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銀座通りの子供たち
〜消えない「光の通り道」を見つめて〜
〜まえがき〜
ふとした瞬間に、鼻の奥をくすぐる匂いがある。
それは雨上がりのアスファルトの匂いだったり、夕暮れ時にどこからか漂ってくる煮炊きの匂いだったりする。そんな時、私の意識は現在の喧騒を離れ、一気に半世紀前のあの場所へと引き戻される。
昭和という時代は、今思えばひどく不便で、ひどく騒がしく、そして驚くほど人間臭い時代だった。
私が育ったのは、どこの地方にもあるような小さな田舎町の、さらにその隅っこにある古びた借家街だ。そこには、今の物差しでは測りきれない「豊かさ」と、説明のつかない「暗がり」が同居していた。
この物語は、かつてその街を裸足で駆け回っていた子供たちの記録である。
金物屋のおばさんがくれた飴玉の甘さ、ガキ大将が教えてくれた山の掟、そして梯子を上って辿り着いた映画館の、あの眩い光の筋。
それらは歴史の教科書に残るような大層な出来事ではない。しかし、あの場所で呼吸し、トロッコを漕ぎ出そうとしていた私たちにとっては、それが世界のすべてだった。
記憶の彼方に沈みかけた「あの頃」を、もう一度だけスクリーンに映し出してみたい。
練炭の香りが漂い始める、あの夕暮れの街へ、皆さんを招待しようと思う。
第1章 メロディフェア
夕方になると、どこからともなく練炭のかおりが漂ってきた。
あの頃の田舎町の借家街というのは、そういう場所だった。どの家も似たような軒先を持ち、似たような夕餉の支度をして、似たような時間に似たような煙を空へ送り出した。煙突から立ち上る細い煙が、夕焼けの空に溶けていく光景は、今思えば一枚の絵のようだった。
僕はそのかおりが、嫌いではなかった。
むしろあれは、家に帰れというサインだった。腹が減ったというサインでもあった。そして何より——今日も一日が終わるという、妙に安心できるサインだった。練炭のかおりがしてくると、それまで走り回っていた僕らは、示し合わせたわけでもないのに自然と散り散りになった。また明日な、とも言わずに。ただ家の方向へ駆けていく。それだけでよかった。
昭和というのは、言葉が少なくても通じる時代だったのかもしれない。
その借家街から、ひとつブロックを隔てた向こう側に、町の銀座通り商店街があった。どんな田舎にも「銀座通り」というのはあるもので、うちの町のそれも御多分に漏れず、金物屋、米屋、床屋、煙草屋が肩を寄せ合うように並んでいた。アスファルトはところどころひび割れていて、電柱の広告看板は色褪せていて、でも人の声だけはいつも賑やかだった。
その商店街を抜けた突き当たりに、映画館があった。
映画館の名前は、今となっては思い出せない。
看板は出ていたはずなのに、子供の僕にはそんなものより、その建物自体が放つ空気の方が気になっていた。古びた木造の外壁、色褪せたポスターが貼られたガラスケース、そして滅多に開かない正面の扉。扉の前に立つと、中から微かにフィルムの焼ける匂いのようなものが漂ってきた気がした。今思えばただの古い木の匂いだったかもしれないが、子供の鼻には確かに、特別な場所のかおりとして届いていた。
そう、滅多に開かないのだ。
その映画館は、たまの休日にしか営業しなかった。
最初はそれが普通だと思っていた。映画館というのはそういうものだろう、と。テレビだって夜中には放送が終わる時代だ。映画館が毎日やっていなくたって、何も不思議じゃない——子供の僕は、そう納得していた。いや、納得というより、疑問を持つこと自体を思いつかなかったのかもしれない。子供というのは、目の前にある世界をそのまま「普通」として受け入れる。それ以外の世界を知らないから。
でも本当のところは、田舎だからだったのだ。
そのことに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。
ある日の学校の帰り道、隣のクラスの健二が何気なく言った。
「あの映画館さ、うちなんだよね」
僕らは一瞬、顔を見合わせた。
健二は自慢するでもなく、照れるでもなく、ただ事実として言っただけだった。それがかえって、僕らの心に火をつけた。映画館の持ち主が同じクラスの友達だなんて、考えたこともなかった。あの扉の向こう側に、健二の家族がいる。そう思うだけで、急に映画館が身近なものに感じられた。
その夜、僕らは作戦会議を開いた。といっても、近所の空き地に集まって、地面に棒で落書きしながら話し合っただけだけど。
「頼んでみようぜ」
「小遣いないのにか?」
「だから頼むんだろ。一生のお願いってやつ」
「一生のお願いって、何回でも使えるもんじゃないぞ」
「映画館のためなら使う価値あるだろ」
翌日の放課後、僕らは健二を取り囲んだ。オレたち小遣いないんだ。でもお願い。一生のお願い。
健二は少し困ったような顔をして、それから笑った。
「良いよ。おまけに特別に、指定席にも入れてやるよ」
その瞬間、僕の胸の中で何かが跳ね上がった。ドキがムネムネするとはまさにこのことで、その夜は興奮してなかなか寝付けなかったほどだ。布団の中で天井を見つめながら、明日は映画館に入れる、指定席というものに座れる、そう思うだけで体が熱くなった。
昭和の子供にとって、映画館というのはそれほど特別な場所だったのだ。
当日、僕らは映画館の横の小さなドアから、こっそりと中へ入れてもらった。
「指定席は2階だから、そっちへどうぞ」
健二がそう言って、奥を指さした。
見ると、壁際に梯子が立てかけてあった。
梯子、である。
階段ではなく、梯子で上る2階席。子供心にも、おい、なんか変じゃあないか、と思った。だが何せ生まれて初めて入った映画館だ。僕らはお互いの顔を見て、それからなぜか、うんうんと頷き合った。なるほど、2階というのはこうやって上るものか、と。誰も疑問を声に出さなかった。それが暗黙の了解だった。
2階に上がると、そこには椅子がなかった。
板の間に座布団が並べてあるだけで、どうぞお好きな格好で、という按配だった。寝転んでもいい。胡座をかいてもいい。正座してもいい。座布団は少し湿った感触がして、板の間は足の裏に冷たかった。でもそんなことは気にならなかった。ここは映画館の指定席なのだから。
今思えばありえない光景だが、あの時の僕らには、それが映画館のすべてだった。その後の長い人生で、僕は映画館というものに対して、どこかおおらかな印象を持ち続けた。シートが少し硬くても、隣に見知らぬ人が座っていても、たいして気にならない。きっとあの日の板の間が、僕の映画館の原型を作ってしまったのだ。
そして、その日上映されたのが——。
「小さな恋のメロディ」だった。
マーク・レスターとトレーシー・ハイド。ビー・ジーズの歌声。そしてあのラストシーン、2人がトロッコで走り去っていく、あの眩しい光景。
スクリーンに光が当たった瞬間、僕らは一斉に息を飲んだ。座布団の上で姿勢を正して、前のめりになって、目を見開いた。映画が始まる前のあの緊張感——暗くなった部屋に光の筋が走って、音楽が流れ出す瞬間——あれを初めて体験した時の震えを、55年経った今でも覚えている。
時期からして、リバイバルではなかったはずだ。あれは間違いなく、ロードショーだった。あの小さな、梯子で上る映画館で、僕らは最新映画を観ていたのだ。
それが昭和という時代の、不思議な豊かさだったのかもしれない。都会も田舎も関係なく、同じ映画が、同じ時代の空気の中で上映されていた。梯子を上った先の板の間でも、銀座の豪華な映画館でも、スクリーンの中の光は同じだった。
55年が過ぎた昨晩、僕は棚の奥からVHSを引っ張り出した。
ビー・ジーズの歌声と共に、あの夕方の練炭のかおりが戻ってきた。健二の笑顔が戻ってきた。梯子の軋む音が、座布団の硬さが、板の間の冷たさが——。
そして今でも思う。
メロディと一緒に、トロッコでどこまでもどこまでも漕いで行きたかった、と。
あの借家街の夕暮れの中へ、もう一度だけ。
第2章 銀座通りの人々
銀座通りというのは、不思議な場所だった。
どんな田舎にも、その町いちばんの通りには「銀座」という名前がついていた。東京の銀座に倣ったのか、それとも単なる語呂の良さなのか、子供の僕には知る由もなかったけれど、とにかくその通りが、僕らの町の中心だった。
賑やかだった。
朝から夕方まで、人の声と自転車の音と、どこからか流れてくるラジオの歌声が混ざり合って、通りは常に生きていた。魚屋のおじさんが威勢よく値段を叫び、米屋の軒先では麻袋が山積みになり、床屋の前では赤青白のサインポールがくるくると回っていた。八百屋の店先には泥のついた野菜が並び、その脇では猫がひなたぼっこをしていた。
昭和の商店街には、生活のすべてが詰まっていた。冷蔵庫が普及していない時代、毎日買い物に来なければならない。だから商店街は毎日の顔なじみで溢れ、会話が生まれ、噂が生まれ、人間関係が生まれた。今のスーパーマーケットとはまるで違う、もっと泥臭くて、もっと温かい場所だった。
その商店街の中で、僕が一番好きだったのが、金物屋のおばさんだった。
金物屋というのは、鍋や釜や包丁や、そういうものを売る店だ。子供にとっては縁もゆかりもない、本来なら素通りするはずの店である。
なのに僕らは、その前を通るたびに必ず立ち止まった。
理由は簡単だ。おばさんが、飴やキャラメルをお山盛りにくれるからだ。
おばさんはいつもニコニコしていた。皺だらけの顔に、小さな目を細めて、僕らが店の前を通りかかるたびに「ちょっとちょっと」と手招きをした。そして奥から小皿を出してきて、そこに飴やキャラメルをお山盛りに載せて、「ほれ、持ってきな」と言うのだった。
気前がいい、というレベルではなかった。もはや、商売っ気がまるでなかった。
「おばさん、今日もくれるの?」
「当たり前じゃない。ほれほれ、遠慮せんでいいよ」
「でも、なんで金物屋に飴があるの?」
おばさんはその質問に、いつも同じように笑った。答えは教えてくれなかった。ただニコニコして、もう一個持っていきな、と言うだけだった。
金物屋なのに、なぜ飴とキャラメルを持っているのか。それをなぜ、子供に配るのか。僕は長いこと疑問に思っていたけれど、結局その答えを聞かないまま、おばさんは逝ってしまった。
今となって思うのは、あのおばさんにとって、子供たちの顔を見ることが、一日の中の楽しみだったのかもしれない、ということだ。金物屋というのは、客が毎日来る店ではない。鍋が壊れるのも、包丁が欠けるのも、そうそうあることではないのだから。だから長い長い一日の中で、おばさんは暇を持て余していたのかもしれない。そこへやってくる僕らが、どれほど賑やかで、どれほど嬉しい存在だったか。
子供の頃の僕には、そんなことは微塵もわからなかった。ただ飴が嬉しくて、キャラメルが嬉しくて、お山盛りという言葉の響きが嬉しくて——それだけだった。
毎朝、納豆屋のおじちゃんがラッパを吹きながらやってきた。
あの音が聞こえると、お母ちゃんが「ほれ、行っておいで」と言う。僕はどんぶりを両手で抱えて、玄関から飛び出した。
どんぶりを持って納豆を買いに行く——今の時代では想像もつかないだろう。パックなんてものはない。おじちゃんが自転車の荷台から木の折り箱を取り出して、どんぶりの中へ直接よそってくれるのだ。
「おじちゃん、今日の納豆、糸ようく引く?」
「当たり前じゃ。今朝打ったばっかりじゃからな」
おじちゃんはいつも自慢そうに言った。そして少しだけ多めによそってくれた。子供には甘かったのだ、あの時代の大人は。
わら苞の匂いと、朝の冷たい空気と、おじちゃんのラッパの余韻が混ざり合った、あの感触。どんぶりを両手で抱えて家に駆け戻る、あの朝の空気の冷たさ。あれが昭和の朝だった。
銀座通りの交差点に、小さな店があった。
小さな、というのは控えめな表現で、正確に言えばほとんど屋台に毛が生えた程度のものだった。どぶ板の水路の上に板を渡して、そこに店を構えているのだ。
水路の上である。
雨が降れば下から水音がした。夏になれば、どこからともなく湿った匂いが漂ってきた。でもそんなことは誰も気にしなかった。気にする方がおかしい、という空気だった。昭和というのはそういう時代で、衛生とか安全とか、そういう言葉よりも先に、腹が減ったという現実があった。
その店で売っていたのは、団子と焼きそばだった。
なぜその二つが同じ店に並んでいるのか、子供の僕には疑問だったが、それもまた誰も気にしなかった。甘いものと塩辛いものが肩を寄せ合って、狭い店の中に煙を立ち込めていた。焼きそばのソースの匂いが、銀座通りの交差点に漂う頃、僕らの腹はきまって鳴った。
店を切り盛りしていたのは、老夫婦だった。
おじちゃんは無口だった。注文を聞くのも、焼きそばを作るのも、団子を渡すのも、すべて黙ってやった。愛想がないのではなく、言葉が不要だったのだと思う。鉄板の前に立って、黙々とへらを動かすおじちゃんの背中は、それだけで十分に雄弁だった。
おばちゃんは反対に、いつもニコニコしていた。
「はいよ、焼きそば一つね」と受け取ったお金をエプロンのポケットにしまいながら、必ずおまけをしてくれた。団子をもう一本、あるいは焼きそばを少し多めに——こっそりと、でも確かに。
「おばちゃん、またおまけしてくれた」
「しーっ。おじちゃんに言わんでよ」
おじちゃんはそれを見ても何も言わなかった。怒るでもなく、苦笑いするでもなく、ただ黙って鉄板に向かっていた。きっとおじちゃんは、全部知っていたのだと思う。おばちゃんがおまけをすることも、子供たちが喜ぶことも。そしてそれが、この店の本当の看板だということも。
どぶ板の水路の上の小さな店に、焼きそばのソースの煙が上がる。
あれが銀座通りの、昭和の午後だった。
商店街には他にも、個性的な人々がいた。
駄菓子屋のじいさんは、いつも無愛想だった。しかし僕らが一円玉を握りしめて迷いに迷っていても、絶対に急かさなかった。ただ黙って、煙草をくゆらせながら待っていた。あの忍耐強さは、今思えば相当なものだ。子供の一円玉のために、どれほどの時間を使っただろう。でもじいさんは嫌な顔一つしなかった。
みそ屋のおじさんは、いつも白い前掛けをして、樽の前に仁王立ちしていた。無口で怖そうに見えたが、一度だけ道端で転んだ僕を助けてくれたことがある。何も言わずに立ち上がらせて、何も言わずに行ってしまった。
銀座通りの人々というのは、みんなそんな感じだった。多くを語らず、でも確かにそこにいた。商売をしながら、町を守っていた。子供の僕らを、遠くから見ていた。
あの通りはもう、今はない。シャッターが並ぶようになったのがいつ頃だったか、気づいた時にはもう、あの賑やかさは消えていた。金物屋も、駄菓子屋も、納豆屋も、どぶ板の老夫婦も——みんないなくなってしまった。
でも練炭のかおりが漂う夕暮れ時に目を閉じると、今でもあのニコニコしたおばさんの顔が浮かんでくる。小皿の上の、飴とキャラメルのお山盛りと一緒に。
第3章 借家街の掟
借家街には、子供たちの掟があった。
誰が決めたわけでもない。文字に書かれたわけでもない。でも僕らは皆、その掟をちゃんと知っていた。生まれた時から空気のように身についていた、そういう類のものだ。弱い者をいじめない。年下には優しくする。大人の話に口を挟まない。そして——ガキ大将の言うことには従う。
その掟の頂点に立っていたのが、鉄だった。
本名は知っていたが、誰も呼ばなかった。みんな「鉄」と呼んだ。なぜそのあだ名になったのか、これも誰も知らなかった。ただ鉄は鉄で、それ以外の何者でもなかった。
鉄は怒りっぽかった。
些細なことで声を荒げ、気に入らないことがあれば拳が飛んだ。だから僕らは鉄の機嫌をいつも読んでいた。今日は虫の居所が悪いか、今日は上機嫌か——それによって、その日の遊びの空気が決まった。
「おい、今日の鉄、どうや」
「朝から機嫌悪そうやったぞ」
「じゃあ今日はメンコやめとくか」
そういう会話が、借家街の子供たちの間で日常的に交わされていた。鉄の機嫌は、天気予報よりも重要な情報だった。
でも鉄は、本当は優しかった。
泣いている子がいると、黙って隣に座った。誰かがいじめられていると、何も言わずに間に入った。弱い者には手を出さなかった。強がっているくせに、捨て猫を拾って帰ったこともあった。そしてその猫を、親に内緒で押し入れの中で飼っていた。一週間後に親に見つかって大目玉を食らったが、その時の鉄の顔が、今でも忘れられない。怒られながらも、猫だけはちゃんと守っていた。
怒りっぽいのは、たぶん照れ隠しだったのだと思う。
僕らの溜まり場は、銀座通りの裏手にある神社の境内だった。
大きな神社ではない。こじんまりとした、古びた社が一つあるだけで、普段は参拝客もほとんどいなかった。でも境内には広い石畳があって、大きな楠の木が日陰を作っていて、僕らにとっては最高の遊び場だった。
春は桜が散って石畳を染めた。夏は楠の木が日陰を作って涼しかった。秋は銀杏の葉が黄色く舞った。冬は境内が白くなって、僕らは雪合戦をした。一年中、あの神社が僕らの王国だった。
そこでの一番の騒ぎといえば、メンコとパチンコだった。
メンコは真剣勝負だった。自分のメンコを地面に叩きつけて、相手のメンコをひっくり返したら総取り。負ければ大事なメンコを失う。だから皆、本気だった。鉄のメンコの叩きつけ方は格別で、石畳に当たる音が境内に響き渡った。風圧でひっくり返るのではないかと思うほどの力だったが、なぜかいつも微妙に外れた。それが悔しくて、鉄はまた怒った。
「くそっ、もう一回じゃ」
「鉄、さっきから何回やっとるんじゃ」
「うるさい。もう一回じゃ言うとる」
誰も逆らえなかった。そして誰も、本当は逆らいたくなかった。鉄が必死になっているのが、みんな好きだったから。
パチンコは、Y字型の木の枝にゴムを張っただけの代物だ。石ころを飛ばして、木の幹に当てる。それだけのことなのに、なぜあんなに夢中になれたのか。鉄は照準が正確で、狙った的にほぼ外さなかった。その腕前だけは、誰も文句が言えなかった。
楠の木の幹には、僕らのパチンコの跡が無数についていた。あの傷は今もあの木に残っているだろうか。それとも木が大きくなって、傷ごと飲み込んでしまっただろうか。
夕方になって練炭のかおりが漂い始めると、お母ちゃんたちが呼びに来た。
「ご飯よ」「帰りなさい」「もう暗くなるよ」
その声を聞くまで、僕らは帰らなかった。帰りたくなかったのではなく、声がかかるまでが遊び時間だという、暗黙の了解があったのだ。
鉄は最後まで残った。いつも一番最後に、誰もいなくなった境内で一人、メンコを地面に叩きつけていた。
あいつの家は、何か事情があったのだと、大人になってから知った。
でもあの頃の僕には、それはわからなかった。ただ鉄が最後まで残っているのが当たり前で、翌朝また境内に来ると、鉄はもうそこにいた。まるで神社に住んでいるみたいに。朝露の残る石畳に座って、一人でメンコをいじっていた。
借家街の掟は、鉄が守っていた。そして神社の境内は、僕らの小さな王国だった。あの王国に、永遠などというものはなかったけれど、あの頃の僕らは、それが永遠に続くものだと思っていた。
第4章 夏の匂い
夏になると、僕らは山へ行った。
借家街から銀座通りを抜けて、さらに田んぼ道を30分ほど歩いた先に、こんもりとした雑木林があった。大人たちは「裏山」と呼んでいたが、僕らにとってはそこは立派な山であり、未踏の密林であり、何が潜んでいるかわからない冒険の舞台だった。
夏休みに入ると、僕らは毎日のようにそこへ通った。
目的はカブトムシとクワガタだった。
朝露がまだ残る早い時間に、鉄を先頭にして僕らは出発した。虫取り網と、蓋つきの缶と、気合いだけを持って。田んぼ道を歩く間、稲の青い匂いが鼻をくすぐった。蛙が鳴いていた。遠くで農作業をしているおじさんの姿が見えた。
鉄は道中ずっと無口だった。いつもの怒りっぽさはどこへやら、山に入ると鉄は別人のように静かになった。木の幹に耳を近づけたり、腐葉土の匂いを嗅いだりしながら、獣のように山の中を進んだ。
「鉄、どこ行くんや」
「しーっ。うるさいと逃げるじゃろ」
声を殺して、足音を立てずに進む。木漏れ日が差し込んで、地面に光の模様を作っていた。どこかで野鳥が鳴いていた。
カブトムシは樹液の匂いがする木にいた。クヌギの幹に張りついた、黒光りするカブトムシを見つけた時の興奮は、今でも忘れられない。鉄が無言で指さして、僕らは息を飲んだ。誰も声を上げなかった。その瞬間だけは、僕らは完全に一つだった。
カブトムシの角の付け根をそっとつまんで、缶の中に入れる。缶の中で暴れる音がする。重さが手に伝わる。あの感触を、今でも覚えている。
「でかい。今年一番じゃ」
「鉄が見つけたんやからな。鉄のもんじゃ」
「お前らも来とったんじゃから、みんなのもんじゃ」
そう言いながら、鉄は缶を自分のリュックにしまった。でも家に帰る時、缶の中身を全員に分けてくれた。それが鉄だった。
スイカを食べたのは、帰り道だった。
誰かの家の縁側に腰を下ろして、冷やしたスイカを頬張った。汗だくの顔に、スイカの甘い香りが混ざった。種を遠くへ飛ばして、誰が一番遠くまで飛ばせるか競い合った。
あの香りが、僕にとっての夏の匂いだ。
スイカの香りと、汗と、雑木林の腐葉土の匂いが混ざり合った、あの感触。瓶に詰めて取っておけたなら、と今でも思う。
でも、あの夏には怖い記憶もある。
その日も僕らは裏山に入っていた。カブトムシを探して、いつもより奥の方まで踏み込んでいた。木が密になって、空が見えなくなってきた頃だった。
突然、鉄が立ち止まった。
僕らも止まった。
林の奥の、薄暗い木立の中に、何かがいた。姿は見えなかった。音もなかった。でも確かに、何かがそこにいた。気配、というより、もっと重たい何か——空気が変わった、と言えばいいのか。鳥の声が止んで、風も止んで、山全体が息を潜めたような、あの瞬間。
鉄が低い声で言った。
「走れ」
理由は聞かなかった。僕らは一斉に駆け出した。枝を踏みながら、蜘蛛の巣を顔で切りながら、転びそうになりながら、ただ走った。
山を出て、田んぼ道まで戻って、ようやく僕らは足を止めた。全員、肩で息をしていた。誰も何も言わなかった。鉄でさえ、しばらく黙っていた。
それから鉄がぽつりと言った。
「見たか」
僕らは首を振った。
「俺も見てない」
それだけだった。それ以上、誰も何も言わなかった。あれが何だったのか、今でもわからない。動物だったのかもしれない。風だったのかもしれない。あるいは——。
でも鉄が「走れ」と言った。それだけで十分だった。
あの夏の裏山に何かがいたことは、僕らの間で長いこと語られなかった。語れなかった、というべきかもしれない。言葉にした途端に、何かが壊れる気がして。
昭和の夏には、説明のつかないものがまだ、あちこちに潜んでいた。山にも、神社にも、古い家の押し入れの中にも。そしてそれは怖ろしいだけではなく、どこかこの世を豊かにするものでもあった。
あの夏以来、僕らは裏山の奥へは踏み込まなかった。でも翌年も、また翌年も、夏になると山へ行った。カブトムシを探して、スイカを食べて、汗をかいた。
それが僕らの夏だった。
第5章 映画館の秘密
健二の家は、映画館の隣にあった。
といっても、映画館と家の境目がどこなのか、子供の僕には正直よくわからなかった。映画館の建物と住居が、増築を重ねながら一体化していて、どこからが店でどこからが家なのか、曖昧なまま繋がっていた。
乱雑だった。
玄関には映写機の部品らしきものが転がっていた。廊下には古いフィルムの缶が積み上がっていた。畳の部屋には映画のポスターが無造作に丸めて置いてあった。何十年分もの時間が、そのまま堆積しているような家だった。
でも温かかった。
不思議なことに、あの乱雑さが少しも不快ではなかった。むしろ、その散らかり方が家の体温のように感じられた。誰かがここで長い時間をかけて生きてきた、その証拠がそこかしこに積み重なっているような。
健二の家に遊びに行くと、いつも何かの匂いがした。フィルムの匂い、古い畳の匂い、そして何かを煮ている匂い。健二のお母さんはいつも台所にいて、僕らが来ても特に驚かず、「上がりなさい」とだけ言った。
映画館を切り盛りしていたのは、健二のおじいちゃんだった。
小柄で、白髪で、いつも同じ作務衣を着ていた。映写室にこもって、フィルムと格闘しているのが日課だった。子供が来ても特に愛想を振りまくわけでもなく、ただ黙って映写機を回した。
でも映画が始まると、おじいちゃんの横顔が変わった。
スクリーンに光が当たる瞬間、おじいちゃんは必ず目を細めた。何百回、何千回と同じ作業を繰り返してきたはずなのに、その目には毎回、小さな誇りのようなものが灯った。
あの目を、僕は忘れられない。
映画というのは、映写機がなければ始まらない。スクリーンでもなく、フィルムでもなく、あの光を送り出す人間がいなければ、何も始まらないのだ。おじいちゃんはそのことを、言葉ではなく背中で知っていた。
一度だけ、おじいちゃんが映写室に入れてくれたことがある。
「光の通り道を、見てみるか」
おじいちゃんはそう言って、映写機のレンズの前に立たせてくれた。光の筋が僕の体を貫いて、スクリーンに届いていた。その光の中に、小さな人影が映っていた。僕自身の影だった。
「お前さんが邪魔をしとる。でも光はお前さんを回って届くんじゃ」
おじいちゃんはそう言って、静かに笑った。あの言葉の意味が、今になってわかる気がする。
火事が起きたのは、僕らが中学に上がった頃だった。
夜中のことで、詳しいことは誰も知らなかった。映写室からだという話もあったし、隣家からの貰い火だという話もあった。とにかく朝になると、あの映画館は半分焦げた姿で銀座通りの端に立っていた。
煙の匂いが、借家街まで漂ってきた。練炭のかおりとは全く違う、焦げた木と、溶けたフィルムの、苦い匂いだった。
健二は学校に来なかった。一週間ほどして登校してきた健二は、特に何も言わなかった。僕らも何も聞かなかった。ただ、いつもと同じように隣に座って、いつもと同じように過ごした。
それが僕らのやり方だった。
その後、映画館は再建されなかった。おじいちゃんが歳をとっていたこともあった。時代もあった。テレビが茶の間に当たり前になって、わざわざ映画館へ足を運ぶ人が少なくなっていた。あの梯子で上る二階席も、座布団の板の間も、そのまま灰になって消えた。
ずっと後になって、健二から聞いた話がある。
おじいちゃんは火事の後、毎晩焼け跡の前に立っていたという。何をするわけでもなく、ただ立っていた。雨の日も、風の日も。
「じいちゃん、あそこで何してたんやろな」
健二はそう言って、笑った。笑いながら、少し目を逸らした。
僕には何も言えなかった。おじいちゃんが何を見ていたのか、たぶんわかっていたから。あの光を、もう一度だけ送り出したかったのだと思う。スクリーンに映像が浮かび上がる、あの瞬間を。
映画館というのは、建物ではなかった。あの光を守り続けた、一人の老人の時間だったのだ。
「光の通り道を、見てみるか」
おじいちゃんのあの言葉が、今でも耳に残っている。
第6章 トロッコ
小学校の卒業式というのは、不思議な日だった。
終わったという実感と、始まるという予感が、ごちゃ混ぜになって胸の中で渦を巻いていた。体育館に並んだ僕らは、みんな同じ顔をしていた。泣くほど悲しくはないけれど、笑えるほど嬉しくもない、あの中途半端な顔を。
でも僕には、もう一つ別の気持ちがあった。
引っ越しが決まっていたのだ。
父親の仕事の都合で、卒業と同時にこの町を離れることになっていた。中学はもう、別の町で通うことになる。借家街も、銀座通りも、神社の境内も、裏山も——全部、置いていかなければならない。
卒業証書を受け取る時、担任の先生が小さな声で言った。「元気でな」それだけだった。でも先生の目が少し潤んでいるのを、僕は見た。
一番気になっていたのは、鉄のことだった。
卒業式の帰り道、僕は神社の境内へ寄った。
鉄はいた。いつものように楠の木の根元に座って、メンコを一枚手の中でくるくると回していた。制服姿が妙に似合わなくて、でもそれがまた鉄らしかった。
「引っ越すんやろ」
僕が何も言う前に、鉄は言った。
「知ってたのか」
「町内やもん。知らん方がおかしい」
鉄はメンコを地面に叩きつけた。いつもの癖だった。石畳に当たって、跳ね返って、楠の根元に転がった。
しばらく、二人とも黙っていた。春の風が境内を吹き抜けて、楠の葉が揺れた。遠くで誰かの自転車のベルが鳴った。それだけだった。
「鉄、俺——」
「ええわ。言わんでいい」
鉄は立ち上がって、楠の幹のパチンコの跡を指でなぞった。数え切れないほどある傷跡を、一つ一つ確かめるように。
「元気でやれよ」
鉄はそれだけ言った。こちらを見なかった。楠の幹のパチンコの跡を、指でなぞりながら言った。
僕も何も言えなかった。ありがとう、とか、また会おう、とか、そういう言葉が喉まで出かかったけれど、どれも違う気がして、結局何も言えなかった。
ただ頷いた。鉄も頷いた。それが別れだった。
引っ越しの朝、荷物を積んだトラックが借家街の細い道をゆっくり進んだ。
僕は助手席から、流れていく景色を眺めていた。金物屋の前を通った。シャッターが降りていた。どぶ板の店の前を通った。まだ煙が上がっていた。焼け跡だけが残った映画館の前を通った。納豆屋のおじちゃんがラッパを吹きながら自転車で曲がってくるのが見えた。
誰も見送りには来なかった。
それでよかった、と思う。昭和の別れというのは、そういうものだった。大げさな言葉もなく、涙の抱擁もなく、ただ日常の中に静かに滑り込んで、気づいたら終わっている。
トラックが銀座通りに差し掛かった時、僕は後ろを振り返った。
神社の楠の木が、遠くに見えた。その根元に、小さな人影があった。
鉄だった。
こちらを見ているのか、いないのか、遠すぎてわからなかった。でも僕は手を振った。思い切り、窓から身を乗り出して振った。
人影は動かなかった。
トラックが曲がって、神社が見えなくなった。
「小さな恋のメロディ」のラストシーンを、僕はずっと忘れられなかった。メロディとダニエルが、トロッコに乗って走り去っていく。どこへ行くかわからない。でも二人は漕ぎ続ける。ビー・ジーズの歌声の中を、どこまでもどこまでも。
あのシーンを初めて見た時、僕は何がそんなに眩しいのかわからなかった。でも今はわかる。行き先がわからなくても、漕ぎ続けられることが眩しかったのだ。後ろを振り返らずに、ただ前へ向かって進んでいけることが。
あの借家街を出た日、僕もトロッコに乗ったのだと思う。鉄も、健二も、金物屋のおばさんも、どぶ板の老夫婦も、納豆屋のおじちゃんも——みんな、それぞれのトロッコで、それぞれの方向へ漕ぎ出していった。
昭和という時代が、そうさせたのかもしれない。あの頃の僕らは皆、どこかへ向かっていた。どこへ行くかは知らなくても。
第7章 55年後のメロディ
深夜だった。
家族はとっくに寝ていた。台所の時計の針が、静かに時を刻んでいた。テレビは消えていた。外では風が吹いていて、窓ガラスがかすかに震えていた。
何かに引き寄せられるように、僕は棚の前に立っていた。
長い時間、そこに立っていたのかもしれない。気がつくと、段ボール箱を引っ張り出していた。埃が舞った。くしゃみをした。
箱の中から、それは出てきた。
埃をかぶったVHSのテープ。ラベルには自分の字で「小さな恋のメロディ」と書いてあった。いつ録ったのか、もう覚えていない。でも確かに、自分の字だった。若い頃の字だった。
再生できるかどうかもわからなかった。そもそもビデオデッキがまだ動くのかどうか。おそるおそる電源を入れると、ゴロゴロと年老いた機械音がして、テープを飲み込んだ。
しばらくノイズが走った。
それからビー・ジーズの歌声が、部屋に流れ出した。
涙が出た。
なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。画面の中ではまだ、オープニングのクレジットが流れているだけだった。マーク・レスターもトレーシー・ハイドも、まだ画面に現れてもいない。それなのに涙が出た。
歌声のせいだったのかもしれない。あの旋律が、鍵のかかった引き出しをいきなりこじ開けるような力を持っていたのかもしれない。55年という時間を、一瞬で飛び越えるような力を。
最初に浮かんだのは、鉄の顔だった。
楠の木の根元に座って、メンコをくるくると回している鉄。パチンコの照準を定めて、静かに目を細める鉄。引っ越しの朝、神社の境内でこちらを見ていた、あの小さな人影。
あいつは今、どこで何をしているのだろう。
55年という時間は、途方もなく長い。あの借家街で過ごした時間の、何倍もの時間が過ぎた。鉄も僕も、すっかり老いた。怒りっぽいガキ大将は、今頃どんな顔をしているのか。まだ怒りっぽいのか。それとも丸くなったのか。孫の顔でも見ながら、縁側で日向ぼっこをしているのか。
会いたいとも思う。でも会えなくていいとも思う。
あの神社の境内で別れた時のまま、鉄は鉄でいてほしい。楠の木の根元で、メンコを叩きつけている鉄のままでいてほしい。それが勝手な願いだとわかっていても。
画面の中でメロディが笑った。
あの眩しい笑顔。トレーシー・ハイドの、世界中の夏を集めたような笑顔。梯子で上った二階席の板の間で、座布団の上に胡座をかいて、僕はあの笑顔に息を飲んだ。
あの時の心臓の音が、今でも聞こえる気がする。
子供というのは残酷なほど正直で、美しいものを美しいと感じる回路が、まだ何にも汚されていない。あの頃の僕の目に映ったメロディは、この世のものではないくらい眩しかった。
それから55年が過ぎた。僕の目は老いて、膝は痛くなって、深夜に一人でVHSを見ながら泣いている。
それでも画面の中のメロディは変わらない。あの夏のまま笑っている。あの梯子の二階席のまま、座布団の板の間のまま、健二の得意そうな顔のまま——すべてがあの頃のまま、画面の中に生きている。
ラストシーンが来た。
トロッコに乗ったメロディとダニエルが、どこまでも走っていく。ビー・ジーズの歌声が高まって、二人の姿が小さくなって、やがて光の中に消えていく。
僕は画面を見つめたまま、動けなかった。
どこへ行くのかわからなくても、漕ぎ続けること。後ろを振り返らずに、ただ前へ向かうこと。あの映画が教えてくれたのは、たぶんそれだけのことだった。でもそれだけのことが、どれほど難しいか。55年かけて、ようやく少しわかった気がする。
テープが終わって、ノイズが走った。部屋が静かになった。
深夜の静寂の中で、僕はしばらくそのままでいた。
練炭のかおりはもう、どこにもない。金物屋のおばさんも、どぶ板の老夫婦も、納豆屋のおじちゃんも、健二のおじいちゃんも——みんな、とっくにいなくなってしまった。
でも確かに、いたのだ。
あの借家街に、あの銀座通りに、あの神社の境内に、あの裏山に。確かに生きて、確かに笑って、確かに怒って、確かに泣いた。
僕が最後の昭和世代だとしたら、あの人たちのことを覚えているのも、もう僕らだけかもしれない。
だから書いた。
夕方になると練炭のかおりが漂ってきた、あの借家街のことを。銀座通りの、飴をお山盛りにくれたおばさんのことを。どぶ板の上の焼きそばの煙のことを。梯子で上る映画館の、板の間の冷たさのことを。裏山で走れと言った鉄のことを。
そしてメロディと一緒に、トロッコでどこまでもどこまでも漕いで行きたかった——あの夏の子供が、確かにここにいたということを。
あの光は、消えていない。
〜あとがき〜
書き終えてみると、指先にあの頃の泥の感触が残っているような、不思議な高揚感の中にいる。
今回、筆を執ったのは、単なる懐古趣味からではない。デジタル化され、すべてが効率と清潔さで塗り固められた現代において、私たちが置き去りにしてきてしまった「何か」を、もう一度確認したかったからだ。
物語に登場した映画館はもうない。銀座通りも、どぶ板の上の商店も、私の記憶の中にしか存在しない場所がほとんどだ。仲間たちとも、あの卒業式を境に二度と会うことはなかった。
けれど、55年後の深夜に古いビデオテープを再生した時、私は確信した。形あるものは消えても、あの日、暗闇の中で見つめた「光」は、私たちの血肉となって今も流れ続けているのだと。
人生という名のトロッコは、時に重く、時に坂道を転げ落ちるように進んでいく。行き先が分からず、不安に駆られる夜もある。そんな時、私を支えてくれたのは、いつだってあの借家街の夕焼けであり、無口なおじさんたちの背中であり、共に笑った友の顔だった。
最後になったが、この拙い回想録を最後まで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
もし、この物語のどこかで、あなた自身の「失われた記憶の匂い」を感じていただけたなら、著者としてこれ以上の喜びはない。
私たちのトロッコは、まだ止まってはいない。
あの眩しいメロディを胸に、もう少しだけ漕ぎ続けてみようと思う。
昭和という、美しくも泥臭い時代に愛を込めて。
〜おまけ〜
これは以前
ブログで書いたものを
物語に膨らましたものです
それをここに載せて置きます
メロディフェア
ガキの頃
小学生の頃
住んでた田舎町の借家街から
ひとつブロックを隔てた
その町の銀座通り商店街を抜けた所に
ちょいと さびれた映画館があってね
そこが
たまの休日にしか営業しないんだよね
その頃はね
映画館って
そんなもんだろう って感じてたんだけどね
やっぱ
田舎だから だったんだよね
ある日
そこがね
隣りのクラスの友達の家で経営してるって 知ってね
みんなで
そいつに頼んでみたんだよ
オレたち
小遣い ないんだ
でも お願い!!
一生のお願い!! ってね
そしたらまた
そいつが良い奴でね
良いよ!! って
おまけに
特別に 指定席にも入れてやるよ って。。。
嬉しかったよね~
もう
”ドキが ムネムネしちゃったよ”
するとさ
当日
横のドアから
こっそり入れてくれてね
この上の
2階が指定席だから
そこへも ど~ぞ!! って。。。
でもね
そこ
ハシゴ で上るんだよ
そう
ハシゴ でね
子供心にも
おい
なんか変じゃあ~ねえ~か? って感じたけれど
なんせ
初めて入った映画館だったもんで
ほおおお~~~
なるほど 2階がね
観やすいしね って
なぜか
うんうんと 納得なんかしてさ
それは
確かに昭和の時代で
戦後のドサクサの生き残りの場所で
当時としては
娯楽の最先端だったのかもね?
僕らが
本当に
最後の昭和世代だったんだな って
今更ながらに感じるよね
更にはね
そこには
イスなんてなくてさ
床は板の間敷きで
座布団があってさ
ど~ぞ
お好きな格好で ってなあ~具合
そ~さ
寝転んでてもOK
正座してても
胡座をかいてても OK
ありえね~!! って
今なら思うけれども
なんせ
初めてだからさ
その後の僕らの
映画館とは? って感を
ここが作っちまったってわけさ
それでね
その日
上映したのは
な なんと
忘れもしない
”小さな恋のメロディ”
そう
あの
マ~クレスタ~と トレ~シ~ハイドの。。。だよ
今思うと
これだって 凄いこと!!
時期からして
ど~考えても
リバイバルなんかじゃあ~なくて
完全に
”ロ~ドショ~” だったんだよね
そんな思い出の中から
いつの間にか 55年もが過ぎて
昨晩
棚の奥の方から
引っ張り出した VHS
ビ~ジ~ズの歌声と共に蘇った
そりゃあ~
懐かしい頃
そして
今でも思うよ
メロディと一緒に
トロッコで
どこまでもどこまでも
漕いで行きたかった なんて。。。
これもまた
僕らの
昭和の
実話です…


