昨日
9月30日を持って
今年もまた
渓流釣りは禁漁となった
これでまた
半年間は
フライフィッシングと遠ざかる
それでも
このフライフィッシングという釣りは
オフシーズンにも楽しみは残り
春の里山の風景を思い浮かべながら
あれこれと考え
自分なりの毛針を巻く
そう
秋から冬の夜長には
好きなウイスキーでも
チビチビやりながら…
なんて姿を
自画自賛などして
春から夏へと
使い込んだ竿やリールは
丁寧に掃除し
ウェーダーに
ベストに
綱にと
また来る季節を楽しみに待つ
しかし
昨今
そんな頃はとうに過ぎて
すでに
早寝なこの男
今年は
良い釣りが出来なかったなあと
振り返ってみるのは
もう
良い釣り場がない事実
釣り人たちは
釣りが好きならば
魚を
川を
環境を守らねばならないのに
それとは逆行して
減らしてしまった多くは
もう取り返しが付かない
仕方なく作った
キャチアンドリリース区間も
環境の変化による大雨で
そこに残るはずの魚たちまでも
流してしまう
昨今
そんな多くのことで
管理釣り場なる場所が流行り
下手すれば
川には行ったことすらなく
釣り堀だけの釣り師も多い
間違いなく魚はいて
間違いなく近くともなれば
それはそれで
良いのだろうが
自然の川に泳ぐ
自然の魚の生態を知って
そこへと頭を使い
毛針という疑似餌で勝負し
勝てば
ありがとうと微笑んで
また川に戻す
そう
あくまでもフェアにと
それが
楽しかったのではないか
この国に
フライフィッシングを持ち込んだ
イギリス紳士たちは
それを知ってたから
ジャケットを羽織り
タイを締め
帽子を被り
正装した姿で
ここ1番の道具を持ち
ここ1番の毛針を選び
ここ1番の川面に流す
そんな100年前の
日光の湯川の風景を
思い浮かべながら…
振り返ると
今年は
わずかしか出掛けられなかった釣行
バイクを降り
出来たはずの時間は
突然現れた
善次郎の足跡を追うことに代わり
古き街道を訪ね歩いた
では来年はと思うと
きっとまた
新たな道が開き
そこへとこの身を任せるのだろう
それもきっと
遠い昔から決まっていたことと
その役目もまた
こんな男にと決められていたことと
わずかに察したのならば
行こうじゃあないか
徹底的に!
それで
わずかでも
供養となるのならば
それが
わずかでも
先へと進むのならば
どうやら
そんな時分なようざんす…








