変化球
ある女の投球論
プロローグ ―― マウンドの向こう側から
今朝もテレビをつけたら、野球をやっていた。
チャンネルを変えようとして、手が止まった。画面の中で、細身の日本人投手が、体の三倍はありそうな大男のバッターを、ぽかんと三振に取った瞬間だった。スタジアムが揺れた。実況アナウンサーが叫んだ。そして投手はほとんど表情を変えずに、ベンチへ引き揚げていった。
わたしはソファに座ったまま、しばらく動けなかった。
なぜだろう。四十二歳の独身女が、朝のリビングで野球中継を見て、胸がじんとしている。
思い当たることはある。あの投手が投げたのは、フォークボールだった。力で押すのではなく、変化で勝負する球。打てるものなら打ってみろ、という静かな自信が、あの小さな体のどこかに詰まっていたのだ。
わたしはコーヒーを一口飲んで、思った。
男というのも、あれに似ている。いや、正確には逆か。男が投げてくるのではない。わたしたちが受けに回るのでもない。どちらかといえば男のほうが、毎度毎度、わけのわからない変化球を投げてきて、こちらを翻弄する。
三振したことも、ある。
打ち返したことも、ある。
そして一度だけ、球ごと消えてしまったことが、ある。
これは、そういう話だ。
第一章 直球男のこと ―― 速いだけじゃ、ね
二十三歳のとき、最初に付き合った男は、直球しか投げない人だった。
田中誠一という名前で、名前からして直球だった。大学の同期で、ゼミで隣に座っていて、ある日の帰り道に突然、「好きです。付き合ってください」と言った。夕暮れの駅前で、歩行者の流れの真ん中で、大きな声で。
わたしは思わず「え、ちょっと、声が」と言ったのだけれど、彼はひるまなかった。
「声が何ですか」
「大きい」
「大きくて悪いですか」
悪くはないけれど、と思いながら、わたしは返事をした。オーケー、と。今思えばあれが間違いの始まりだったかもしれないし、正解の始まりだったかもしれない。よくわからない。
田中くんとの付き合いは、最初から最後まで、すべてが直球だった。
デートの誘い方も直球だった。「今週の土曜日、映画に行きましょう。十四時に渋谷駅ハチ公口で待っています」。ロマンのかけらもないが、わかりやすさでは百点だ。待ち合わせ場所に迷ったことは一度もなかった。
喧嘩の仕方も直球だった。「あなたが先週言ったことが、気になっています。あれはどういう意味ですか」。オブラートに包むということを、彼はしなかった。わたしが何か言葉を選んでいると、「回りくどいです、直接言ってください」と言った。
愛情表現も直球だった。「好きです」「かわいいです」「一緒にいると楽しいです」。全部、現在形、主語つき、句点あり。まるで教科書の例文のようだったが、嘘くさくはなかった。むしろその分、信用できた。
でも二年付き合って、わたしたちは別れた。
理由を一言で言うなら、飽きたのだと思う。いや、飽きたというのは正確ではない。直球には直球なりの限界があって、それは速さだ。速い球は、慣れれば打てる。打てるようになると、もうスリルがない。バッターボックスに立つのが、どこか作業みたいになってくる。
田中くんは悪い人ではなかった。むしろとても良い人だった。だから余計に申し訳なかった。別れを告げたとき、彼はこう言った。
「理由を教えてください」
直球で聞いてくるので、直球で答えるしかなかった。
「慣れてしまいました」
「慣れてしまうのが悪いんですか」
「悪くはないんですが……」
「じゃあ何がいけないんですか」
それに答えられなかったのが、わたしの限界だった。田中くんは直球投手として完璧だったのかもしれない。ただわたしが、変化球を欲しがる打者だったというだけで。
のちに彼は同じゼミの別の女の子と結婚した。らしい。それを聞いたとき、ああそうか、と思った。直球で幸せになれる人が、世の中にはいる。それはそれで、正しいことだと思う。
ロジャー・クレメンスが「身体をデカくしろ、腕を太くしろ」と言ったのは、速い球を投げるための方法論だ。速い球で勝負するのは、一つの哲学だ。でも野球には変化球がある。それが必要な場面が、ある。
わたしは気がつくと、変化球を待つ打者になっていた。
第二章 カーブ男のこと ―― 予測できた、少しだけ遅れて
二十七歳のとき、カーブを投げる男に出会った。
松永浩二、という。職場の先輩で、わたしが入社して三年目のころから、じわじわとこちらへ向かってきた人だ。カーブというのはそういう球で、最初はどこへ行くのかわからないが、ある時点から急に曲がってくる。直球だと思ったら、そうではなかった。
松永さんは、最初の一年ほど、まったく恋愛的な素振りを見せなかった。
仕事の相談にのってくれたり、残業のときにコーヒーをおごってくれたり、そういう先輩らしいことをするだけだった。わたしも特に意識していなかった。背が高くて、話しやすくて、いい先輩だな、と思っていた。それだけだった。
転機は、ある飲み会の帰り道だった。
タクシーを拾おうとしていたら、松永さんが「駅まで一緒に歩きませんか」と言った。普通の提案だった。歩いた。十五分くらいの道のりだった。途中で松永さんが言った。
「田中さん(わたしの苗字)って、笑うときに少し左に傾くよね」
「え?」
「気がついてた? 自分でも」
気がついていなかった。そんなことを観察している人がいるとは思っていなかった。わたしは少し動揺した。
「……見てたんですか」
「見てた」
それだけだった。告白でも何でもなかった。でもその夜、家に帰ってから、なぜかずっと気になった。あれは何だったのだろう、と。
これがカーブの怖さだ。投げた瞬間にはわからない。ゆっくりと、じわじわと曲がってくる。気がついたときには、もう近くに来ている。
そこから半年かけて、松永さんとわたしは付き合い始めた。正確に言えば、気がついたら付き合っていた、という感じで、いつ始まったのかよくわからなかった。あとで「いつから好きだったんですか」と聞いたら、「入社してきた最初の日から」と言われた。三年越しのカーブだ。ゆっくりすぎて笑いそうになったが、その分だけ、重量感があった。
松永さんとの付き合いは、三年続いた。
楽しかった。本当に楽しかった。彼は観察力があって、わたしが言葉にしない前に気持ちを読んでくれることが多かった。「今日、なんか疲れてるね」と言って、行き先を変えてくれたり、「それ、本当はあまり食べたくなかったでしょ」と言って、別の店を探してくれたり。こちらが何も言わなくても、球の軌道を読んでくれているような人だった。
ただ、問題があった。
カーブは、軌道が予測できる。
三年も付き合うと、松永さんがどのタイミングでどんなことを言ってくるか、だいたいわかるようになった。「今日はここで気遣いが来るな」と思うと、来る。「そろそろ将来の話をするな」と思うと、する。それ自体は悪いことではない。安心感があった。
でも、ある夜、わたしは気づいた。
松永さんが言葉を選んでいる間、わたしは心の中でその言葉を先読みしていた。そして実際にその言葉が来たとき、予想通りだったことに、安堵するでもなく、喜ぶでもなく、ただ「やっぱりそうか」と思うだけだった。
これはカーブの限界だ。変化するのに、パターンがある。パターンがわかれば、打てる。打てると、もうスリルがなくなる。
別れ話は、長かった。松永さんはカーブ投手らしく、じわじわとした説得を試みた。「もう少し時間をくれないか」「考え直せないか」「何が足りないのか教えてくれ」。一つ一つ、丁寧に、ゆっくりと。
わたしは少し残酷なことを言ってしまったかもしれない。
「松永さんのこと、好きだったんです。ただ、次に何が来るか、全部わかるようになってしまって」
彼はしばらく黙っていた。そして言った。
「それは、わたしが下手だったってことかな」
「違います」とわたしは言った。「それは、わたしが贅沢なんだと思います」
どちらが正解だったのかは、今でもわからない。
カーブは美しい球だ。あの軌跡は、どの球にも真似できない。ただ、打者が慣れてしまうという宿命を、カーブは最初から背負っている。それは投手のせいではない。打者のせいでもない。ただそういう球なのだ。
第三章 フォーク男のこと ―― 落ちた、完全に
三十一歳のとき、フォークボールを投げる男に出会って、完璧に三振した。
その男の名前は、江口慎吾という。
フォークボールというのは、真っすぐ来るように見えて、急に落ちる。バッターはついバットを振ってしまう。振ってから、あ、これは落ちた、と気づく。でももう遅い。空振り三振だ。
江口さんとの出会いは、友人の結婚式だった。
テーブルが同じで、スピーチが長くて退屈していたら、隣から「長いですね」とぼそっと言われた。振り向いたら、すごく整った顔の男性が、まっすぐ正面を向いたまま、そう言っていた。わたしは笑いをこらえながら「長いですね」と返した。それだけだった。
でもその短いやりとりが、妙に記憶に残った。
披露宴が終わって、二次会に流れたとき、江口さんがまた隣に来た。「さっきのスピーチ、合計で二十二分ありました」と言った。わたしは「計ってたんですか」と聞いた。「暇だったので」と彼は言った。
笑い方が、良かった。
大げさではなかった。口角が少しだけ上がって、目が細くなって、それだけなのに、なぜかとても楽しそうに見えた。ああ、この人は嘘がつけない人だな、とわたしは思った。感情がそのまま顔に出る人だ、と。
これがフォークの最初の一手だった。真っすぐ来ているように見えた。
それからLINEを交換して、週に一度くらいメッセージが来た。たいした内容ではなかった。「今日、駅前に新しいラーメン屋ができていた」とか「会議が三時間続いた」とか。返信すると、また短いメッセージが来た。そのうちに、なんとなく会うようになった。
江口さんは、一見するとぼんやりした人に見えた。
話し方がゆっくりで、声が低くて、あまりテンションが上がらない。盛り上げようとする素振りがなかった。一緒にいて、ふとした沈黙が生まれても、彼は全然気にしなかった。わたしも気にしなくなっていった。
これがフォークのずるいところだ。
真っすぐ来ているうちは、まだ打てると思っている。油断している。そしてある瞬間、急激に落ちる。バットが空を切る。気がついたら三振している。
わたしがはっきりと「落ちた」と気づいたのは、付き合って四ヶ月ほど経った夜のことだった。
二人でふらっと入った居酒屋で、何でもない話をしていた。好きな季節の話だったか、子どもの頃の話だったか、もう覚えていない。そのとき、江口さんがわたしの話を聞きながら、ちらっと笑った。あの笑い方だ。口角が少しだけ上がって、目が細くなる。
そのとき、わたしの胸の中で、何かがぽとりと落ちた。
ああ、この人のことが好きだ。
おかしな感覚だった。普通、好意というのはじわじわ育つものだと思っていた。でもあの瞬間は、育ったのではなく、落ちた。完全に、一瞬で。フォークボールがそうであるように。
江口さんとは、二年間付き合った。
幸せだった。ただ、江口さんは転勤が多い仕事だった。二年目の秋に、九州への異動が決まった。わたしには東京を離れられはい事情があった。介護が必要な母親がいた。遠距離は試みたが、半年もたなかった。
別れるとき、江口さんは「また会いに来てもいいですか」と言った。わたしは「いつでもどうぞ」と言った。
でも来なかった。わたしも呼ばなかった。
それでよかったのだと思う。フォークボールというのは、一度落ちたら、もう上がらない。それがフォークの性質だ。落ちた先は、美しい場所だったけれど、戻ってくる球ではなかった。
三十三歳のわたしは、その恋を胸に仕舞って、またバッターボックスに立った。今度はどんな球が来るのだろう、と少しだけ楽しみにしながら。
第四章 ナックル男のこと ―― 本人も制御不能
三十六歳のとき、ナックルボールを投げる男に会った。
これは本当に参った。
ナックルボールというのは、回転をかけない球だ。回転がないから、空気の影響をもろに受けて、どこへ行くかわからない。投げた投手本人も、キャッチャーも、誰も予測できない。それがナックルボールだ。
倉田義則、という。年齢はわたしより三つ上の、三十九歳。出会いは料理教室だった。男性の参加者が珍しかったので覚えていた。
最初の印象は、不思議な人、だった。
話は面白かった。知識が広くて、どんな話題にもついてきた。料理も、意外と上手だった。「こう切ると断面が多くなるので、味がしみこみやすくなります」とか、「火を入れる順番が大事で」とか、ちゃんとした理屈を知っていた。なかなかやるじゃないか、と思った。
ただ、言動が読めなかった。
たとえば、ある日のこと。料理教室が終わって、「お茶でもどうですか」と誘ったら、「今日はちょっと」と断られた。翌週、なんとなく気まずいかなと思っていたら、倉田さんのほうから「先週のお誘い、断ってごめんなさい。今日、よかったら」と言ってきた。わたしが誘ったことを、一週間覚えていたのだ。それは少し、嬉しかった。
お茶を飲んで、楽しかった。また会いましょう、となった。
次に会ったとき、倉田さんは二時間遅刻してきた。謝りながら、「時間の感覚が、時々おかしくなる」と言った。意味がよくわからなかった。
三回目に会ったとき、倉田さんは突然「この国を出たいと思っている」と言った。どこへ、と聞いたら「南米かな」と言った。具体性は何もなかった。
四回目に会ったとき、倉田さんは「もっとちゃんと会いたいんですが、どうですか」と言った。気持ちはあるらしかった。わたしも、嫌いではなかった。だから「うん」と言った。
付き合い始めた。
これが、混乱の始まりだった。
倉田さんは、月に三回会う約束をすると、必ず一回はキャンセルした。でも、会うときは本当に楽しかった。こちらが想定していない角度から話が来て、笑わされた。「この人面白いな」と思ったら、次の瞬間には「よくわからない」になっていた。
気分の波があった。機嫌がいい日と、妙に沈んでいる日があった。沈んでいる理由を聞いても、「よくわからない」と言った。自分でもわかっていないらしかった。
これがナックルボールだ。
投げた本人も、どこへ行くかわかっていない。
受ける側は困り果てる。どう構えればいいのか。インコースに来るのか、アウトコースなのか、高いのか低いのか、全部わからない。とにかく目の前の動きに反応し続けるしかない。体力を使う。
付き合って十ヶ月で、わたしは限界を感じた。
悪い人ではなかった。むしろ、倉田さんはとても純粋な人だった。嘘はつかなかった。ただ、自分のことが、自分でも把握できていなかった。ナックル投手が自分の球をコントロールできないのと同じだ。本人のせいではない。ただそういう球を、持っているのだ。
別れるとき、倉田さんは「そうか」とだけ言った。長い沈黙の後に、「ごめんなさい」と言った。
「謝ることじゃないと思うんですが」とわたしは言った。
「でも、振り回したと思うから」
「振り回されたのは、事実です」とわたしは言った。「でも、それなりに楽しかったのも事実です」
これは本当のことだった。ナックルボールは疲れる。でも、あの変化は、他の球では味わえない。打てる打てないに関係なく、目が離せなかった。バッターボックスに立って、飽きることだけは、なかった。
倉田さんとは、今も時々メッセージが来る。「元気ですか」「元気です」それだけのやりとりが、年に二回くらい続いている。ナックル投手は、引退してからも、どこへ行くかわからない。
第五章 消える魔球のこと ―― 大リーグボール、そして
三十九歳のとき、消える魔球を投げる男に会った。
これが、この話の核心だ。
大リーグボール一号、というのがある。巨人の星、という昔の漫画に出てくる架空の魔球で、とにかく速い。人間の限界を超えた球、という設定だったと思う。そして二号は、消える魔球だ。
彼の名前は、書かない。
なぜかというと、今思い返すと、あれは本当に消えてしまったから。名前を書いたら、また現れてきそうで。それは少し、まずい。
出会いは、共通の知人を通じた食事会だった。
六人で集まった席で、彼はほとんど喋らなかった。背が高くて、少し老けた印象の男性だった。四十四歳だと後で聞いた。静かな人だな、と思ったが、それ以上の印象はなかった。
帰り際に、彼がわたしに言った。
「さっき、◯◯さんの話に、一人だけ違う反応してましたよね」
「え?」
「みんなが笑ってるところで、あなただけ少し引いてた。あれ、何か思うところがあったんですか」
会って三時間の人に、そんなことを言われるとは思っていなかった。確かにそのとおりだった。でも、なぜわかったのか。
「……見てたんですか」
「見てました」
それだけだった。
ここで、何か予感がすれば良かった。カーブのときと同じ始まりだ、と気づけば良かった。でも、気づかなかった。あるいは気づいていたけれど、気づかないふりをした。どちらかはわからない。
それから何度か会った。
彼は言葉が少なかった。でも、少ない言葉の一つ一つが、妙に正確だった。わたしが何かを話すと、余分なことを言わずに、核心だけを返してきた。わたしの話を、本当に聞いている人だった。
あるいは、そう見えた。
これが消える魔球の恐ろしさだ。見えている。ちゃんと見えている。だから振る。でも振った瞬間、もうない。どこへ消えたのか、わからない。
付き合うという言葉を、わたしたちは使わなかった。でも、会い続けた。半年ほど。
彼は、ある夜突然、連絡が来なくなった。
突然というのは正確ではなく、前の週に少し距離を感じていた。でも気のせいかと思った。そして次の週、メッセージを送ったら、既読がついた。返事はなかった。翌日も、翌々日も。
一週間後、「ごめんなさい」とだけ来た。
理由は書いてなかった。聞こうとしたが、もう返事は来なかった。
これが、消える魔球だ。
消えた。
しもた、と思った。そして次の瞬間、あははは、と笑いたい気分になった。いや実際には笑えなかったが、笑うしかないとは思った。なぜなら、あまりに綺麗に消えたから。痕跡もなく、説明もなく、ただいなくなった。見事なものだ、と思ってしまった。
消える魔球には、受けた側にできることが何もない。コースを読むことも、タイミングを合わせることも、バットを短く持つことも、全部関係ない。消えるのだから。
しばらく、ぼんやりしていた。
一ヶ月ほどは、正直なところ、よくわからない気持ちだった。怒りなのか悲しみなのか、自分でも判断がつかなかった。ただ、どこか空洞のような感じがして、コーヒーの味が薄く感じた。
でも三ヶ月経つと、すこしずつ戻ってきた。
コーヒーが美味しくなった。
朝の空気が、また気持ちよくなった。
そして、あの消え方を思い出すと、少しだけ笑えるようになった。
第六章 チェンジアップ男のこと ―― 遅い球ほど、待てない
四十一歳のとき、チェンジアップを投げる男に出会った。
これが、一番厄介だった。
チェンジアップというのは、直球と同じフォームで投げておいて、実際にはずっと遅い球だ。打者は速い球が来ると思って振る。だからタイミングが合わない。早すぎる。空を切るというより、自分だけ先に行ってしまう。
恋愛にも、そういう人がいる。
西島敦司、という。
年齢は四十五歳。出版社に勤めていて、知り合ったのは、友人に誘われた読書会だった。
最初の印象は、薄かった。
悪い意味ではない。本当に、印象が薄かったのだ。
背も普通、服装も普通、話し方も普通。場を盛り上げるわけでもなく、気の利いた冗談を言うわけでもない。読書会のあと、みんなで食事に行ったときも、彼は静かに人の話を聞いていた。
正直に言えば、その日はほとんど記憶に残っていない。
ただ、帰り際にエレベーターの前で、わたしがトートバッグを落としたとき、西島さんが無言で拾ってくれた。
「ありがとうございます」
と言ったら、
「いえ」
とだけ言った。
本当に、それだけだった。
だから困るのだ。
チェンジアップというのは、最初、球に見えない。
その後、何度か読書会で会った。
西島さんは、毎回同じような場所に座って、同じくらい喋って、同じくらい笑った。良くも悪くも、変化がなかった。わたしは最初、そういう人を恋愛対象として認識しないタイプだった。
恋愛というのは、もっとこう、
「何か」があるものだと思っていた。
直球の熱量とか、
カーブの余韻とか、
フォークの落下とか、
ナックルの不安定さとか。
そういう“変化”が、恋愛なのだと思っていた。
でも西島さんには、それがなかった。
会っても疲れない。
緊張しない。
振り回されない。
心拍数も上がらない。
まるで白湯みたいな人だった。
なのに、気がつくと、わたしはその人のいる席を探していた。
読書会の日、「今日は来ているかな」と思うようになった。
いても、別に何が起きるわけでもない。ただ、いると少し安心した。
これがチェンジアップの怖さだ。
速くない。
派手じゃない。
でも、タイミングを崩される。
ある日、読書会の帰りに、雨が降った。
みんな駅へ急いでいたが、西島さんは鞄から折り畳み傘を出して、「使いますか」と言った。
「西島さんは?」
「もう一本あります」
見ると、鞄の横に古いビニール傘が刺さっていた。
わたしは傘を受け取って、一緒に駅まで歩いた。
雨の音がしていた。
特に盛り上がる話はなかった。
好きな作家の話を少しして、
最近眠りが浅いという話をして、
途中のコンビニで肉まんを買った。
それだけだった。
でも、その帰り道、
わたしは妙な感覚になっていた。
あれ。
今、すごく自然だったな、と。
頑張っていなかった。
面白く見せようとも、
魅力的に見せようともしていなかった。
ただ、一緒に歩いていた。
恋愛というより、
生活に近かった。
そこに気づいた瞬間、
わたしは少し焦った。
チェンジアップだ、と思った。
直球だと思って振ろうとしていたら、
球が来ない。
身体だけが先に動いて、
自分のタイミングのほうが崩れている。
西島さんとは、ゆっくり近づいた。
付き合いましょう、という言葉は、今回もなかった。
気づけば毎週会っていて、
気づけば夕飯を一緒に食べていて、
気づけばスーパーで、
「豆腐、木綿にします?」
みたいな会話をしていた。
そしてある夜、
鍋を食べながら、
わたしは不意に思った。
ああ。
こういうので、よかったのかもしれない。
恋愛には、ずっと、
強い球が必要だと思っていた。
忘れられない球。
人生を変える球。
三振する球。
でも、本当に長く続くのは、
案外こういう、
打ち気を外す球なのかもしれない。
西島さんは、相変わらず地味だった。
LINEの返信も遅かった。
記念日を覚えるタイプでもなかった。
サプライズもなかった。
でも、こちらが熱を出したとき、
コンビニでゼリーとポカリを買ってきて、
「桃味しかなかったです」
と言った。
それだけだった。
それだけなのに、
わたしは少し泣きそうになった。
若い頃なら、
こんな球、
見逃していたと思う。
速くないから。
派手じゃないから。
ドラマにならないから。
でも四十一歳の今は、
わかる。
毎日きちんとキャッチできる球、
というものがある。
それは、思ったより難しい。
チェンジアップは、
遅い球だ。
でも、人は案外、
遅い球を待てない。
速いもの、
強いもの、
激しく落ちるものに、
つい反応してしまう。
わたしもずっと、そうだった。
だから今、
西島さんと並んでスーパーを歩きながら、
時々ふと思う。
ああ、
ようやくタイミングが合ったのかもしれない。
人生のほうと。
エピローグ ―― 私も変化球を覚えた
四十二歳になった今、わたしはソファでコーヒーを飲みながら、野球中継を見ている。
日本人投手が、大男のバッターをフォークボールで三振に取っている。さっきよりも、その動きが好きだ。あのピッチャーは、何を考えながら投げているのだろう。どんな変化球を持っていて、どの場面でどれを使うか、どうやって決めているのだろう。
野茂英雄が最初にメジャーリーグへ行ったのは、ずいぶん前のことだ。わたしがまだ学生の頃だった。あの頃、日本人がメジャーで通用するなんて、本当に思っていなかった。体格が違う。球速が違う。向こうの打者のパワーが違う。誰もが言っていた。
でも野茂は行った。そして、フォークボールで三振を取った。力でではなく、変化で。
今の時代はアフター野茂と言うらしい。わたしには、なんだか誇らしい言葉に聞こえる。
変化球というのは、力のない者が力のある相手に勝つための知恵だ。真っすぐ勝負できないから、曲げる、落とす、消える。そうやって考え抜いた末に生まれた球が、見ている者を魅了する。
そういえば、わたしも最近、変化球を覚えた気がする。
恋愛における変化球、とは何か。
たとえば、感情をすぐに見せないこと。出会って三秒で「あなたのこと、面白いと思います」と言わないこと。わたしは昔、直球しか投げられなかった。思ったことをすぐ言った。感じたことをすぐ表した。それはそれで良かったが、相手を驚かせることは少なかった。
でも今は、少し間を置くことを覚えた。
相手が何かを言って、すぐに返さない。一拍置いて、考えてから返す。そうすると、言葉に重さが出る。「この人は本当にそう思って言っているんだ」と伝わる。これはカーブかもしれない。じわじわと曲がってくる球。
それから、全部を見せないこと。
自分のことを話すとき、全部を一度に言わない。少しずつ、少しずつ出す。そうすると、相手に「もっと知りたい」という気持ちが生まれる。これはチェンジアップかもしれない。球速が遅くて、相手のタイミングをずらす球。
これらの技術を、わたしは失恋から学んだ。
直球男から、正直さを学んだ。
カーブ男から、観察することを学んだ。
フォーク男から、落下することの美しさを学んだ。
ナックル男から、制御できないものを受け入れることを学んだ。
消える魔球の男から、消えることもある、ということを学んだ。
それぞれの恋愛が、一種の変化球講座だったのかもしれない。三振するたびに、少し賢くなった。
でも正直に言う。
変化球を覚えても、打たれることはある。これは野球だって同じだ。どんなにすごいピッチャーでも、打たれる日がある。疲れた日がある。相手が自分の球を読んでくる日がある。それでも投げ続けるのが、投手というものだ。
わたしもきっと、また誰かのバッターボックスに立つ。
どんな球が来るかわからない。直球かもしれないし、カーブかもしれない。ナックルかもしれないし、消える魔球かもしれない。それを全部楽しめるくらいには、バッターとして成熟したと思う。三振しても、まあしゃあない、と笑える程度には。
テレビの中で、日本人投手が、また次のバッターに向かっている。
あの投手も、今日の試合が終われば、また練習する。明日のバッターのために、新しい変化を考える。打者がいなければ、投手の変化球は意味をなさない。投手がいなければ、打者は打つものがない。
それはそれで、うまくできた仕組みだと思う。
コーヒーを飲み干した。
今日も、いい天気だ。
さて、わたしもそろそろ、マウンドに上がるか。



