幕末は清河八郎が幕を開け

坂本龍馬が閉じた と

司馬遼太郎は言ったそうな…


浪士組を率いて

善次郎たちと共に
江戸から京都まで出掛け

更には
それは偽りと演説し
江戸へと戻った直後
幕府に暗殺された男


浪士組


そう
京都へ残った者たちが
新撰組となり
彼がいなかったならば
歴史は大きく違っていたはずと

そんな歴史の流れに気付き
彼の眠る傳通院から
わずかづつ
彼らの足跡をと
中山道を歩き始めた160年後の今

険しいその街道沿いには
すでに多くは残っておらず
それでも
何かがあるはずと
彷徨ってみる子孫



それが
一昨日の草津にもあって
湯畑の柵に刻まれた
ゆかりある100人に
清川八郎の名があって驚いた

ここは
中山道からは遥かに外れた地
しかも
かなりの高地

湯治に来たのだろうか?
それとも
やはり潜行中にだろうか?



徳川吉宗は
ここの温泉の湯を
江戸へと運ばせたというから
草津の湯は本物なのだろう


まさか
この齢にもなって
歴史を訪ね歩くとは
思ってもみなかったけれども

それが
立派な先祖とあらば
もしや
子孫の中で
選ばれたかな? とすら思い

残る持ち時間の中
更なる子孫たちへと
わずかでも告げたいと
歩き周る日々

今まだ多くは
見つからないが
浪士組の子孫だと話すと
どこの宿場町でも
歓迎して下さる

それだけ
歴史の中で
大きな通過点となったのだろう

そして
そのタイミングが
僕の還暦と偶然一致し




更には
160年閉じていた
清川八郎が
浪士組を集め演説した京都の寺も
昨年 
わずかな期間だけ開かれた

もしや
それを知っての知らせかとすら思い
慌てて駆け付けたその寺の住職もまた
ようこそ
お待ちしておりましたと微笑む

ふと思い
僕の後ろに
何かが見えますか? と尋ねると

いえいえと
微笑んでいたのは
やはり
見えていたのだろう

温故知新と言うけれども
今日のすべては
そこから始まったような

玉響たちもまた
そこへと加勢したような

本当が分かることは
あるのだろうか