昨晩
仲間から
年末の武道館
抽選 どの日にする? と
連絡があり
迷った末
すまんね
辞めとく… と返事をした
辞めとく?…
そう
もうね
矢沢に飽きてしまった…
とうとう
この日が来たようだ…
失礼を言えばね
昨今のCD
なにこれ? な…
そう
そこにもやはり
老いはあって
また
僕の感性も変わってしまった
ライブもまた然り
ここんとこ
毎度 同じライブにしか
見えない
更には
高騰するチケット代に
こんな早くからの抽選
キャロルから
リアルタイムで追い掛けて来て
ならば
その最後まで見届けようかと
思って来たけれど
どうやらそれは
本人よりも
こちらが先なようだ
この国 唯一の
スーパースターも76歳
そろそろかと思ってみる
やはり
僕が好きだったのは
時間よ止まれ の78年の夏がピークで
その時代の曲と共に
時間は衰え出したようだ
アスリートのように
ピークで
去った方がカッコイイのに…
失礼…
フィクション
時間よ止まれ ーある男の告白 ー
〜プロローグ〜
スマートフォンの画面が光った。
午後十一時を過ぎた頃、田村 誠一は風呂上がりのビールを片手にソファに沈んでいた。五十八歳。どこにでもいる、疲れた中年男だ。
メッセージの送り主は幼馴染の竹内 浩二。
「誠一、年末の武道館、抽選どの日にする? 俺は12月28日がいいんだけど」
矢沢永吉の武道館ライブ。毎年恒例の行事だ。田村は二十代の頃から、かれこれ三十年以上、この男と一緒に通い続けてきた。
だが今夜、画面を見つめながら、田村の指は止まった。
返信しなければ。わかっている。でも、何かが胸に引っかかって、どうしても文字を打てない。
ビールを一口飲んだ。喉が鳴る。
テレビは消えている。部屋は静かだ。
田村は天井を見上げた。
──もしかして俺、永ちゃんに飽きてしまったのか。
その言葉が頭の中に浮かんだとき、自分でも驚いた。そんなはずがない、とすぐに打ち消そうとした。しかし打ち消せなかった。
静かな夜に、その問いだけがずっと残っていた。
〜キャロルとの出会い〜
田村が矢沢永吉を知ったのは、小学六年生の夏だった。
兄の部屋から聞こえてきたのだ。ドアを開けると、兄は仁王立ちでギターを弾くふりをしていた。レコードから流れてくる音は、田村がそれまで聞いたことのないものだった。
キャロル。
「ファンキー・モンキー・ベイビー」のイントロが鳴り出した瞬間、田村の体に何かが走った。電気のようなものが、つま先から頭のてっぺんまで一気に駆け抜けた。
「なんだこれ」
兄が振り返った。
「矢沢永吉だよ。かっこいいだろ」
かっこいい。その一言では足りなかった。田村には、それを表現する言葉がなかった。ただ、何か大事なものに触れた気がした。
その夜、田村は布団の中でずっとメロディを口ずさんだ。眠れなかった。こんな音楽が世の中にあったのか、という興奮と、これをもっと聞きたいという飢えで、胸がいっぱいだった。
中学に上がると、田村は小遣いを貯めてキャロルのレコードを買い集めた。
リアルタイムではなかった。キャロルはすでに解散していた。田村が聞いたのは、すべて過去の記録だ。それでも構わなかった。音楽に時代は関係ない、と子供ながらに思った。
矢沢永吉はその後ソロになった。
田村が初めてソロの矢沢を見たのは、高校一年のとき、竹内に誘われてテレビで見た武道館ライブの録画だった。
真っ白なスーツ。マイクスタンドを引き倒すパフォーマンス。万単位の客が一斉に白いタオルを振り回す光景。
「なんだこれ」
また同じ言葉が出た。
田村は震えた。これが生で見たいと、初めて本気で思った。
〜七八年の夏〜
田村が「時間よ、とまれ」を初めて聞いたのは、一九七八年の夏だった。
高校二年。十六歳。
ラジオから流れてきたとき、田村は自転車に乗っていた。信号が赤に変わった。止まった。そのまま動けなくなった。
曲が終わっても、しばらくペダルを踏めなかった。
なんだこの歌詞は。なんだこのメロディは。
大人になるということは、いつか何かを失うことだ、と歌っていた。少年のまま、このまま、どこへも行きたくない、と歌っていた。
十六歳の田村には、それが全部わかった。いや、わかった気がした。まだ何も失っていないのに、いつか失うことへの恐怖は、もうそこにあった。
あの夏の夕暮れ。信号の前で、自転車にまたがったまま、田村は少し泣いた。なぜ泣いているのかわからなかったが、泣かずにはいられなかった。
その年の暮れ、田村は初めて矢沢永吉のコンサートに行った。竹内と二人で、当時住んでいた大阪から夜行バスに乗って武道館まで。
入場したとき、田村は圧倒された。これだけの人間が一つの人間を見るために集まっている。それだけで、もうすごいことだと思った。
矢沢が登場した瞬間、会場の空気が変わった。物理的に変わった、と思った。気圧が変わったような感覚だった。
「時間よ、止まれ」が流れ始めたとき、田村の目に涙が滲んだ。あの夏の夕暮れが戻ってきた。自転車の前で止まったあの瞬間が。
コンサートが終わって外に出たとき、田村は竹内に言った。
「また来年も来よう」
竹内は笑った。
「もちろんだろ」
そこから、二人の年中行事が始まった。
〜三十年の積み重ね〜
就職し、結婚し、子供が生まれ、そして離婚した。
田村の人生は、いくつかの場面で大きく揺れた。それでも毎年、武道館には行った。
三十代の頃、仕事で大きな失敗をして、会社に居場所を失いかけたときも、その年の暮れ、竹内と二人で武道館のあの場所に立った。矢沢が「A DAY」を歌い始めた瞬間、田村は馬鹿みたいに泣いた。
なぜ泣くのかわからなかった。でも泣いた。
四十代で離婚したときも、武道館には行った。一人で行こうかと思ったが、竹内が「俺も行く」と言ってくれた。二人でビールを飲んで、コンサートが終わって、夜の東京を歩いた。
「矢沢ってすごいな」と竹内が言った。
「何が」
「いつ見ても同じだろ。変わらない。ずっとかっこいいまま」
田村は頷いた。変わらない、というのは、この年になると特別な意味を持つ。誰もが何かを失って、丸くなって、妥協していく。なのに矢沢はステージに立ち続けている。
それが羨ましくもあり、眩しくもあった。
五十代になると、田村の体はあちこちガタが来た。膝が痛い。腰が重い。それでも毎年立ち続けた。
コンサートの後半になると、足が疲れてくる。でも座るわけにはいかない。周りが全員立っているのに、自分だけ座るのは矢沢に失礼だと思っていた。
いつからそんなことを気にするようになったのか。若い頃は何も考えずに立っていたのに。
加齢、というのは、本人が気づかないうちに進行していくものだ。
〜違和感〜
最初に違和感を覚えたのは、三年前のコンサートだった。
アルバムに新曲が入っているのは知っていた。ライブでもその曲が演奏された。
聞きながら、田村は思った。
──なにこれ。
悪い曲ではない。むしろ完成度は高い。プロが作った、きちんとした音楽だ。でも、どこかが違う。田村が矢沢に求めていた何かが、そこにはなかった。
何が違うのか、うまく言葉にできなかった。ただ、胸に響かなかった。
コンサートが終わって竹内と飲んでいるとき、田村は言えなかった。
言えなかったのは、竹内が「今日の新曲、よかったなあ」と言ったからではない。田村自身が、その感覚を認めたくなかったからだ。
矢沢の曲に感動できなくなった、というのは、自分の感性が鈍ったということではないか。それは老いではないか。
そう思って、田村は黙って飲み続けた。
二年前もそうだった。去年もそうだった。
ライブの構成も、どこか見慣れた感じがしてきた。同じ曲を同じ順番で、同じ演出で。もちろん細かい違いはある。でも田村には、毎年少しずつ同じものに見えてくる気がした。
矢沢が変わったのか。
それとも、田村が変わったのか。
どちらでもあるような気がした。そしてどちらでもあるとしたら、止められるものではない。
〜その夜の返信〜
田村はもう一度スマートフォンを手に取った。
竹内からのメッセージ。「12月28日がいいんだけど」
田村は長い間、画面を見つめた。
行きたいのか、行きたくないのか。
正直に言えば、どちらでもなかった。義務感もない。でも「行きたくない」と言い切る気持ちもない。ただ、去年のライブを終えたとき、「来年また来よう」という気持ちが、自然には湧いてこなかった。それだけだ。
田村は文字を打ち始めた。
「すまんね、今年は辞めとくわ」
送信した。
しばらくして、竹内から返事が来た。
「え、まじか。どうした? 体でも悪いの?」
田村は少し迷ってから、正直に打った。
「なんか、飽きてしまった気がして」
竹内からの返事は、しばらく来なかった。
五分ほど経って、こう来た。
「そっか。まあ、しょうがないかもな」
その一言が、田村には意外だった。責めるでも、慰めるでもなく。ただ、受け入れた。
田村はもう一度打った。
「お前は行くの?」
「行く。でも正直、俺も去年ちょっと思ったわ。同じこと」
田村は、少し笑った。
そうか。竹内も感じていたのか。
何かが、すとんと落ちた気がした。
〜七十六歳のスーパースター〜
矢沢永吉は七十六歳だ。
田村はそれを思うとき、ただ敬意を感じる。七十六歳で、あれだけのステージをやり続けている。それは本物だ。
ただ、だからといって、田村が感動しなければならない義務はない。
長い間、田村はそこを混同していたかもしれない。矢沢を尊敬することと、矢沢に感動することは、別のことだ。尊敬したまま、感動しなくなることは、ありうる。
あるいは、田村が求めていたものが最初から矢沢ではなく、あの七八年の夏の自分自身だったのかもしれない。
十六歳の、信号の前で泣いた自分。
あれは矢沢永吉に感動したのではなく、あの曲がたまたま、田村の中にある何かを解放したのかもしれない。
音楽とはそういうものだ。曲そのものに価値があるのではなく、それを聞いたときの自分の状態が、その瞬間を作る。
田村はもう十六歳ではない。何かを失うことへの恐怖を、もうとっくに通り過ぎてしまった。実際にいくつかのものを失った。仕事の意欲。結婚。若さ。
失ってみれば、それほど大したことではなかった。失うことへの恐怖の方が、実際の喪失より大きかった。
「時間よ、止まれ」は、もう田村に刺さらない。
なぜなら、田村はもう時間を止めたいとは思っていないからだ。
〜キャロルから追いかけてきて〜
田村はビールを飲み干して、缶をテーブルに置いた。
キャロルから。リアルタイムではなかったが、兄の部屋のレコードから始まって、ここまで来た。
何十年だろう。軽く四十年は超える。
その間に、矢沢も変わった。田村も変わった。日本も変わった。
チケット代が高騰した。抽選が早くなった。コンサートの演出が巨大になった。それに伴って、昔とは違う客層も来るようになった。
かつて武道館の外でたむろしていた、斜に構えた革ジャン姿の兄ちゃんたちはもういない。今は整然と列を作って入場する、おじさんとおばさんたちがいる。田村もその一人だ。
それが悪いということではない。ただ、変わった。
矢沢は最後まで現役でいるつもりなのだろう。それはそれで美しいことだ。七十六歳で、まだステージに立てる体と気力を持っていること、それ自体がすごい。
ただ、田村は思う。
アスリートは、ピークで引退した方がかっこいいと言われる。それは音楽家にも言えるのかもしれない。でも音楽家は、引退のタイミングが難しい。体が動く限り、声が出る限り、ステージに立てる。
それは自由でもあり、呪縛でもある。
矢沢が一番かっこよかったのは、田村にとってはあの七八年の夏だ。それは田村の問題であって、矢沢の問題ではない。
矢沢はずっとかっこいい。ただ、田村にとっての「かっこいい」の基準が、あの頃の矢沢で止まってしまっているのだ。
〜本人よりも先に〜
「どうやらそれは、本人よりもこちらが先なようだ」
田村は、さっき自分の頭の中で思ったことを、もう一度なぞった。
矢沢を最後まで見届けようとしていた。なのに、先に田村の方が降りてしまった。
笑えるような、笑えないような話だ。
でも、これもまた一つの人生の区切りだろう。
三十年以上続いた習慣が終わるとき、そこには必ずわずかな悲しみと、わずかな解放感がある。
田村は窓の外を見た。夜の住宅街。街灯が一つ、ゆらゆらしている。
これからどうするのか。年末の予定が一つ空いた。
別にどうもしなくていい。ゆっくり過ごせばいい。家で本を読んで、酒でも飲んで、好きな音楽を聞けばいい。
好きな音楽。
田村は立ち上がって、古いCDラックに向かった。ほとんど忘れていたが、そこには昔のキャロルのベスト盤がある。矢沢のソロが出る前に聞いていたやつ。
引っ張り出して、CDプレーヤーに入れた。まだ動くかと思ったが、動いた。
「ファンキー・モンキー・ベイビー」のイントロが流れた。
田村は目を閉じた。
兄の部屋の、あの音が戻ってきた。
〜エピローグ〜
翌朝、竹内からメッセージが届いた。
「一人で行くのも何だから、別の友達誘ってみる。でもまた飲もう、年末に」
田村は返信した。
「もちろん。飲もう」
それだけで十分だった。
武道館がなくなっても、竹内との関係が消えるわけじゃない。矢沢永吉への気持ちが薄れても、あの七八年の夏は消えない。
好きだったものを好きでなくなることは、裏切りではない。
それもまた、時間の流れの中で起こる、自然なことだ。
その夜、田村はまたCDをかけた。
「時間よ、止まれ」が流れ始めた。
今度は、泣かなかった。
ただ静かに、聞いた。
それで良かった。
──了──

