昨今
不思議かな
撮れば必ず玉響たちが映り込む

それは
どこでもでと言うよりも
きっと
撮りたいと思って
撮った場所だけなのかも
しれないけれど…




そう
ここは
撮っておこうと
なぜか思う場所があって

それも
パチリではなく
動画でと

もちろん
撮りながら
玉響たちを確認出来ることもあれば

後から
見直してみると
いたいた みたいなことも

それらは
大抵 速いスピードで飛び
玉響の姿は
球体ではなく
棒状として残る

ならば
スローで撮ればと思うが
それでも
棒状に尾を引くから
肉眼では確認出来ないくらい
一瞬で過ぎ去るスピードなのだろう

すると
昨今 思い始めたのは
その玉響たちがいた場所は
正しい場所で
信じられると言うこと

特に
社寺仏閣などでは
撮ればもちろん
映り込むわけだから

その多くは
失礼ながら本物であり
手を合わせたならば
その心は
きっと伝わっているはずと
思っている





一昨日は
人影なき山の神社を通り
ちょいと気になって
ではと
一礼し手を合わせた

気になったと言うことは
やはり
居るよね なんて撮ってみると

そっと
その姿は映り込んで
ここは大丈夫と
微笑んでみた




すれば

失礼ながら逆を言えば

ここには居ないかもと

そう感じる場所もあって


それは

どんなに綺麗でも

どんなに立派でも

撮っても映り込まない

そんな

社寺仏閣もあるわけで…


まことに失礼