昨日は
祖父の命日で

仕事を早めに切り上げて
夜の自由が丘の前にと
実家の墓所まで急ぎ足

誰かお参りに来てたら良いなあと
思いながらも
親父の兄弟たちは
皆 そろそろ齢で
また遠方ばかり

ならばと
その分 僕がとの想いが強いのは
やはり本家の長男なる立場ゆえ

着けば
まだ来たばかりの花は飾られ
燃え尽きたばかりの線香の跡

親父かな
お袋とだよな と
嬉しくなって手を合わせた



5月17日は
親父の誕生日の翌日

忘れるはずもないその日は
きっと朝1番で来たのだろう

墓所を確認すれば
すでに51年もが過ぎて
小学生だった僕には
多くの記憶は残っておらず

あの晩
一族たちが当時の実家へと集まり
意識のないおじいちゃんを
見守っていたっけ

残念ながら
物心が付いた頃
すでにおじいちゃんはヨイヨイで
あまり話しが出来なかった

そう
酒好きで
甘党ときたら
やはり
病を背負うこととなる

更には
カミさんを2人も亡くし
その子供も2人なんて
頑固一徹な鍛冶屋職人も
心を紛らわすが為に
身体を粗末に使ったのだろう

今となっては
その気持ち
痛いほど分かるから
僕もまた丁寧に一礼をする

善次郎から見れば
ひ孫となり
その英雄の血は
まだ濃く残っていたのだろうが

明治 大正 昭和と
その1番の激動の世の中を生きて
思っただけでも涙が出る

人生50年とはいえ
それでも
69歳の人生

酷使したわりには
丈夫な遺伝子だったのだろうか

仏壇の善次郎の位牌を見れば
72歳とある

そして
親父は
酒もタバコもやらずな92歳

僕にその遺伝子が
正しく繋がっていたならば
僕にもまだ
時間は残っているのかもしれない




先にと
立ち寄った本堂では
もちろん玉響は舞い
また
帰り際に立ち寄った
善次郎の神社でも
玉響たちは姿を見せてくれた



さて
例の体重計
以前
1度だけ出た

身体年齢 49歳なる表示から

それ以降
50歳51歳を行ったり来たり

でもでも
昨日は
朝も晩も
49歳と表示され

なんだか
嬉しいってわけだ  笑