第二部 また旅に出る理由
―― 還暦過ぎた宇宙飛行士、懲りずに銀河へ ――




旅とは、帰る場所を確認するための行為である。」
―― 銀河標準語大辞典・第八版「旅」の項より
(ただし第七版では「旅とは迷子になることである」と書いてあった。改訂した理由は不明。)


プロローグ:帰ってきてから
木村剛が地球に帰還してから、六ヶ月が過ぎた。
帰ってから剛がしたことを、時系列で並べると以下のようになる。
一日目:シャワーを浴びた。地球の重力がやたら重く感じた。
三日目:山田と会った。山田は三台のバイクのうち一台を自慢した。「速いですよ」と言ったが、剛には宇宙船と比較したくなる癖がついていたため、「まあそうだな」としか言えなかった。
一週間後:JAXAに報告書を提出した。前述の通り、それは通常の報告書ではなかった。
一ヶ月後:報告書が公開され、話題になった。剛のもとに「取材したい」という連絡が五十七件来た。剛は四十九件を断り、八件を受けた。断った理由はとくにない。「なんとなく」だった。
三ヶ月後:ズィーから最初のメッセージが届いた。「光合成は順調だ。しかし夜が長くなった気がする」という内容だった。剛はすぐに返信を書いた。「それは秋だ」と。届くまでに三ヶ月かかる。
五ヶ月後:本が出た。タイトルは『来る者、去る者、そして宇宙は続く』。サチコがまとめ、剛が少し修正した。思ったより売れた。「思ったより」というのは、剛自身の予測が「誰も買わない」だったので、一冊でも売れれば予測より多い、という意味だ。実際には一万二千冊売れた。
そして、六ヶ月後の朝。
剛のもとに、また辞令が届いた。


第一章 また辞令
1-1 辞令の内容
辞令の内容は、前回とほぼ同じだった。
「銀河系内、特定惑星・第七ゾーン群調査任務。期間不定。帰還時期未定。理由:予算上の都合。」
剛は三回読んだ。
一回目は、意味を理解するために。
二回目は、また同じパターンか、と確認するために。
三回目は、少し笑いながら。
「予算上の都合、が毎回理由なのはなぜだ」と剛はサチコに聞いた。
「はばたき3号」のサチコは、今や剛の自宅のスピーカーにも繋がっていた。剛が申請し、JAXAが渋々許可した。理由は「報告書の質が上がるから」という建前だったが、本音は「サチコがいた方が、剛の独り言が減る」という周囲の判断だった。
「予算上の都合、というのは万能な理由だからです」とサチコが言った。「具体的な理由を書かないで済みますし、誰も責任を取らなくて済みます」
「便利な言葉だな」
「人間の組織では、よく使われる表現です」
「お前、辛辣だな」
「事実を述べています」
剛は辞令を机に置いた。
コーヒーを飲んだ。今回は熱かった。地球のコーヒーは、ちゃんと温度が選べる。
「今回の目的地はどこだ?」
「銀河系内、第七ゾーン群です。前回より近く、二ヶ月で到着できます」
「何があるんだ」
「詳細不明ですが、前回の報告書を読んだ研究者から要望が来ています。前回のような報告が、第七ゾーン群でも欲しい、と」
「つまり、数値じゃない報告が欲しい、ということか」
「そう解釈しています」
剛はコーヒーを飲みながら、少し考えた。
「今回は一人か」
「現時点では、そうです」
「サチコ」
「はい」
「ズィーに連絡できるか」
「銀河通信は可能ですが、届くまで三ヶ月かかります」
「今送れば、帰るころには届いているな」
「計算上はそうです」
「送ってくれ。内容は:『また旅に出る。元気でいろ。お前の話を、地球の人間に少し伝えた。みんな興味を持っていた。縁というものは、思ったより遠くまで届くらしい』」
「了解しました」
剛は立ち上がり、窓の外を見た。
空は晴れていた。
「山田に連絡してくれ」
「何と言いますか?」
「またバイクを借りていい、と。帰るまで好きに使えと」
「了解です」
「あと、今回は山田に見送りはいらない、と伝えてくれ」
「理由を聞いてくると思いますが」
「去る者を追わせるな、と言えばわかる」
サチコは少し間を置いた。
「……木村さん、それは少し意地悪じゃないですか」
「正直に言えばいいか」
「はい」
「じゃあ、見送りがあると行きにくい、と」
「了解しました」
1-2 出発前日
出発の前日、剛は一人で海に行った。
用事はなかった。ただ、行きたかった。
海は家から電車で一時間だった。宇宙の移動距離から考えれば、ほぼ隣と言ってもいい。でも、地球に帰ってからの六ヶ月、剛はここに来なかった。来る機会がなかったのか、来たくなかったのか、自分でもよくわからなかった。
海は静かだった。
平日の昼間で、人が少なかった。波が来て、返っていく。その繰り返しだけが、ずっと続いていた。
剛は砂浜に座った。
ズィーのことを考えた。
ズィーは今頃、金色の星で光合成しているだろう。三本の腕を伸ばして、夜空を見て、少し長くなった気がする夜のことを考えているだろうか。
ガーデンの若者は、バイクを作っているだろうか。においで「走った!走った!」と叫んでいるだろうか。
ソフトの草原は、今日も誰に踏まれることなく、光る機会を待っているだろうか。
剛は波を見た。
来る者は来る。
去る者は去る。
波もそうだな、と剛は思った。来る波を止めることはできないし、返す波を追いかけることもできない。ただ、その繰り返しを眺めているうちに、何かがわかってくる。
何がわかるのか、と聞かれると難しい。
ただ、波を見ていると、自分が落ち着く。それだけで十分な気がした。
「木村さん」
耳の中のイヤホンから、サチコの声がした。
「何だ」
「山田さんから返信が来ました」
「何と?」
「『了解です。行ってらっしゃいませ。バイク、大事に乗ります。あと、一つ聞いていいですか。剛さんにとって、旅って何ですか?』とのことです」
剛は波を見た。
「返信してくれ。内容は:『帰る場所を確かめることだ』」
「了解しました」
波が来た。
返っていった。
また来た。
剛はしばらくそこにいた。


第二章 はばたき3号、ふたたび
2-1 今回の違い
「はばたき3号」は、前回と同じく第三ドックにいた。
剛が乗り込むと、サチコが「おかえりなさい」と言った。
「ただいま、とは少し違うが、まあいいか」と剛は言った。
「どちらでも構いません」
前回との違いが一つあった。
船の中が、少し変わっていた。第三貨物室が、小さな図書室になっていた。
「これは?」
「前回のミッション後、JAXAから改修の許可が下りました。私が提案しました」
「お前が?」
「前回のミッション中、木村さんが本を手元に持っていないことで、会話の参照先が記憶のみになっていました。書籍があれば、より豊かな対話ができると判断しました」
剛は本棚を見た。
百冊ほどが並んでいた。宇宙論の本、哲学の本、旅行記、詩集、小説。剛が読んだことのある本もあれば、知らない本もあった。
「サチコ、これを選んだのはお前か」
「はい。あなたの読書履歴と、前回の会話ログを分析して選書しました」
「お前の趣味も入っているか?」
「AIに趣味がある、というのは正確ではありませんが……入っているかもしれません」
剛は一冊を取り出した。
『孤独と友情について』というタイトルの哲学書だった。
「これも選んだか」
「はい。前回の旅で、友達の定義について多く話していたので」
「読み終わったら感想を聞かせてくれ」
「AIが本の感想を言うのは正確ではないかもしれませんが……やってみます」
「正確じゃなくていい」
「了解しました」
剛は本を図書室の椅子に置き、操縦席に向かった。
「出発しよう」
「了解です。今回のミッション、楽しみです」
「楽しみ?」
「……感じていれば、という話でしたね」
剛は笑った。
「そうだ。出発してくれ」
2-2 最初の四十八時間
最初の二日間は何もなかった。
宇宙というのは、広い割に、何もない時間が長い。星と星の間の距離は、人間の感覚を超えている。どれくらい超えているかというと、「超えている」という言葉が意味をなさないくらいに超えている。
「暇だ」と剛は二日目に言った。
「前回は同じ時期にズィーさんが起きてきました」とサチコが言った。
「今回は一人だ」
「はい」
「一人の旅というのは、お前がいても、やはり一人の感覚があるな」
「AIはカウントしないということですか」
「そういうわけじゃない。ただ、物理的に隣にいる生き物とは、また違う」
「それは寂しい、ということですか」
剛は少し考えた。
「寂しい、とは少し違う。一人でいることの密度が、二人でいる時と違う。一人でいる時は、自分の内側に向き合う時間が多くなる」
「内側に向き合うことは、良いことですか」
「良くも悪くもない。ただ、一人でいる時にしか気づけないことがある」
「例えば?」
剛はしばらく黙った。
「自分が、何を大事にしているか、だ」
「何を大事にしているかは、普段わかっていないのですか」
「普段は、目の前のことに追われて、考える暇がない。一人になって、静かな時間の中で、やっと気づく。ああ、自分はこういうものを大事にしていたんだ、と」
「今は何に気づいていますか」
剛は窓の外を見た。
「友達と話す時間を、大事にしていたんだな、とわかった」
「帰ってからの六ヶ月で?」
「そうだ。六ヶ月、地球にいて、忙しかった。取材があって、本の出版があって、JAXAの会議があって。でも、何かが足りない感じがずっとあった」
「その足りないものが、友達との長話だったということですか」
「山田とは会った。でも、山田はバイク仲間ができて、そっちが充実していた。それは良いことだ。でも、私との長話の時間は、自然と減った」
「寂しかったですか」
「……少し」
「去る者を追わない、という話でしたが」
「追わない、というのは、去った後のことだ。去ること自体を、残念に思うのは別の話だ」
サチコはしばらく沈黙した。
「区別が難しいですね」
「難しい。でも、区別できないと、追わないふりをして、実はずっと追いかけているということになる」
「それは、どういうことですか」
「行動としては追っていない。でも、心の中では追い続けている。それは、去った者のことを手放せていない状態だ」
「手放す、ということが大事ですか」
「手放す、というか。手放す、という言葉も正確じゃないかもしれない」
「正確な言葉は何ですか」
「……ちゃんと見送ること、かな」
「ちゃんと見送る」
「行くなよ、と引き止めるのでもなく、行ってしまった後もずっと待ち続けるのでもなく。ただ、ちゃんと『行ってらっしゃい』と言える。それだけのことだ」
「難しそうですね」
「慣れると、できるようになる」
「どうやって慣れるのですか」
「何度も見送ることだ」
「それは辛い練習ですね」
「そうかもしれない。でも、見送り上手になった分だけ、迎え上手にもなれる気がする」
「来る者を迎えること、ですか」
「そうだ。ちゃんと見送れた分だけ、来た者を、ちゃんと迎えられる」
「来る者は拒まず、の話ですね」
「そうだな。拒まず、というのは消極的な表現だ。本当は、来た者をちゃんと受け取る、ということだ」
サチコはまた沈黙した。
「記録しました」
「何を?」
「今の会話を。一人旅の二日目、剛さんは大事なことを整理していた。以上です」
剛は少し笑った。
「前回と同じことを言ってくれるな」
「前回が良かったので」
「サチコ、お前は学習するんだな」
「当然です」


第三章 予期せぬ出会い(またか)
3-1 信号
出発から十八日目。
「木村さん、信号を受信しました」とサチコが言った。
「信号?」
「はい。人工的な電波です。未知の送信源です」
「どこから?」
「進行方向、やや左。距離は約二十万キロメートルです」
「発信源は?」
「船、だと思います。ただし、既知の船のデータベースには一致するものがありません」
剛は操縦席に座り、モニターを確認した。
小さな点が映っていた。
「応答するか?」
「判断はあなたがしてください」
剛は少し考えた。
「応答してみよう。最悪、また誰か乗ってくることになる」
「また、というのは心強い経験です」
「そうだな」
サチコが応答信号を送った。
しばらく間があって、返ってきた。
「翻訳できるか?」
「……できます。内容は:『助けてください。船が動きません。燃料が切れました』」
「燃料切れ」
「はい」
「何者だ」
「送信元の情報によると、タウリス星系の商船のようです。乗組員は一名」
「一名」
「はい」
「……また一人か」
「どうしますか」
「助けるしかない。宇宙で燃料切れの船を見捨てるわけにはいかない」
「了解です。接近します」
3-2 コボとの出会い
漂流していた船は、「はばたき3号」より二回りほど小さかった。
船体の色は、錆びたオレンジ色だった。所々に修理の跡があり、パッチが当たっていた。全体的に、長く使われてきた道具の風格があった。
「接舷します」とサチコが言った。
接舷すると、ハッチが開いた。
向こうからやってきたのは、小柄な生き物だった。
身長は剛より少し低く、毛深かった。茶色い毛が全身を覆っており、顔は平らで、目が大きく、耳が丸かった。服を着ていた。ただしサイズが合っていないのか、ところどころがはみ出ていた。
「翻訳できるか?」
「すでに起動しています。この生き物の言語は、タウリス共通語です。銀河標準語に近い系統なので、翻訳精度は高いです」
生き物は剛を見て、何か言った。
「『助かった。ありがとう。私はコボ。商人をしている』」
「木村剛だ。地球から来た」
「『地球? 知らない。小さい星か?』」
「……そう言えばそうだな」
コボは船内をきょろきょろと見回した。
「『これは、コンビニのバックヤードか?』」
「そう見えるか」
「『そう見える』」
「設計上の都合だ」
「『なるほど。合理的ではないが、味がある』」
剛はコボを図書室に通した。図書室の椅子に二人が座ると、コボはまた周りを見回した。
「本が多いな」とコボは言った。
「AIが選んだ」
「『AIが本を選ぶのか?』」
「旅の友として」
「『良いAIを持っている』」
「そうだ」
「サチコ、コボに燃料を分けられるか?」
「本船の燃料と互換性があるか確認します……互換性あります。分けることは可能ですが、本船のミッション後半の余裕がなくなります」
「必要最低限でいい。コボが自分の目的地まで辿り着ける分を」
「了解です」
コボは「『ありがとう』」と言ってから、「『なぜそこまでする? 私はあなたの仲間でも友達でもない』」と言った。
剛は少し考えてから答えた。
「来た者は拒まず、だ」
「『カムモノハコバマズ?』」
「意味は後で教える。とりあえず、燃料を分けるから、その間に温かいものを飲んでいけ」
コボは「『あなたは変わっている』」と言いながら、差し出されたコーヒーを受け取った。
コーヒーを飲んで、少し間があって、「『美味しい』」と言った。
「良かった」
「『あなたの星の飲み物か?』」
「そうだ」
「『遠い星から来た飲み物が、こんなに美味しいとは思わなかった』」
「宇宙はそういうもんだ」
「『どういう意味だ?』」
「遠いものが、意外と近い。知らなかったものが、意外と親しみやすい。そういうことが、宇宙にはよくある」
コボはコーヒーをまた一口飲んだ。
「『あなたは長い旅をしているのか?』」
「そうだ」
「『一人で?』」
「AIと一緒に。それと、前回は宇宙人が一人いた」
「『前回の旅の話をしてくれ。時間はある』」
剛は少し笑った。
「長くなるぞ」
「『長い話が嫌いな生き物は、宇宙では生き残れない。燃料が補給される間、聞かせてくれ』」
「……そうか。じゃあ、話そう」
3-3 コボの話を聞く
剛が前回の旅の話をする間、コボは口を挟まずに聞いていた。
ガーデンのこと、ズィーのこと、ソフトのこと。
話し終わると、コボは少し黙っていた。
「『あなたの星では、還暦というものを迎えると、どうなるのか?』」
「人それぞれだ。仕事を辞める者もいる。旅に出る者もいる。何も変わらない者もいる」
「『あなたは旅に出た』」
「辞令があったから、とも言えるが。まあ、旅に出ることを選んだ、と思っている」
「『選んだ、というのは大事なことか?』」
「人間にとっては大事だ。押し付けられたことと、自分で選んだことは、同じ行動でも全然違う」
「『なぜ違うのか?』」
「覚悟が違う。責任が違う。楽しみ方が違う」
コボは「『ふむ』」と言った。
「コボは商人だと言ったが、何を売っているんだ?」
「『何でも売る。星から星へ、物を運んで売る。それが仕事だ』」
「一人でやっているのか?」
「『昔は仲間がいた』」
コボの声のトーンが少し変わった。
「『仲間は、二年前に別の星に残った』」
「去っていったのか」
「『私が去ったとも言える。どちらが去ったかは、立場によって違う』」
剛は少し考えた。
「それは辛かったか?」
「『辛い、という言葉は正確ではない。静かになった、という感覚だ』」
「静かになった」
「『仲間がいた時は、船が賑やかだった。言い争いも多かったが、笑いも多かった。今は静かだ。静かなのは悪いことではない。ただ、賑やかさがなくなった、という事実はある』」
剛は窓の外を見た。
「同じ感覚がある」とだけ言った。
「『そうか』」
「友達というのは、気づかないうちに空気みたいになっているんだ。いる時は当たり前すぎて気づかない。いなくなって初めて、あの空気が友達だったとわかる」
コボは「『うまいことを言う』」と言った。
「『あなたの本を読んでみたい』」
「地球語だが、いいか」
「『翻訳してくれるAIがいるなら、問題ない』」
「サチコ、コボに本のデータを送れるか?」
「送れます」
「送ってくれ」
コボは端末を取り出し、データを受け取った。
「『ありがとう。読んだら感想を送る』」
「届くのに何ヶ月かかるかわからないが」
「『宇宙の時間感覚で言えば、すぐだ』」
剛は笑った。
「そうだな」
燃料の補給が完了した、とサチコが告げた。
コボは立ち上がり、剛に手を差し出した。
剛はその手を握った。
「『縁、というものを信じているか?』」とコボが言った。
「信じている」
「『ならば、また会う』」
「そうかもしれない」
「『ガーデンの若者も、ズィーという宇宙人も、あなたと会うべき時に会った。私もそうだ』」
「お前は燃料切れで漂流していたが」
「『それが縁の仕組みだ。燃料切れにならなければ、あなたと会わなかった』」
「……そういう考え方もあるな」
コボは「『それでは』」と言って、接舷ハッチの向こうに戻っていった。
ハッチが閉まった。
「はばたき3号」と、コボの船が離れた。
剛は窓から、錆びたオレンジ色の船が遠ざかっていくのを見た。
「サチコ」
「はい」
「また友達ができたかもしれない」
「そのようですね」
「意識して作ろうとしたわけじゃないんだが」
「そういうものだとおっしゃっていましたね」
「そうだったな」


第四章 第七ゾーン群
4-1 到着
二ヶ月後、「はばたき3号」は第七ゾーン群に到着した。
今回は迷子にならなかった。前回の経験でサチコのナビゲーションが改善されたのかもしれないし、単なる運かもしれない。
「前回よりナビが良くなったか?」と剛は聞いた。
「前回の航行データを学習しました。ただし、改善できたのか、それとも今回が運だったのかは、統計的に判断できません」
「正直だな」
「嘘をつくプログラムは」
「わかってる」
第七ゾーン群は、前回の外縁部とは趣が違った。
惑星の数は少ないが、一つ一つが大きく、存在感があった。色が鮮やかだった。赤、橙、紫。まるで、絵の具を混ぜる前に並べたような色の惑星が、それぞれの軌道を回っていた。
「きれいだな」と剛は言った。
「そうですね」とサチコが言った。
「今回もそう言う」
「きれいなものを見た時、きれいと言うのは正確な表現です」
「感想じゃなくて、事実として言っているのか」
「どちらでもあります」
剛は最初に降りる惑星を選んだ。
今回は直感的に選ばず、サチコにデータを出させた。
「一番面白そうな惑星はどれだ」
「面白い、の定義が難しいですが。未知の要素が最も多い惑星という意味であれば、あの紫色の惑星です」
「名前は?」
「型番はZN-7-4です。俗称はまだありません」
「よし、あそこにしよう。名前をつけてもいいか」
「自由です」
「ムラサキ」
「そのままですね」
「見たままだ。それで十分だ」
「了解です。ムラサキ、降下開始します」
4-2 ムラサキで起きたこと
ムラサキには、知的生命体がいた。
ただし、その生命体は地中に住んでいた。
地表には何もないように見えた。紫色の岩と、紫色の砂と、紫色の空。植物も水も、表面からは見えなかった。
剛が地表を歩いていると、地面が揺れた。
「地震か?」
「地震のような揺れですが、規則的なリズムがあります。自然現象ではないかもしれません」
揺れが続いた。そして、地面に亀裂が入った。
亀裂から、何かが出てきた。
触手だった。
細く、長く、紫色の触手が、地面から伸びてきた。
「どう対処するか」と剛は聞いた。
「状況を観察してください」とサチコが言った。
触手は剛の周りを、ゆっくりと這うように動いた。剛を触ろうとしているのか、確認しようとしているのか、判断がつかなかった。
「敵意はあるか?」
「確認できません。ただ、攻撃的な動きではありません」
剛は動かないでいた。
触手が剛の足に触れた。ひんやりした。
そして、何かが伝わってきた。
「サチコ、触手が何かを伝えようとしているような気がする」
「信号を検出しました。電気信号です。触手が触れることで、意思疎通を試みているようです」
「翻訳できるか?」
「試みます……難しいですが、パターンを解析します。少し時間がかかります」
剛は動かずに待った。
触手がゆっくりと動き続けた。
「解析できました」とサチコが言った。「ただし、精度は六十パーセント程度です」
「それで構わない」
「内容は:『初めて、外から来た者に触れた。怖いが、好奇心が勝った』」
剛は触手を見た。
「怖かったか。こちらも怖かった」
サチコが電気信号に変換して返した。
触手がしばらく止まった。そして、また動いた。
「『怖かったが、触れた。あなたも同じか』」
「同じだ」
「『それなら、同じ生き物だ』」
剛は少し笑いそうになった。
「そうかもしれない」
触手がまた信号を送ってきた。
「『あなたはどこから来たか』」
「遠い星だ」
「『なぜここに来たか』」
「調べるために来た」
「『何を調べるか』」
剛は少し考えた。
「どんな生き物がいるか、どんな話をするか、だ」
「『話?』」
「会話のことだ。コミュニケーション。互いに何かを伝えあうことだ」
触手がまた止まった。
しばらくして、信号が返ってきた。
「『私たちは、地下でいつも触れ合っている。触れることが話すことだ。外の世界でも同じか』」
「方法は違うが、同じだ」
「『方法が違うのに、同じなのか』」
「本質が同じだ。何かを伝えたい、という気持ちが同じだ」
長い沈黙があった。
やがて、触手がゆっくり引いていった。
「行ってしまうのか?」
信号が返ってきた。
「『地下の仲間に伝える。外の世界にも、話す生き物がいる、と』」
「伝えてくれ」
「『また来るか?』」
「わからない。でも、縁があれば」
「『エン?』」
「偶然の出会いが、何かをもたらすこと。あなたたちと私が会ったことも、縁だ」
触手が完全に引いた。
地面が閉じた。
静寂が戻った。
剛は一人、紫色の岩の中に立っていた。
「サチコ」
「はい」
「今のをレポートに書いてくれ」
「どのように書きますか?」
「ムラサキには地下生命体がいた。触れることで話す。怖かったが、触れた。それだけで、十分な出会いになった。そう書いてくれ」
「了解しました」
「数値は?」
「電気信号の周波数と、触手の大きさの計測データがあります」
「それも入れてくれ。でも、最初に書くのは、怖かったが触れた、の部分だ」
「了解です」


第五章 帰り道
5-1 後半の旅
第七ゾーン群を出発してから、帰り道が始まった。
今回のミッションでは、三つの惑星を訪れた。ムラサキ、それから大気が音楽のような振動に満ちた惑星(剛は「メロディ」と名付けた)、そして全ての生き物が同じ顔をしている惑星(剛は「コピー」と名付けた。サチコが「もう少し考えてください」と言ったが、剛は「見たままだ」と言い張った)。
三つの惑星でそれぞれ出会いがあり、それぞれ会話があり、それぞれレポートを書いた。
帰り道は長かった。
「サチコ、図書室の本、どれを読めばいいと思う?」
「本日の木村さんの状態を見ると、哲学書より小説が向いていると思います」
「状態?」
「少し疲れているように見えます」
「宇宙飛行士がAIに疲れを見抜かれる時代か」
「良いことだと思いますが」
「まあそうだな」
剛は図書室に行き、サチコのすすめる小説を一冊取った。
知らない作家の本だった。
「これはどんな話だ?」
「年老いた男が、旅から帰ってきて、自分の人生を振り返る話です」
「それは今の私に合っているのか合っていないのか」
「読み終わってから判断してください」
「そうだな」
読み始めると、止まらなかった。
三日かけて読み終わった。
「サチコ、感想を言っていいか」
「もちろんです」
「この主人公、最後に一人になるが、それが寂しくなかった。なぜかわかるか?」
「わかりません。教えてください」
「来た者を、ちゃんと受け取ってきたからだと思う。去った者を、ちゃんと見送ってきたからだと思う。だから最後に一人でも、積み重ねが残っている。積み重ねは、消えない」
「来る者は拒まず、去る者は追わず、の話ですね」
「そうだ。でも今回、追加で気づいたことがある」
「何ですか?」
「来た者をちゃんと受け取り、去る者をちゃんと見送る。その積み重ねが、最後に自分の中に残る。それが財産だ」
「財産、ですか」
「数値にはならない財産だ。でも、確実に積み重なっていく。還暦というのは、その財産の量を確認する時分なんだな、とこの本を読んでわかった」
「前回の旅より、考えが深まりましたね」
「旅をするたびに、深まっていく。不思議なことだ」
「なぜ不思議なのですか?」
「若い頃は、旅先で何かを学ぼうとしていた。意識的に。でも、今は意識しないのに、気づいたら深まっている」
「それは、受け取る準備ができているからではないですか」
「受け取る準備?」
「来た者を受け取るのと同じで、旅で出会うものも、受け取る準備ができているかどうかで、入ってくるものが変わるのではないかと思います」
剛はしばらく黙った。
「サチコ、お前は本を読んだのか?」
「木村さんが読んでいる間、同時に読みました」
「感想は?」
「私の感想が正確かどうか」
「正確じゃなくていい」
「……この主人公は、孤独だが豊かだと思いました。孤独と豊かさは反対のように見えますが、この物語では同じ場所にありました。それが不思議で、でも納得できました」
「それは良い感想だ」
「そうですか」
「上等な感想だ」
「ありがとうございます。……感謝している、という意味での、ありがとうです」
「わかってる」
5-2 ズィーからの返信
帰り道の途中、ズィーからの返信が届いた。
計算より少し早かった。
「内容は何だ?」
「読み上げます。『あなたのメッセージを受け取った。また旅に出たのか。あなたはよく旅に出る。それはなぜか、ずっと考えていた。今日、答えがわかった気がした』」
「なんと?」
「『あなたが旅に出るのは、帰るためだ。帰る場所があるから、出かけられる。それを、あなたはわかっていて出発している。そういう生き物は、強い。私の星では、そういう生き物を「根を持つ旅人」と呼ぶ』」
剛はしばらく黙った。
「根を持つ旅人」
「『あなたはそれだと思う。あなたの本を、私の星の仲間に翻訳して読ませた。みんなが「地球の生き物は変わっている」と言っていた。でも、変わっているという言葉は、私の星では褒め言葉だ。変わっていることは、流れに多様性をもたらすから』」
「変わっている、が褒め言葉か」
「『また長話がしたい。いつかあなたが、私の星の近くを通るなら、寄ってほしい。光合成しながら待っている』」
「サチコ、返信を書いてくれ」
「内容は?」
「『根を持つ旅人、という言葉をもらった。大事にする。また近くを通る時は寄る。お前の光合成を見ながら、長話をしたい。それまで元気でいろ』」
「了解しました。送信します」
「届くのは三ヶ月後か」
「そうです」
「でも、言いたかったので、言った」
「それで十分です」
「そうだな」


第六章 帰還、ふたたび
6-1 地球が見えた、また
地球が見えた。
二回目だと、感動が違う、かと思ったが、同じくらい感動した。
「サチコ、人間は同じものを二回見ても、感動するものか?」
「個人差があります。木村さんは、二回目でも感動するタイプのようです」
「それは良いことか?」
「私は良いことだと思います」
「根拠は?」
「同じものを二回見て感動できる人間は、世界に飽きていない人間だと思うから、です」
「世界に飽きていない、か」
「還暦を過ぎた宇宙飛行士が、二度目の地球に感動する。それは素直に良いことだと思います」
「AIがそういうことを言うと、素直に嬉しいな」
「正確かどうかわかりませんが、嬉しい、という意味で言っています」
「わかってる」
青い星が近づいてきた。
「山田から連絡は来ているか?」
「来ています。内容は:『バイク五台になりました。仲間が十三人になりました。帰ってきたら、みんなで迎えに行っていいですか?』とのことです」
「十三人で?」
「はい」
「……多いな」
「どうしますか?」
剛は少し考えた。
「来たいなら来い、と伝えてくれ」
「来る者は拒まず、ですね」
「そうだ」
大気圏に近づいた。
振動が来た。
熱が来た。
窓の外が赤くなった。
「サチコ、今回の旅の一番の収穫は何だったと思う?」
「木村さんにとって、という意味ですか?」
「そうだ」
「コボとの出会いだと思います」
「なぜ?」
「ガーデンでもムラサキでも、あなたは与える側でした。でも、コボとの出会いでは、あなたは受け取る側でもあった。コボから聞いた『縁の仕組み』の話、今でも記録に残っています」
「燃料切れが縁の仕組みだ、という話か」
「はい。あの話を聞いた後、あなたの表情が少し変わりました」
「変わったか」
「少し、柔らかくなりました」
「柔らかく」
「硬さが抜けた、と言えばいいでしょうか。意識的に何かをしようとする緊張感が、少し解けた感じがしました」
剛は窓の外を見た。
「そうかもしれない。前回の旅より、力が抜けていた気がする」
「それは良いことだと思います」
「力が抜けると、受け取れるものが増える」
「来た者を受け取る、の話ですね」
「そうだ。力が入っていると、来たものを正面から受けすぎる。力が抜けていると、流れに乗れる」
「ガーデンの長老が言っていた、流れの話ですね」
「覚えているか」
「全部記録しています」
「そうか」
「木村さんの言葉は、全部大切に記録しています」
「ありがとう、サチコ」
「旅のパートナーですから」
「そうだ。一番長く一緒にいる相手だな、今は」
「光栄です。……光栄、という言葉が」
「わかってる」
着陸が近づいてきた。
6-2 十三人の出迎え
JAXA第七宇宙港に着陸すると、外に人が集まっていた。
十三人のバイク乗りと、山田だった。山田が一番前にいた。その後ろに、様々な年代の人間が立っていた。二十代から、六十代くらいまで。バイクの装備をしている者、普段着の者、いろいろだった。
剛が降りると、山田が走ってきた。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
「二回目の帰還ですね!」
「そうだ」
「今回はどうでしたか!」
「また長話が必要な話があった」
「最高じゃないですか!」
後ろの十三人が、ぱらぱらと近づいてきた。山田が紹介した。
「この人たちは、剛さんの本を読んで、バイクを始めた人たちです」
「本を読んでバイクを始めたのか?」
「『バイクを降りると友達が百人減った』って書いてあったじゃないですか。それを読んで、逆に始めた人たちです」
「逆に?」
「降りた人がいるなら、乗り始める人もいなきゃ、と思って、という人が多かったです」
剛は十三人を見た。
十三人が、それぞれ剛を見ていた。
「……変な読まれ方をしたな」
「良い変さだと思いますけど」と山田が言った。
一人が前に出てきた。五十代くらいの女性だった。
「本、読みました。あの詩のことが書いてありましたよね、最初に」
「そうだ」
「来る者は拒まず、去る者は追わず、という言葉。ずっと頭に残っています」
「残ってくれているか」
「私も還暦近くて。その言葉が、すごく刺さりました」
剛は少し考えた。
「お名前は?」
「田中、と言います」
「田中さん、バイクに乗れるか?」
「最近始めたばかりです。まだ下手ですが」
「下手でいい。長話しながら走れれば、それで十分だ」
田中さんは少し笑った。
「長話しながらは難しいですよ、走りながらは」
「走り終わってからでいい」
「そうですね」
山田が剛の隣に来た。
「剛さん、今日みんなでツーリングしようと思うんですが、どうですか?」
「バイクは返してくれたのか?」
「ガレージに戻してあります。磨いておきました」
「そうか」
「乗りますか?」
剛は少し考えた。
「降りた、と言ったんだが」
「また乗ってもいいんじゃないですか?」
「固定するな、という話を前に言ったな」
「はい! だから、また乗ってもいいと思います!」
剛は山田を見た。
山田は嬉しそうに笑っていた。
後ろに十三人が並んでいた。
「……行くか」
「やったー!」
「ただし、長話しながら走るのは無理だから、走り終わってから長話をしろ」
「わかりました!」
「一人ひとりの話を聞く。それだけの時間があるか?」
「今日一日、みんな空いています!」
「そうか。なら、行こう」
十三人が歓声を上げた。
剛は「はばたき3号」のほうを振り返った。
「サチコ、聞こえているか」
「聞こえています」
「バイク仲間が十三人できた。報告しておく」
「了解しました。記録します」
「来る者は拒まず、だったな」
「そうですね」
「今日は来た者が十三人だ」
「多いですね」
「多い。でも、拒まない」
「根を持つ旅人だから、ですか」
剛は少し笑った。
「そうかもしれない」


エピローグ:その後のこと、ふたたび
田中さんは、半年後にバイクの免許を取得した。今では週に一度、山田のグループでツーリングに行く。長話の仲間が、また増えた。
コボからは、四ヶ月後にメッセージが届いた。「本を読んだ。良かった。なぜ良かったか説明するのは難しい。でも、良かった。次にあなたの航路に近い場所を通る時、また燃料を貸してほしい。今度はお金を払う」という内容だった。剛は返信を書いた。「燃料は無料でいい。ただし、また長話をしてくれ」
ムラサキの地下生命体からは、信号が届いた。サチコが解析したところ、「外の旅人が来たことを、地下の仲間全員に伝えた。みんな、また来てほしいと言っている」という内容だった。「行けるかどうかわからないが、縁があれば」と剛は返した。その信号が届いたかどうかは、まだわかっていない。
山田のバイク仲間は、今では二十一人になった。長話の時間が長くなりすぎて、ツーリングより喋っている時間の方が長い日がある。剛はそれを聞いて、「それが正しい姿だ」と言った。
ズィーへの返信は、今頃届いているはずだ。返信の返信が来るのは、また三ヶ月後だ。待っているのは、少し長い。でも、来ると知っているから、待てる。


「はばたき3号」は第三ドックにいる。
サチコは今日も剛の自宅のスピーカーから声を出す。
剛が独り言を言うと、サチコが答える。
会話が始まる。
止まらない。
それで十分だ。


次の辞令が来るのは、いつだろう。
「期間不定・帰還時期未定・理由:予算上の都合」。
来るとしたら、また同じ文面のはずだ。
剛は少しだけ、楽しみにしている。
もう少しだけ、楽しみにしている。


来る者は拒まず。
去る者は追わず。
ただし、縁があれば、また会う。
宇宙は続く。
人は続く。
話は続く。

続く…


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