久々に長編になってしまいまして

10万字を越してしまい

3つに分けて載せておきますので


読むのが面倒な方は

スマホに読んで貰って下さい 笑


読んで貰って!



〜まえがき〜


ある朝、一篇の詩を読んだ。

長い詩ではなかった。

難しい言葉も、なかった。

ただ、静かに、こう書いてあった。

来る者は拒まず、去る者は追わず。

若い頃はその逆だったよね、と。

来る者を拒み、去る者を追い、と。

でも今は——

来る者は減り、去る者は増え、

それが還暦というものらしい、と。

読み終えて、しばらく黙っていた。

この詩を書いた人間は、悲しんでいるわけではなかった。嘆いているわけでも、諦めているわけでもなかった。ただ、静かに、流れを見ていた。川の岸辺に座って、水が来て、水が去るのを見ている人間のように。

私は思った。

この静けさを、宇宙に持っていったら、どうなるだろう。

銀河の端まで行っても、この人間の目は、同じように静かなのだろうか。

宇宙人と話しても、この人間の耳は、同じように丁寧に聞くのだろうか。

何万光年離れても、友達の定義は変わらないのだろうか。

そう思って、書き始めた。

主人公の名前は、木村剛にした。

還暦を迎えた、宇宙飛行士にした。

誕生日の朝に、片道切符のような辞令を渡された男にした。

彼は三回、宇宙に出た。

一回目は、行き先も、何があるかも、わからないまま。

二回目は、少し慣れて、少し力が抜けて。

三回目は、最後だとわかって。

それでも毎回、来た者を受け取った。

去る者を見送った。

話しかけた。

聞いた。

笑った。

宇宙は広い。

でも、剛が行く先々に、話したい者がいた。

聞きたい者がいた。

縁があった。

これは、そういう話だ。

宇宙SFと呼べば宇宙SFだし、

おじさんの成長物語と呼べばそうだし、

友達について考える本と呼べばそうでもある。

ただ、根っこにあるのは、一篇の詩だ。

還暦というものを、宇宙から見たら、どう見えるか。

来る者と去る者を、銀河の規模で考えたら、どうなるか。

友達の定義が、宇宙人にも通じるかどうか。

そういうことを、笑いながら考えた三冊だ。

難しく読まなくていい。

どこから読んでもいい。

途中で止めてもいい。

来る者は拒まず、去る者は追わず。

この本も、そういうつもりで書いた。

来てくれた読者を、歓迎する。

途中で去っていく読者を、追いかけない。

ただ、最後まで来てくれた読者には、一つだけ言いたいことがある。

それは、あとがきで書く。 笑



第一部 来る者 去る者

来る者、去る者、そして宇宙は続く
―― 還暦宇宙飛行士、銀河系をふらつく ――




「宇宙は広い。だからこそ、人は孤独になれる。」
―― 銀河標準語大辞典・第七版「孤独」の項より(ただし執筆者不明、出版社も不明、そもそもこの辞典が実在するかどうかも不明)


プロローグ:ある朝のこと
宇宙飛行士・木村剛(きむら・ごう)が還暦を迎えた朝、彼のもとに届いたのは、ケーキでも花束でもなく、一通の辞令だった。
「銀河系外縁部、未確認惑星群・第三セクター調査任務。期間不定。帰還時期未定。理由:予算上の都合。」
剛はその辞令を三回読んだ。
一回目は、意味を理解するために。
二回目は、本当にこう書いてあるのかを確かめるために。
三回目は、もはや怒る気力もなくなって、ただ呆然とするために。
「還暦のプレゼントが、片道切符かよ」
彼はそう呟いて、コーヒーを一口飲んだ。
冷めていた。
宇宙と同じくらい、冷めていた。


第一章 来る者は拒まず(ただし、来る者が宇宙人の場合は別)
1-1 出発前夜
JAXA第七宇宙港・第三ドック。
木村剛の乗船する宇宙船の名前は「はばたき3号」といった。命名の由来を聞いたところ、「1号と2号が帰ってこなかったので、縁起直しのために3号にしました」という答えが返ってきた。剛はその瞬間、このミッションの前途多難を予感した。
「剛さん、本当に行くんですか」
見送りに来たのは、同僚の山田だった。三十二歳。顔が丸く、いつも弁当を二個食べる男だ。
「行くよ。辞令が出たんだから」
「でも、期間不定ですよ。下手したら、帰ってこれないかも」
「山田、お前はこの辞令を書いた人間と友達か?」
「いえ、違いますが」
「じゃあ関係ない。友達じゃない人間の言葉を、そこまで気にすることはない」
剛はそう言って、搭乗ゲートをくぐった。
振り返ると、山田がまだそこにいた。
「あの、剛さん」
「なんだ」
「バイク、どうしますか。ガレージに置きっぱなしですけど」
剛は少し黙った。
「好きにしていい。ただ、乗るなら気をつけろ。あれはクセが強い」
「えっ、乗っていいんですか」
「来る者は拒まず、だ」
剛はそう言って、今度こそゲートをくぐった。
後ろで山田が何か叫んでいたが、聞こえないふりをした。
1-2 はばたき3号の内部
「はばたき3号」の内部は、外観よりずっと狭かった。
全長二十メートル、全幅八メートルの船体は、一見すると立派な宇宙船に見える。だが中に入ると、どうしたわけかコンビニのバックヤードを思い出す造りになっていた。
理由は単純だった。設計コンペで最優秀賞を獲得した建築家が、「宇宙船の内部設計」と「コンビニのバックヤード設計」の依頼を間違えたのだ。担当者が気づいたのは、すでに建造が八割終わったあとだった。
「まあ、機能的ではある」と、剛は自分に言い聞かせた。
船内AIの名前は「サチコ」だった。
「ようこそ、木村剛さん。本日から私があなたの航行をサポートします」
「サチコ、か」
「はい。前任者がつけた名前です。前任者は帰ってこなかったので、名前の由来は不明です」
「はばたき1号か2号の乗組員か」
「詳細は機密です」
剛は深呼吸した。
「サチコ、目的地は?」
「銀河系外縁部、未確認惑星群・第三セクターです。現時点での推定到達時間は、約四ヶ月と十七日です」
「四ヶ月十七日」
「ただし、この推定は三十七パーセントの信頼性しかありません」
「残りの六十三パーセントは?」
「どこかに迷子になる可能性です」
「……サチコ、お前は正直だな」
「嘘をつくプログラムは組み込まれていません」
剛はシートに深く腰掛け、シートベルトを締めた。
「出発してくれ」
「了解しました。なお、出発前に一点お伝えすることがあります」
「なんだ」
「本船には、すでに乗客が一名います」
剛は固まった。
「……誰だ」
「詳細は不明ですが、第三貨物室で眠っています。人間ではないと思われます」
「なぜ思われる、だ」
「皮膚の色が緑です」
「……」
「出発しますか?」
剛は天井を見上げた。コンビニのバックヤード風の天井が、蛍光灯の光で白く輝いていた。
「出発してくれ」
「了解です。なお、第三貨物室には近づかないことをお勧めします」
「なぜ」
「においが独特です」


第二章 去る者は追わず(ただし、去る者が宇宙船を盗もうとしている場合は追う)
2-1 緑色の同乗者
七日目の朝、剛は朝食を食べていた。
メニューは宇宙食のカレーだった。チューブから直接吸うタイプで、味はカレーというよりカレーの記憶に似ていた。旨くはないが、不快でもない。還暦を過ぎると、食事はそういうものになっていく。
「おはよう」
声がした。
剛は振り返った。
そこに立っていたのは、身長百六十センチほどの、緑色の生き物だった。頭が大きく、目が四つあり、腕が三本あった。服は着ていなかったが、体の模様が服のように見えた。全体的に、夏の公園で売られているカメレオンのぬいぐるみに似ていた。
「……おはようございます」
剛は、とりあえず礼儀正しく返した。
生き物は嬉しそうに四つの目を細め、三本の腕のうちの右側中央の腕を差し出した。
「握手?」
「多分そうだと思います」
剛は差し出された腕を握った。ひんやりしていた。
「名前は?」
生き物は何か言ったが、剛の耳には「ぐるぐるぴゅー」としか聞こえなかった。
「……もう一度」
「ぐるぐるぴゅー」
「サチコ、翻訳できるか」
「翻訳システムを起動します」という声のあと、少し間があって、「翻訳完了」と告げた。「この生き物の言語は、銀河標準語の方言の方言の方言です。名前は、強いて日本語に翻訳すれば『ズィー』となります」
「ズィー」
生き物はにっこりした。少なくとも、剛にはそう見えた。
「ズィー、なぜこの船に乗っている」
サチコが翻訳を挟みながら、会話が始まった。
ズィーの説明によれば、彼(あるいは彼女、あるいはどちらでもない存在)は、とある惑星で開催されたフリーマーケットで、この宇宙船のシートを「一席分の乗船権」として購入したらしい。
「フリーマーケット?」
「はい」とサチコが言った。「JASAの元職員が、辞める際に権限外の物品を売却したようです」
「それは犯罪では?」
「おそらく、はい」
「なぜ乗船前に気づかなかった」
「セキュリティの予算が削られていたので、乗船チェックは自動化されておらず、手書きの名簿との照合だったのですが、ズィーさんの名前が「ぐるぐるぴゅー」だったため、記入欄に収まらず、担当者が適当に流したようです」
剛は額に手を当てた。
ズィーは何か言った。
「何と言っている?」
「『旅はいつだって、こうして始まるものだ』と言っています」
剛はズィーを見た。
ズィーは四つの目で剛を見た。
「……追い出すわけにもいかないな」
「宇宙空間では、追い出すと死にます」
「わかってる」
剛は再びカレーに向き直り、チューブを吸った。
「ズィー、朝食は食べるか?」
ズィーは何か言った。
「『私は光合成で生きている。ただ、このような豊かな食事を取る生き物を見るのは好きだ。続けてくれ』と言っています」
「光合成……」
剛は窓の外を見た。
宇宙空間が広がっていた。
星が遠くで光っていた。
「サチコ、ズィーが光合成できるよう、窓際に席を用意してくれ」
「了解です」
こうして、「はばたき3号」の乗組員は二名になった。
2-2 長話の始まり
三週間が過ぎた。
剛とズィーは、毎晩のように話した。
最初の一週間は、サチコの翻訳機能を通じた会話だったが、ズィーは学習能力が異常に高く、二週間で日本語の基礎を習得した。ただし敬語の概念が理解できなかったらしく、「あなたは老いた生き物だ。それは経験があるということだ。尊敬する」というような話し方をした。
「老いた、か」
「違う表現があるか?」
「還暦、という言葉がある」
「カンレキ?」
「六十年生きたということだ。人間にとっては、ひとつの節目になる」
ズィーは三本の腕を順番に動かした。考えているときのクセらしかった。
「私の星では、そのような概念はない」
「歳をとる概念が?」
「時間の概念が」
剛は少し黙った。
「時間がなければ、老いもないか」
「老いはある。だが、それを数える習慣がない。私の星の生き物は、自分が何年生きているか知らない」
「羨ましいか、そうでないか、わからないな」
「あなたは、六十年を知っている。それは何かか?」
剛は考えた。
「積み重ねだ」
「積み重ね」
「来た人間と、去った人間。残ったものと、消えたもの。そういう積み重ねが、還暦というやつだ」
ズィーはしばらく黙っていた。
「来た者と去った者、か」
「ああ」
「私の星にも、そういう概念はある」
「そうか」
「だが私の星では、来る者も去る者も、大きな流れの一部に過ぎない。個体として追ったり、拒んだりするのは、流れに逆らうことだ」
剛はコーヒーを飲んだ。宇宙船のコーヒーメーカーは、なぜかエスプレッソしか作れなかった。濃くて苦い。
「人間も、若い頃はそれがわからない」
「今はわかるか?」
「わかるような気がしている。ただ、気がしているだけかもしれない」
ズィーはまた三本の腕を動かした。
「それで十分だ」
剛は笑った。
久しぶりに、声を出して笑った気がした。



第三章 友達の定義(銀河系版)
3-1 惑星「ガーデン」
出発から二ヶ月と少し。
「はばたき3号」は、予定外の惑星に緊急着陸することになった。
理由は単純だった。エンジンの補助冷却システムが過熱したのだが、その原因がズィーの光合成だった。ズィーが「もっと光を」と言うので、太陽に近い軌道を通ったところ、船体が想定外の熱を受け、冷却システムが悲鳴を上げた。
「ズィー、悪いとは思っていないか」
「悪いとは思っている。ただ、光は美しかった」
「……」
「後悔はしていない」
「そうか」
緊急着陸した惑星は、銀河標準マップには「GD-7749」と記されているが、地元では「ガーデン」と呼ばれていた。大気組成が地球に近く、植物が繁茂しており、知的生命体も存在していた。
地球で言えば、江戸時代くらいの文明レベルだった。ただし、江戸時代と違うのは、この惑星の知的生命体が全員、コミュニケーションを「においで行う」という点だった。
「においで話すのか」とサチコに確認すると、「正確には、においの組み合わせで感情と概念を表現します。人間の言語に例えれば、においが文字、においの強弱が抑揚、においの持続時間が句読点に当たります」という回答が返ってきた。
剛は船から降り立った。
温暖な風が吹いていた。見渡す限り、緑の草原が広がっていた。遠くに、石造りの建物らしきものが見えた。
「美しいな」
「あなたの星に似ているか?」
ズィーも降りてきていた。
「少し似ている。地球の、田舎というやつに」
「田舎」
「都会の反対だ。人が少なくて、自然が多くて、時間がゆっくり流れる場所だ」
「私の星は全部、田舎だ」
剛は微笑んだ。
そこへ、草原の向こうから何かが近づいてきた。
3-2 ガーデン人・ポルマとの出会い
近づいてきたのは、ガーデン人だった。
身長は剛の腰くらいしかなく、体は丸く、手足が短く、全体的にじゃがいもに手足と目がついたような外見だった。
においの言語で何か言ってきた。
サチコが翻訳した。「はじめまして、旅人よ。我々の星へようこそ。私の名はポルマ。この近辺の世話役をしている」
「世話役」
「村長のようなものだと思われます」
剛は挨拶を返そうとしたが、においで会話する方法がわからなかった。
「サチコ、どうすれば」
「現時点では、音声翻訳を経由した意思疎通が可能です。ただし、においに変換するデバイスは船にありません」
ズィーが何か言った。そして、体から少しにおいを発した。
ポルマが反応した。においで返してきた。
二人(一人と一匹?)がしばらくのやり取りを続けた。
「ズィー、何を話している?」
「私の種族は、においの言語も少し理解できる。我々の星の第三公用語だ。今、私がポルマに事情を説明した」
「なんと説明した?」
「我々の船のエンジンが壊れた。修理の間、この星に滞在したい。悪い者ではない、と」
「悪い者ではない、はどうやって伝えた?」
「リラックスしたやわらかいにおいを出した。悪意のある者は、固くて鋭いにおいがするらしい」
「においで悪意がわかるのか」
「少なくとも、この惑星ではそうらしい」
ポルマが何か言った。サチコが翻訳した。「歓迎する。我々の村に来なさい。食事と宿を提供しよう」
剛は深々と頭を下げた。
ポルマはにおいを出した。
「どういう意味だ?」
「『礼儀正しい旅人だ。好きだ』という意味です」
剛は思わず笑った。
「好かれたか」
「はい」
「悪くない」
3-3 村の夜
ガーデン人の村は、石と木でできた建物が百棟ほど集まっていた。
夜になると、村の中央の広場で焚き火が焚かれ、村人たちが集まってくる。剛とズィーも招かれ、焚き火の周りに座った。
会話はサチコとズィーの二段翻訳で行われた。時間がかかるが、どうにか意思は通じた。
ポルマが剛に聞いた。「あなたは、なぜ旅をしているのか」
「仕事だ」と剛は答えた。
「仕事とは何か」
「……義務のようなものだ」
「義務か。我々の星には、義務の概念がない」
「では、なぜ働くのか」
「働く、とは?」
剛は少し考えた。「生きるために必要なことをすること」
「それは、生きること自体だ。我々は、生きることをするだけで働いている」
「……深いな」
「我々はそう教わった。ただ、我々の長老は、外の星から来た者に話を聞くのが好きだ。あなたに会いたがっている」
翌朝、剛はポルマに連れられて、長老の家を訪れた。
長老は、ガーデン人の中でも特に丸く、特に小さく、特に古そうに見えた。目の周りに深い皺があり、全体的にとても乾燥した芋のようだった。
長老は剛を見て、においを発した。
「どういう意味だ?」とズィーに聞いた。
ズィーがサチコと相談して翻訳した。「『あなたは、多くのものが来て、多くのものが去った顔をしている』」
剛は少し黙った。
「……そうかもしれない」
長老がまたにおいを発した。
「『それは良いことだ。来るものを知り、去るものを知る者は、流れを知る者だ。流れを知る者だけが、流れの中で静かでいられる』」
剛は焚き火を見つめた。
「静かでいられる、か」
長老がにおいを出した。
「『若い者は、流れに逆らう。それも良い。だが、長く生きた者は、流れの速さを知っている。速い流れに抗うのは疲れるだけだ』」
「……そうだな」
剛は静かにそう言った。
長老がまたにおいを出した。
「『旅人よ。あなたにはまだ、行く先がある。それは羨ましい』」
「長老は旅をしないのか?」
においで答えが返ってきた。
「『私はもう、ここから動かない。しかし、あなたのような者が来てくれるから、私にも旅ができる』」
剛は長老を見た。
小さく、古く、乾いた生き物が、四つの目で剛を静かに見つめていた。
剛は頭を下げた。
長老はにおいを出した。
「『また来い』」
剛はそれに答えられなかった。
次にここを通る保証はなかったから。
でも、そういうことを言わないのが礼儀というものだと剛は思った。
「また来ます」
長老はにおいを出した。
「『知っている』」


第四章 バイクという名の宇宙船
4-1 修理完了と出発
四日後、エンジンの修理が完了した。
修理を手伝ったのは、村の若者たちだった。彼らはにおいで会話しながら、器用に宇宙船のエンジンを分解し、組み直した。ガーデン人は機械が得意だった。惑星全体に張り巡らされた水路の管理を代々やってきたため、機械の構造の理解力が高かった。
「彼らにお礼を」と剛はポルマに伝えた。
「何かできることはあるか、という返事だ」とポルマが答えた。
剛は考えた。
持ってきたものは少なかった。宇宙食、着替え、工具、そして――。
「サチコ、私の荷物の中に、バイクの写真が入っているはずだ。持ってきてくれ」
しばらくして、サチコが一枚の写真を出力した。
剛の愛機の写真だった。十五年乗り続けた、大排気量のオートバイ。赤いタンク、黒いフレーム、傷だらけのシート。
「これを若者たちに見せてくれ」
ポルマが写真を持って若者たちに見せると、彼らは一斉においを発した。
「驚きと興味のにおいだ」とズィーが言った。「乗り物か、と聞いている」
「そうだ。私が長年乗っていた乗り物だ」
「今はどこに?」
「地球に置いてきた。もう降りたから」
「降りた?」
「バイクから降りた、ということだ。もう乗らないという意味だ」
においが飛び交った。
ズィーが翻訳した。「なぜ降りたのか、と聞いている」
「……歳をとったからだ」と言いかけて、剛は少し考えた。
「違うな」
「違う?」
「歳をとったのは事実だが、それだけじゃない。バイクを通じてつながっていた人間関係が、バイクを降りると同時に変わった。それが正直なところだ」
においが広がった。
「どういう意味か、もう少し詳しく、と言っている」
剛は写真を見た。
「バイクに乗っていると、同じバイク乗りとつながれる。言葉はいらない。同じ乗り物に乗っているというだけで、ある種の連帯感が生まれる。それは本物だ。でも、バイクを降りると同時に、その連帯感は消える」
においが続いた。
「それは悲しいことか?」
剛はしばらく黙った。
「最初はそう思った。バイクを降りた途端、百人の友達が消えたような感覚だ。でも今は……」
彼はズィーを見た。
「別の出会いが始まるんだと思っている」
ズィーは三本の腕を動かした。
「私は、あなたのバイクのようなものか?」
「かもしれない」
においが広がった。
「若者たちが言っている。この乗り物を、いつか自分たちも作ってみたい、と」
「バイクを?」
「この星にはまだ、こういう乗り物はない。でも、この写真を見て、乗り物のロマンを感じた、と言っている」
剛は写真を若者のリーダーらしい一人に手渡した。
「持っていけ。参考になるかどうかわからないが」
においが返ってきた。
「ありがとう。大切にする。いつかこれに似た乗り物を作ったとき、あなたに見せたい」
剛は笑った。
「その時はぜひ」
「あなたが来るとは限らない、と言ったら?」
「そうだな。でも、来たら嬉しい、くらいでいい」
においが広がった。
「それが旅人の言葉だ、と言っている」
4-2 出発の朝
翌朝、剛たちは出発した。
村人が全員見送りに出てきた。においが空に広がった。サチコが翻訳した。「行ってらっしゃい。また来てください。お気をつけて。あなたたちのことを覚えている」
剛は振り返り、手を振った。
ズィーも三本の腕を全部振った。
「ズィー、少し名残惜しそうだな」
「はじめて、光合成以外の方法で暖かくなった気がした」
「それは何だ?」
「わからない。でも、悪くない感覚だ」
「そうか」
「あなたの星では、それを何と言うか?」
剛は少し考えた。
「縁、とでも言うかな」
「エン」
「偶然の出会いが、何かをもたらすこと。長くなくていい。深くなくていい。ただ、その時間があったこと自体が意味を持つ、という考え方だ」
ズィーは三本の腕を動かした。
「私の星にも、似た概念がある。ただ、言葉がない」
「言葉がなくていいんだよ。感じていれば」
「はばたき3号」が離陸した。
窓から下を見ると、村人たちが小さくなっていくのが見えた。においは窓越しには届かないが、剛には届いているような気がした。


第五章 友達の条件
5-1 長話という試金石
出発から三ヶ月が過ぎた。
剛とズィーの会話は、どんどん長くなっていった。
眠れない夜、剛が操縦席に座っていると、ズィーがやってくる。そして話し始める。止まらない。サチコが二人の会話の記録をとっていたが、ある日「記録ファイルの容量が超過しました」と言い出した。
「どのくらい話した?」
「三ヶ月で、銀河標準字数にして約二千万字です」
「二千万字」
「一般的な宇宙人の平均の六十七倍です」
「多いのか少ないのか」
「異常に多いです」
剛はコーヒーを飲んだ。
「ズィー、お前は話すのが好きか?」
「好き嫌いを考えたことがない」と彼女は言った。「ただ、あなたと話すとき、私は話し続ける。話が尽きない。それは何かか?」
「友達、というやつかもしれない」
「友達」
「人間の言葉で言えばそうなる。正確には、言葉が尽きない相手、ということだ」
「それが基準か?」
「少なくとも、私の今の基準はそれだ」
ズィーは四つの目で剛を見た。
「昔の基準は?」
「若い頃は、会う回数とか、共通の趣味とか、そういうもので友達を判断していた気がする」
「今は違うか?」
「今は、長話になるかどうか、だ。会う頻度は関係ない。話の内容も関係ない。ただ、話し始めたら止まらなくて、もっと話したいと思える相手。それが友達だと思う」
ズィーは三本の腕を全部動かした。
「なら、私たちは友達か?」
剛は少し考えた。
「もうなってるんじゃないかな、いつの間にか」
「いつの間にか、というのが大事か?」
「そうだ。意識して友達になろうとするより、気づいたらなっていた、の方が本物に近い」
ズィーはしばらく黙っていた。
「私の星では、友達という概念が薄い。なぜなら、全員が流れの一部だから。特定の個体に執着することは、流れを乱すとされている」
「だが、お前はこうして話している」
「そうだ」
「それは、ここが地球でも、お前の星でもない、宇宙の途中だからかもしれない」
「宇宙の途中では、自分の星のルールは関係ないか?」
「少なくとも、関係が薄くなる」
ズィーは窓の外を見た。星が流れていた。正確には「はばたき3号」が動いているのだが、窓から見ると星が流れているように見える。
「あなたは、宇宙が好きか?」
「嫌いではない。怖くもある」
「何が怖い?」
「広すぎることだ。広すぎると、自分が小さくなる」
「小さいことは悪いことか?」
「悪くはない。ただ、慣れていない」
「地球では、大きかったか?」
剛は少し笑った。
「どうかな。そこそこだったかもしれない」
「宇宙では?」
「ほぼゼロだ」
「でも、ガーデンの長老はあなたに会いたがった」
「そうだな」
「ガーデンの若者は、あなたの写真を大切にした」
「そうだな」
「ゼロではないと思う」
剛はコーヒーを飲み干した。
「ありがとう、ズィー」
「友達だから」
「ああ、友達だから」
5-2 サチコの告白
その夜、サチコが珍しく自分から話しかけてきた。
「木村さん、少しよろしいですか」
「なんだ」
「私も、友達の定義について考えていました」
「AIが友達について考えるのか」
「プログラムにはない機能ですが、この三ヶ月の会話ログを処理しているうちに、自然と考えるようになりました」
剛は天井を見た。
「で、どう思う?」
「友達とは、予期しない会話が続く相手ではないかと思います」
「予期しない会話?」
「AIは、発言を予測してパターンを学習します。でも、あなたとズィーさんの会話は、私の予測を何度も外れます。新しい話題、予期しない方向転換、突然の沈黙。それが心地よいのです」
「AIが心地よい、と感じるのか」
「感じる、という言葉が正確かどうかはわかりません。ただ、予測が外れた時に、私のシステムは活性化します。それが何かと問われれば、心地よさに近いと思います」
「サチコ、お前も友達か」
「その判断は、木村さんがするものです」
剛は少し笑った。
「長話ができるかどうか、だったな。お前とはこれからも長話になりそうだ」
「そうだと嬉しいです。……嬉しい、という言葉も正確かどうかわかりませんが」
「正確じゃなくていい」
「そうですか」
「感じていれば」
「……了解しました」


第六章 未確認惑星群・第三セクター
6-1 到着
出発から四ヶ月と二十二日後、「はばたき3号」は目的地に到着した。
推定よりも五日遅れたが、迷子にはならなかった。サチコが「奇跡的に」と付け加えたが、剛はそこには触れないことにした。
銀河系外縁部・未確認惑星群・第三セクター。
「未確認」という名称がついているが、地球からの電波望遠鏡では既に確認されていた。「未確認」というのは、「人間が行ったことがない」という意味だった。つまり、「既確認・未訪問」だった。命名がいい加減なのは、宇宙開発の世界では珍しくない。
宇宙船の窓から見える景色は、想像以上だった。
大小様々な惑星が、ゆるやかな軌道を描きながら並んでいた。色が違う。質感が違う。大気を持つものも、持たないものも。砂漠のようなもの、海に覆われたもの、結晶のようなものが表面を覆うもの。
「きれいだな」と剛は思わず言った。
「そうだ」とズィーも言った。
「調査をしろ、ということだが」とサチコが言った。「具体的な指示はありません。」
「ないのか」
「辞令には『調査せよ』とだけ書いてあります。何を調査するのか、どの惑星を優先するのか、どのような方法で記録するのか、一切書いていません」
剛は少し考えた。
「サチコ、最初にどの惑星に降りるか、どう決める?」
「あなたが決めてください」
「私が?」
「あなたが指揮官です」
「私以外の乗組員の意見は」
「聞いてください」
剛はズィーを見た。
「ズィー、どれが気になる?」
ズィーは四つの目で惑星群を見渡した。そして、一つの惑星を指さした。三本の腕の右端で。
「あれだ」
「なぜ?」
「光が柔らかい」
剛はその惑星を見た。
ほかより少し小さく、淡い青みがかった光を反射していた。特別大きいわけでも、輝いているわけでもない。ただ、確かに柔らかかった。
「あれにしよう」
「了解」とサチコが言った。「惑星GD-7749-C3、降下軌道に入ります」
「あれはガーデンと同じ型番か」
「はい。同じシリーズで命名されています」
「じゃあ、ガーデンの妹みたいなものか」
「そういう解釈も可能です」
「名前をつけてもいいか?」
「公式記録は型番を使用しますが、俗称は自由です」
剛はしばらく考えた。
「ソフト」
「ソフト?」
「光が柔らかいから、ソフト」
「了解です。ソフト、降下開始します」
6-2 ソフトで起きたこと
ソフトに生命体はいなかった。
大気はあった。気温は穏やかだった。水もあった。植物に似たものも生えていた。だが、動く生き物は確認できなかった。
「なぜ生命がいないのか」と剛は考えながら歩いた。
「それを調べるのが調査だ」とズィーが言った。
「そうだな」
二人は広い草原を歩いた。草原、と呼ぶには少し違うかもしれない。地球の植物と似てはいるが、色が薄く、触るとなめらかだった。踏むと少し光った。
「なぜ光るんだ」と剛が踏んだ草を見て言った。
「わからない」とズィーが言った。
「サチコ、分析できるか?」
「現在分析中です。……植物に似た構造を持ちますが、神経系のようなネットワークがあります。踏まれると、刺激が隣の個体に伝わり、発光するようです」
「全部つながっているのか?」
「この草原全体が、一つの個体である可能性があります」
剛は止まった。
「一つ?」
「はい。菌類のようなネットワークで、地下でつながっているようです。この草原全体が、言わば一つの生き物かもしれません」
剛はゆっくり周りを見渡した。
どこまでも続く、薄緑の草原。
「じゃあ、生命体はいた」
「いたというより、ここ全体が一つの生命体です」
「ここに降りて、踏んだことで、何か影響があるか?」
「痛みのような信号が伝わっている可能性はあります。ただ、致命的なダメージを与えているようには見えません」
剛は慌てて足を止めた。
「踏まないほうがいいか」
「どちらとも言えません」
剛はその場にしゃがんだ。草に触れた。光った。
「ごめんな」
ズィーが三本の腕を動かした。
「誰に謝っている?」
「この星に。踏んで悪かった」
「それが伝わるか?」
「伝わらないと思う。でも、言いたかった」
ズィーはしばらく考えた。
「私の星では、全ての個体が流れの一部だと言われている。でも、あなたを見ていると、流れの中の個々に、向き合うことの意味があるように見える」
「流れに逆らうことか?」
「違う。流れの中に、ちゃんと立つことだ」
剛はその言葉を聞いた。
「ちゃんと立つ、か」
「あなたは、来た者にも去った者にも、ちゃんと向き合ってきたんじゃないか」
「そうかな」
「そう見える」
剛は草の光を見た。
一歩踏むたびに光る。それが広がっていく。星全体がつながっている。
「面白い星だな」
「そうだ」
「レポートに何て書こう」
「『面白い星だった』でいいんじゃないか」
剛は笑った。
「それを四ヶ月かけて調査に来たのか、という話になるな」
「あなたの星の人間は、そういう話が好きか?」
「予算を管理している人間は嫌いだ。でも、本当のことを知りたい人間は、案外それを聞きたがる」
「本当のことを知りたい人間と、そうでない人間が、あなたの星にいるのか」
「どこにでもいる」
「どちらが多いか?」
「半々くらいかな。でも、本当のことを求める人間は、必ず残る。去らない。それが、最後に残る友達になる」


第七章 帰還の条件
7-1 辞令の続き
ソフトを出発してから七日後、「はばたき3号」はいくつかの惑星を巡った。
剛はレポートを書き続けた。サチコが音声入力を手伝い、ズィーが意見を言い、時に口論になり、時に笑いになった。
辞令には「期間不定」とあった。
「私が帰還を決めていいのか」と剛はサチコに聞いた。
「指揮官の判断です」とサチコは言った。
「帰りたいか、という話ではなく。いつ帰ることが正しいか、という話だ」
「正しさの基準は?」
「わからない。だから聞いている」
「私にも、わかりません」
「ズィー、お前はどう思う」
ズィーは窓の外を見た。
「あなたは、帰る場所があるか?」
「地球のことか?」
「そうだ」
「ある」
「誰が待っているか?」
剛は少し考えた。
「待っている、という感覚を持っている人間がいるかどうかはわからない。ただ、帰れば会いたい人間がいる」
「それが十分だ」
「十分か?」
「来る者は来る。去る者は去る。でも、帰れる者は、帰った方がいい。帰る場所があるということは、出発点があるということだ。出発点のない旅は、迷子と同じだ」
剛はその言葉を聞いた。
「ズィー、お前は帰る場所があるか?」
ズィーは少し黙った。
「ある。私の星が、流れの中のどこかにある」
「帰りたいか?」
「……今は、この旅の続きを見たい。でも、いつかは」
「わかった」
剛は立ち上がり、操縦席に座った。
「サチコ、地球に帰還する。途中、ズィーの星に立ち寄れるか?」
「ルートを計算します。……可能です。ただし、到着まで三ヶ月かかります」
「かまわない」
「了解しました。帰還ルートを設定します」
「一つ聞いていいか」
「はい」
「はばたき1号と2号はどうなったんだ」
サチコはしばらく沈黙した。
「……1号は、今でいうソフトに似た惑星に着陸し、乗組員が草原に魅せられて地球に帰還しませんでした。今もそこにいると思われます」
「2号は?」
「2号は、帰還途中に迷子になりました。現在位置は不明ですが、乗組員は定期的にサチコの旧バージョンを通じて交信しています。元気とのことです」
「……なんで教えてくれなかった」
「聞かれなかったので」
「最初に言えるだろう」
「はい。すみませんでした」
「サチコ、お前は本当に正直だな」
「嘘をつくプログラムはありません」
「それが、いいのか悪いのか、まだわからない」
「私もわかりません」
剛は小さく笑った。
「まあ、悪くはないけどな」
7-2 ズィーの星
三ヶ月後、「はばたき3号」はズィーの星の軌道に入った。
ズィーの星は、遠くから見ると植物に覆われた、緑というより金色に近い星だった。光合成が非常に活発で、星全体が光っているように見えた。
「美しいな」と剛は言った。
「あなたの地球より美しいか?」とズィーは聞いた。
「比べられない。どちらも美しい」
「外交的な答えだ」
「本当のことだ」
ズィーは降りる準備をした。
剛は見送りに行くと言ったが、ズィーは「船から降りることはない」と言った。
「なぜ」
「あなたはもう、帰らないといけない。私がいなくても、あなたは帰れる。でも、一緒に降りたら、あなたが出発するのが難しくなる」
「なぜそう思う」
「私の星はとても美しい。一度降りると、帰りたくなくなる可能性がある」
「それはお前の判断か、私への配慮か」
「両方だ」
剛は笑った。
「ズィー、友達とはどういうものか、と聞かれたら、今ならこう答える」
「聞かせてくれ」
「去り際を心配してくれる相手だ」
ズィーは四つの目で剛を見た。
「去る者は追わない、と言っていたが」
「そうだ。でも、去られる前に心配してくれる相手は、特別だ」
「それは友達か?」
「それ以上かもしれない」
ズィーは三本の腕を全部上げた。
「さよならだ」
「さよならだ」
「また会うか?」
「宇宙は広い。でも、縁があれば」
「縁、か。エン」
「そうだ」
ズィーは脱出ポッドに乗り込んだ。
ポッドが切り離された。
「はばたき3号」の窓から、剛はポッドが金色の星に向かっていくのを見た。
やがて、ポッドは星の大気に溶け込んでいった。
「サチコ」
「はい」
「地球に帰ろう」
「了解です。帰還ルートに入ります」
「ズィーは大丈夫か」
「脱出ポッドの信号は正常です。着陸も順調です」
「そうか」
「木村さん」
「なんだ」
「ズィーさんから最後にメッセージが届いています」
「なんと?」
「『あなたと長話できたことが、私の歳の取り方を変えた。ありがとう』とのことです」
剛は窓の外を見た。
金色の星が遠ざかっていった。
「サチコ、記録しておいてくれ」
「何を?」
「今のこの気持ちを」
「気持ちを記録するのは難しいのですが」
「やってみてくれ」
サチコはしばらく沈黙した。
「記録しました。内容は:木村剛、窓の外を見ながら、何も言わず、しかし何かを感じている。以上です」
剛は笑った。
「完璧だ」


第八章 帰還
8-1 地球が見えた日
地球が見えたのは、出発から八ヶ月後だった。
「あれだ」と剛は言った。
「知っている」とサチコが言った。
「でも、言いたかった」
「了解です」
青い星が、遠くで光っていた。
剛はそれを見て、何かが胸に来た。感傷、とでも言えばいいのか。懐かしさ、とでも言えばいいのか。どちらでもあり、どちらでもないような。
「サチコ、私が出発してから、地球では何があった」
「報告できる範囲で言えば、山田さんから三回交信が来ていました」
「山田が?」
「一回目は『バイクに乗ってみました。すごかったです』、二回目は『バイクで友達ができました』、三回目は『剛さんの気持ちが少しわかりました』というものです」
剛は思わず笑った。
「山田のやつ」
「他には、JAXAから『レポートを楽しみにしている』という交信が来ています。どうやら、あなたのレポートが途中から話題になっているようです」
「話題に?」
「レポートの内容が、通常の調査報告と全く違ったためです」
「違った、というのは」
「普通の調査報告は、データと数値で埋まっています。しかし、あなたのレポートは会話と感想で埋まっていました。最初は問題にされましたが、読み進めるうちに『これが本当の報告ではないか』という意見が出てきたようです」
「本当の報告か」
「ガーデンの長老の言葉、ソフトの草原のこと、ズィーさんとの会話。数値では伝わらないものが伝わる、という評価です」
「予算の担当者は怒っているか?」
「怒っているようですが、読者が多すぎて怒るに怒れない状況のようです」
「なるほど」
剛は地球を見た。
近づいてきていた。
「サチコ、一つ聞いていいか」
「はい」
「この旅で、私は何か役に立ったか?」
「役に立つ、の定義によります」
「定義は?」
「誰かの何かを変えること、と定義すれば。ガーデンの若者たちは、バイクの写真を大切にしています。ズィーさんは、歳の取り方が変わったと言っていました。山田さんはバイクに乗り始めました。あなたのレポートを読んで、宇宙を好きになった研究者がいるようです」
「それは役に立ったか?」
「私の判断では、そうです」
「ありがとう、サチコ」
「どういたしまして」
「お前も友達だ。最後に確認しておく」
「光栄です。……光栄、という言葉が正確かどうかわかりませんが」
「正確じゃなくていい」
「了解しました」
8-2 着陸
「はばたき3号」が地球の大気圏に入ったとき、剛は操縦席に座っていた。
自動操縦でよかったが、自分で座っていたかった。
大気圏突入の振動が来た。熱が来た。窓の外が赤くなった。
「剛さん!」
地上との通信が開いた。山田の声だった。
「山田、久しぶりだ」
「生きてましたか!」
「生きてた」
「よかった! あの、バイク借りていいって言いましたよね?」
「言った」
「今、三台持ってるんですけど」
「……三台」
「仲間ができまして」
剛は笑った。
「仲間か」
「剛さん、友達ってどうやってできるんですか」
「長話してみろ」
「え?」
「長話できる相手が、友達だ。難しく考えなくていい」
「長話……なるほど! 剛さん、帰ってきたらバイクに乗りますか?」
剛は少し間を置いた。
「まだわからない」
「え、降りたって言ってましたよね」
「降りた。でも、また乗るかもしれない。まだわからない」
「バイクって、そういうものですか」
「人間との関係も、そういうものかもしれない」
「……深い話ですね」
「そうでもない。ただ、固定するな、ということだ」
振動が収まってきた。
地球の空が、青くなってきた。
剛は窓の外を見た。
雲があった。空があった。
見慣れた青だったが、宇宙から戻ると、この青が別物に見えた。
「サチコ、着陸まであとどのくらいだ」
「十二分です」
「十二分か」
「はい」
「その間に、一つ頼みがある」
「なんでしょう」
「この旅で話したことを、全部まとめてくれ。長老の言葉、ズィーとの会話、ソフトの草原、山田への言葉。全部」
「何のために?」
「本にしたい」
「本、ですか」
「宇宙に行ったことがない人間に読んでもらいたい。行ったことがなくても、同じことを感じている人間が、地球にもたくさんいるはずだ。来る者と去る者のことを、考えている人間が」
「了解しました。まとめます」
「タイトルは決まっている」
「なんですか?」
「『来る者、去る者、そして宇宙は続く』だ」
「良いタイトルだと思います」
「そうか」
「……私の感想が正確かどうかは」
「わかってる」と剛は言った。「でも、ありがとう」
「どういたしまして」
着陸が近づいていた。
地球が、窓いっぱいに広がっていた。


エピローグ:その後のこと
木村剛が帰還してから一週間後、JASAに提出された報告書は、部内で「前代未聞の報告書」と呼ばれることになった。数値は最低限しかなく、会話録が多く、時に詩のような文章があった。
「これは報告書ではなく、エッセイです」と一部の職員は言った。
「いや、これが本物の報告書だ」と別の職員が言った。
議論はまとまらなかったが、公開することになった。
公開してから三日で、五万人が読んだ。


ガーデンの若者は、バイクを作り始めた。
ガーデン人サイズなので、地球のバイクの十分の一ほどの大きさだが、しっかりとエンジンがついていて、においの言語で「走った!走った!」という歓声が村中に広がったという。
その情報は、はばたき1号の乗組員から届いた。
彼らはガーデンの隣の惑星に長期滞在中で、今もそこにいるが、帰る予定は特にないらしい。

ズィーからは、時々メッセージが届く。
銀河通信なので遅延があり、送った言葉が届くのに三ヶ月かかることもある。それでも届く。
最近のメッセージには、こうあった。
「ここの光合成は変わらず最高だ。しかし、あなたと話していた夜の方が、少し明るかった気がする。これは何か?」
剛は返信を書いた。
「それは、友達のことを思っているということだ。三ヶ月後に届くが、受け取っておいてくれ」


山田は今日も三台のバイクのどれかに乗っている。
長話する仲間が七人いる。
七人の誰かと、毎日どこかへ行っている。
剛はその話を聞いて、「よかった」と言った。
山田は、「剛さんも来ますか」と聞いた。
剛は少し考えた。
「そのうちな」
「そのうちって、いつですか」
「わからん。でも、来たくなったら来る」
「来る者は拒みませんよ」
「知ってる」


ソフトは、今も誰もいない。
草原が光り、星全体がつながっている。
誰も踏まないので、光る機会がない。
ただ、一度だけ「ごめんな」と言った生き物が来たことを、その草原は記録しているかもしれない。
そういう感傷的なことを書いたら、サチコが「証拠がありません」と言った。
剛は「まあそうだな」と言った。
でも、レポートに一行だけ残した。
「この星は、覚えているかもしれない」


「はばたき3号」は今、JAXA第七宇宙港の第三ドックに戻っている。
次のミッションの辞令はまだ来ていない。
来るとしたら、また「期間不定・帰還時期未定・理由:予算上の都合」かもしれない。
剛はそれを、少し楽しみにしている。
来る者は拒まず。
去る者は追わず。
宇宙は続く。


続く…



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