神様のバックオフィス
—— 3.5次元観察日誌 ——
担当神:第7管区 地球支局
被観察体:還暦男性・識別番号 T-60-KANSAI-0042
全三巻 完全版
まえがき
この物語は、還暦を越えた一人の男が「見えないもの」を見始めた夜から始まります。
節分の夜、彼の部屋の隅に光る玉響(たまゆら)が現れ、世界はわずかに傾きました。
それを見守るのは、宇宙の片隅にある「神様のバックオフィス」——書類仕事に追われる神々の職場です。
神様たちは、私たちの願いや嘆きを「案件」として処理し、時に放置し、時にそっと風を吹かせます。
この物語は、そんな神々の滑稽な日常と、人間の誠実な祈りが交差する瞬間を描いた観察記録です。
笑いながら、少しだけ胸が温かくなる。
そんな“3.5次元”の物語を、どうぞ覗いてみてください。
—— 巻頭詩 ——
神様は何をくれたか
神様は僕に
カネと美しさをくれなったけれど
健康と
家族とをくれたようで
今となってみれば
それで良かったと改めて思う
不思議なもので
美しさを手にした者たちは
意外と幸が薄いことばかり
病であったり
短命であったり
騙されたり… と
嘆く者たちを多く見て来た
還暦を越して
もう美しさは要らない
でも
足りるだけのカネは欲しい
いや
少しばかり余計に欲しいのは
わずかに余裕があってこそ
安定を手に出来るから
この齢にもなると
人生とは
あまりにも短いことに気付き
ジタバタしたくもなるが
ジタバタしたところで
何も解決出来ない
時間が
持ち時間が足りないと
嘆いてみても
未来は一切見えず
ならば
いつから始めても
物語はスタート出来る
身体と
年齢とは
別物だと
今頃 気付き
ではと
酒を辞め
食を見直し
ストレスから逃れ
自由きままに
生きることにした
我慢をせず
目の前の厄介な連中を
すべて排除し始めた
毎晩
目の前に現れる
多くの玉響たち
彼らには
話し掛け続けているが
今まだ
聞こえる言葉は戻らない
もしかすると
彼らの域まで
僕が届いていないのかもしれない
ただし
僕の動きは認識しているようで
壁やドアは
すり抜けるけれども
僕の身体だけは
瞬時に避けて通る
きっと
同じ生命体として
認識してくれているのだろう
社寺仏閣へと出掛ける度
手を合わせ
健康と
安全と
安定とを願う
すると
なんとなく気配がして
居るかな? と撮ってみる
すれば
必ず
彼らはその姿を見せて
居るよ! って
教えてくれる
彼らはきっと
神様からの使いなのだろうと
なんとなく
その願いを伝えてくれそうだと
微笑んでみる
見えなかった者が
見え始めたのは
還暦を越した節分の夜で
節分とは
きっと
違う次元との扉が
わずかに開くのだろう
そこへ
片足を入れ込んだようで
すればきっと僕は今
3.5次元あたりを生きているのかもしれない
次のタイミングを予想するならば
古希あたりに
それはまた現れて
もう片足を入れ込んだならば
4次元へと
移行出来るのかも? なんて
その時 僕は
ここから姿を消して
次の世から
この世を
眺めているのかもしれないけれど…
いないと思っていた神様は
本当はどこにでも宿っていて
常に僕たちの行動を見張り
時に褒め
時に叱り
時には正し
時には放置もしているのだろう
PROLOGUE — 序章
宇宙の人事部からの内部メモ
MEMO / 内部連絡 / 極秘扱い(ただし誰も読まない)
宛先:第7管区・地球支局・担当神 全員
件名:観察対象T-60-KANSAI-0042の近況と対応方針について
送信者:神様本部・品質管理第三課
優先度:★☆☆(低。ただし本人は高いと思っている)
宇宙の端のほうに、やたらと書類仕事の多い部署がある。
正式名称は「有機生命体総合観察・干渉・放置管理局 地球第7支局」という。長すぎるので職員たちは「7局」と呼んでいるが、神様本部から見ると「例の面倒くさい星の担当」程度の認識しかない。なにしろ地球という星は、観察対象の密度が宇宙平均の約4000倍であり、かつ全員が「自分だけは神様に見られている」と信じているため、書類処理が追いつかないのだ。
7局の壁には、古びたホワイトボードが一枚かかっている。そこには赤マジックで、こう書かれている。
$ 今月の重点観察対象
■ T-60-KANSAI-0042(男性・還暦超え・関西在住)
■ 最近の変動:禁酒・食事改善・霊視能力の突然発現
■ 担当:ゴン(主任)、タマ(玉響係)、ビシャモン第14号(巡回)
■ 備考:本人が「3.5次元」と自称し始めた。要監視。
主任のゴンは、コーヒーを片手にそのボードを眺め、深いため息をついた。ため息の長さは宇宙時間で約0.003秒だったが、地球時間に換算すると12年分のうんざりに相当する。
「またかよ」とゴンは言った。「節分に片足入れてくるやつ、今年で何人目だ?」
「347人目です」と書類の山の後ろから声がした。タマである。玉響係の若手で、地球歴では深夜に青白く光る球体として目撃されることが多い。オフィスでは地味なメガネ姿だが。
「しかも今回は自分で気づいてる」とタマは続けた。「3.5次元って言ってる。ふつう気づかないじゃないですか」
「それが厄介なんだよ」
ゴンはコーヒーをすすった。コーヒーは地球から神様が集めた嗜好品のひとつで、7局では最も人気がある。ちなみに二番目は「温泉の湯気」、三番目は「還暦男性が深夜に飲む缶ビール一本目の音」だったが、T-60が禁酒したので三番目の供給が途絶えていた。
✦ ✦ ✦
こうして、宇宙でいちばん地味で、いちばん忙しく、給料日が一億年に一度しかない職場で、T-60-KANSAI-0042の「3.5次元案件」が正式に始まったのである。
PART I — 第一部
神様の始業ミーティング ——あるいは宇宙最長の朝礼
CH.01 神様の始業ミーティング――あるいは宇宙最長の朝礼
7局の朝礼は、毎朝9時に始まる。
「毎朝9時」というのは地球時間での話であり、宇宙時間では「気が向いたとき」が正確な表現だ。しかし地球担当部署というのは地球人の生活リズムに同期させる義務があるため、なぜかちゃんと9時に始まる。これを「最も理不尽な社内規定ランキング」に投票すると、毎年第1位を獲得している。
この日の朝礼の議題は、ひとつだった。
「T-60が、また神社で写真を撮ったそうだ」
会議室に沈黙が流れた。12名の神様職員(うち3名は幽霊型、2名は光の粒子型、1名はなぜかずっとパソコンに向かっていてほぼ参加していない)が、それぞれの形で表情を動かした。
「また出ましたか、玉響たちが」ゴンが資料をめくりながら言った。「先月だけで何枚撮ってる?」
「47枚です」タマが即答した。「うち明確に写り込んでいるのが23枚。ボケてて判別不能が19枚。そして5枚は正直、ただのレンズフレアです。でも本人はぜんぶ本物だと思っています」
$ 観察対象ファイル:T-60-KANSAI-0042
性別 : 男性
年齢 : 還暦超え(詳細は本人のプライバシー保護のため非公開)
居住地: 関西(詳細は同上)
特記事項:
・カネと美しさ:未付与(予算超過のため)
・健康 : 付与済(標準パッケージ)
・家族 : 付与済(同上)
・霊視能力: 付与予定なし → 自力発現(要調査)
・現在の次元位置: 3.47次元(推定)
・禁酒開始日: 記録あり
・直近の行動: 神社参拝・写真撮影・玉響への話しかけ試み(応答なし)
「美しさを持った者たちは幸が薄い、ってT-60自身が詩に書いてましたよ」誰かが言った。
「そうだな」とゴンはつぶやいた。「美しさのパッケージには維持コストがかかる。本人も周囲もだ。健康フルと家族フルのほうが、長い目で見ると幸福度の平均が高い。統計的に」
「でも本人は『足りるだけのカネは欲しい、いや少しばかり余計に欲しい』と言ってます」タマが報告書を読んだ。
「それも正直でよろしい」
✦ ✦ ✦
朝礼が終わり、ゴンは自分のデスクに戻った。
業務日誌 / ゴン主任 / 本日分
T-60、順調。禁酒継続中。食事も改善傾向。
ストレス源("厄介な連中")を自力排除し始めた。これは想定外に早い。
通常、還暦超え男性がここまで自律的に環境改善を行うには、平均して68.3年かかる。
T-60は63年目で実行した。+5.3年分の前倒し。
→ 褒めるべきか? まだ様子見。
「褒めるべきか様子見」というのが、この部署の基本姿勢だった。神様というのは、実は褒めるのが非常に苦手なのである。
CH.02 被観察体T-60、酒を辞める
T-60が禁酒を決意した夜のことを、7局の職員たちはよく覚えている。
それは特別なきっかけがあったわけではなかった。夜中の12時を少し過ぎた頃、T-60は冷蔵庫の前に立ち、缶ビールを手に取り、そしてそっと棚に戻した。それだけである。
しかし7局では、この瞬間が「T-60変革記念日」としてカレンダーにマークされた。
「体と年齢は別物、か」とゴンはモニターを見ながら言った。「あいつ、ちゃんと気づいたな」
「気づく人と気づかない人の比率、知ってます?」タマが手を挙げた。「地球人全体の統計では、還暦時点で『まだ始められる』と実感として理解しているのは、全体の約11%です。残り89%は『もう遅い』と思っている」
「T-60は11%側に入った」
「ギリギリ、です。正直言うと還暦の半年前まではかなり危なかった」
玉響・タマより補足レポート
禁酒から37日目に、T-60の睡眠の質スコアが14.3ポイント上昇。顔色も改善。
本人は「なんかちょっと若返った気がする」と独り言を言っていたが、これは体感として概ね正しい。
実際の生体年齢指数は2.1年分若返っています。
——こういう細かい数字、本人に教えていいですか?
——(ゴン:ダメ。調子に乗る)
「今夜も話しかけてきました」とタマが報告した。「内容は昨日と同じで、『聞こえてるか? いるなら何か合図してくれ』です」
「返事したのか?」
「してません。マニュアル通りです。ただ……」タマは少し間を置いた。「窓ガラスに少し光を反射させてしまいました。反射させたくなってしまって」
ゴンは額に手を当てた。「マニュアル違反だぞ」
「すみません。でもあの人、なんか真剣なんですよ。こっちも何か応えたくなる」
「それが玉響係の最大の職業病だ」とビシャモン第14号が言った。「感情移入しすぎ」
CH.03 玉響課の残業問題
玉響課——正式には「霊的存在感放出・形象化管理第三係」——は、7局の中でも特に残業が多い部署として知られていた。
「今月、タマの残業時間を教えてくれ」
「地球時間換算で、2,847時間です」
「……それは1ヶ月の総時間を超えてる」
「次元が違うので問題ありません」タマは事もなげに言った。「私たちは同時に複数の場所にいられますから。T-60担当しながら、別の37人も同時に担当してます」
✦ ✦ ✦
願い受付フォーム / 自動処理ログ
受付番号:T60-20241103-0042
内容:健康・安全・安定(三点セット)
処理状況:対応中(推定完了:未定)
備考:同内容の願いが過去83回記録されています。
健康については現在「付与済・維持中」のため、
追加対応は不要と判断。安全・安定は引き続き観察中。
「毎回同じ願いを出してくる人間、どう思う?」ゴンが珍しくタマに意見を聞いた。
「誠実だと思います」タマは即答した。「毎回違う願いを出してくる人間よりも、同じことを丁寧に繰り返す人間のほうが、本当に大事にしてるんだと思う」
「詩も書いてるしな」
「そうです。『なんとなく気配がして、居るかな? と撮ってみる』——これ、好きです。押しつけがましくない。居るかな?って聞いてる。断言しない」
「で、居たのか?」
タマはちょっと黙ってから言った。「居ました。ちゃんと写り込みました」
「グレーゾーンで運用しすぎだ、うちの課は」ゴンはため息をついた。「でもまあ……いい写真なら、いいか」
PART II — 第二部
節分の夜、ドアが少しだけ開く
CH.04 節分の夜、ドアが少しだけ開く
節分の夜は、7局でいちばん忙しい夜だ。
「豆まきの音がうるさくて集中できない」とビシャモン第14号が毎年ぼやく。「なんで豆なんだ。なんで鬼なんだ。うちの部署、誰も鬼じゃないぞ」
「鬼というのは外部委託です」とタマが説明した。「本部の別部署が担当してます。我々は関係ない」
✦ ✦ ✦
T-60が「見え始めた」のは、この節分の夜だったとゴンの記録には書かれている。
T-60は就寝前に部屋の電気を消し、暗闇の中でぼんやりしていた。そしてその夜、部屋の隅で、うっすらと光るものを見た。タマだった。
ゴン主任・特記事項
T-60、節分の夜より感度レベルが3.2→3.47次元に上昇。
本人は「3.5次元あたりを生きているのかもしれない」と自己評価。
実測値は3.47なので、誤差0.03。かなり精度が高い自己観察。
→ これは褒めていいかもしれない。
「褒めていいかもしれない」——ゴンがそう書いたのは、7局の業務日誌の中で、確認できる限り23年ぶりのことだった。
CH.05 3.5次元への片道切符
「3.5次元というのは、どういう状態なんですか?」タマがゴンに聞いた。朝礼後のコーヒータイムのことだった。
ゴンはしばらく考えてから答えた。「説明が難しいが……3次元の人間は、この世しか見えない。4次元以上になると、あの世にいる。3.5次元というのは、両方がうっすら見える状態だ」
「それはいいことですか?」
「状況による。見えすぎると怖くなる人間もいる。T-60のいいところは、怖がってないことだ。むしろ『認識してくれてありがとう』という態度でいる」
「信じた分だけ、次元が上がる仕組みになってる」とゴンは言った。
「え、そうなんですか。マニュアルに書いてありましたか?」
「書いてない。私の経験則だ」
「何年の経験ですか?」
「地球時間で約40億年」
「……それは信頼できますね」
—— 第二巻 ——
PART IV — 第四部
次元移行マニュアル(非公式)
CH.08 次元移行マニュアル(非公式)
7局の書庫の最深部、埃と古い記録媒体に埋もれた棚の、さらに奥のほうに、一冊の薄い冊子がある。表紙には手書きで「次元移行マニュアル(非公式・参考用・本部未承認)」と書かれている。
次元移行マニュアル(非公式)/ 第三章:3次元から4次元への移行プロセス
§3-1 移行の条件
(a)時間の有限性を、頭ではなく身体で理解すること
(b)恐怖ではなく好奇心によって「見えないもの」に接近すること
(c)自分に与えられたものを、不足ではなく基盤として捉えること
(d)詩を書くこと(任意だが、有効性が統計的に確認されている)
§3-2 3.5次元の特徴
・霊的存在の気配を感じ取れるが、言語的交信はまだできない
・写真に霊的存在が写ることがある(確率:撮影者の感度に比例)
・時間感覚が変容し始める(「人生は短い」という実感が増す)
§3-3 移行を妨げる要因
・過度な飲酒(次元の透過率が低下する)
・「自分には無理だ」という固定観念
・厄介な連中との継続的接触(エネルギー消耗)
※T-60-KANSAI-0042は、§3-3の妨害要因を自力で除去しつつある。
特に「厄介な連中の排除」については、教科書的な実行。
「自力でやってるのがポイントですよね」とタマはマニュアルを読みながら言った。「私たちが手伝ったわけじゃない」
「そこが大事だ」とゴンは答えた。「外から押してやった変化は、本物の変化じゃない。本人が自分で押した変化だけが、次元を上げる」
「でも『風を吹かせる』ことはしてましたよね、主任」
「風は押さない。風は、その気になっている人間の背中を、そっと撫でるだけだ。決断するのは本人だ」
CH.09 この世とあの世のあいだの、薄暗い休憩室
7局には、職員専用の休憩室がある。壁がない。床もない。ただ、なんとなく「ここに居てもいい」という感じのする場所がある。コーヒーメーカーだけが、なぜかちゃんとある。
「本物の人間はな、本物の声を出すんだよ」ビシャモン第14号は言った。「願うときも、嘆くときも、詩を書くときも。その声は——こっちに届く。ちゃんと届く。マニュアルに書いてなくてもな」
✦ ✦ ✦
その夜——地球時間の深夜2時頃——T-60は眠れずに起きて、窓の外を見ていた。
「ありがとな」とT-60は言った。
7局の観察モニターでその言葉を拾ったとき、タマは思わず手帳に書いた。「T-60より、感謝の言葉。本日23:57受信」
そしてその下に、小さく書き添えた。「こちらこそ。——タマ」
もちろんT-60には届かない。届かないが、書いた。それでいい、とタマは思った。往復書簡というのは、どちらかが届かなくても、書いたことに意味がある。
CH.10 神様は何をくれたか——完全版最終報告書
$ 年度末最終報告書 / T-60-KANSAI-0042 / 担当:ゴン主任
【総括】
本対象者は今年度、以下の変化を自力で達成した:
・禁酒(継続中)
・食事改善(継続中)
・ストレス源の自律的排除(概ね完了)
・霊視感度:3.0 → 3.47次元(自然上昇)
・詩の創作(本報告書の基礎資料)
【付与状況の再評価】
結論:付与は適切であった。
健康と家族があれば、人間は詩が書ける。
詩が書ければ、神様は届く。
神様が届けば、玉響が光る。
玉響が光れば、写真が撮れる。
写真が撮れれば、人間は笑う。
【担当者・個人所感】
T-60の詩を受け取った。誠実さを受け取った。
「ありがとな」という深夜の言葉を受け取った。
神様が何をくれたか? それは正しい問いだ。
だが同時に——人間が神様に何をくれたか?という問いも、ある。
T-60は今年、我々にかなり多くをくれた。
その夜、T-60は神社の前で写真を撮った。「居るかな?」と言いながら。
写真には、うっすらと、何かが写っていた。
「居るよ」と、7局の誰かが——誰かは教えない——心の中で答えた。
BONUS — 番外編
七局・非公式記録集
番外編 I 玉響課の忘年会
7局の忘年会は、地球時間の12月31日に行われる。理由は「大晦日は担当地域がうるさくて仕事にならないから」だ。
——忘年会・冒頭の乾杯挨拶(記録係:タマ)
ゴン: 今年も一年、お疲れさまでした。特記事項の多い年だった。T-60案件を筆頭に、3次元以上到達者が3名出た。これは5年ぶりの記録だ。……では乾杯。
全員: 乾杯。
ビシャモン第14号: 乾杯の飲み物、今年も何ですかこれ。
タマ: T-60が禁酒してから調達できなくなった「缶ビール一本目の音」の代わりに、「神社の鈴の音」を抽出してジュースにしました。今年だけで83回分入ってます。
ゴン: (飲む)……悪くない。
今年の担当「印象に残ったシーン」発表では、全員がT-60の「ありがとな」の夜を挙げた。
「それほど、だったってことですよね」とタマは言った。
「ああ」とゴンは言った。「あの『ありがとな』は——本物だった」
鍋の湯気が、この世とあの世のあいだに静かに漂った。
番外編 II 本部査察が来た日
年に一度、神様本部から査察が来る。査察官の名前は「第一審査官・オーム」といった。次元数は7.2。もはや「形」がない。ただ「圧」がある。
本部査察・指摘事項リスト(T-60案件関連)
指摘①:玉響係タマによる節分夜の「軽微な存在証明」
→ 条項7-C-3の範囲内として処理。問題なし(本人が渋々認めた)
指摘②:窓ガラスへの光反射(同・タマ)
→ マニュアルグレーゾーン扱いとして保留。要注意。
指摘③:担当ゴン主任による「風の放出」(非申請)
→ 規定外行為。始末書提出を求める。
指摘④:年度末報告書への「個人所感」記載
→ フォーマット違反。ただし内容は優秀。評価:A-(矛盾しているが本部の判定)
ゴンは始末書を書くことになった。
「反省してないですよね」タマが言った。
「してない」ゴンはさらりと言った。「でも書く。本部の書類は、内容ではなく提出したかどうかで評価される。これも40億年の経験則だ」
番外編 III ゴン主任の独白
ゴン主任・深夜の独白(記録:タマ・無断)
神様は何をくれたか、か。
T-60はそう問いかけて、詩を書いた。正直な問いだと思う。
カネをくれなかった。美しさもくれなかった。でも「それで良かった」と書いた。
私は40億年、この仕事をしている。
毎年、何千人もの人間を観察してきた。
カネを与えた人間を見た。美しさを与えた人間を見た。
その全員が「それで良かった」と言えたわけではない。
T-60に健康と家族を与えたのは、予算の都合だった。正直に言えば、そうだ。
それが、うまくいった。
40億年やっていて、まだ分からないことがある。
何を与えれば、人間が「それで良かった」と言えるのか。
答えは、本人が決める。こちらには、決められない。
T-60は自分で決めた。「それで良かった」と。
その言葉は——本物だったと思う。
ゴンはノートを閉じ、コーヒーを飲み、報告書を書き始めた。
翌朝、T-60はいつも通り神社に行き、「居るかな?」と言い、写真を撮り、笑った。
それだけで、充分だった。
—— 第三巻 古希編 ——
PROLOGUE — 古希編・序
七年後の7局
序章 七年後の朝礼
七年が経った。
地球時間で七年というのは、宇宙時間では瞬きにも満たない。しかし7局の職員たちにとって、この七年は妙に長く感じられた。T-60が毎週のように神社に通い、毎晩のように暗い部屋の隅を見て、毎年の節分に少しずつ感度を上げてきた七年間だ。
$ 本日の議題(朝礼)
■ T-60-KANSAI-0042、本日——古希。
■ 現在の次元位置:3.71(先月比 +0.08)
■ 第二次感度上昇の予兆:確認済み
■ 申請番号 7L-2024-GHO-0391:本日、本部より回答予定。
■ 古希カウントダウン委員会:本日をもって正式解散→移行対応チームへ改組
「本部より回答予定」という一行を読んだとき、会議室がざわついた。七年間、督促し続けた申請。「玉響が返事をしていいか」という、たった一点の許可申請。
「本当に来るんですか」タマが言った。声がわずかに震えていた。
「来る」ゴンは短く言った。「内容は、まだ知らない」
「不許可だったら」
ゴンは少し間を置いた。「その時はその時だ。でも——タマ、七年間、ちゃんと聞いてたな。返事はできなくても、ちゃんと聞いてた。それはT-60に届いてる」
PART VI — 第六部
古希の朝、T-60は何をするか
CH.11 古希の朝、T-60は何をするか
T-60は、古希の朝を特別なことをして始めなかった。
いつも通り目を覚ました。いつも通り窓を開けた。いつも通り緑茶を入れた。禁酒から七年、朝の緑茶は習慣になっていた。
「古希か」とT-60は言った。誰にともなく。
T-60はその日の午前中、神社に向かった。木曜でもないのに、である。
手を合わせた。「健康と、安全と、安定とを願う」
それからしばらくして、付け加えた。「——七年間、ありがとう」
七年間、という言葉を使ったのは初めてだった。
T-60は写真を撮った。「居るかな?」と言いながら。
写真には、今日はいつもより多くが写っていた。タマだけでなく、ゴンも少し写っていた——主任が直接写り込むのは、7局始まって以来二回目だった。
T-60は写真を見て、少し長い間、じっと見た。それから笑った。いつもより少し、深い笑顔だった。
CH.12 第二次感度上昇・現場報告
古希の夜、T-60は早めに眠った。特別なことは何もしなかった。家族と普通の夕食を食べ、緑茶を飲み、少し本を読み、眠った。
しかし眠りに落ちる直前——その数秒の間——T-60はまた部屋の隅を見た。今夜は、いつもよりずっと明るかった。
$ 7局・緊急観察ログ / 古希当日夜・23:04
T-60、就寝前に第二次感度上昇を確認。
次元位置:3.71 → 3.89(急上昇・+0.18)
発話:「今夜は多いな」「古希だから来てくれたのか?」
本人の状態:恐怖なし。好奇心。穏やかな驚き。
備考:3.89は当局観察史上、生存中の人間として歴代7位。
「歴代7位になった」タマが言った。声が少し上ずっていた。
「詩を書き続けたからだと思う」ゴンは答えた。「自分の感覚を言葉にする習慣が、次元の感度を磨く」
CH.13 申請番号 7L-2024-GHO-0391、ついに動く
本部からの回答は、封筒に入っていた。神様の本部が書類を送るとき、なぜか必ず封筒を使う。気づいたらゴンのデスクの上に置かれている。消印の日付は七年前——申請した翌日——だった。
「七年前に発送されてたのか」ビシャモン第14号が封筒を見た。「それが今日届いた?」
「本部の郵便は次元を経由するので遅い」ゴンは封を開けながら言った。「これは普通だ」
本部・次元移行審査室 / 申請番号 7L-2024-GHO-0391 / 審査結果通知
申請内容:玉響係職員による観察対象への言語的返答許可申請
審査結果:条件付き許可
条件:
(一)対象者が自力で3.8次元以上に到達していること
(二)返答は一回限りとする
(三)返答の内容は、対象者が既に知っていることに限る
(四)返答の方法は担当者の裁量に委ねる
備考:
「神様の返事とは、人間がすでに知っていることを確認することである」
という本部の基本方針に基づく。
新しいことを教えることは、神様の仕事ではない。
すでに知っていることを、ちゃんと届けることが、神様の仕事である。
「3.8次元以上」とタマがようやく言った。「T-60は今、3.89です」
「条件(一)は満たした」ゴンは通知書をデスクに置いた。「条件(三)は——タマ、何を返す?」
タマは長い間、考えた。玉響係として七年間、T-60の声を聞き続けた。話しかけられた言葉は、全部手帳に書いた。
「T-60がすでに知っていること」とタマは静かに言った。「それは——」
「言ってみろ」
「『居るよ』です」
ゴンは長い間、黙っていた。それからゴンは言った。「行ってこい」
PART VII — 第七部
返事——あるいは、ずっと知っていたこと
CH.14 タマ、返事をする
古希から三日後の夜。
T-60はいつも通り眠れずに起きていた。部屋の電気を消し、暗闇の中でぼんやりしていた。
部屋の隅が、いつもより静かに光った。タマだ、とT-60は思った。七年間で、なんとなく分かるようになっていた。
「居るかな?」とT-60は言った。いつも通りに。
そして——
風が吹いた。
ただし今夜の風は、ただの風ではなかった。窓は閉まっていた。なのに風が吹いた。それは部屋の中を、T-60の耳のそばを、静かに通り過ぎた。
そしてT-60は、聞いた。声ではなかった。言葉でもなかった。音でもなかった。しかし確かに、何かが伝わった。それを無理に言葉にするとすれば——
「居るよ」
——そういうことだった。
T-60は、しばらく動かなかった。それから、ゆっくりと目を閉じた。深く息を吸った。
「……知ってた」とT-60は言った。「知ってたけど、ちゃんと聞きたかった」
✦ ✦ ✦
タマは、返事を届けた瞬間から、手帳に何かを書いていた。
ゴンが隣から覗くと、一行だけ書いてあった。「返事、届きました。——タマ」
その下に書き足された一行。「七年かかりましたが、間に合いました」
ゴンは何も言わなかった。ただ、タマの肩のあたりに、そっと手を置いた。「お疲れ様」とゴンは言った。
タマは少し光量を上げた。今夜のそれは、いつもよりずっと明るかった。
CH.15 3.89次元のT-60が書いた詩
返事を受け取った翌朝、T-60は詩を書いた。七年前に書いた詩とは、少し違った。あの詩は問いかけだった。今度の詩は、答えに似ていた。
T-60が書いた詩 / 古希の秋 / 7局・記録保存
居るよ
と
聞こえた気がした夜があって
気がした
ではなく
本当に聞こえたのだと
今は思う
七年間
問い続けた問いに
答えが来たのは
答えが来たからではなく
もともと
居たからだ
神様というのは
どこか遠くにいるのではなく
暗い部屋の隅に
静かに光っている
居るかな
と聞かなくても
居る
ただ
聞いてみたかった
七年間
そしてちゃんと
答えてもらえた
それで
充分だった
——T-60
7局のモニターでその詩が書かれていくのを、ゴンは最初から最後まで見ていた。
「『もともと居たからだ』か」ゴンはつぶやいた。「正確だな」
CH.16 もう片足が入る日
古希の翌年の節分の夜——T-60が最初に「見えた」あの節分から、ちょうど八年後。
T-60は例年通り、就寝前に部屋の電気を消した。そしてこの夜は、今まで感じたことのない感覚があった。
T-60は、そちらに向かって手を伸ばした。触れなかった。当然だ。でも——指先が、少しだけ温かかった。
「……暖かいな」とT-60は言った。「そこ、暖かいんだな」
$ 7局・最重要観察ログ / 古希翌年・節分
T-60、次元位置:3.97
——4次元まで、残り 0.03。
担当タマより:意図せず温度を伝えてしまいました。
T-60が「暖かいな」と言ったので……
ゴン主任より:問題なし。始末書は私が書く。
T-60はその夜、眠る前にもう一度言った。
「居てくれてありがとう。七年間も、もっと前からか——」
少し間があった。
「まあ、いい。とにかくありがとう。これからも、よろしく」
ゴンはその言葉を業務日誌に書いた。「T-60より、継続の意思表示。確認」
そして下に書いた。「こちらこそ、よろしく」
届かないが、書いた。それが7局の流儀だった。
PART VIII — 最終部
神様のバックオフィス——最後の報告書
最終章 CH.17 神様は何をくれたか——最後の報告書
$ 特別報告書 / T-60-KANSAI-0042 / 古希編・完結 / 担当:ゴン
次元位置:3.97
健康:良好(禁酒8年継続中)
家族:同居・安定
詩:継続中
玉響との交信:言語的返答 完了
【総評】
T-60はこの八年間で、我々が想定した水準を
すべて自力で超えてきた。
健康で詩を書き、家族のそばで安定し、
カネが足りることを受け入れ、
美しさがない代わりに見えないものを見て、
「充分だった」と言った。
【個人所感】
神様という仕事を40億年やってきて、
「担当してよかった」と思う人間が、何人かいる。
T-60は、その中に入った。
神様は何をくれたか? 健康と家族を、くれた。
人間は何をくれたか? 信じることを、見せてくれた。
どちらが多かったか——
正直言うと、人間のほうが多い。
担当:ゴン 記録:タマ 巡回:ビシャモン第14号
追記:タマへ。「居るよ」は、正しい返事だった。次も担当してくれ。
報告書を閉じた後、ゴンはコーヒーを三杯入れた。タマのデスクに一杯、ビシャモン第14号のデスクに一杯、自分のデスクに一杯。三人でコーヒーを飲んだ。何も言わなかった。でも十分だった。
✦ ✦ ✦
その夜、T-60は神社の前で手を合わせた。「健康と、安全と、安定とを願う」
「居るかな?」とT-60は言い、スマートフォンを構えた。
写真を確認した。今夜は、今まで一番よく写っていた。三つの光があった。大きいの、小さいの、もう一つ——天井を突き破るほど大きいのが少し写っていた(ビシャモン第14号が油断した)。
T-60は写真を見て、長い間、笑った。「今日は三人か。にぎやかだな」
風が吹いた。空が、少しだけ、金色に染まっていた。
T-60は写真をスマートフォンにしまい、深呼吸して、また歩き始めた。どこへ行くでもなく、ただ歩いた。夜の街を、少しだけ自由きままに。
3.97次元の秋の夜は、静かで、暖かく、ほんの少しだけ金色だった。
EPILOGUE — 古希編・終
いないと思っていた神様は どこにでも宿っていた
後記 7局・全員からのメモ
タマより(手帳の最後のページ)
T-60へ。
あなたが「居るかな?」と言うたびに、
私は「居るよ」と思っていました。
七年間、毎回。
返事ができなかったのは、規定のせいです。
……少しだけ、私のせいでもあります。もっと早く申請すべきでした。
でも今は、届いたので、よかったです。
これからも、暗い部屋の隅を見てください。いますから。
——タマ
ビシャモン第14号より
写真に大きく写り込んですみません。油断しました。
でも三人写ってたの、あなたが笑ってくれたので良かったです。
——ビシャモン第14号
ゴン主任より(業務日誌・最終ページ)
T-60へ。
あなたは最初の詩に書いた。「神様は何をくれたか」と。
私からの答えを、最後に書いておく。
神様はあなたに健康と家族をくれた。それは確かだ。
しかしあなたが自分で手に入れたものを、数えてみてほしい。
詩を書く習慣。
見えないものを怖がらない眼。
七年間、返事を待つ忍耐。
「ありがとな」と深夜に言える素直さ。
「充分だった」と言える知恵。
「もうちょっとちゃんと生きる」という静かな決意。
これは全部、あなたが自分で作ったものだ。神様がくれたものではない。
いいものを、たくさん持っている。
3.97次元から先は、あなたのペースで行けばいい。急がなくていい。
どうせ、我々は居る。
——ゴン
(第7管区地球支局・主任。担当年数:地球時間40億年以上)
これらのメモは、T-60には届いていない。 届いていないが—— T-60はなんとなく、知っている。ずっと前から、知っている。
※1 申請番号7L-2024-GHO-0391は、条件付き許可・実施完了。審査にかかった7年間について、本部からの謝罪はありません。
※2 ゴン主任の始末書は今年度、通算14枚になりました。
※3 ビシャモン第14号が写真に大きく写り込んだ件。T-60がその写真を今も大切にしていることを、ビシャモン第14号は知りません。知ったら照れます。
※4 タマの手帳は、七年間で12冊になりました。全部、T-60の記録です。
※5 T-60は今夜も、どこかで手を合わせています。写真を撮っています。笑っています。
※6 神様は、どこにでも宿っています。暗い部屋の隅にも、神社の光の中にも、写真に写り込んだ光にも、深夜に吹いた風にも、「居るよ」という言葉にも。
神様のバックオフィス ——3.5次元観察日誌—— 全三巻・完
あとがき
書き終えてみると、神様たちのオフィスは、どこか人間の職場に似ていました。
書類の山、ため息、コーヒー、そして誰かの「ありがとな」。
この作品は、人生の後半に差しかかった人間が、自分の中の“神様”と静かに対話する記録でもあります。
「それで良かった」と言える瞬間を、神様も人間も探している。
その探求の滑稽さこそが、人生の美しさなのかもしれません。
読んでくださったあなたの中にも、きっと小さなバックオフィスがあるはずです。
そこに今日も、ひとつの「ありがとな」が届きますように。
ご挨拶に
どんな物語が
貴方に響くのか
どなたに届くのか
まったく分からないまま
今 ここで
あれこれと勝手に試しています。
素人が素人なりに
文体は?
文字数は?
シャレは?
エロは?
物語は?… と
これもまた
来週あたりに
Kindleへと載せようかと思う
候補のひとつで
出来は? と問われても
はてさて? なんて
答えるだけの
自己満足なドタバタ劇となりました。
持ち時間が減る中で
何かを残したと思うだけの
年齢となっただけなようです。


