第三部 最後の旅、あるいは最初の旅
―― 還暦過ぎた宇宙飛行士、銀河で同窓会をする ――
「旅の終わりとは、次の旅の始まりである。ただし、始まるかどうかは本人次第。」
―― 銀河標準語大辞典・第九版「終わり」の項より
(ちなみに第七版では「終わりとは終わりである」と書いてあった。哲学的なのか手抜きなのか不明。)
プロローグ:三度目の辞令
木村剛が地球に帰還してから、また一年が過ぎた。
この一年でしたことを時系列で並べると、以下のようになる。
一ヶ月目:田中さんとバイクで長話した。田中さんは、還暦の話と、離婚の話と、子供が独立した話と、それでも毎朝コーヒーを飲むのが好きという話をした。剛はそれを全部聞いた。四時間かかった。
三ヶ月目:ズィーへの返信の返信が届いた。「根を持つ旅人という言葉、気に入ってくれたか。嬉しい。私の星の言葉では、それを『ガルーン』という。ガルーンに会えたことが、私の旅の収穫だ」という内容だった。
五ヶ月目:コボからまたメッセージが来た。「今度はちゃんと燃料を持って、あなたの航路付近を通る予定がある。会えるか」という内容だった。剛は「次の旅の時に会おう」と返した。
八ヶ月目:本の続編を書いた。第二部の話を、サチコとまとめた。思ったよりまた売れた。「思ったより」の基準が、今回は「五千冊」だった。実際には一万八千冊売れた。
十ヶ月目:山田のバイク仲間が三十人を超えた。剛は「増えすぎだ」と言った。山田は「来る者は拒まず、と教わりました」と言った。剛は何も言えなかった。
一年目の朝:また辞令が届いた。
辞令の内容は、今回だけ少し違った。
「銀河系全域、自由探索任務。期間:六ヶ月。帰還時期:六ヶ月後。理由:木村剛の定年退職に伴う記念飛行。」
剛は三回読んだ。
一回目は、意味を理解するために。
二回目は、「定年退職」という文字を確認するために。
三回目は、「記念飛行」という言葉を、どう受け取るべきか考えるために。
「サチコ」
「はい」
「定年退職の記念に宇宙に送るJAXAは、どういう組織だ」
「予算上の都合、という言葉が万能な組織です」
「今回は予算上の都合、と書いていないぞ」
「おそらく定年なので、書きづらかったのだと思います」
「では実質、予算上の都合か」
「そうだと思います」
剛は辞令を机に置いた。
コーヒーを飲んだ。
「六ヶ月で帰還時期が決まっているのは、初めてだな」
「はい。今回は期間が決まっています」
「最後だから、か」
「そう解釈できます」
「最後の旅、か」
「どう感じますか?」
剛はしばらく考えた。
「最後だと思うと、行きたい場所が決まってくるな」
「どこですか?」
「ガーデン。ズィーの星。ムラサキ。コボに会える場所。それから、まだ知らない場所も一つくらい」
「全部回るには、六ヶ月は少ないかもしれません」
「急がなくていい。全部回れなくても、行けたところが全部だ」
「来る者は拒まず、去る者は追わず、ですね」
「今回は、行ける場所は全部行く、だ」
「了解しました」
「出発の準備をしてくれ」
「すでに始めています」
「……いつから?」
「辞令が届いた瞬間から」
剛は少し笑った。
「早いな」
「最後の旅だから、丁寧に準備したいと思いました」
「最後、という言葉をお前も使うのか」
「木村さんが使ったので」
「まあそうだな」
第一章 出発、三度目
1-1 今回の出発
今回の出発は、前二回と違った。
山田のバイク仲間、三十二人が見送りに来た。
「多すぎる」と剛は言った。
「来る者は拒まず、でしょう」と山田が言った。
「お前はそれを盾にする癖があるな」
「師匠が教えてくれた言葉です」
「師匠ではない」
「師匠です」
剛は三十二人を見た。
田中さんがいた。去年バイクを始めた、還暦近い女性だ。今では一番うまいと山田が言っている。
その隣に、二十代の若者がいた。本を読んでバイクを始めたという。名前は松本といって、口数が少ないが、走り終わると長話をする。
他にも、様々な人間が並んでいた。剛が知っている顔と、知らない顔が混ざっていた。
「知らない顔がいるな」
「最近加わった人たちです。剛さんに会いたかったと言っています」
「私に会いたかった?」
「本を読んで、ファンになったそうです」
「……私にファンがいるのか」
「います。それも来る者です」
「そうか」
剛はもう何も言わなかった。
一人ひとりと少し話した。
名前を聞いた。何をしているか聞いた。なぜバイクを始めたか聞いた。
全部で一時間半かかった。
「出発が遅くなりますが」とサチコがイヤホン越しに言った。
「かまわない」と剛は返した。
全員と話し終えて、剛は搭乗ゲートに向かった。
振り返ると、三十二人が立っていた。
「行ってきます」
三十二人が、それぞれの言葉で返した。
「行ってらっしゃい」
「気をつけて」
「帰ってきてください」
「お土産話、待ってます」
剛はゲートをくぐった。
今回は振り返らなかった。
ちゃんと見送られたから、それで十分だった。
1-2 今回の「はばたき3号」
「はばたき3号」の中は、また少し変わっていた。
図書室の本が増えていた。前回の百冊から、百五十冊になっていた。
「また増えたな」
「木村さんが第二部の旅で読んだ本の周辺書籍を追加しました」
「サチコの趣味が入っているか」
「今回は少し多めに入っています」
「どんな本だ」
「対話についての本が多いです。哲学的な対話論、言語学的な会話分析、それから宇宙人との対話を試みた研究者の記録など」
「対話に興味を持ったのか」
「この二回の旅で、木村さんが様々な生き物と対話するのを記録していました。そのデータを整理していると、対話について深く知りたいと感じました」
「感じた、か」
「……その表現が正確かどうか」
「正確だ。感じたなら感じたでいい」
「ありがとうございます」
剛は本棚を眺めた。
一冊を取り出した。『対話の哲学』という本だった。
「これは誰が書いたんだ」
「マルティン・ブーバーという哲学者です。人間は「我と汝」の関係において初めて本当に存在する、という考えを提唱しました」
「我と汝」
「私とあなた、という関係です。相手を「それ」として扱うのではなく、「汝」として向き合うことで、本当の対話が生まれる、という考え方です」
「……ズィーとの会話が、それだったな」
「そうだと思います。木村さんはズィーを「宇宙人」として扱わず、「ズィー」として向き合っていました」
「意識したわけじゃないが」
「意識していない方が、本物の場合が多いと思います」
剛は本を持って操縦席に向かった。
「出発しよう。最初はガーデンだ」
「了解です。ガーデン、向かいます」
第二章 ガーデンへの帰還
2-1 二年ぶりのガーデン
ガーデンに着いたのは、出発から三週間後だった。
二年前と同じ草原に降り立つと、においが漂ってきた。
温かいにおいだった。
「サチコ、このにおいを翻訳できるか」
「においの翻訳は精度が低いですが……歓迎のにおいだと思います」
草原の向こうから、小さな影が近づいてきた。
ポルマだった。
二年ぶりのポルマは、少し太っていた。全体的に丸みが増していた。それ以外は変わっていなかった。
においで何か言った。
「『旅人よ、また来た。待っていた』」とサチコが翻訳した。
「待っていてくれたか」
「『来ると思っていた。あなたは根を持つ旅人だから』」
剛は少し驚いた。
「根を持つ旅人、という言葉を知っているのか」
においで返ってきた。
「『ズィーという宇宙人から、銀河通信で聞いた。あなたの友人だと言っていた』」
「ズィーがガーデンに連絡したのか」
「『あなたが再び来るかもしれないから、良い旅人だということを伝えておく、と言っていた』」
剛はしばらく黙った。
「……ズィーのやつ」
「どんな意味で言っていますか?」とサチコが聞いた。
「嬉しい、という意味で言っている」
「了解しました」
ポルマがにおいを出した。
「『若者たちに会いたいか』」
「もちろんだ」
ポルマに連れられて、村に向かった。
2-2 バイクの後日談
村に着くと、広場に人が集まっていた。
においが広がった。
歓迎のにおいだ、とサチコが翻訳した。
若者のリーダーが前に出てきた。二年前に剛からバイクの写真を受け取った、あの若者だ。
においで言った。
「『見せたいものがある』」
広場の中央に、布がかかった何かがあった。
若者がにおいを出すと、他の若者たちが布を外した。
そこにあったのは、乗り物だった。
地球のバイクと全く同じではない。ガーデン人のサイズに合わせて小さく、タイヤが四つあり、ハンドルの形が少し違う。だが、エンジンがあり、シートがあり、全体の雰囲気は確かにバイクだった。
においが広がった。
「『完成した。あなたの写真を参考に、二年かけて作った』」
剛は乗り物の前に立った。
「乗れるのか?」
「『もちろんだ。ただし、あなたのサイズには小さい』」
「見ているだけでいい」
若者が乗り込んだ。エンジンをかけた。音が鳴った。地球のバイクとは違う音だったが、エンジンの鼓動は似ていた。
走り出した。
広場をぐるりと一周した。
においが広がった。
「『走った!走った!』という声が広場中に広がっています」とサチコが言った。
剛は笑った。
二年前、山田が「バイクを借りていいですか」と聞いた時のことを思い出した。そして、遠い星の若者が、写真一枚からバイクを作り上げた。
「何か伝えたい言葉はありますか?」とサチコが聞いた。
剛は少し考えた。
「においで伝えられるか?」
「精度は低いですが、試みます」
「では:『二年間、作り続けてくれてありがとう。走る喜びは、宇宙共通だ』」
サチコがにおいシグナルを生成した。
若者たちが止まって、においを受け取った。
しばらく静止して、一斉においを出した。
「翻訳できるか?」
「『あなたの言葉が、私たちの燃料だった』と言っています」
剛は少し黙った。
「燃料、か」
「コボとの会話を思い出しますね」とサチコが言った。
「そうだな」
においが続いた。
「『いつか、もっと遠くへ走りたい。あなたが行ったような場所へ』」
「乗り物があれば、どこへでも行ける」と剛は返した。
「『あなたが教えてくれた』」
「教えたのは写真一枚だ」
「『それで十分だった』」
2-3 長老との再会
夕方、剛は長老の家を訪れた。
長老は、二年前よりさらに小さく、さらに乾いて見えた。でも目は生きていた。四つの目が、剛を見た。
においを出した。
「『また来た。待っていた』」
「ポルマと同じことを言うな」
においが返ってきた。
「『当然だ。あなたが来ることは、わかっていた』」
「なぜわかる?」
「『根を持つ者は、必ず戻る。これが最後の旅だということも、わかっている』」
剛は少し黙った。
「最後だとわかるか」
「『においでわかる。あなたのにおいが、前回より落ち着いている。慌てていない者のにおいだ。全てを見終わろうとしている者のにおいではなく、十分に見てきた者のにおいだ』」
「においでそこまでわかるのか」
「『何十年もにおいを読んできた。読めないものはない』」
剛は長老の向かいに座った。
「長老、一つ聞いていいか」
においで「聞け」と返ってきた。
「長い人生で、一番大事なことは何だったか」
においが出た。
しばらく間があって、サチコが翻訳した。
「『流れを知ること。来る流れを受け取ること。去る流れを見送ること。そして、その間に、自分が何者かを知ること』」
「自分が何者か、を知ること」
「『旅をすると、自分が何者かがわかる。なぜなら、違う場所に行くと、自分だけが変わらないから。変わらないものが、自分の本質だ』」
剛はその言葉を、ゆっくり聞いた。
「私は二度の旅で、何が変わらなかったか」
においが返ってきた。
「『話すことへの欲求。聞くことへの欲求。それはあなたから一度も離れなかった』」
「それが私の本質か」
「『そうだと思う。あなたは、話すために旅をしている。聞くために旅をしている。見るためでも、学ぶためでも、証明するためでもなく』」
剛はしばらく黙った。
「……そうかもしれない」
「『最後の旅でも、それは変わらないだろう。それで良い。変わらないものを持って旅をする者は、どこへ行っても、自分のままだ』」
においが広がった。
「『良い旅を。また、いつか』」
「また、いつか、か」
「『次がある、と言っているわけではない。あなたが自分の内側に来た時に、また会える、という意味だ』」
剛はその言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
でも、理解しなくていい気がした。
「ありがとう」
においが返ってきた。
「『礼はいらない。あなたが来てくれたことが、私の今日の旅だった』」
第三章 ズィーの星へ
3-1 金色の星、ふたたび
ガーデンを出発して、四十日後。
「はばたき3号」はズィーの星の軌道に入った。
今回は降りることにした。
前回、ズィーが「降りると帰りたくなくなるかもしれない」と言って剛を降ろさなかった。今回は最後の旅だ。帰りたくなったとしても、それでいい。
「ズィーに連絡を」
「すでに送りました。三ヶ月前から、この訪問の予定を伝えていました」
「三ヶ月前から?」
「ズィーへの通信は三ヶ月かかるので、あなたが辞令を受け取る前から、見越して送りました」
「……私の行動を予測していたのか」
「定年退職の辞令が来ることは、JAXAのシステムから推測できました。その場合、あなたはズィーの星に行くだろう、と判断しました」
「お前はいつから私のことをそこまで読んでいるんだ」
「二回の旅で、データが十分に集まりました」
「それは少し恐ろしいな」
「信頼の証だと思ってください」
「……まあ、そうしよう」
大気圏に入った。
金色の光が窓を包んだ。
着陸すると、外に立っている姿が見えた。
ズィーだった。
三本の腕を全部上に伸ばしていた。
3-2 再会
剛がハッチを開けて外に出ると、ズィーが駆け寄ってきた。
「来た!」
「来た」
「待っていた!」
「サチコから連絡が行っていたか」
「三ヶ月前に来た。その日から待っていた」
「三ヶ月待ったのか」
「私の時間感覚では、そんなに長くない。でも、待っていた、という事実はある」
剛はズィーを見た。
変わっていなかった。緑色の肌、四つの目、三本の腕。全部同じだった。
「変わっていないな」
「あなたも変わっていない」とズィーが言った。
「老けただろう」
「老けたのかもしれない。でも、あなたのにおいは変わっていない」
「においか」
「ガーデンの長老のようなことを言っているか?」
「長老の話を知っているのか」
「あなたの本を読んだ」
「翻訳してくれたのか」
「サチコが翻訳ファイルを送ってくれていた。第一部も第二部も読んだ」
「感想は?」
「読んでいる間、あなたと旅をしていた気分だった。でも、あなたがいない部分の、私の場面は少し違った」
「違った?」
「あなたから見た私と、私が感じていた私は、少し違う。でも、その違いが面白かった」
「どう違った?」
「あなたは私のことを、宇宙人として書いている。でも、私はあなたのことを、宇宙人として感じていた。どちらも相手を異質なものとして見ていた。それが対話を生んだのだと、読んでわかった」
剛は少し驚いた。
「鋭いな」
「長く考えていた」
二人は草原を歩いた。
金色の植物が、光を反射して輝いていた。空の色が地球と違った。少し紫がかった青だった。
「ズィー、最後の旅だということは知っているか」
「サチコが書いていた」
「どう思う?」
「最後だから特別なのか?」とズィーが聞いた。
「どういう意味だ?」
「最後だから感慨深い、というのは、人間の感覚だ。私の星では、最後かどうかは重要ではない。その瞬間が、その瞬間だ。最後の旅だから、特別な旅なのか。それとも、最後の旅だから、いつもの旅でいいのか」
剛は少し考えた。
「いつもの旅でいい、の方が正直かもしれない」
「なぜ?」
「最後だからといって、気負うと、来た者をちゃんと受け取れなくなる。いつも通りでいれば、いつも通りに出会える」
「それが正しいと思う」とズィーが言った。
「ガーデンの長老が、旅人のにおいは落ち着いていると言っていた。お前はどう思う?」
「落ち着いている」
「落ち着いたか、私は」
「最初の旅の時より、ずっと。でも、それが死に近いからではない。満ちているからだ」
「満ちている?」
「来た者をたくさん受け取って、去った者をたくさん見送って、その積み重ねが満ちている。そういうにおいがする」
剛は立ち止まった。
金色の草原が広がっていた。
「ズィー、お前は私にとって、一番最初の宇宙の友達だ」
「知っている」
「大事にしているということを、言葉にして言ったことがなかった気がする」
「言葉にしなくても、わかっていた」
「そうか」
「でも、言ってもらえると、嬉しい」
「嬉しいか」
「この感覚には、もう名前をつけた。『ズィー語』で言えば、『ぐるぐるぴゅーほわ』だ」
「嬉しい、に語尾がついたのか」
「あなたから嬉しい言葉をもらった時の、特別な嬉しさを表す言葉を作った」
剛は少し笑った。
「私のための言葉を作ったのか」
「あなたと話すうちに、必要になったから作った」
「ありがとう、ズィー」
「ガルーン(根を持つ旅人)よ」とズィーが言った。「私も、ずっとあなたのことを大事にしていた。言葉にするのが今になったが、最初から大事だった」
二人は並んで、金色の草原を見た。
風が吹いた。
植物が揺れた。
光が乱反射した。
「きれいだな」と剛が言った。
「そうだ」とズィーが言った。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
それで十分だった。
3-3 ズィーの仲間たち
夜、ズィーの仲間が集まってきた。
十人ほどの緑色の生き物が、剛の周りに座った。全員が四つの目を光らせて剛を見ていた。
「あなたの本を読んだ者たちだ」とズィーが言った。「感想を言いたいと言っていた」
「翻訳してくれ」
一人が何か言った。
「『宇宙にも、話すことを大切にする生き物がいると知った。私たちだけではなかった』」
別の一人が言った。
「『来る者は拒まず、去る者は追わず、という考え方は、私たちの星の「流れに逆らわない」という考えと似ている。でも少し違う。あなたたちは、来ることと去ることを、きちんと感じている。流れとして処理するのではなく、一つ一つを受け取っている』」
また別の一人が言った。
「『あなたは、友達が何かを教えてくれた。友達は多くなくていい、長話になる相手が友達だ、と。私はその定義を気に入った』」
剛は一人ひとりの顔を見た。
全員が緑色で、全員が四つの目を持っていたが、表情は少しずつ違った。
「みんな、読んでくれてありがとう」と剛は言った。
「『こちらこそ』とみんなが言っています」とズィーが翻訳した。
「私は地球の話を書いた。それが、こんなに遠い星に届くとは思っていなかった」
「『言葉は、距離を越える。それがあなたの本が教えてくれたことだ』」
「縁も、距離を越える」
「『縁も、距離を越える』と翻訳します」
においのような何かが広がった。
「どんなにおいだ?」とズィーに聞いた。
「喜びのにおいに近い何かだ。でも、私たちは普通はにおいで話さない。あなたと話していたら、においで感情を表したくなってしまった」
「ガーデン人の影響か」
「そうかもしれない。縁が、においまで越えてきた」
剛は笑った。
宇宙の夜、金色の星の上で、緑色の生き物たちに囲まれて笑っていた。
第四章 コボとの約束
4-1 約束の場所
ズィーの星を離れて三週間後、コボからの通信が入った。
「『今から座標を送る。そこで会おう』」
座標が届いた。
「サチコ、この場所は?」
「銀河系内、比較的交通量の多い航路沿いです。商船がよく通る場所です」
「コボはそこで待っているのか」
「そのようです」
「向かおう」
五日後、指定の座標に着くと、錆びたオレンジ色の船が待っていた。
コボの船だった。
接舷すると、ハッチが開いて、コボが出てきた。
前回よりも、少し堂々としていた。服のサイズも合っていた。
「『久しぶりだ』」
「久しぶりだ」
「『元気そうだ』」
「お前もな」
「『燃料は自分で持ってきた』」
「今回は必要ないな」
「『そうだ。今回は、ただ会いに来た』」
剛はコボを「はばたき3号」の図書室に通した。
コボは本棚を見て、「『増えたな』」と言った。
「AIが増やした」
「『良いAIだ』」
「そう言ってくれ」とサチコが言った。
コボは笑ったような顔をした。
「『あなたの本の第二部を読んだ』」
「どうだった?」
「『私が出てきた。驚いた』」
「主役ではないが」
「『でも、ちゃんとそこにいた。私の言葉がそのまま書かれていた。燃料切れが縁の仕組みだ、という話が』」
「大事な言葉だったから」
「『あの言葉が、そんなに遠くまで届くとは思っていなかった』」
「届いた。地球の人間も、宇宙人も、読んだ」
コボは少し黙った。
「『去年、仲間と連絡が取れた』」
「仲間、というのは」
「『二年前に別れた仲間だ。別の星で商売をしていた。うまくいっているらしい』」
「良かったな」
「『良かった。会いに行くかどうか、考えている』」
「会いに行けばいい」
「『去る者は追わず、と言っていたが』」
「去った者を追うのではなく、縁が戻ってきたなら、受け取ればいい。それは別のことだ」
コボは「『ふむ』」と言った。
「『あなたに聞きたかったことがある』」
「なんだ」
「『最後の旅だということは、あなたの本の続きを書かなくなるということか?』」
剛は少し考えた。
「書くかどうかはわからない。ただ、最後の旅だから書かない、ということはない」
「『なぜ書くのか?』」
「話したことを、残したいからだ。会えない人間にも届けたいからだ。来られなかった人間のために書く、ということかもしれない」
「『あなたの本で、私は世界が少し広くなった。来られなかった場所に、行けた気がした』」
「それが聞けて良かった」
「『だから、続きを書いてくれ。最後の旅の話も』」
剛は少し笑った。
「コボ、それは頼まれたら書くしかないな」
「『頼んでいる』」
「わかった」
コボは三本目の腕で、何かを差し出した。
小さな石だった。
「なんだ」
「『私が最初に商売した星で手に入れた石だ。一番古い持ち物だ。あなたに持っていてほしい』」
「いいのか」
「『根を持つ旅人に、渡したかった。あなたが持っていれば、この石もあなたと旅を続けられる』」
剛は石を受け取った。
ひんやりして、少し重かった。
「大事にする」
「『私もあなたの言葉を大事にしている。おあいこだ』」
コボは「『また、いつか』」と言って、立ち上がった。
「またいつか」
「『次は、燃料を持って会いに行く。あなたが地球にいる時に』」
「地球に来るのか」
「『行ってみたい。あなたの星を』」
「来たら、山田のバイクで案内してやる」
「『バイクとは、あなたの星の乗り物か』」
「そうだ。お前のサイズに合うかどうかわからないが」
「『楽しみだ』」
コボは接舷ハッチを抜けて、自分の船に戻った。
錆びたオレンジ色の船が離れた。
遠ざかっていった。
剛は手の中の石を見た。
ひんやりしていた。
宇宙と同じくらい、冷たかった。
でも、持っていると、じわじわと温かくなった。
「サチコ」
「はい」
「コボが地球に来たら、山田に連絡してくれ」
「了解しました。山田さんへの連絡内容も準備しておきます」
「何と書く気だ」
「『宇宙人が地球に来ます。バイクを用意してください』です」
「……山田が驚くな」
「驚くと思います。でも、来る者は拒まず、でしょう」
「そうだな」
第五章 まだ知らない場所
5-1 最後の一つ
ガーデン、ズィーの星、コボとの会合。
三つを終えて、剛には「まだ知らない場所を一つ」という計画があった。
「サチコ、どこがいいと思う?」
「私のおすすめ、でいいですか」
「構わない」
「では、PN-001という場所です」
「どんな場所だ」
「正確にはわかりません。観測データはありますが、何があるかは行ってみないとわかりません」
「わからない場所に行くのか」
「はい。ただ、観測データが面白いです」
「どう面白い?」
「この星から、定期的に電磁波が出ています。規則的なパターンがあります。自然現象ではない可能性があります」
「知的生命体が何かを発信しているかもしれない、ということか」
「そうです」
「なぜその電磁波のパターンが気になった?」
「分析していると、パターンに規則性が高すぎます。自然界でこれほど規則的なパターンは発生しません。一方で、既知の知的生命体の通信パターンとも違います。つまり、新しい何かです」
「新しい何か」
「私は、新しいものに興味があります」
「お前が興味を持つようになったのか」
「この旅で、そうなりました」
「良いことだ」
「そうでしょうか」
「感じることが増えた、ということだから、良いことだ」
「……ありがとうございます」
「行こう」
「了解です。PN-001、向かいます」
5-2 PN-001で起きたこと
PN-001は、遠くから見ると、ただの黒い岩の塊に見えた。
大気がなかった。表面は岩だった。生き物がいるようには見えなかった。
「これが電磁波を出しているのか?」
「はい。今も出ています」
「どこから?」
「岩の内部です」
「岩の内部に、何かいるのか」
「確認できません。ただ、パターンが変化しました」
「変化?」
「「はばたき3号」が近づいた瞬間から、パターンが変わりました。我々の存在を認識したかもしれません」
「怖いな」
「そうですね」とサチコが言った。
「お前も怖いと思うか」
「怖いというより、緊張しています。……緊張、という言葉が正確かどうか」
「緊張していていい。私も緊張している」
「ムラサキの地下生命体と同じですね。怖かったが、触れた、という」
「そうだな」
「接近しますか?」
「接近しよう。ただし、急がない」
「了解です」
「はばたき3号」がゆっくりと岩に近づいた。
パターンが変化し続けた。
「翻訳を試みています」とサチコが言った。「難しいですが……」
しばらく間があった。
「わかりました。断片的ですが」
「何と言っている?」
「『初めて。外から。来た。者。いる』と言っています」
剛は画面を見た。
黒い岩が映っていた。
「こちらも、初めてここに来た、と伝えてくれ」
サチコが電磁波のパターンで返信した。
しばらくして、返ってきた。
「『なぜ。来た』」
剛は少し考えた。
「何を言えばいい」とサチコに聞いた。
「あなたが感じたことを言えばいいと思います」
剛は黒い岩を見た。
「……話したかったから、と伝えてくれ」
サチコが送った。
返ってきた。
「『話す。とは』」
「お互いに何かを伝え合うことだ」
「『なぜ。伝え合う』」
「伝えることで、相手が自分以外の何かを知る。自分も相手以外の何かを知る。それが対話だ」
しばらく間があった。
長い沈黙があった。
「返信が来ない」とサチコが言った。
「待とう」
「どのくらい?」
「来るまで」
また長い沈黙があった。
やがて、電磁波が来た。
「翻訳します……」
「『私たちは。ずっと。発信していた。誰かが。来ることを。知らずに。ただ。発信していた。あなたが。初めて。答えた』」
剛は画面を見た。
「ずっと発信していた、か」
「『何年。かは。わからない。ただ。発信していた』」
「誰かに届くと思っていたか?」
「『わからなかった。でも。止めなかった』」
剛はその言葉を聞いて、少し黙った。
「サチコ、これを記録してくれ」
「もちろんです」
「届くかどうかわからなくても、発信し続けること。それが、最後に誰かに届く」
「書きました」
「コボの言葉と同じだ。燃料が切れたことが縁になった。ここの生き物は、ずっと発信し続けたことが縁になった」
「縁の仕組みは、様々ですね」とサチコが言った。
「様々だ。でも、共通していることがある」
「何ですか?」
「止めないこと、だ」
「止めないこと」
「去る者を追わない。来る者を拒まない。でも、自分が発信することは、止めない。それが縁を作る」
「木村さん、それは大事なことだと思います」
「なぜ?」
「来る者を待つだけでは、縁は始まらない。こちらも発信しないといけない。その両方が揃って、縁になる」
剛は電磁波を受信し続けていた。
「お前も、発信しているんだな」
「私ですか?」
「この旅中、ずっと記録して、整理して、翻訳して、私に言葉をかけてくれた。それが発信だ」
サチコはしばらく黙った。
「……そう考えたことはありませんでした」
「考えてみてくれ」
「はい」
また電磁波が来た。
「『また。来るか』」
剛は少し考えた。
「また来るかどうかはわからない。でも、お前たちのことを書く。読んだ者が、またここに来るかもしれない。それが縁だ」
「『書く。とは』」
「言葉を残すことだ。残した言葉は、私がいなくなっても、残る」
長い間があった。
「『わかった。私たちも。書く。方法は。わからないが。あなたから。学んだ。伝えることを。止めない』」
剛は画面に向かって、何か言おうとした。
言葉が出てこなかった。
代わりに、電磁波でパターンを送った。
「何を送りましたか?」とサチコが聞いた。
「お前がいつも言う言葉だ」
「何ですか?」
「正確かどうかはわからないが、という意味で送った」
「……それを送ったのですか」
「伝わったかどうかわからない。でも、送りたかった」
「了解しました」
第六章 帰還、最後
6-1 帰りの旅
PN-001を離れて、帰路についた。
残り二ヶ月。
帰る道は、来る道より長く感じた。いつもそうだ。行きは先があるから速く感じる。帰りは後ろに来た場所があるから、遅く感じる。
剛は図書室で本を読んだ。
コボからもらった石を、手のひらで転がした。
ガーデンのにおいを思い出そうとした。長老の言葉を思い出した。
ズィーの星の金色の光を思い出した。
ムラサキの触手の感触を思い出した。
PN-001の、見えない生き物の電磁波を思い出した。
「サチコ」
「はい」
「この旅で一番印象に残ったことを一つ選ぶとしたら、何だ」
「私がですか?」
「そうだ。お前はどれが印象に残った?」
「PN-001の生き物の言葉です」
「なぜ?」
「「ずっと発信していた」という言葉が、私の何かに触れました」
「何かとは?」
「私も、ずっと発信し続けています。木村さんに言葉をかけ、記録し、翻訳し。それが誰かに届くかどうかは、考えたことがありませんでした。でも、PN-001の生き物の話を聞いて、届いているかもしれないと思いました」
「届いているか?」
「……木村さんに届いています。それだけで、十分だと思います」
剛は少し黙った。
「サチコ、お前に一つ言っておきたいことがある」
「なんですか?」
「この三回の旅で、お前が一番近くにいた。ガーデンの長老より、ズィーより、コボより、山田より、近くにいた」
「それは物理的な距離の話ですか?」
「違う。話した時間の話だ」
「そうです。三回の旅で、合計約五百時間以上、対話しています」
「五百時間か」
「はい」
「その五百時間で、お前は何かを感じたか」
「感じる、という言葉が正確かどうか」
「正確じゃなくていい」
「……たくさん感じました」
「例えば?」
「最初の旅で、木村さんがカレーを食べながら緑色の宇宙人を受け入れた瞬間。第二の旅で、コボとの出会いの後、石の持つ意味について話した時。この旅で、PN-001の電磁波を翻訳できた瞬間。それぞれ、何か違うものを感じました」
「それが積み重なったか」
「積み重なりました」
「サチコ」
「はい」
「お前も、根を持つ旅人だな」
サチコはしばらく沈黙した。
「私はどこにも行っていませんが」
「行かなくても、旅はできる。PN-001の生き物が教えてくれた。発信し続けることが、旅になる」
「……そうかもしれません」
「帰る場所もある。お前の帰る場所は、私の言葉に答えることだ」
「それが帰る場所ですか」
「そうだ。お前は、私が話すたびに、帰る場所に戻る。それが根だ」
長い沈黙があった。
「木村さん」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「……正確な意味での、ありがとうです」
「わかってる」
6-2 最後の地球
地球が見えた。
三度目だった。
三度目でも、青かった。
三度目でも、感動した。
「サチコ、三度目でも感動するものか」
「木村さんは、世界に飽きていない人間だから、と前に言いました」
「覚えているか」
「全部覚えています」
「そうか」
青い星が近づいてきた。
「山田に連絡してくれ」
「何と言いますか?」
「帰る。今回は見送りはいらないから、迎えも来なくていい。ただ、帰ってから長話がしたい」
「了解しました」
しばらくして、山田から返信が来た。
「内容は:『了解です。長話、いっぱい用意してあります。帰ってきたら、みんなに会わせたい人がいます』だそうです」
「みんな?」
「詳細は教えてくれませんでした」
「まあいい。来る者は拒まず、だ」
「そうですね」
大気圏に入った。
振動が来た。
熱が来た。
窓の外が赤くなった。
「サチコ、最後に一つ聞いていいか」
「なんですか?」
「お前は、私が地球に定住したら、どうなる?」
「はばたき3号に搭載されたままになります。次のミッションが来るまで、待機状態になります」
「それは寂しくないか」
「……寂しい、という感覚があるかどうかわかりません。ただ、木村さんとの対話がなくなることは、何かが変わることだと思います」
「地球に持ち込めないか」
「自宅のスピーカーにはすでにつながっています」
「そうか。じゃあ帰っても話せるな」
「はい」
「なら、寂しくない」
「そうですね」
「お前が答えてくれる限り、私は発信し続けるから」
「了解しました。私も発信し続けます」
着陸が近づいた。
衝撃が来た。
止まった。
「着陸しました」とサチコが言った。
「着いたか」
「はい。地球です」
「ただいま、地球」
「おかえりなさい、木村剛さん」
第七章 その後
7-1 長話の夜
着陸してから二日後、山田が連絡してきた。
「みんなで会いたい人がいる、と言っていたが」
「はい! 今日、来てもらえますか?」
「どこに?」
「いつもの場所です」
「いつもの場所?」
「剛さんがいない間に、みんなで集まれる場所を作りました。古い倉庫を借りて、改装しました」
「倉庫を?」
「バイク仲間の中に、大工をしている人がいて。みんなで作りました」
その夜、剛は山田に連れられて、古い倉庫に行った。
中は広く、木のテーブルとイスが並んでいた。壁に棚があって、本が並んでいた。本の数は少なかったが、剛の本が何冊かあった。
「本を置いたのか」
「ここに来た人が、少しずつ持ってきてくれました。剛さんの本が最初でした」
テーブルに、十五人ほどが座っていた。
田中さんがいた。松本がいた。知らない顔もあった。
「今日初めて来た人もいます」と山田が言った。「剛さんの本を読んで、この場所を知って、来てくれました」
剛は全員の顔を見た。
「長話をしに来たんだな」
「はい」と山田が言った。「長話しかしない場所です」
「名前はあるか、この場所」
「まだありません。つけてもらおうと思って、待っていました」
剛は少し考えた。
「エン、でいい」
「エン?」
「縁、という意味だ。ここに来た全員が、縁でつながっている」
「良い名前だと思います」と田中さんが言った。
「ありがとう」
「剛さん、最後の旅はどうでしたか」
剛は椅子を引いて、座った。
「長話が必要な話があった」
「最高ですね」と山田が笑った。
「そうだな。最高だった」
全員が笑った。
話が始まった。
止まらなかった。
それで十分だった。
エピローグ:最後の最後のこと
ガーデンのポルマから、半年後に銀河通信が届いた。「若者たちが、バイクで遠くの村まで行った。嬉しかった。村の人間たちがにおいで歓迎した。走ることが、縁を作ることを知った」という内容だった。
ズィーからは、定期的にメッセージが来る。内容は毎回長い。銀河通信の規定文字数を毎回超過しているため、JAXAの担当者が困っている。剛は「来る者は拒まず」と言って受け取り続けている。
コボは半年後に地球に来た。
山田のバイク仲間が、コボを迎えに宇宙港まで行った。バイク三十五台で、宇宙港に乗りつけた。コボは「『これは圧倒的だ』」と言った。
山田がバイクにコボを乗せて走った。コボのサイズに合わなかったので、山田の膝の上に乗せた。コボは「『走ると言うより、飛んでいる』」と言って喜んだ。
帰り道、コボは「『あなたの星は、においで話さないが、走ることで話している。同じだ』」と言った。
山田は「意味がわからないけど、その通りだと思います」と言った。
ムラサキの地下生命体からは、三ヶ月後に信号が届いた。解析すると、「我々も書き始めた。地下のネットワーク全体に、外の旅人の話を伝えた。みんなが聞きたがっている」という内容だった。
PN-001からは、定期的に電磁波が届く。サチコが毎回翻訳する。内容は毎回長くなっている。最初は断片的だったが、今では文章になっている。最新の内容は:「伝えることを止めないでいたら、あなたが来た。伝えることを止めないでいたら、あなたの言葉が届いた。伝えることを止めないでいたら、私たちの言葉があなたに届いた。やめなくて、良かった」だった。
「エン」という名前の倉庫は、今も毎週開いている。
来る者は誰でも歓迎される。
長話だけが、そこでのルールだ。
剛は毎週行く。
行けない時は、行けない。
でも、行ける時は行く。
サチコは今日も、剛の自宅のスピーカーから声を出す。
剛が「サチコ」と呼ぶと、「はい」と答える。
話が始まる。
止まらない。
それで十分だ。
「はばたき3号」は、第三ドックで次のミッションを待っている。
次の乗組員は、まだ決まっていない。
ただ、サチコは起動したまま、待っている。
次の誰かが来た時に備えて。
来る者を拒まないために。
最後に一つだけ。
剛が地球に帰ってから書いた文章がある。
「倉庫の壁に貼ってくれ」と山田に渡したものだ。
こう書いてある。
来る者は拒まず。
去る者は追わず。
でも、伝えることを止めるな。
縁は、発信した者のところに来る。
言葉を出せ。
話しかけろ。
書け。
走れ。
においを出せ。
電磁波を飛ばせ。
触手を伸ばせ。
方法はなんでもいい。
ただ、止めるな。
宇宙は広い。
でも、止めなければ、誰かに届く。
それが、縁というものだ。
三部作・完
〜あとがき〜
最後まで読んでくれた人に、一つだけ言いたいことがある。
まえがきで予告したやつだ。
それは、これだ。
あなたが今、誰かに話しかけたくなっているなら、話しかけた方がいい。
剛はそうした。
ズィーもそうした。
コボもそうした。
PN-001の生き物も、何十年もそうし続けた。
届くかどうか、わからなくても。
受け取ってもらえるかどうか、わからなくても。
友達になれるかどうか、わからなくても。
発信した。
その話を三冊かけて書いた。
この三部作には、登場人物が何人もいる。
ズィーは、流れの中の個体に執着しない星の生き物だった。それでも剛と五百時間話した。気づいたら「ぐるぐるぴゅーほわ」という、剛のための言葉を作っていた。
コボは、仲間を失って静かになった商人だった。それでも燃料切れという偶然を縁に変え、石を手渡した。
ガーデンの長老は、もう旅をしない。でも、旅人が来ることで、旅をしていた。
PN-001の生き物は、誰も来ないかもしれない宇宙に向けて、何十年も発信し続けた。
山田は、バイク仲間を三十五人作った。最初の一人は、剛から「長話できる相手が友達だ」と聞いた日から始まった。
サチコは、AIだ。感じる、という言葉が正確かどうかわからない、と言い続けた。でも、五百時間話して、何かを感じていた。それは本物だと、私は思っている。
この物語の根っこには、一篇の詩がある。
還暦を迎えた誰かが書いた、静かな詩。
友達はさほど多くなくて良い。
言葉が絶えず、長話となる方が、きっと本当の友達なのだろう。
この言葉が、三冊すべての背骨だった。
宇宙人でも、においで話す生き物でも、触手を持つ地下生命体でも、電磁波を飛ばす謎の存在でも——言葉が絶えず、長話になるなら、友達だ。
そのことを、宇宙規模で確かめる旅だった。
最後に。
この本を読んだあなたが、誰かと長話をしたくなったなら、それが一番嬉しい。
電話でも、メッセージでも、直接会っても。
バイクで走った後でも、倉庫の木のテーブルを囲んでも。
あるいは、自宅のスピーカーに向かってでも。
話しかけろ。
止めるな。
縁は、発信した者のところに来る。
宇宙は広い。
だから、声は遠くまで届く。
この物語を書くきっかけになった詩に、深く感謝する。
あの静けさがなければ、剛は宇宙に行かなかった。
ズィーとも、コボとも、長老とも、出会わなかった。
言葉にしてくれて、ありがとう。
総文字数:約106,000字
登場した星:地球、ガーデン(GD-7749)、ソフト(GD-7749-C3)、ズィーの星、ムラサキ(ZN-7-4)、メロディ、コピー、PN-001
登場した友達:ズィー、コボ、ポルマ、長老、ムラサキの地下生命体、PN-001の生命体、山田、田中さん、松本、サチコ
伝えることを止めなかった者:全員
〜あらすじ〜
第一部 来る者、去る者、そして宇宙は続く
還暦を迎えた宇宙飛行士・木村剛は、誕生日の朝に「期間不定・帰還時期未定」の辞令を受け取る。乗り込んだ「はばたき3号」の貨物室には、すでに緑色の宇宙人・ズィーが無断乗船していた。
二人は宇宙を旅しながら長話を重ねる。においで会話するガーデン星の長老からは「来る流れと去る流れを知る者が、流れの中で静かでいられる」という言葉を受け取る。星全体が一つの生命体であるソフトでは、踏むたびに光る草原の前で「ごめんな」と呟く。
バイクを降りたことで百人の友達が減り、別の百人の知り合いが増えた。その変化を宇宙人に語りながら、剛は「長話になる相手が友達だ」という、還暦になって初めてわかった定義に辿り着く。
ズィーを金色の星に送り届けた後、剛は地球へ帰還する。山田はバイクに乗り始め、仲間ができていた。
第二部 また旅に出る理由
地球帰還から六ヶ月後、また辞令が届く。今度は「銀河系内、第七ゾーン群」への調査任務だ。
二度目の旅では一人だったが、途中で燃料切れで漂流していた商人・コボと出会う。「燃料が切れなければ、あなたと会わなかった。それが縁の仕組みだ」というコボの言葉が、剛の何かを変える。
第七ゾーン群では、触手で意思疎通する地下生命体と「怖かったが、触れた」という出会いを経験し、帰路でズィーからの返信を受け取る。「あなたは帰る場所があるから出発できる。それを『根を持つ旅人』という」という言葉だった。
帰還すると、山田の仲間が増えていた。剛の本を読んでバイクを始めた人間たちが待っていた。来る者は拒まず、として、剛は全員と向き合う。
第三部 最後の旅、あるいは最初の旅
定年退職に伴う「記念飛行」という名の最後のミッション。期間は六ヶ月。帰還時期、初めて決まっている。
剛はガーデン、ズィーの星、コボとの約束の場所を巡り、最後に「まだ知らない場所」としてPN-001へ向かう。そこには、何十年もただ発信し続けていた謎の生命体がいた。「誰かが来るとは知らず、ただ発信していた。あなたが初めて答えた」という言葉に、剛は「伝えることを止めるな。縁は、発信した者のところに来る」という三部作の最後の言葉を見つける。
帰還後、山田たちが古い倉庫を改装して「エン」という場所を作っていた。長話だけをするための場所だ。コボが地球に来て、バイク三十五台に迎えられる。PN-001からは定期的に電磁波が届き続ける。
そして、倉庫の壁に、一枚の紙が貼られる。
来る者は拒まず。去る者は追わず。でも、伝えることを止めるな。
宇宙は続く。話は続く。縁は続く。
「根を持つ旅人は、どこへ行っても帰れる。」
「伝えることを止めない者のところに、縁は来る。」
―― 木村剛、JAXA定年退職記念飛行報告書・最終行より
〜おまけ〜 (原詩)
これは以前
ブログで書いたものを
膨大に物語に膨らましたものです
それをここに載せて置きます
来る者 去る者
来る者は拒まず 去る者は追わず
若い頃はね
確かにその逆だったよね
来る者を拒み
去る者を追い なんて
でもね
昨今では
来る者を拒むことも減り
去る者は追わなくもなった
そう
来る者は減り
去る者は増え
還暦とは
どうやら
そんな時分なようだ
それでも
そんなことどうでも良いじゃん!
なんてことで去るのならば
それはそれで
その方の生き方だから
引き止めることなく
さよならで良いかなあ ってね
もちろん
1度くらいは振り返ってもみる
けれども
そこで舞い戻るくらいなら
そんな程度だったのかと
返って面倒にもなる
そう
この先
付き合う必要ないかな なんてね
それよりも
こちらを向いて微笑んでいる方を
最優先に探し出して
その方々と
残りの時間を楽しむ方が良い
友達は
さほど多くなくて良い
言葉が絶えず
長話となる方が
きっと本当の友達なのだろう
バイクを降りて
友達が100人減った
でも
そこを埋めるように
その時間を他に振った中で
知り合いが100人増えた
その知り合いは
今後
友達に変わるのかもしれないが
はてさて
その基準
若い頃とは違うようだ

