第一章:赤いスイングトップの亡霊

先輩からの電話を切った後、
私は棚の奥から一枚のDVDを引っ張り出した。

『ジャイアンツ』。

画面の中で、
若き日のジェームス・ディーンが、
テキサスの乾いた大地に杭を打っている。

反抗的な視線、
少し丸まった背中、
そして影のある微笑。



「あいつ、今どうしてるかな」
先輩の言葉が耳の奥でリフレインする。

あいつ――ジミー。

本名ですらなく、ただその風貌が映画スターに似ていたというだけで、私たちは彼をそう呼んでいた。



時計の針を45年巻き戻す。
場所は表参道。歩道橋の影が斜めに伸びる午後だった。

当時、私たちは「サーファー」という記号の中にいた。潮焼けした髪にビーチサンダル、ゴッデスのTシャツ。それが正解だと信じていた。

そんな私たちの波を切り裂くように現れたのが、彼だった。

すれ違いざま、仲間の肩が彼に当たった。
振り返った男は、燃えるような赤のスイングトップを羽織っていた。

足元はラバーソール、リーゼントにはクリームソーダのポマードが厚く塗られ、べっ甲の櫛がバックポケットから覗いている。

「おい、どこ見て歩いてんだよ」
斜に構えた仲間の言葉を、彼はクォーター特有の彫りの深い顔立ちと、冷ややかな瞳で受け流した。

その瞬間、私は錯覚した。スクリーンの裏側から、ジミーが原宿に迷い込んだのではないかと。

「待てよ、お前……いかしてんな」

思わず口をついて出た言葉が、凍りついた空気を溶かした。同じ大学、同じ学部。そんな奇妙な縁が、水と油だったはずの私たちを繋ぎ合わせた。


第二章:脱皮と冒険

彼は美しかった。冬になればボロボロの古着の革ジャンを羽織り、ドラマ『傷だらけの天使』のショーケンのように、孤独を纏って歩いた。

私たちはどこかで彼に憧れ、彼もまた、どこか居場所を探しているようだった。

変転が訪れたのは、ある蒸し暑い夏の夜だった。

「海へ、連れてってくれないか」
ジミーが言った。

「無理だぜ、その格好じゃ」
仲間の一人が笑い飛ばしたが、彼は真剣だった。

翌日、待ち合わせ場所に現れた男を見て、私たちは言葉を失った。

ポマードを洗い流し、律儀に六四分けにされた髪。クリームソーダの開襟シャツはサーフTシャツに変わり、足元は履き慣れないビーチサンダル。

「……笑うなよ。この姿になるには、捨てるものが多すぎたんだ。一種の冒険だよ」

彼は照れくさそうに笑った。
それは、映画の中の孤独な青年が見せることのなかった、あまりにも無防備で、人間臭い笑顔だった。


第三章:鵠沼の異邦人

週末の鵠沼海岸は、見渡す限りの人だかりだった。
私が貸したシーガルのウェットスーツを着た彼は、波打ち際でひどく場違いに見えた。

肌は青白く、まるで強い太陽の光に溶け出してしまいそうなほど、儚げだった。

「ロングボードなんてダセえよ」
ショートボード全盛の時代。

けれど、初心者の彼のために仲間がどこからか大きな板を借りてきた。
波は容赦なかった。

彼は何度も何度も波に巻かれ、鼻から海水を吸い、板に弾き飛ばされた。それでも彼は諦めなかった。

週末ごとに、彼は「重たいお荷物」として私たちの車に乗り込んだ。
夏が深まるにつれ、彼の肌は褐色に焼け、髪は海水と太陽で脱色されていった。

気がつけば、原宿で踊っていたロックンローラーの面影は消えていた。
リーゼントを形作っていたプライドも、ジェームス・ディーンへの執着も、湘南の波がすべてさらっていったかのようだった。


第四章:Too Fast to Live, Too Young to Die

卒業式。
謝恩会の喧騒の中、彼は私たちに近づいてきた。
髪は肩まで伸び、すっかりサーファーの顔になった彼は、明日には田舎へ帰り、実家の仕事を継ぐことになっていた。

彼は遠くを見るような目で言った。
「俺さ、原宿に来れば、誰かになれると思ってたんだ。ジミーとか、誰かカッコいい奴に。
でもさ、海でお前らに会って、板の上で何度もひっくり返って……ようやく自分になれた気がするんだ」

謝恩会の終わりに
私に近づいて来て

「ありがとな」
彼は短く言った。

「何が?」 と
とぼけた僕だった…

ジェームス・ディーンになれなかった。

スターのような劇的な死も、銀幕の伝説も彼には訪れなかった。
彼はただ、憧れを捨て、等身大の自分を受け入れて、潮風の香りを手土産に故郷へと帰っていったのだ。

テレビの画面では、スタッフロールが流れている。
友達の話では、彼のその後は「良くなかった」らしい。事業の失敗か、病か、あるいはもっと別の何かか。
けれど、私の記憶の中の彼は、今もあの夏の鵠沼にいる。

"Too Fast to Live, Too Young to Die"(生きるには速すぎ、死ぬには若すぎる)。

伝説の男が遺したその言葉は、彼には似合わない。
彼が最後に残した「ありがとな」という言葉と、あのひどく不器用な笑顔。

それさえあれば、あいつの人生は、決して「良くなかった」なんてことはないはずだ。
私はそう信じて、

静かにDVDをケースに戻した。