相変わらず
毎朝1番に起きるのは僕で

リビングのドアを開け
あの頃と変わらずに
真っ先に
ぱふ を確認する

あの頃ならば
庭の戸を開け
さあ オシッコと外へと出して
その間に新鮮な水をと入れ替え
散歩に出掛ける準備をする

祭壇は
もちろん
長年 ぱふがいた場所にあり
今でも
その水換えは真っ先にと動く

さて
節分から現れたオーブたち
真っ先に思ったのは
ぱふか? ってこと

そう
あの豆まきの晩
まさにぱふの祭壇辺りから
庭へと抜け出たような姿

それでも
もちろん確信は持てず
今だに何も分からない

ならばと
毎朝 同じように
リビングのドアを開け
いるかな? と撮ることにすると

いるいる
今朝は祭壇から現れた



やっぱりそうかと
思ってみると
なんだかとても嬉しくなって

今朝は
いつもの端とは違い
先日のパンケーキのように
パンの真ん中を祭壇に備えた




そんなことしか
出来ないからと

そんなことしか
してあげられないからと

やっぱり
お前が最後の犬になりそうだ

また
会いたい



もしも
次の世が
こうしてオーブの姿ならば

今 我が家でも賑わっている
彼らの姿

それも楽しそうに
縦横無尽に浮遊していて
白から始まり
時間と共に
ピンクや緑や金などの
綺麗な色に変わるのかもしれない

更には
壁は自在に通り抜けるけれど
僕の身体は通り抜けず
さらりと見事にかわして飛んで行く

そう
間違いなく彼らは
僕らを見ていて
監視しているのか
守ってくれているのか
分からないまでも
味方であることは間違いないようだ

すれば
いつか命を終える日もまた
もう怖さなどなく

逆に
彼らに会えるのかもと
楽しみにもなって来た

それが
先祖たちのような
それが
友達たちのような
それが
犬くんたちのような

ならば ご同輩たち
次の世でも会えそうだ



オーブと言うよりも

玉響(たまゆら) と表現したいのは

まだまだ古い日本人気質のようだ