善次郎の足跡を辿れば
碓氷峠を抜けて
軽井沢宿へとは泊まらず
追分宿へとだったようで

それも
手前の坂本宿からではなく
更に手間の
松井田宿からだったようで



1日に
難所の峠をひとつと
宿場町を3つも越していたと

それだけ
足腰が強かったのか
それとも
先を急ぐ旅だったのか

もしくは
泊まった宿場には
何か別の目的があったのかと

それを知りたくて

昨日は
追分宿をぶらり



時は160年もが過ぎて
もちろん
当時のものはほとんどないが

それでも
間違いなくここに居たはずと
尋ね歩くが分からない



そこは

この先

中山道と

北国街道とに分岐される宿場で

賑わったはずだが

今はその姿もない


ではと
更に足を伸ばし
長久保宿へと向かうと

その街は
ほとんど人影なく
静まり返った住宅街



本陣跡ですら
すでに個人の所有となり
公開されてはいない

それでも
資料館が残り
わずかでもと思うが
浪士組の記録はない



時間あらば
こうして
ひとつひとつの宿場町を
ぶらりしてみるが

そこを通り
そこに泊まり までしか分からない

せめて
どの宿にと
宿帳でもあればとも思うが
その宿すらも
その姿を残していない



さて
昨年の秋
その先の
奈良井宿へと出掛けてみたが
今まだ多くが残るそこにも
記録は残っていなかった



僕は
いったい何を探しているのか
いったい何があるのか
いったい
いったい
いったい… と

その問いすらも分からず
彷徨っているのは
きっと僕の背に
善次郎がいるのだろう

そんな宿場町で
ふと思い撮ってみれば
必ず浮遊するオーブたち

それはきっと
彼らかと思いたい


中山道69次の
中15泊した宿場町は
すでに分かっているが

その宿場町の
どの宿に誰がまでは
分からない

ならば
も少し 探してみたくもなると
まだまだ
この旅は続くようだ