サンタモニカを知ったのは
紛れもなく
桜田淳子さんの曲で


それでも
そんな場所があるのかと
ただそれだけだった

ガキの頃
僕たちが憧れたアメリカは
カリフォルニアだったわけで

それも
サンタモニカを中心に広がる
海沿いの街

空は青く
温暖で
毎日が晴天

その多くの情報源は
やはり
雑誌 ポパイで

ローラースケートに
ウォークマン
金髪美女は
ドッキューン バッキューンな
ボディ

そりゃ
行きたくもなるでしょ!


40年前
カリフォルニアを目指したのは
紛れもなく
カレンカーペンターと
夕子さんの曲があったから

それまでは
70年代に間に合えば
どこでも良いと思っていたほど
アメリカには無知だった

しかし
70年代には間に合わず
83年となってしまったけれど

70年代の匂いは
まだわずかに残り
カレンには間に合わなかったけれど
その頃に始まった
MTVが賑わい出していた

まさにそこは
カリフォルニアトラベルで

🎵 オレンジ一杯
  両手に抱えて
  ここはアメリカ 🎵


海岸へと出れば
空は青く
目の前に広がる海は
更に青く

目が合えば
Hello! なんて微笑む
金髪美女たちは
それはとても美しいけれど

残念ながら
東洋人から見ると
その青い瞳は表面だけで
心が通じない氣にもさせる

それはその後
ぱふを選んだ時も
瞳は必ず黒でなくてはと
そんな拘りがあった


思い切って
勇気を出して
May I ask your name please?
なんて
知ってる限り丁寧な言葉で
その金髪美女の名前を尋ねたけれど

ニヤリと微笑んで
What your name? でOKだなんて
囁かれた

聞き出せた名前は
ミッシェル

そうだ
ビートルズのあの曲だ

でも
そこから先の進展はなく
May I take your pictures? なんて
with me OK? だなんて

そんな
おバカな時代

でもでも
おかげで
そんな思い出の1枚が
今まだここにある  笑

もう会えるはずはないが
会えたところで
パンッ!と 破裂したはずのボディ
姿は変わり
分かるはずもない  失礼

そう
白人女性たちは
大人になると
なぜゆえか
倍の倍
更に倍にも膨らんで これまた失礼

20年前
我が家にステイしたアメリカ娘たち
3人共にそんなだから
やはり食事なのだろう


さて
昨日のルート66の夢は
まさか今頃と思うアメリカで

ご存知のとおり
そのルート66のスタート地点は
この サンタモニカピア

そう
そこからてくてくと
下道を走れば シカゴへと着く

距離にして3755キロ
急いでも10日
ゆっくりなら
ひと月

旅してみたいと
今まだ思っているが
もしかすると
次の世に持ち越しかもしれない

♯563


さて
今朝もまた
そんな夢が現れた

当時の彼女と
サンタモニカの桟橋を歩いていると

やはり
ここは銃社会
銃の乱射に巻き込まれ
桟橋に伏せた

そうだ
あの頃
ベニスビーチでの銃声で
慌てて伏せた記憶

結構
危ない目にあってる自分
あの国に残ってたら
きっと今はない

僕もまた
なぜか銃を持っていて
気分はダーティーハリー

このマグナムで
退治してやる だなんて
よせば良いのに
走り去る犯人を追い掛けて

すると
桟橋から出て左へと走り
少しして右へと

おや
その辺りは
確か先輩のアパートだったような

そう
その先輩は
若くして親からの莫大な相続をし
また
フィリピン人のカミさんと別れ
息子を連れて
アメリカへ移住したばかり

こりゃ
一見華やかだけど
ちょいと物騒な場所だったかと
思っていたら
またもや銃声がして

振り向けば
乱射してるのは
先輩の息子

こいつは困った
撃つわけにはいかん

そう思った瞬間
撃たれた

左腕か
痛みが走る

さてどうする
でも仕方ない
撃つか!

引き金を引いてしまった
弾はスローモーションで飛んで行く

息子をかばうように
先輩が現れた

2人共
撃ち抜いてしまったか?

大丈夫だ
防弾ジョツキを着ていた

良かったと思ったら
左腕の激痛に襲われ
そこで目が覚めた

そうだ
しばらく出なかった
左腕の痛みだ

暑さと疲れか
でも
良かった と思った


さて
本日は
鬼の霍乱

この週末
奥会津へと
釣りに出掛ける予定でいたら

久々に
風邪などをひいたらしく
ひとり寝込んでいる

少し落ち着けば
起きて
落書きでもと思ってみるが
熱が下がらない

仕方なくも
そろそろ齢かと
認めねばならんようだ…