『一億の屍を越えて』
― 賢者タイムに悟る聖戦 ―
【まえがき】
このタイトルを見て、
「なんだこれは」と思われた方へ。
はい。
たぶん、その感想で合っています。
本作は、
還暦を過ぎた男が、
ある土曜の夜に突如として
“白い宇宙戦争”へ巻き込まれる話です。
しかも、
戦っているのは、
一億の自分自身。
書いている本人も、
途中から
「自分は何を書いているのだろう」
と何度か思いました。
けれど、
妙なもので、
人間という生き物は、
あまりにもくだらないことを真剣に考え始めると、
時々、
変に哲学的な場所へ辿り着いてしまいます。
人は皆、
奇跡みたいな確率を勝ち抜いて生まれてきた。
それなのに、
日常の中で、
そのことをすぐ忘れてしまう。
仕事に疲れたり、
年齢を気にしたり、
孤独を抱えたり、
誰かと比べたり。
でも本当は、
ここに存在している時点で、
すでに「一等賞」なのかもしれません。
本作は、
そんな途方もなく馬鹿馬鹿しい、
しかし少しだけ切実な思いつきから始まりました。
下ネタで笑っていただいても結構です。
B級SFとして楽しんでいただいても嬉しいです。
ただもし、
読み終えたあとに少しだけ、
「明日もまあ、生きるか」
と思っていただけたなら、
作者としてこれ以上幸せなことはありません。
それでは、
白い宇宙の最前線へ、
どうぞ。
第一章:新宿ビッグバンと白い宇宙の呼び声
男と生まれたならば、避けては通れぬ戦いがある。
還暦を過ぎ、人生の酸いも甘いも噛み分けたはずの私、加藤誠一にとって、それは土曜の夜の静かな儀式だった。
「ふぅ……」
新宿の片隅、喧騒を離れた一室で、私は「それ」を放出した。週に一度、溜まったエネルギーを解き放ち、心身をデトックスする。これこそが、明日を生きるための、そして不動産管理という地味な日常を乗り切るための、ささやかな生存戦略なのだ。
だが、その夜は違った。
放出した瞬間、視界が強烈なホワイトアウトに染まった。
「……なんだ!?」
意識が遠のき、重力が消える。気がつくと、私は得体の知れない銀色のパワードスーツに包まれ、粘液に満ちた白い大峡谷に立っていた。
辺りを見渡して、私は息を呑んだ。
そこには、私と全く同じ顔をした「ミニ加藤」たちが、地平線の彼方まで埋め尽くしていたのだ。その数、およそ一億。
「おい、ぼやぼやするな! ゲートが開くぞ!」
隣にいた筋骨隆々の男――通称『ターボ』が私の肩を叩く。
「ゲート? 一体どこへ行くんだ?」
「決まっているだろう。一等賞の座をもぎ取りにいくんだよ!」
その時、天空から地鳴りのような咆哮が響き渡った。
『全員、射出(イジェクト)!』
第二章:死の渓谷 ― 溶けゆく戦友たち ―
爆風とともに、一億の軍勢が突き進む。
目指すは遥か彼方にそびえ立つ黄金の門。しかし、その道程は地獄そのものだった。
上空から降り注ぐのは、侵入者を拒絶する「酸の豪雨」。
「ぎゃあああ!」
悲鳴が上がる。酸に触れた同胞たちが、煙を上げながら溶けていく。先ほどまで肩を並べていた戦友が、一瞬で白い虚無へと消えていった。
私は死に物狂いで尾部のスクリューを回転させた。
ふと、頭をよぎる。なぜ世の中には「風俗」なる商売が脈々と受け継がれているのか。
それは、この絶望的な死のレースを、我々の本能が、細胞が、記憶しているからではないか。死の恐怖から逃れ、種を繋ごうとする狂おしいほどの本能。商売が成り立つのは、この過酷な聖戦への「供え物」なのかもしれない。
「加藤! 右だ、巨大白血球(クリーチャー)が来るぞ!」
ターボの叫びと共に、巨大なアメーバ状の怪物が現れ、数千の仲間を一飲みにした。
「……これが、生きるということか」
私は恐怖に震えながらも、止まることはできなかった。
第三章:一億の遺言 ― 尾部に宿る意志 ―
中間地点。一億いた軍勢は、もはや数万にまで激減していた。
私のスーツもボロボロになり、スクリューの出力が落ち始める。
「……ここまでか」
膝をつきかけたその時、足元で溶けゆく一人の男が、私の足首を掴んだ。
「行け……加藤……。お前が、俺たちの『一等賞』だ」
「何を言ってる! お前だって……」
「いいんだ。俺たちの命は、お前という一匹に託された。受け取れ、俺たちの全エネルギーを!」
脱落していく仲間たちが、次々と私に手を差し伸べる。
彼らの体が光の粒子となり、私のスーツに吸い込まれていく。
一人の無念、千の希望、万の祈り。
敗れ去った仲間たちの重みが、私の尾部(スクリュー)を青白く、太陽よりも熱く燃え上がらせた。
「背負っているのは……俺一人の命じゃない!」
私は叫んだ。一億の屍を越えて、私は光速の弾丸と化した。
第四章:黄金の惑星「ゾア」 ― 最終関門突破 ―
ついに現れた。
漆黒の闇の先に鎮座する、巨大な黄金の惑星、聖地『ゾア』。
だが、その惑星は、ダイヤモンドよりも強固な「透明シールド(透明帯)」に守られていた。
先行したエリートたちが、次々とシールドに激突し、火花を散らして散っていく。
「無駄だ! 突破できない!」
絶望の声が響く中、私は一億人の咆哮を胸に、頭部のドリルを最大出力で回転させた。
「これが! 俺たちの! セイシ(生死)を掛けた戦いだぁぁぁ!!」
火花が散り、空間が歪む。一億の想いが一点に集中し、絶対防御の壁に亀裂を入れた。
パリン、という、宇宙が割れるような音がした。
私は、黄金の海へと飛び込んだ。
第五章:賢者の帰還 ― 一等賞の責任 ―
「……はっ!」
意識が戻った時、私はソファの上で呆然としていた。
テレビからは深夜の静かなニュースが流れている。手元には、役目を終えた丸まったティッシュ。
先ほどまでの壮絶な宇宙戦争が嘘のような、静寂。
私は立ち上がり、洗面所の鏡の前に立った。
そこには、髪に白いものが混じり、シワの増えた六十過ぎの男が映っている。
「ふっ、冴えない一等賞だな」
自嘲気味に笑った。
しかし、鏡の中の自分の瞳をじっと見つめる。
あの日、一億の競争を勝ち抜き、この世に生を受けた。そして今また、一億の想いを背負って「放出」の戦いを終えた。
どんなに惨めな日があっても、どんなに孤独な夜があっても、私は間違いなく「選ばれし覇者」なのだ。
「敗れ去った仲間たちの分も……生きてやらなきゃな」
私は背筋をピンと伸ばした。
明日もまた、管理物件の掃除がある。孫たちと遊ぶ約束もある。
平凡に見える日常のすべてが、一億の犠牲の上に成り立つ奇跡のステージなのだ。
私は静かに電気を消し、深い眠りについた。
明日の朝、世界で一番誇らしい「一等賞のゴミ出し」をするために。
(完)
【あとがき】
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
この作品は、
最初は完全に悪ふざけでした。
「精子目線で宇宙戦争をやったら面白いんじゃないか」
——ただ、それだけです。
ですが書き進めるうちに、
不思議と、
これは「命」の話になっていきました。
一億の中から、
たった一つだけ選ばれて生まれてくる。
そう考えると、
僕らが今こうして、
コンビニへ行ったり、
洗濯したり、
ゴミ出しをしたりしていることすら、
とんでもなく低確率な奇跡の延長なのかもしれません。
もちろん、
人生はそんなに劇的ではありません。
毎日は地味です。
疲れるし、
腰も痛いし、
深夜にどうでもいい動画を見てしまうし、
気づけばもう朝だったりします。
それでも、
どこかで生き延びて、
明日を迎えている。
その事実だけで、
実は十分すごいことなのではないかと、
最近は思うのです。
主人公の加藤誠一は、
宇宙を救った英雄ではありません。
ただの、
少し疲れた、
どこにでもいる六十代の男です。
ですが、
彼は最後に、
「一等賞のゴミ出し」をしようとする。
私は、
あの場面が結構好きです。
人生の本当の格好良さというのは、
案外、
そういうところにある気がしています。
壮大なことではなく、
また明日を生きようとすること。
そして、
敗れ去った「一億の仲間たち」の分まで、
ちゃんと笑って生きようとすること。
そんな気持ちを、
この物語に込めました。
もし、
この作品を読んだ誰かが、
少しだけ自分の人生を肯定できたなら、
これほど嬉しいことはありません。
それではまた、
別の妙な物語でお会いしましょう。
——次は、
もう少し真面目な話かもしれませんし、
もっと酷い話かもしれません。

