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ヘアヌード・クロニクル
――ある昭和男の性的教養史と、その終焉について――
この物語は、ある一人の男の青春と中年と老年を貫く、ひとつの「渇望」についての記録である。
笑っていただいて構わない。実際、笑えるのだ。
ただし読み終えた後、あなたが男であれば、きっと少しだけ遠い目をするはずである。
第一章 叔父の部屋という名の神殿
昭和三十三年、東京は杉並区の木造家屋に、田中哲男は生を受けた。
父は町工場の旋盤工、母は近所の商店街のお惣菜屋でパートをしていた。三畳と六畳と台所というこじんまりとした家に、両親と、母の弟である叔父・浩二も同居していた。叔父は当時二十五歳。印刷会社に勤める独身男で、体の半分が機械油のにおいのする父とは違い、なんとなくおしゃれで、なんとなく都会的で、哲男の目には眩しく映った。
叔父の部屋は六畳間の奥にあり、三畳一間だった。狭い部屋には、叔父のすべてが詰まっていた。ボブ・ディランのレコード、ジーンズ、革のベルト、英語のペーパーバック、そして――。
哲男が最初にそれを発見したのは、小学校五年生の春のことだった。
叔父が仕事に出かけ、両親もそれぞれ外出していた日曜日の昼下がり。哲男はなんとなく、特に理由もなく、叔父の部屋をうろついていた。子供というのは「なんとなく」の天才であり、その「なんとなく」がしばしば人生を変える。
押し入れの下段、毛布の陰に、それはあった。
『平凡パンチ』。
哲男はその表紙を見た瞬間、なぜか心臓が跳ねた。表紙には外国の女性がビキニ姿で笑っていた。何がそんなにドキドキするのか、十歳の哲男には理由がわからなかった。しかし理由などわからなくてよかった。理由のないドキドキこそが、少年の特権なのだから。
彼はページをめくった。
うわあ。
それだけだった。言葉にならない「うわあ」が、胸いっぱいに広がった。
以来、叔父が外出するたびに、哲男は神殿――叔父の三畳間――へと忍び込むようになった。押し入れには『平凡パンチ』だけでなく、やがて『プレイボーイ日本版』も加わった。号を追うごとに押し入れの蔵書は充実し、哲男の「うわあ」は高度化していった。
一度だけ、危ない目に遭ったことがある。
叔父が予定より早く帰宅したのだ。
哲男は雑誌を抱えたまま押し入れの中に身を潜め、叔父が着替えて再び外出するまでの三十分間、息をひそめて過ごした。叔父が「俺の部屋、なんか息苦しいな」とつぶやいたとき、哲男は死を覚悟した。
しかし叔父は気づかなかった。
押し入れの中で、哲男は誓った。
この三十分は、俺の人生で最も緊張した三十分だ。しかし、それでもやめない。
人間の業というのは深い。
叔父・浩二は哲男が中学二年のときに結婚し、家を出ていった。
送別会と称した夕食の席で、叔父は哲男にこっそり耳打ちした。
「テツ。押し入れの毛布の下、全部お前にやるよ」
哲男は固まった。
「知ってたの?」
「最初から」
叔父は笑った。哲男は真っ赤になった。しかし叔父は何も言わなかった。ただ「男はそういうもんだ」とだけ言い、ビールを一口飲んだ。
これが哲男の最初の、そして最も重要な性教育だったかもしれない。
男はそういうもんだ。
シンプルで、正確で、温かい言葉だった。
第二章 ビニ本という文明の利器
中学校を卒業した哲男は、都内の男子校へと進学した。
男子校というのは一種の魔境である。そこには女性がいない。教師は男、生徒は男、用務員のおじさんも男、なぜか購買のおばさんだけが女性で、彼女は何も知らずに男子高校生たちの信仰の対象になっていた。
「購買のおばさんって、なんかいいよな」
「わかる。なんかいいよな」
「なんかっていうか、なんか、いいよな」
会話の九十パーセントが「なんか」で構成されていたが、全員が同じ「なんか」を感じていたので、コミュニケーションとして成立していた。これはこれで高度な言語能力である。
そんな魔境に、ある日、一冊の本が持ち込まれた。
ビニ本。
正式名称を「ビニールカバー本」という。ビニールで密封されているので中が見えない。見えないから買わなければわからない。買ってみると、中身が本番写真だった。これが一九七〇年代後半の日本における革命的発明だった。
持ち込んだのはクラスの佐々木だった。佐々木はどこから入手したのか今でも謎だが、とにかく一冊のビニ本を抱えて教室に現れた。
「おい、見るか」
その一言で、教室の空気が変わった。二年B組の二十三名の男子が、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、佐々木の机の周りに集まった。
「すげえ」
「マジか」
「これ、合法なの?」
「知らん。でも買えたから合法じゃないか」
「うーん、ロジックとしてはどうかと思うが……」
「黙って見ろ」
その日の放課後、クラスは「ビニ本研究会」と化した。部活動としての承認はなかったが、実質的な活動時間は剣道部や野球部に引けを取らなかった。
問題は、当時のビニ本が一冊千円から千五百円したことだ。
高校生の小遣いで出せる金額ではない。
そこでクラスでは「共同購入制度」が生まれた。一冊を有志で割り勘する。五人で出せば一人三百円。安い。そして回覧制度により、全員が閲覧できる。
これは純粋に経済的発明だった。のちに哲男が社会人になり、シェアリングエコノミーという概念を知ったとき、「あ、俺たちが高校のとき既にやってたやつだ」と思ったのは秘密である。
しかし問題は、本の扱いにあった。
共同所有物である以上、丁寧に扱わなければならない。しかし十六歳の男子が「丁寧に扱う」ということは、概念として存在するが実践として機能しない。
三ヶ月後、共有のビニ本は原形をとどめていなかった。
「これ、もう本というより、なんか、なんだろう……」
「哲学的な問いだな」
「いや、そういうことじゃなくて物理的に……」
「永遠の命題だ。船のテセウスのパラドックスみたいなもんだ」
「そういうことじゃないっつってんだろ!」
いずれにせよ、ビニ本は哲男たちの高校生活において最重要文化財の地位を占め続けた。
第三章 舶来品との苦闘、あるいは科学的探究
高校二年になると、哲男のクラスに中村という男が転校してきた。
中村は父親の仕事の関係でアメリカに三年住んでいたという。それだけで哲男たちには眩しく見えたが、中村がある日、鞄から一冊の雑誌を取り出したとき、教室は静止した。
『PLAYBOY』。本家本元、アメリカ版プレイボーイである。
「こ、これは……」
「本物だ……」
「なにが違うの?」
「なにが違うって……なんか、こう……スケールが……」
「アメリカだから?」
「そうそう。アメリカだから」
「ロジックがよくわからないが……」
「黙って見ろ」
しかし。
しかし、である。
アメリカ版プレイボーイには、通関の際に付けられたという黒いインクのスタンプが、よりによって最も見たいページに、これ以上ないくらい的確な位置に、べったりと押されていた。
「なんだこれ」
「税関」
「税関って……これ、芸術的なくらい正確に……」
「うん」
「狙ったとしか思えない」
「うん」
「税関職員、絶対楽しんでるだろ」
「うん」
それからの数週間、哲男たちは「黒インク除去プロジェクト」に没頭した。
まずベンジン。インクは少し薄くなった。しかし画像も薄くなった。差し引きゼロ。
次にメチルアルコール。インクは全く動かなかった。しかし紙が波打った。マイナス。
消しゴム。論外。
水。論外。
ドライヤー。「熱すれば何か変わるかも」という根拠のない期待のもとに試したが、何も変わらなかった。ただ紙が温かくなった。
ある日、転校生の中村が神妙な顔で言った。
「聞いたんだけどさ。四十四度で、ベンジンとメチルアルコールを三対七で混ぜると完璧に落ちるって」
全員が中村を見た。
「誰に聞いたの」
「先輩」
「どこの先輩」
「大学の先輩」
「大学生……なんでそんなこと知ってるんだ……いや、まあ知ってるか」
「やってみよう」
哲男たちは理科室の器具を無断拝借し、アルコールランプで温度を調整し、三対七のブレンドを作り上げた。これは実験である。科学的探究である。青春の真剣勝負である。
そして慎重に、該当箇所に塗布した。
インクは……動かなかった。
動かなかっただけでなく、雑誌の紙自体が、ぐにゃりと溶けた。
「……」
「……」
「……落ちた」
「インクじゃなくて紙が落ちた」
「そうね」
「見たかった部分が文字通り消えた」
「うん」
「先輩の情報、デマだったね」
「そうね」
後に哲男は大学で有機化学を学び、あの日の失敗が化学的に見て完全に必然だったことを理解した。しかしそれを知ったとき、彼の胸に去来したのは後悔でも失笑でもなく、なぜか甘酸っぱいような、懐かしいような、不思議な感情だった。
あの頃、俺たちは本気だった。
第四章 四十四ドルのビデオテープ
高校三年の夏休み、哲男は生まれて初めて海外に行った。
学校の「海外研修プログラム」――実態は語学研修を名目にした旅行――でアメリカ西海岸に二週間滞在した。ホームステイで、受け入れ家庭には年配のご夫婦と、同年代の息子が一人いた。
息子の名前はマイク。ずんぐりとした体型で、いつもTシャツにジーンズという格好をした気のいい男だった。
「ジャパニーズ?」
「そう」
「クールだね。コミックス好き?」
「まあ……」
「ガンダム知ってる?」
「知ってるよ。俺が生まれた国だし」
「サムライ!」
「ガンダムとサムライは別物だが……まあいい」
マイクとは不思議と仲良くなった。英語が拙くても、なんとなく通じるものがあった。男子というのは世界共通で、そういうものなのかもしれない。
ある日、マイクが「うちに来いよ」と誘った。
「うちってどこに? ここがうちじゃないのか」
「俺の部屋に、だよ」
マイクの部屋は、一階の端にあった。ドアを開けると、デカいテレビとビデオデッキが鎮座していた。
「見るか?」と、マイクは言った。
「何を?」
マイクはビデオテープを一本取り出した。
哲男は固まった。
その日から一週間、哲男の語学研修は「日本語圏の男子高校生の英語力では表現しきれない視覚的経験」へと変容した。
アメリカン、だった。
スウェーディッシュ、だった。
スケールが違った。文化が違った。なにもかもが違った。
帰国の前夜、マイクはビデオテープを一本、こっそりと哲男に渡した。
「持って帰れよ」
「え、いいの」
「友情のしるしだ」
「……ありがとう」
「Friendship between men transcends all borders.」
「すごくいいことを言ってるような気もするし、全然そういう話じゃないような気もする」
「What?」
「Nothing. Thank you.」
哲男は帰国の際、ビデオテープをスーツケースの底に隠した。叔父の部屋に忍び込んだあの頃から、彼は隠し物の天才だった。
無事に通関を抜けた瞬間、哲男は確信した。
俺は今日、大人になった。
(これは彼が生涯で三回「大人になった」と感じた瞬間のうちの一回である。残りの二回は大学の入学式と、初めて給与明細を見た瞬間だが、それはまた別の話だ。)
第五章 裏ビデオという名の聖杯
大学に入ってから、世界は広がった。
先輩から後輩へ、裏ビデオは受け継がれていく。一種の文化的伝承である。口承文学のビデオ版と言ってもいい。
哲男が入学した経済学部の四年生・宮田先輩は、その道の長老だった。
「いいか哲男。これは文化だ。決して猥褻ではない。人間の根源的欲求を記録した、一種のドキュメンタリーだ」
「そうですね」
「俺の卒業後は、お前が守り伝えていくんだぞ」
「わかりました」
「頼んだぞ」
「はい」
これは哲男が大学で受けた最も明快な教育だったかもしれない。授業料百二十万円の対価として十分かどうかはわからないが。
大学の四年間で、哲男の「コレクション」は充実した。バイト代のかなりの部分がそこに投下された。経済的損失という観点からは嘆かわしいが、精神的充足という観点からは適切な投資だったと、中年になった哲男は考えている。
そして就職し、哲男は社会人となった。
会社員・田中哲男、二十三歳。
仕事は真面目にやった。上司にも同僚にも、そこそこ評価された。営業として、それなりの成績を残した。
ただ、プライベートの一角に、一種の「神殿」が保たれていた。
六畳一間のアパートの押し入れに、叔父から受け継いだ哲男の遺産は、着実に成長し続けていた。
これは文化であり、伝承であり、そして哲男個人の青春の記録だった。
第六章 アメリカのオバちゃん、あるいはビジネスモデルの先駆者
二十六歳のとき、哲男は会社の研修でアメリカに三ヶ月滞在した。
ロサンゼルスの語学学校に通いながら、近所のファミリーの家にホームステイする形式だった。受け入れ家庭は、六十代と思われる女性が一人で切り盛りする家だった。
「ミセス・ジョンソンです。よろしくね」
「田中哲男です。よろしくお願いします」
ミセス・ジョンソンは小柄で白髪で、眼鏡をかけていた。ニコニコしていて、朝食には必ずパンケーキを焼いてくれた。どこからどう見ても、普通の善良なアメリカのおばあさんだった。
その家には、哲男の他に三人の留学生が滞在していた。韓国から来たキム、フランスから来たジャン=ポール、ブラジルから来たカルロスである。
四人はほどなくして仲良くなった。国籍も言語も違えど、二十代の男子である。話の方向性はだいたい同じになる。
ある週末の夜、ミセス・ジョンソンがリビングに四人を集めた。
「みんな、今夜ちょっと特別な映画を見ない?」
「どんな映画ですか?」
「まあ、大人向けの映画よ」
「……」
四人の男子留学生は顔を見合わせた。
ミセス・ジョンソンは一人三ドルずつ集めた。
そして彼女はビデオデッキにテープを差し込んだ。
その内容は、どこからどう見ても、どこからどう聞いても、成人向けビデオだった。アメリカ産の、本格的な、成人向けビデオだった。
「……」
「……」
「……」
「Wow」とカルロスが言った。
「Magnifique」とジャン=ポールが言った。
「オー」とキムが言った。
「すごい」と哲男が日本語で言った。
ミセス・ジョンソンはソファに座ってニコニコしながら、ビデオが終わるまで一緒に見ていた。
その表情は、パンケーキを焼くときとまったく同じ表情だった。これが哲男の記憶の中で最も奇妙な点である。
後に哲男は「ビジネスモデル」という言葉を覚えた。
ミセス・ジョンソンのそれは、一九八〇年代のアメリカにおける先進的なビジネスモデルだったと言える。固定費(ビデオテープのレンタル料)を変動収入(留学生からの料金)で回収し、さらに自身も享受するという三方よしのモデルである。
のちに哲男が経営学の本でポーターの競争優位理論を読んだとき、「ミセス・ジョンソンなら直感でわかってたことだな」と思った。
第七章 結婚と、神殿の縮小
三十二歳で、哲男は結婚した。
相手は職場の同僚だった、山田恵子。どこにでもいるような普通の女性だったが、哲男は「どこにでもいるような普通」こそが最も稀有なものだと知っていた。
結婚前に、一つの課題があった。
押し入れ問題である。
六畳一間から二DKへの引越しに際して、哲男は押し入れの中身の大規模な「整理」を余儀なくされた。
数えると、ビデオテープが七十三本あった。
雑誌が百二十冊以上あった。
これを一人の三十二歳男性が二十年かけて収集したのである。
哲男は三日間かけて、これらを処分した。
ビデオテープはHDDに移した。八本だけ、特に思い出深いものを。
雑誌は……捨てた。ゴミ袋に十五袋。火曜日の燃えないゴミの日に、少しずつ出した。
捨てながら哲男は思った。
これは青春を捨てているのだと。
一冊一冊に、思い出があった。どこで買ったか、誰と見たか、どんな時代だったか。押し入れの中の百二十冊は、哲男の二十年分の年輪だった。
最後のゴミ袋を縛りながら、哲男は少し泣きそうになった。
実際には泣かなかった。三十二歳の男が一人でゴミ袋の前で泣いていたら、人として終わりだと思ったからだ。
しかし泣かなかっただけで、悲しかった。本当に、少しだけ、悲しかった。
結婚後の生活は穏やかだった。
恵子は賢い女性だった。賢い女性というのは、知らないふりが上手い女性である。哲男がHDDの中に何を保存しているか、おそらく恵子は知っていた。しかし彼女は何も言わなかった。
これが夫婦というものだ、と哲男は学んだ。
知らないふりをする愛情、というものがある。
第八章 コンビニの前に立つ中年男
四十五歳のある秋の夜、哲男は近所のコンビニに立ち寄った。
夕食の後、缶ビールを買い足そうと思っただけだった。
しかし、雑誌棚の前で、哲男は足を止めた。
そこには当然のように、写真集が置いてあった。ヘアヌードの。
コンビニに。
普通に。
誰でも買える場所に。
「……」
哲男は棚の前に五分間、立っていた。
買いたいのか、と自問した。
別に、と答えが返ってきた。
なぜ買いたくないのか、とさらに問うた。
なんか、違う、と感じた。
「なんか、違う」——それは何が違うのか。
帰り道、缶ビールを片手に、哲男は考えた。
昔は手に入れることそのものが冒険だった。叔父の部屋に忍び込む緊張、ビニ本を共同購入する高揚、舶来品の黒インクと格闘する情熱。すべてが「禁断の果実を求める旅」だった。
それが今は、コンビニで二秒で手に入る。
旅がなくなった。
禁断でなくなった果実は、果実じゃない——とまでは言わないが、なにか、違う。
「お父さん、遅かったね」と恵子が言った。
「ちょっと考え事してた」
「缶ビール一本買いに?」
「うん」
恵子はくすっと笑い、それ以上聞かなかった。
これが賢い妻というものである。
第九章 息子の青春について
哲男に息子が生まれたのは三十六歳のときだった。
雄一郎という名前をつけた。
雄一郎は今年十五歳になる。
哲男が十五歳のとき、何をしていたか。
そう。あの頃だ。ビニ本共同購入制度の時代だ。中村の舶来品と格闘していた時代だ。
雄一郎は……スマートフォンを持っている。
スマートフォン一台で、世界中の情報にアクセスできる。
哲男には、雄一郎がスマートフォンで何を見ているか、厳密にはわからない。しかし十五歳の男子であるからして、大方の察しはつく。
「……大丈夫なのかな」と哲男は思う。
何が大丈夫でないかは、うまく言語化できない。
ただ、あの「うわあ」の感覚——叔父の部屋で初めて平凡パンチを開いたときの、理由のない心臓の跳ね——を、雄一郎は経験できないだろうと思う。
スマートフォンで指を一度スワイプすれば、世界中のあらゆるものが手に入る時代に、「うわあ」のための余白はない。
それは豊かなことなのか、貧しいことなのか。
哲男にはわからない。
ただ、時々、夜中に缶ビールを飲みながら、そんなことを考える。
第十章 昭和男のボヤキ、あるいは哲学的結論
六十七歳になった田中哲男は、今、東京の郊外に妻と二人で暮らしている。
雄一郎は大学を卒業し、就職して、一人暮らしをしている。
定年退職後の哲男は、時間だけが余っている。
ゴルフをする。句会に通う。近所の老人クラブでボランティアをする。
そして時々、一人で缶ビールを飲みながら、昔のことを思い出す。
叔父の部屋の押し入れ。
毛布の陰に隠れていた平凡パンチ。
ビニ本共同購入制度。
三対七のブレンドで溶けた雑誌。
マイクのビデオテープ。
ミセス・ジョンソンのパンケーキのような笑顔。
七十三本のビデオテープとゴミ袋十五袋。
コンビニの雑誌棚の前に立つ自分。
これらはすべて、哲男の人生の一部だった。
笑えるエピソードばかりだ。でも本人は、その都度、本気だった。
本気で憧れ、本気で探し、本気で格闘し、本気で手に入れようとした。
そしてそれらすべてが「時代の産物」だった。
規制があったから燃えた。禁断だったから輝いた。手に入らないから愛おしかった。
哲男は時々、こんなことを考える。
欲望というものは、制約があって初めて「欲望」になるのではないか。
手に入らないから欲しい。禁じられているから惹かれる。遠いから近づこうとする。
それは何もエロの話だけじゃない。
仕事だって、恋愛だって、夢だって、すぐに手に入るものはあまりありがたみがない。遠くにあるから、追いかけるから、意味がある。
コンビニで二秒で手に入るものに、人は命を懸けない。
手に届かない場所にあるものを、必死に手に伸ばす。その行為の中に、何か大事なものがあったような気がする。
「何が言いたいんだ、俺は」と哲男は思う。
「結局、ただのスケベな中年のボヤキじゃないか」とも思う。
そして缶ビールを一口飲み、くくっと笑う。
あははは。
まあ、そういうことだ。
男というのは、どこの国でも、どの時代でも、きっとそんなもんだ。
憧れて、格闘して、失敗して、笑って、また憧れる。
それを繰り返しながら、なんとか大人になる。
なれたのかどうかは、いまだによくわからないが。
田中哲男、六十七歳。
元サラリーマン。現在、句会と老人クラブの日々。
押し入れの中に、今でも何かがある(気がする)。
妻は知らないふりをしている(多分)。
エピローグ 叔父との再会
哲男が六十歳のとき、叔父の浩二が八十二歳で亡くなった。
葬儀の後、片付けを手伝っていると、叔父の部屋の押し入れから、段ボール箱が出てきた。
開けてみると、中には当時の雑誌が数冊残っていた。
『平凡パンチ』、昭和四十年代のもの。
哲男は一冊を手に取り、ページをめくった。
五十年前の女性たちが、五十年前の光の中で笑っていた。
あの頃、叔父はこれを見て何を思っていたのだろう。
そして自分は、この押し入れの前で何を感じていたのだろう。
哲男は一人、押し入れの前にしゃがんで、少しだけ、泣いた。
三十二歳のときには堪えた涙が、六十歳になって、やっと出てきた。
これは青春への惜別だったのか。
叔父への感謝だったのか。
それとも単に、老いたということなのか。
たぶん、全部だ。
たぶん、全部、そういうものだ。
哲男は雑誌を段ボールに戻し、箱を閉じた。
「叔父さん、ありがとうな」と、小さくつぶやいた。
押し入れの向こうにいる叔父が、「男はそういうもんだ」と笑っているような気がした。
了
著者あとがき
この物語は、ある年代の男性たちが経験した「ないものねだりの青春」についての、愛情込めた記録である。
笑ってください。
でも笑い終わったら、少しだけ思い出してください。
あなたが必死に手を伸ばしていたものを。
届かなかったけれど、それでも伸ばし続けた手を。
あの「うわあ」の感覚を。
その記憶は、恥ずかしいかもしれない。でも本物だった。
そして今、手に入れやすくなった時代に生きる若者たちが、別の何かに必死に手を伸ばしていることを、私は信じている。
形は違っても、人間の「渇望」は変わらない。
それが、ちょっとだけ、救いになる。
あははは。
ヘアヌード・クロニクル
――ある昭和男の性的教養史と、その終焉について――
Kindle版
ーおまけー
これは以前
ブログで書いたものを
物語に膨らましたものです
それをここに載せて置きます
ヘアヌード論
これはさ
男たちにとって 長年
も~~~ すんごい 長い年月
恋焦がれ
また 待ち焦がれたもの・・・ だった はずなんだけど・・・
ここまで 一般化してしまうと
なんだかな~ な 時代に
突入してしまったわけで・・・
中学の頃
まだ同居していた叔父の部屋へ
留守を見はからっちゃ~
平凡パンチ プレイボーイなんかを
こ~っそりと見に忍び込み
すげ~!! って 騒いだものなのにね
高校くらいになった時にはさ
あの ビニ本 ってなあ~やつ
誰かがクラスに持ち込んで
大騒ぎ!!
男子校だったもんで
クラスは いつも エロ本だらけ
それに どこで売ってるのかも
わからないくらいの やらすぃ~~~本の数々
マジ うれしかったよな~
舶来のものなんてさ
通関のときに付けられちまったらしい
あの にっくき 黒インクが
じゃま
じゃま
おじゃま~ なわけさ
ど~にかそれを取り除こうと
仲間たちと研究に研究を重ね
ベンジンやら メチルアルコ~ルやらで
尚も
どこで聞いて来たやら
44℃で
3対7で混ぜると 完璧!! だなんて
エロエロ 努力したもんだよな
結局
そんな不純な努力は叶わずに
画像までぜ~んぶ落ちちゃって
あちゃ~!!ってなことになっちまったとさ
裏ビデオ なんかと出会った時には
も~~~
変態
いやいや
大変だったよな
これで 僕らは
やっとこさ大人になれた!! とまで思ったもんな
でもさ
当時はすべて規制されてて
ないものねだりだったし
あの年代は
男たちみ~んな
そんなことばかり考えてるから
うれしくてうれしくて
大変だったんだろ~けど・・・
それが 今は何よ
これ
コンビニで売ってんだよ
あ~あ~
ど~かしてるよ
この国は・・・ って
言える権利は ないな?・・・
アメリカでは昔から
結構
オ~プンなはずなんだけど
子供たちには 完全に NO!! なわけさ
お店でも 子供たちには
絶対 手の届かないとこに置いてあるし
TVでも 子供たちの見れる時間帯には
絶対 放送なんてしない
40年前のアメリカでは
近所の家にステイしてた仲間から
呼び出されてね
そこの家に行ったらさ
そこん家のオバちゃん
いや ありゃ ババアだな
すんごい やり手でねえ
僕ら
外人の学生を数人集めてさ
レンタルのエロビデオを見せてくれたのよ
それも 1人3ドルも取って・・・
でもさ
本場もん でしょ?
アメリカン ざんしょ?
スエ~ディッシュ ざんしょ?
そりゃ~ 見に行くざんしょ~~~
アホだったけれど
マジにドキドキした
そんな 良い時代だったよな
これからの日本
大丈夫かな~って・・・
あまり エラそ~に言えないけれど
やがて来る 息子たちの青春時代
心配なよ~な
そんな中年のオヤジの
ボヤキ なのでございました
あははは


