日本人はね
英語なんて出来なくて良いと
そう思うんですよ

そう
いくら
インターナショナルな時代でも
やはり
海に囲まれた国

歩いて行き来出来ないから
さほど不便なく生きて来れた

そのおかげで
日本語は発達し
多くの美しい言葉が生まれ
その言葉の中で
更に彩りに深みが出来て
今 僕たちは
言葉により感銘すら受ける

そして
そこから生まれた落語なるものは
更に奥深く
言葉ひとつで多くを表現し
まさに日本語でなくてはならないものとなった

さて
近年 
街では多くの外国人を
見掛けるようにもなり

いよいよ国際社会かと思うけれども
それは
彼らがこの国に興味を持ち
この国を
もっと知りたいと思っているからで

こちらから
わざわざ英語で寄り添うよりも
あちらから
日本語で寄り添うことを
待った方が良いのだろう

そう
英語で表現出来ない言葉が
日本語には多々あって
それを無理やり英語に当て嵌めると
やはり勘違いな表現にしかならない

もっとも
わずかな日程での旅行者たちには
それで良いとも思うけれども
それでも
和の国の心地良さを
わずかでも知って頂きたいとも思う

言葉は仕方なくも
変わりつつある

流行り言葉は短命で終えて
また新たな言葉が生まれる

僕ら世代は
すでにそれに対応出来ず
苦笑いなどして通り過ぎる

いずれ
すぐに消え去る言葉ならば
それで良いと思ってもみる

ならば
滅ぶことなく今も残る
江戸からの言葉を大切にと
ふと思うのならば

やはり
落語の表現が最高峰となり
それらを変えることなく
残して欲しいと
新作よりも古典をと願う


みどりの窓口


しかし

時はまた過ぎて
すでに昭和の新作は
古典にもなりつつあり

あの
みどりの窓口ですら
駅から消えつつもある現実

談志師匠は古典を愛して
生涯 新作を演じなかった

そして
いつも言葉にしたのは
江戸の風は吹いているか? と

明治 大正 昭和 平成 令和
幕末から160年

それでも
噺家たちの器量により
わずかづつ
都合良く変化して来た古典は

今がきっと
最高峰の出来となっていて
今後は
江戸の風も穏やかになるのだろう

ならば
今かと
急いで頂けたらと
なんとなく思うわけです



志の輔師匠の
多くの新作もまた
いずれ弟子たちへと引き継がれ
古典と化すのだろう

ただしそこには
江戸の風はなく
荒れた平成の風が
縦横無尽に吹いているのだろう

同じ時代に生きた僕たちは
いつかそれが
古典となる日を知ることなく
過ぎ去るのだろうけれども…