元の記憶ではしなかった副業(ブログ)を始めていた。
するとブログがなぜか当たって、月に三万円の収入が発生した。
これがガブのシステムをフリーズさせた。
WARNING: タイムライン分岐検知
対象者:田中ケンジ(現在23歳)
オリジナルタイムラインとの乖離度:17.3%
原因:副収入の発生(ブログ)
影響範囲:算出中……
ERROR: 算出不能
備考:17%を超えると修正が困難になります
「ガブさん、これどうすればいいですか」
「ブログを……やめていただけますか」
「でも読者がいますよ。急にやめたら」
「読者のカルマには影響が出ますが、それは弊社の別部署が対応しますので」
「神様にも部署があるんですね」
「三千六百部署です。縦割りが激しいのが悩みで……」
ケンジはブログを終了した。読者からのコメントが「急すぎる」「なぜ?」「続きが読みたい」と溢れたが、心を鬼にして無視した。
次の問題は、田村先輩の結婚式だった。
元の記憶では、田村先輩は二十五歳のケンジと同い年の女性と結婚した。しかし今回のタイムラインでは、田村先輩は一年早く別の女性と付き合い始めていた。
「田村先輩、結婚されるんですか。おめでとうございます! で、お相手は……」
「幸田さんって言ってな。大学時代の同期なんだけど」と田村先輩は嬉しそうに言った。
幸田さん。知らない名前だ。
ケンジは頭の中でドミノ倒しが始まるのを感じた。田村先輩の結婚相手が変わる→結婚式の招待客が変わる→二次会のメンバーが変わる→麻衣が来ない→出会えない。
「田村先輩、二次会はどんな人を呼ぶ予定ですか」とケンジはさりげなく聞いた。
「まあ、会社の同期と、幸田の友達かな」
「幸田さんのご友人に……大学時代のサークルの仲間とか、いらっしゃいますか」
「なんで知ってんの?」
「え?」
「幸田のサークルの友達を呼ぼうかって話、さっき出たばっかりだよ? 俺が幸田に電話したのを聞いてたの?」
「あ、いや、なんとなく」
「また勘?」
ケンジの「勘」の伝説は社内で広まりつつあった。
その夜、ケンジはガブに長電話した。
「田村先輩の結婚相手が変わりました。これ、元に戻せますか」
「弊社では他者の感情や恋愛には介入できない規定がございます。特に既に成立した縁については……」
「じゃあ麻衣と出会えない可能性があります。それでも正解ルートが存在しますか」
ガブは長い沈黙のあとで言った。
「……システムに聞いてみますが、システムがフリーズしているので……」
「ガブさん」
「はい」
「正直に答えてください。このシステム、根本的に壊れてますよね」
「……お客様にそのようにお感じになられているとすれば、誠に……」
「壊れてますよね」
「……はい」
ケンジは窓の外を見た。都会の夜景が広がっている。六年前の夜景だ。なんとなく、今の時代のほうが空気が澄んでいる気がした。
「上司に報告しないんですか」
「報告書を出したんですが……三ヶ月音沙汰がなくて」
「天界もそういうことがあるんですね」
「むしろ地上の会社よりひどいです。なにせ歴史が長いもので。慣習が固まりすぎていて……」
ケンジはガブに少し同情した。
六章:神様のクレーム窓口
田村先輩の結婚式の日がやってきた。
ケンジは緊張しながら披露宴に出席した。花嫁の幸田さんは、元の記憶にいた人物ではない。元の記憶では田村先輩の結婚相手は「田村さんと同い年の活発な女性」で、ケンジはほとんど覚えていない。今回の幸田さんは、穏やかで落ち着いた印象の人だった。
披露宴は和やかに進み、二次会へ移った。
ケンジは入口で受付をして、会場に入った。見知らぬ顔が多い。元の記憶の二次会とは全く異なるメンバーだ。麻衣もいない。
そのとき、スマートフォンが振動した。ガブからのメッセージだった。
緊急連絡
田中様、弊社システムが復旧しました。
現在の状態をご報告します。
現タイムラインの「正解ルート」判定:
→ 不明(データ消失のため)
元タイムラインとの乖離度:34.7%
→ 修正は現実的に困難
推奨アクション:
→ データなし
備考:担当者一同、大変申し訳なく思っております。
上司への報告を再度試みます。
ケンジはメッセージを読み、スマートフォンをポケットにしまった。
そして飲み物を取りに行こうとした瞬間、誰かにぶつかった。
「あ、すみません!」
相手の女性もグラスを取り落としそうになり、ケンジが咄嗟に受け取った。
「ありがとうございます。私こそ、前を見てなくて」
顔を上げると、見知らぬ女性だった。
でもケンジは、何かを感じた。うまく言語化できないが、「この人と話しているときが一番ラクだ」という予感に似たもの。
「幸田さんのご友人ですか」とケンジは聞いた。
「はい。大学のサークルで一緒で。田村さん側の方ですか?」
「会社の同期です。田中といいます」
「木村です」
木村さん。知らない名前だ。でもケンジは話し続けた。麻衣ではないかもしれない。でも、なぜかこの人と話したいと思った。
二時間後、ケンジはガブに電話した。
「木村さんという人と話しました。連絡先を交換しました」
「田中さん……それは」
「麻衣じゃないですよ。でも、なんか、気になって」
「正解ルートかどうかは……」
「ガブさん、もういいです」
「え?」
「正解かどうか、わからなくていいです。今この人と話したいと思ったから、そうしました。それだけです」
電話の向こうで、ガブが少し黙った。
「……それは、非常に健全な判断だと思います」
第七章:やり直しを断った男
それから一年が経った。
木村さんとは三回デートして、四回目に「付き合いましょう」と言われ(先に言われた)、そのまま付き合った。元の麻衣との出会いとは全く別のルートだが、ケンジには不思議と後悔がなかった。
ある朝、ガブから緊急の着信があった。
「田中さん、大変です。上に報告が通りまして」
「何が?」
「今回の誤発注案件です。担当役員が直接対応することになりまして……今夜、夢の中でお会いしたいとのことです」
その夜、ケンジは早めに床についた。
夢の中は、白い空間だった。雲というか霧というか、とにかく白い。そこに椅子が二脚置いてあり、向かいには白い髭の老人が座っていた。
「やあ」と老人は言った。「迷惑をかけて申し訳なかった」
ケンジはすぐにわかった。これが本物の神様か、少なくともそれに近い何かだ。
「ガブから聞いています」と神様は言った。「誤発注で、あなたは二十八歳から六年前に戻されてしまった」
「はい」
「本来ならすぐに戻すべきだったのに、システムが……」
「壊れてたのは聞きました」
「面目ない」
神様は本当に申し訳なさそうだった。これだけ偉いのに、頭を下げられる人なのかと少し感動した。
「それで、今なら元のタイムラインに戻す処理ができます」と神様は言った。「二十八歳の田中ケンジとして、元の人生に戻れます。妻の麻衣さんとの生活も、元通りです」
ケンジは少し考えた。
「戻れる、ということは……今のこの一年半は?」
「あなたにとっての記憶として残ります。でも向こうのタイムラインでは、なかったことになります」
「木村さんは」
「彼女は別の人生を歩みます。あなたと出会わなかった人生を」
ケンジは黙った。
木村さんとの一年半。元の麻衣との人生には及ばないかもしれない。でも、それはそれで本物だった。この一年半のケンジが選択して、動いて、傷ついて、笑った時間だ。
「一つ聞いていいですか」とケンジは言った。
「なんでも」
「元の六十歳の田中ケンジさん——本来このサービスを受けるはずだった人——はどうなりましたか。夢に神様が来たけど断ったって言ってたんでしょう?」
神様は少し表情を緩めた。
「そうなんだ。あちらのケンジさんは夢の中で『今のままでいい。家族がいるから』と断った。理由はシンプルだった。若さを取り戻しても、今の家族と同じ人生を歩める保証がないからと」
「……奇跡みたいな出会いを、もう一度再現するのは難しいから」
「そう。あの人は正解ルートを一秒で達成した。歴代最速だよ」
ケンジはしばらく考えた。そして言った。
「僕も、断ります」
「え?」
「元に戻るのを、断ります」
神様が驚いた顔をした。おそらくあまり断られることはないのだろう。
「理由を聞いていいかな」
「元の麻衣との生活は大切でした。でも今の一年半も大切です。今の木村さんとの縁も本物だと思う。どちらが正解かじゃなくて、今自分がいる場所が正解なんだと思います」
神様は長い沈黙のあとで、静かに言った。
「正解ルートが判明しました」
「え?」
「今の発言で、システムが正解と判定しました」
ガブの声が夢の隅から聞こえてきた。
「田中さん、システムが——なぜか正常起動しました!」
SYSTEM: 正解ルート達成
対象者:田中ケンジ
判定内容:「今いる場所を正解と認識」
処理:現タイムラインで継続
備考:元のタイムラインへの復帰は行いません
このタイムラインが「正解」です
ケンジは苦笑した。
「やり直しを断ったら正解、って——最初からそういう仕組みだったんですか」
「本来は六十歳の方が一発で気づくはずの設計でして……」と神様は言った。「あなたには余計な苦労をかけてしまいました」
「いや、」とケンジは言った。「良かったと思います。この一年半があったから、分かった気がします」
エピローグ:今が正解
翌朝、ケンジは目が覚めると自分のアパートにいた。二十四歳の自分のアパートだ。
スマートフォンには木村さんからのメッセージが来ていた。「今日のランチ、一緒にどう?」とある。
ケンジは返信した。「行く」と。
ガブからも最後のメッセージが届いていた。
田中様、この度は誠に申し訳ございませんでした。
弊社のシステム不具合により、多大なるご迷惑を
おかけしました。
今後の担当タイムラインについては、
現タイムラインを「正規」として登録いたします。
なお、元タイムラインの麻衣様については、
別の良縁が自然に生まれるよう、弊社にて
サポートいたします(別部署が対応します)。
田中様のカルマ観測は継続しますが、
トイレとシャワーは見ておりません。
今後ともよろしくお願いいたします。
天界宅配(株) 担当:ガブ
追記:残業代の件、上に再度掛け合ってみます。
ケンジはスマートフォンを置き、窓を開けた。
都会の朝の空気が入ってきた。遠くでカラスが鳴いた。下の道を、スーツ姿の人が急ぎ足で歩いていく。
二十四歳の田中ケンジは、特に何も考えずに伸びをした。
正解なんて、きっとどこにもない。でも今この瞬間を正解にすることは、自分にできる。たぶんそれが、六十歳の田中ケンジが夢の中で一秒で気づいたことだ。
ケンジはコーヒーを淹れ、木村さんへの返信を確認し、仕事の準備を始めた。
それだけのことだ。でもそれが全てだった。
正解ってものは
きっとないのだろうけれど
今のこれが
正解なのだろう
人生はあまりにも短い
そしてそれは
速さを増すばかり
後日談:
本来「人生やり直しパッケージ」を受け取るはずだった六十歳の田中ケンジは、その後もシステムエラーで一度もサービスを受けていない。本人は「別に構わない」と言っている。
ガブの残業代問題は、天界宅配(株)の労使交渉中である。解決の見通しは立っていない。
天界のシステムは四回目のアップデートを実施し、今度こそ安定するはずだったが、また別の箇所が壊れた。
田中ケンジ(二十四歳)と木村さんは、その後三年後に結婚した。式の二次会で、木村さんの友人と田村先輩の後輩が出会い、またいくつかの縁が生まれた。その一本の糸の先がどこまで続くかは、神様のシステムも把握していない。
それでよかった、とガブは思っている。
—— 了 ——
〜あとがき〜
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
著者の田中ケンジ(本人談)です。
「今ある場所を正解と認識した瞬間、それが正解ルートになる」
この物語の結末は、実は私自身が日々の満員電車や、終わらない書類仕事の中で、ふと考えたことから生まれました。
私たちは常に「正解」を探して生きています。どの会社に入るべきか、誰と付き合うべきか、あの時の選択は正しかったのか。過去を振り返っては、別の世界線にいるかもしれない「もっと幸せな自分」を羨んでしまうこともあります。
しかし、劇中で60歳のケンジが一秒でやり直しを断ったように、そして24歳のケンジが新しい縁を選んだように、人生の価値は「過去の選択の正しさ」ではなく、「今、目の前にある時間をどう愛せるか」にしかないのかもしれません。
……なんて、少し格好いいことを書いてみましたが、要するに「神様だって月300時間残業してバグと戦ってるんだから、人間もまぁ、そこそこに今を楽しんで生きようや」という、気楽なエールを受け取っていただければ幸いです。
最後に、私の突飛なアイデアを一冊の形にしてくださり、素敵な表紙をデザインしていただいたカトウかづひさ氏に、心からの感謝を捧げます。笑
あなたの歩むタイムラインが、今日も「正解」でありますように。

