普段 本など読まない

長い話に飽きた貴兄へ…



言葉の消える川  〜さまよいながら〜


〜序〜
言葉にすれば 角が立つ
SNSに書き込めば
一瞬で世界へと広がる

そんな恐い世の中に於いても
わずかに差す光はあるはずだと探し 彷徨う

先は相変わらず見えないけれど
石橋を叩きながら渡るほど
器用ではなく

その場の直感で えい! って
飛び越えるような
そんな生き方をしてきたもんだから

時折 振り返ると その橋は崩れ落ちていて
誰ひとり後ろにはなく
また 前にもいない

ただし それを批判する者もないが
それに加勢する者もない

孤独が好きなはずはなく
それでも 群れることは避け

同じ姿で歩くことを嫌い
それでも目立たぬようにと
後の方を歩く

いつの頃か
口は災いだと 知らされて
一度 頭に戻してから言葉を吐く

昭和は遠くなってしまい
平成で大怪我を負いながらも 生き延びて

令和なる世の中に期待などせず
自分の感性だけを信じてみる

友達はもう 増やすことなく
言葉なくてもわかる
大事な数人とだけ バカを言い

なんとなくだけ
身体を気遣い

タバコは止めたが
舐めるくらいの酒は頂く

目頭はすぐに熱くなり
次の言葉を探しながらも
うまい言葉は見つからず

あの頃 って時ばかりを
振り返る

綺麗な女性に振り返り
同世代には安心し
男とは なんぞ! などと思いもせず

年寄りたちには
心を許す

もう少し 身体を大事に生きたならば
もしや 次の世も見れるのかも? と
令和に消える運命をわずかに遮る心を持ち

激しく生きたあの頃を懐かしみながら
そこへと連れ添った連中の
今はなき笑顔に涙して

わずかでも穏やかに生きたいと 怒ることをやめ
聞きたくない話題には 耳を背ける

男として生きたことを
嬉しくも思い
もしも もしも
次の世があるのならば
またこの自分になりたいとも願う

そしてまた
同じ家族と過ごし
同じ生き方でと
思うだけの日々…


〜まえがき〜
かつて、私たちはもっと無鉄砲に、もっと激しく、明日という日を疑わずに生きていました。
石橋を叩く暇があるなら、直感のままに飛び越える。振り返れば、その橋が崩れ落ちていたとしても、それが「男の生き方」だと信じて疑わなかった時代がありました。
昭和は遠くなり、平成という荒波で私たちは大きな怪我を負いました。そして令和。
ふと立ち止まれば、隣にいたはずの仲間はもうおらず、一人で橋の上に立っていることに気づきます。
この物語は、そんな「時代の残像」を抱えながら、今を静かにさまよう一人の男の独白です。
言葉にすれば角が立ち、書き込めば一瞬で世界へ広がる現代。そんな中で、自分だけの「感性」という光を頼りに歩き続けるすべての人へ、この物語を捧げます。



1.  橋の上で
川は、いつもそこにあった。
桐島譲が子供の頃から、この大川は変わらず流れていた。大阪の空の色が変わっても、街の形が変わっても、川だけは同じ顔をして、同じ方向へと水を運んでいた。人間のやることなど、川にとっては何でもないことなのだろうと、六十八歳になった譲はぼんやりと思った。
夕暮れ時、天満橋のたもとに立って、譲は欄干に両肘をのせた。
冷たい鉄の感触が、コートの袖越しに伝わってくる。川面には、対岸のビルの灯りが溶けるように揺れていた。オレンジ色と白と、いくつかの青。それが水の上で滲んでは、また集まって、また滲んでいく。
「きれいなもんやな」
声に出したつもりはなかった。ただ、気づけば口が動いていた。
隣に誰かいるわけでもない。譲はひとりで橋に立っていた。平日の夕方、サラリーマンたちが足早に通り過ぎていく。スーツ姿の若い男が、スマートフォンを見ながら歩いている。イヤホンをした女が、小走りに駅の方へと向かっていく。誰も川を見ていなかった。
譲は、それが不思議でもなく、さみしくもなかった。
自分も若い頃は、川を見る余裕など持っていなかった。いつも何かに追いかけられるように生きていた。金のことを考え、仕事のことを考え、仲間のことを考え、夜になれば酒を飲んで、また朝が来れば走り出す。立ち止まって水面を見つめるような時間は、どこにもなかった。
それがいつからこうなったのか。
譲には、はっきりとした記憶がない。ある朝、目が覚めたら、急ぐ理由がなくなっていた。それだけのことだった。
川風が吹いて、白髪交じりの髪が乱れた。譲は片手で髪を押さえ、もう一方の手でコートの前を合わせた。
四月だというのに、夕方になると冷える。身体が正直になった、と医者に言われたのは去年のことだ。無理がきかなくなった、という意味だとわかっていたが、譲は笑って「そうですか」と言った。無理がきかないのは、ずいぶん前からだ。ただ気づくのが遅かっただけで。
スマートフォンが震えた。
画面を見ると、娘の名前が表示されていた。譲はしばらく画面を見つめ、それからゆっくりと電話に出た。
「もしもし」
「お父さん、どこにおるん。もう晩ご飯できてるで」
「ああ、ちょっと散歩しとった。今から帰る」
「また川か」
「まあな」
娘は小さくため息をついた。心配しているのか、呆れているのか、譲には判断がつかない。最近は娘の気持ちがよくわからない。いや、最近に限った話ではなく、昔からそうだったかもしれない。
「はよ帰ってきてや。冷めるから」
「わかった」
電話を切って、譲はもう一度川を見た。
水は変わらず流れていた。どこから来て、どこへ行くのか。それを気にする者などおらず、川はただ流れることをやめない。
譲は欄干から離れ、駅の方へと歩き始めた。
背中に川風を受けながら、譲は今日一日、何をしていたかを思い返してみた。朝、六時に目が覚めた。新聞を読んだ。朝食を食べた。少し昼寝をした。夕方になって、どうしても外に出たくなって、気づけばここに立っていた。
それだけだった。
かつて、一日がこれほど静かだったことがあっただろうか。
昭和の頃、平成の始め頃、譲の一日はいつも何かで埋まっていた。予定と約束と、予定外の出来事と。電話が鳴り続け、人が来て、また電話が鳴る。怒鳴り声が飛び交い、笑い声が響き、夜中の二時に酒を飲みながら翌日の段取りを考える。そういう日々が、当たり前だった。
今はすべてが遠い。
別の時代の話のようだ、と譲は思う。自分がそこにいたとは、どうしても信じられないような、遠い話。
地下鉄の駅へと続く階段を降りながら、譲は右膝の痛みを感じた。また冷えたせいだ。手すりを掴みながらゆっくり降りる。後ろから若い人が来る気配がしたが、気にしないことにした。急げない身体になったのだから、急がなければいい。それだけのことだ。
改札を抜けて、ホームで電車を待ちながら、譲はまた川のことを思った。
あの橋の上で、自分は何を探していたのだろう。
毎日のように川を見に行く。何かを探しているわけではない、と言えば嘘になる。かといって、何を探しているのかと問われても、うまく答えられない。光、とでも言えばいいのか。どこかに、わずかでも光があるはずだという、根拠のない確信のようなもの。
若い頃は、そんなことを考えもしなかった。
光など必要としない、自分が光になればいい、という気持ちで生きていた。
今は違う。
自分が光になることなど、もうできない。ただ、どこかに光があることを知っていれば、それで十分だと思っている。
電車が来た。
譲は人波に押されることなく、端のドアから静かに乗り込んだ。座席は埋まっていたが、立っていてもかまわなかった。三つ目の駅で降りれば家だ。
揺れる車内で、譲は吊り革を握り、目を閉じた。
どこかで子どもが笑っている声がした。
その声だけが、やけに鮮明に聞こえた。


2.  昭和という名の炎
譲が生まれたのは、昭和三十二年の秋だった。
大阪の下町、長屋の一角に、桐島家はあった。父の辰雄は町工場で鉄を削る仕事をしていた。母のトメは、近所の料理屋で仲居をして家計を支えた。兄がひとり、姉がひとり。譲は末っ子だった。
貧しかったが、それが当たり前だったから、貧しいとは思わなかった。
近所の子どもたちはみな同じようなもので、空き地でめんこをして、川でザリガニを捕って、夜になれば腹を減らしたまま眠った。それでも不満はなく、翌朝になれば誰かが「今日も遊ぼうや」と呼びに来る。それだけで世界は十分だった。
譲が初めて喧嘩をしたのは、小学校の二年生の時だ。
同じクラスの谷口という男が、妹を突き飛ばした。譲に妹はいないが、近所の幼い子が転んで泣いているのを見て、気づけば谷口の胸ぐらを掴んでいた。
何も考えていなかった。
ただ、許せないと思った。それだけだった。
散々殴られ、蹴られ、鼻血を出して家に帰ったが、母には何も言わなかった。父にも言わなかった。なぜ黙っていたのかは自分でもよくわからないが、言葉にすることが何か大切なものを壊すような気がした。
翌日、顔中に青あざを作って学校に行くと、谷口が「昨日はすまんかった」と言いに来た。
譲は「ええわ」とだけ言った。
それからふたりは妙に仲良くなった。人間とはそういうものだ、と後に譲は思うようになる。ぶつかってみないとわからない、本当のところが。
中学に上がると、譲の周りには自然と人が集まってきた。
特に何かをしたわけではない。ただ、曲がったことが嫌いで、弱い者いじめを見れば黙っていられず、いつも先頭に立って動いた。それだけのことだったが、気づけば「桐島についていく」という仲間が十人、二十人と増えていた。
リーダーになりたかったわけでも、目立ちたかったわけでもない。
ただ、誰かが動かなければならない場面で、自分が動いただけだ。
その頃、大阪の街は変わり始めていた。
昭和四十年代の大阪は、万博を控えて活気に満ちていた。どこもかしこも工事をしていて、新しいビルが次々と建ち、道路が広がり、電車の路線が延びていく。街全体が、何か大きなものに向かって走っているような熱気があった。
その熱の中に、若者たちも巻き込まれていた。
夢を持つことが当たり前で、上を向くことが普通で、もっとよくなると誰もが信じていた時代。貧しくても笑えて、明日への確信があった時代。
譲はその空気の中で育った。
高校を卒業した後、大学には行かなかった。行けなかった、という方が正確かもしれないが、行こうとも思わなかった。本を読むのは好きだったが、教室に縛られることには耐えられそうになかった。世界は外にある、と譲は思っていた。
最初に就いた仕事は、建材の運搬だった。
重いものを運び、汗をかき、日が暮れれば仲間と飯を食い、酒を飲んだ。金は少なかったが、身体を使って働いた後の達成感は本物だった。若い身体は疲れを知らず、翌朝になれば回復していた。
それから何度か仕事を変えた。
食品の卸、解体業の手伝い、小さな運送会社のドライバー。どれも長くは続かなかった。続かなかった理由はいつも同じで、理不尽なことが嫌いだった。上の人間が横暴なことをすれば黙っていられず、口を開けば煙たがられ、居場所がなくなっていく。
「おまえは正しい。でも、正しいだけでは生きていけない」
二十二の時、ある人にそう言われた。
西成で小さな飲み屋をやっていた、荒木という五十男だった。一度だけ仕事の縁があって、その後も何かと気にかけてくれた。
譲は「そんなことはわかってる」と答えた。
「わかってるけど、できひんのやろ」と荒木は笑った。
否定できなかった。
その通りだった。
頭でわかっていても、目の前で理不尽が起きれば身体が動く。言葉が出る。止められない。それが譲という人間だった。変えようとしたこともあったが、変えられなかった。ならばそのまま生きるしかない、と、どこかで腹をくくった。
二十五の時、譲は独立した。
大それたことではない。軽トラック一台買って、何でも屋を始めた。引っ越しの手伝い、廃品回収、庭の草むしり、頼まれれば何でもやった。
仕事はゆっくりと増えていった。
譲の仕事ぶりを見て、また頼む、という客が増えた。口コミで紹介が来るようになった。二年もすると、軽トラが三台になった。人を雇うようになった。
仲間が集まってきた。
学校の同級生、仕事で知り合った者、荒木の紹介でやってきた若者。みな一癖も二癖もある連中だったが、性根は真っ直ぐで、金のためだけに動く人間ではなかった。
夜はよく飲んだ。
四畳半の事務所に七、八人が集まって、床に座って焼酎を飲みながら、くだらない話をした。誰かが笑わせ、誰かが怒り、誰かが泣いた。そういう夜が、週に何度もあった。
お互いの名前を呼び捨てで呼ぶ。
言わなくても伝わる。
目配せひとつで動ける。
そういう仲間ができたのが、昭和五十年代の頃だった。
譲は三十を前にして、自分の居場所というものを、初めて手に入れた気がした。
仕事がうまくいっていたかどうかは、正直なところ、いつも綱渡りだった。景気がいい時は金が回り、悪い時は火の車になる。それでも食えなくなったことはなかった。必死でやっていれば、誰かが助けてくれた。助けてもらった分は、別の誰かに返せばいい。そういうことが、自然と回っていた時代だった。
バブルと呼ばれる時代が来た頃、譲は三十代の半ばになっていた。
街が狂い始めた、と感じたのはその頃だ。
金が異様な速さで動くようになった。会ったことのない人間から仕事の話が来るようになった。数字が現実から離れ始めた。みなが浮かれていた。譲も仕事の規模が急に大きくなり、儲けが増えた。
しかし、どこかが引っかかっていた。
ゆっくりとした違和感が、胸の奥にあった。
これは本物ではない、という感覚。根のない木が、ただ高く伸びているような、そういう不安。
仲間の中でも、意見が割れるようになった。
「行けるうちに行かんでどうする。こんなチャンスはない」という者と、「急ぎすぎたら足元をすくわれる」という者。譲は後者だったが、声の大きいのは前者だった。
バブルは崩れた。
あっけなかった。
あれほど激しく燃えていたものが、気づけば煙だけになっていた。
それが、平成の始まりだった。


3.  平成の大怪我
崩れた後のことを、譲は今でもあまり話したくない。
話したくない、というより、言葉にできない。あの数年間に起きたことは、感情の処理が追いつかないまま時間だけが過ぎて、今も胸のどこかに消化されずに残っている。触れると痛む場所が、人間の身体にあるように、記憶にも触れてはいけない部分がある。
ただ、書かなければならない。
あの時代を避けて通れば、桐島譲という人間の半分が欠ける。
平成三年、譲の会社は倒産した。
正確には、取引先の倒産に巻き込まれた。長年の付き合いがあった会社が、ある日突然、連絡が取れなくなった。何百万という売掛金が、煙のように消えた。そこから始まった資金繰りの悪化が、三ヶ月で会社を終わらせた。
急すぎた。
何かできることがあったはずだ、という後悔は今でもある。しかし当時の譲には、嵐の中で傘を探すような余裕しかなかった。
仲間に頭を下げた。
給料を払えない月があった。「気にするな」と言ってくれた者がいた。黙って去っていった者もいた。それはしかたなかった。責める気持ちにはなれなかった。みな、自分の生活があった。
借金が残った。
数字で言えばどれほどのものかは、ここでは書かない。ただ、途方もない、という感覚だけが残っている。毎月の返済のために、また別の仕事を始めた。今度は雇われる側になって、建設現場に出た。重い物を運び、汗をかく。二十代に戻ったような毎日だったが、身体はもう三十代後半になっていた。
その頃、結婚した。
順番がおかしい、と自分でも思う。こんな状況で家庭を持つことが正しいのかどうか、迷った。しかし、悦子は「一緒にいたい」と言った。それだけだった。言葉の少ない女で、言葉の少ない分だけ、重みがあった。
譲は「苦労させるかもしれん」と言った。
「してもいいから」と悦子は言った。
それきり、その話題は出なかった。
ふたりで貧しい部屋に住んで、少ない金をやりくりして、時々喧嘩をして、時々笑って、そうやって生きた。娘の明日香が生まれたのは、それから二年後だった。
借金を返し終わるのに、十年かかった。
その十年の間に、仲間の何人かが姿を消した。
連絡が取れなくなった者が三人いた。そのうちひとりは、後になって消息がわかった。北の方で別の名前を使って暮らしているということだった。理由は聞かなかった。聞いても何もできなかっただろう。
ひとりは死んだ。
浜田という男で、バブルの頃から妙に荒れていた。酒が増えて、目が据わるようになっていた。三十九歳の冬に、アパートの一室で見つかった。詳しいことは聞かなかった。聞けなかった。
浜田の葬儀は、簡素だった。
身内も少なく、仲間が集まって、黙って線香をあげた。誰も何も言わなかった。ただ、泣いた者が何人かいた。譲も泣いた。声を出さずに泣いた。
帰り道、ひとりで歩きながら、譲は空を見上げた。
冬の大阪の空は、白くて低かった。
「なんで先に行くんや」
言葉が出た。
答える者はいなかった。
平成という時代は、譲にとって痛みの時代だった。高度成長の夢が終わり、バブルの幻が消え、残ったのは借金と喪失と、老いていく身体だった。それでも、生き延びた。
倒れなかった理由は、自分でもよくわからない。
意地、と言えば格好がいい。でも意地というより、他に選択肢が思いつかなかっただけかもしれない。立ち止まって考える余裕がなかっただけかもしれない。
ただ、生きた。
それだけは確かだ。


4.  残された者たち
令和になってから、訃報が増えた。
同世代の者が死ぬ。知らせが来るたびに、何かが欠けていくような気がする。欠けた部分は埋まらない。ただ、空洞として残る。
半年ほど前、谷口が死んだ。
小学校の時、最初に喧嘩した、あの谷口だ。それからの数十年、年に数回会う仲が続いていた。直接会わない年もあったが、つながりは切れなかった。
膵臓の癌だった。
見つかってから、五ヶ月しかなかった。
知らせを受けた時、譲はすぐに病院へ行こうとした。しかし谷口の家族から「本人が会いたくないと言っている」という連絡があった。
理由は聞かなかった。
谷口らしいと思った。弱った姿を見せたくなかったのだろう。最後まで強がりだった男だ。
葬儀には行った。
白い顔の谷口を見て、譲は不思議と泣けなかった。涙が出なかったのではなく、涙を超えた何かがあった。長い時間をかけて積み重ねた記憶の重さが、悲しみより先に来て、ただ静かに立っていることしかできなかった。
帰り道、また川を歩いた。
水面を見ながら、小学校の頃の谷口の顔を思い出した。鼻の下に泥をつけたまま「すまんかった」と言いに来たあの顔。それから、少しずつ老いていく谷口の顔。最後に会った二年前、居酒屋で飲んだ夜の顔。
笑っていた。
くだらない話で笑って、「また飲もうや」と言った。
その「また」が来なかった。
人生で一番恐ろしいのは、「また」が来ないことだ、と譲は思う。別れ際の「また」が、すべての「また」のうちの最後になることが、事前にはわからない。だから人は気軽に「また」と言う。
もし最後だとわかっていたら、何を言っただろう。
譲は考えた。しかし、答えは出なかった。きっと、わかっていても同じことしか言えなかっただろう、と思う。言葉などというものは、大事な時ほど出てこないものだ。
浜田、谷口、それから名前を挙げれば何人もいる。
先に逝った者たちの顔が、夜になるとよく浮かんでくる。
目頭が熱くなる。
次の言葉を探そうとするが、うまい言葉は見つからない。言葉で表せるようなものではない、この感覚は。ただ、熱くなった目をそのまま閉じて、しばらく暗闇の中にいる。
それで十分だ、と譲は思うようにしている。
言葉にしなくてもいい。泣いても笑っても、伝わらない相手に向けて、心の中で話しかけるだけでいい。
「元気でやってるか」
声に出さずに言う。
答えは返ってこない。
でも、どこかで聞いていると思う。そういうことを信じるような年齢になった。


5.  言葉と沈黙
譲がSNSを始めたのは、娘に勧められたからだった。
「お父さん、文章書くの好きやろ。日記代わりに書いたらええやん」
娘の言葉は正しかった。譲は昔から文章を書くことが嫌いではなかった。日記はつけていた時期もある。考えていることを言葉にすると、頭の中が整理される感じがあった。
しかし、SNSは違った。
最初の一週間は、試しにいくつか書いた。日常の小さなこと、川の景色のこと、昔の記憶のこと。するとすぐに「いいね」がついた。知らない人からのコメントが来た。
それが怖かった。
怖い、というのは正確ではないかもしれない。不思議な、という感覚が近い。書いた瞬間に、見知らぬ人の目に触れる。世界のどこかに届く。自分の言葉が、自分の手を離れた瞬間に、自分のものではなくなる。
言葉は、相手を選ぶべきだと思っている。
誰に向けて話すかによって、言葉の形は変わる。仲間に言う言葉と、見知らぬ人に言う言葉は、同じであってはならない。そういう感覚が、譲には強くある。
酒の席で仲間に言う言葉は、荒くて、直接的で、感情的だ。しかしそれは、相手が自分を知っているからこそ通じる言葉だ。文脈がある。歴史がある。
SNSには、文脈がない。
歴史のない場所に、生の言葉を置けば、どう読まれるかわからない。善意が悪意に変換されることもある。冗談が本気に取られることもある。
「口は災い」という言葉を、譲が意識するようになったのは、三十代の頃だ。
ある時、何気なく言った言葉が人を傷つけた。
相手は笑って聞き流してくれたが、目が笑っていなかった。後でそれを知って、譲は長い時間、後悔した。言葉は刃物だ。一度出たものは、引っ込められない。
それからは、何かを言う前に、一度頭に戻すようにした。
口に出る前に、もう一度考える。これは今、言うべきことか。言うべき場所か。言うべき相手か。三つの問いを経て、それでも言うべきだと思った時だけ、言葉にする。
不便だと思ったことはない。
むしろ、余計なことを言わなくて済むようになった。
しかし、SNSという場所では、そういう一拍が機能しない。書いたら出てしまう。一瞬で広がる。削除しても、どこかに残る。そういう恐ろしさがある。
譲はアカウントを消した。
娘には「やっぱり向いてへんわ」とだけ言った。
それ以上の説明はしなかった。するべき言葉が見当たらなかった、というより、説明することで何かが失われる気がした。
沈黙は、言葉の敗北ではない。
言葉が不要な時に黙ることは、言葉を大切にすることだ、と譲は思っている。


6.  数人だけの宴
月に一度、集まる。
場所はいつも同じ、十三の路地裏にある小さな居酒屋だ。カウンターが六席あるだけの店で、暖簾をくぐると大将がいつも「よう来たな」と言う。それだけで十分だ。
集まるのは四人。
長谷川、森田、岡本、それと譲。
全員が六十代で、全員が昭和の時代に何らかの形で苦労してきた。仕事の種類もそれぞれ違う。今やっていることもばらばらだ。長谷川はまだ現役で小さな工務店を回しており、森田は数年前に引退して盆栽に熱中している。岡本は病気をしてから身体が弱く、月に一度の宴が外出のほぼすべてだという。
共通しているのは、くだらない話ができることだ。
深い話をしようとは、誰も思っていない。人生について語り合おうとか、老いをどう受け入れるかを議論しようとか、そういうことは一切ない。ただ、飯を食い、酒を飲み、くだらないことで笑う。
それだけだ。
先月、長谷川が「最近、孫が来てな」という話を始めた。
「なんや、孫がおったんか」と森田が言った。
「おるわ、知らんかったんか」
「知らんかった」
「おまえ、わしのことなんも知らんな」
「六十年の付き合いで今更」
そういう会話が延々と続く。意味はない。どこにも行き着かない。しかし、その無意味さが心地いい。
目的のない会話を、かつては無駄だと思っていた。
若い頃は、会うたびに何かを決めなければならなかった。段取りを決め、金の話をし、次の一手を考える。飲んでいても頭のどこかは仕事をしていた。
今は違う。
ただ、ここにいる。それだけでいい。
岡本が少し咳をした。
誰も聞こえないふりをした。聞こえていないのではなく、聞こえないふりをした。岡本の身体のことは全員が知っている。しかし、その話題には触れない。触れることで何かが変わるわけでもなく、触れない方が岡本が楽だということを、みなわかっている。
言葉にしなくてもわかる、ということが、長い時間をかけて育つ。
若い頃のような激しい感情のやり取りはない。怒鳴り合うこともない。主張をぶつけ合うこともない。
ただ、静かに隣にいる。
それが、今のこの四人の関係だった。
大将が「今日はええ鰆が入ったで」と言った。
「食べる」と全員が言った。
それだけで十分だった。
夜が更けるにつれ、話題は昔のことになっていく。
あの頃はひどかったな、とか、あいつ今どうしてるんやろ、とか。名前が出るたびに、しばらく沈黙があって、また別の話が始まる。
笑うことも多い。
今となっては笑えるが、当時は本当につらかったこと。命がけだったこと。馬鹿みたいだったこと。それが時間の力で変換されて、笑い話になっている。
時間というのは残酷だが、親切でもある。
帰り際、四人で路地に出た。
夜風が冷たかった。
「来月もここでええか」と長谷川が言った。
「ええよ」と全員が言った。
それだけ言って、それぞれの方向へ歩き始めた。
譲は地下鉄の駅に向かいながら、振り返らなかった。
振り返らなくても、三人がそれぞれの方向へ歩いていることがわかった。
来月も、ここに集まれると思っている。
ただ、それが確かだとは言えない。岡本の咳が気になった。森田が最近やや痩せたことが気になった。しかしそれを口に出すことはない。
ただ、来月も集まれると思いながら、歩く。
その「また」を信じながら。


7.  またこの自分に
五月のある朝、譲は庭に出た。
小さな庭に、花が咲いていた。悦子が世話をしている花で、名前は知らない。白くて小さい花だった。
悦子は数年前から膝を悪くしていて、庭仕事がつらくなってきた。それでも毎朝、少しずつ手を入れている。譲がかわりにやろうかと言うと「あなたに任せたら枯れる」と言われた。それは正しいと思う。
朝の光の中で、白い花は静かに揺れていた。
美しい、と思った。
もう少し身体を大事にして生きれば、来年もこの花が見られるかもしれない。再来年も。その次も。令和がまだしばらく続くならば、もう少し生きてみてもいいかもしれない。
医者から「もう少し歩いてください」と言われて、川沿いを歩くようになった。タバコは五年前に辞めた。酒は少しだけ飲む。舐める程度に。それで十分だ。
若い頃のように何かを欲しいとは思わない。
今あるもので、十分だと思っている。
綺麗な女性を見れば振り返る。それは昔から変わらない。同世代の顔を見ると、なぜか安心する。年寄りには自然と心を開く。若い頃はわからなかったが、今はわかる。同じ時代を生きてきた人間には、説明しなくてもわかることがある。
男として生きることを、後悔していない。
激しく生きたことも、たくさん失ったことも、遠回りしたことも。それが自分という人間を作った。
もしも次の世があるとしたら。
また、この自分でいたい。
同じ失敗をして、同じ傷を負って、同じ仲間と飲んで、同じように笑って、同じように泣く。そういう人生をもう一度生きたい。
そして、同じ家族と。
悦子の顔が浮かんだ。明日香の顔が浮かんだ。
何も言わないが、そばにいてくれる。苦労をかけた。かけ続けた。それでも、ここにいる。
言葉にすれば角が立つことがある。SNSに書けば世界に広がる。そんな時代の中で、わずかな光を探しながら、さまよいながら、それでも歩いてきた。
前には誰もいない。
後ろにも誰もいない。
それでもいい。
誰かの後ろを歩くより、自分の足で歩く方が性に合っている。どんなに遠回りになっても、それが自分という人間だから。
庭の花が、また揺れた。
光が差している。
わずかだけれど、確かな光が。
譲はそれを見ながら、思うだけの日々を生きる。
激しく生きたあの頃を懐かしみながら
そこへと連れ添った連中の
今はなき笑顔に涙して
わずかでも穏やかに生きたいと 怒ることをやめ
聞きたくない話題には 耳を背ける
男として生きたことを
嬉しくも思い
もしも もしも
次の世があるのならば
またこの自分になりたいとも願う
そしてまた
同じ家族と過ごし
同じ生き方でと
思うだけの日々…

ー了ー


〜あとがき〜
本書の執筆は、私自身の内側にある「あの頃」との対話でもありました。
物語の主人公、桐島譲がそうであったように、私たちにはそれぞれ、誰にも語らぬ「大怪我」があり、今はなき友の「笑顔」があります。
「怒ることをやめ、穏やかに生きたい」と願いつつも、かつて激しく生きた自分を捨て去ることはできません。その矛盾こそが、人間が一生懸命に生きてきた証なのだと思います。
今、私の周りには言葉がなくとも通じ合える大事な数人がいます。同じ家族と過ごす日々があります。それ以上に贅沢な光が、どこにあるでしょうか。
もしもこの物語が、日々を彷徨うあなたの心に、わずかでも温かな光を灯すことができたなら、著者としてこれ以上の喜びはありません。

時代を生き抜いた男たちへ、そしてまだ生き続けているすべての人へ。
あの頃の笑顔を、忘れないために。

令和八年 四月
カトウかづひさ


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