若いラブラドールレトリーバーと
戯れていたその外人さんに
声を掛けたのは僕で
すっかり意気投合し
長話となった




先日の
アファンの森
ホースロッジでの
ピクニックイベントにと出掛け

ニックさんが残した馬たちは
元気かな と
そして
スタッフたちもまた
いかがかな と



ニックさんと同じ
心ある方々は
皆 笑顔で楽しそうに
家族と
友達と
穏やかな時間の中
天気にも恵まれて

さすがに
ニックさんが残した仲間たちは
外国人が多く

Jimさんもまた
アメリカの方

そこで
英語と日本語とが
半々に飛び交っていたのは
奥さまが日本人で
なるほどと
嬉しくなった




そのラブラドール
若そうですね と声を掛けると

まだ9ヶ月で
2ヶ月前に
岐阜のブリーダーさんからと
微笑んだ

それまでは
ジャーマンシェパードばかりを
飼っていたけれど
もう齢だから少し小さくと
ラブラドールを選んだと笑った

そうですか
でもこの国の犬たちは
皆 小型化して
ラブラドールでも

かなり大きいですよ



そう言いながら
スマホのぱふの画像を出し
僕はオーストラリアンシェパードを
失ったばかり
ほら 今日もこうして
首輪とロケットとを持ち歩いてと

すると
それはそれはと微笑んで
瞳はブルーではなく
ブラウンでしたねと
この犬種を理解していて驚いた

私の娘は今ロンドンにいて
昨年 会いに行ったら
ほらと
オーストラリアンシェパードと
フリスビーで遊ぶ動画を出して
この犬種は運動量が必要ですねと
微笑んだ

ぱふによく似たその姿に
僕もまた
フリスビーをする動画を差し出した




その娘さんは
コロンビア大学へと行き
あの頃は
年間3万ドルだった学費も
今では
10万ドルも掛かる時代だと
嘆きながらも



私は
最初 上智大学へと来たけれど
ちょうど
学生運動の最中
大学は封鎖され
授業を受けられなかったと

でも
レポートでなんとかなり
ラッキーだったが

その後帰国し
アメリカの大学へと戻ると
これまたベトナム戦争の影響が残り
何も出来ず
ほとんど勉強せずに
レポートだけで学士号を貰ったと

そして
奥さんは日本人となり
国務省へ入り
外交官として過ごし
リタイアすると
マイクロソフト社に呼ばれ
その後
慶應大学に呼ばれ
やっとリタイア出来たと

ニックとはもう
40年もの友達で

アメリカに帰る予定でいたが
9.11があり
また
昔 ニックに誘われて購入した
アファンの森の隣りの土地があって
ここに家を建て
終の住処としたと微笑んだ



そうだ
ここの土地は
農地ではなく
宅地は
今いくらだと思います? と問われ

坪1万円くらいですか と答えると
いえいえ
800円と苦笑いして
私が買った時はバブルの頃で
4000円もしたと

それを3000坪だからと
笑いながら
今なら難しくないから
どうですか と

そうですね
もちろんこの環境は素晴らしいが
僕は本家の長男
なかなかね と



そういえば
穏やかで吠えませんねと話すと
そうなんですよ
今まで1度も吠えたことがなくて
それが心配だと

まさか
声帯を取られてはいないかと
疑ってもいるが
あのブリーダーなら
それはないと思いたいと

更には
私は74歳で
ペットショップではもう
犬を譲って貰えないと嘆き

それで
岐阜のブリーダーまで出掛けたと

そう
この国では飼い主の年齢も
仕方なくも制限されるのは
安易に手放す方々が多い為で
保護犬の問題が付き纏う

70歳を越したならば
もしも
犬より先になんて場合を考え
その子供たち
後継者の同意がないとダメだと

彼が
ラブラドールが来て2ヶ月
お掛けでサボった身体が
2キロ減ったと

健康の為
長生きの為
彼が必要だったと微笑みながら
戯れ付く若いラブラドールを
愛おしそうに撫でていた

肩を痛めて1年ほど
ゴルフをしていなかったが
先週 久々に行けたと

スコアは良くなかったが
最終ホールで
バーディを取れたのもまた
彼のお掛けかと

そうそう
この近くには沢山 
安いゴルフ場があるから
いかがですか なんて


更には

この国でサボっているのは

どんな方か知ってますか と


いえ分かりませが と返すと

農家で米を作ってる方々だと


植えた後

多くの薬を撒き

それにより手入れせずに育て

後は刈るだけ


だから

この町で混んでるのは

パチンコ屋と

ゴルフ場だけだと笑った






ここは
東京へと通うにも
以前住んでいた鎌倉より近いと

大学へは新幹線ですぐと
ここから通っていたと笑った

先月は
リタイア後も大学から
50人にインタビューしてくれと
依頼が来て

それは今
ズームで出来る世の中で
わざわざ東京へと出掛けるよりも
早く出来たからねと



僕は
子供たちのラボで出会い
ニックさんとはもう30年と
一緒に撮った写真を出すと

これはいつの と問われ
亡くなる前の年
早稲田大学での
養老先生との講演会でしたねと

元気そうだが
病み上がりで痩せた顔ですねと

そうですね

残念ですね


これから森に行き
ほら このウイスキーをと

すると微笑んで
私も毎週 この犬と出掛け
本当は森に
犬を連れ込んではダメなんですが
私はアファン財団の理事だから
そっとね なんて微笑んだ

つい長話となり

でも

カミさんもまた

後ろ側の小さな子供連れの

外人さん夫婦と話し込んでいる


そろそろ時間のようです
ではまたどちらかでと
握手をすると

やはり身体が整った方
強い握手はその太い腕からのものと
久々にアメリカ人を感じた

森へと着くと
いつものスタッフがいて
カクカクシカジカ

ああ
Jimさんね

理事の方ですよ
犬連れはダメだって言ってるのにと
微笑みながら

これから

一般の方への
森の見学会があって
その準備があるので

どうぞご自由にと





ニックさんに手を合わせ
ウイスキーで献杯し
ではまたと失礼した黒姫でした

次回は
その森の隣で暮らすという
Jimさん家を訪ねてみようかと
思いながら

さて
同行したカミさんが
たまにはと
献杯の動画を撮ってくれていた

それには
横切るように飛ぶ蝶と
それとは違い

高速で浮遊するオーブが映り込み

また
ニックさんが眠るメモリアルストーンに
刻まれた文字を追った映像にも
その板から湧き出たような
オーブが映り込んで

ニックさんかな

ニックさんだよね と
嬉しくなった



出会いとは
いつ
どこで

誰と

どんな風に とも言うが

その出会いもまた
お互いのその時の

立場や
タイミングが大きく影響し

その後の関係を
スタートさせる

Jimさんは言う
犬が居てこそ
多くの出会いがあると

だから
貴方ともこうして出会えたと

ですねと
微笑んで
すべてはニックさんが
残してくれたものと
感謝しながら…

ありがとう
また会いたい人が
出来た