噺家さんは
上手い
下手よりも
好みか
好みではないかで

そう
僕の周波数に合うか
合わないかが大事で


ならばそこから

もっと上手くなって欲しいと

応援してみるが

決して意見することなく

楽しかった時だけ

褒めてみる


多くは
落語の本編に入る前に振る
まくらと言われる世間話で
大抵のことが分かるわけで

そこには
やはり多くの人生経験が必要で
特に
痛みを伴う経験ならば
面白おかしくなるのだろう

ただし
バーチャルや
想像だけでの話題ならば
それは
ただの想像となり

お客たちは
いとも簡単に見抜き
しらけた空気となるから

噺家とあらば
名人と言われた師匠方のように
呑む打つ買うを
経験せねばならないのだろう

しかし
昨今の世の中では
多くが規制などされて

なかなか
ギリギリの
アウトに近い経験は難しく

すれば
やはり
そこそこは想像ともなるのだろう

ならば
想像でも結構
それを
いかに経験した風の痛みに出来たならば
きっと
面白い新作も作れるだろうから
その道で
新たな分野で
売れるのだろう


昨今
落語は面白いように
変化して来た

本寸法なる古典派よりも
その古典すら変えて
自らのものとして話す者

そして
自らが創作した新作ばかりを
演じる者

いずれにせよ
僕たち客は
楽しければそれで良い

古典にこだわる必要はなく
すでに
そんな頑固な先輩方は
この世を去った

ならば
いずれ古典と化すような
新作を作り
後輩へと残したら良い

ただし
今まだ基本は江戸で
江戸の風は吹いているかと
いつも談志師匠は嘆いていた

そう
そこいら辺が
難しいところで

それでも
売れっ子たちは
その時代時代に現れる

談志
志ん朝

志の輔
談春
小朝

三三
一之輔
白酒
喬太郎

兼好
満橘

伯山





すでに侍のいない現代は
きっと
100年経っても
現代なのかもしれない

マゲがザンギリ頭に
着物が洋服に
刀は銃に
火は電気に…

そんな江戸の風吹く落語噺は
果たして
100年後 残るのだろうか
100年後 理解出来るのだろうか

立川流は…

円楽一門は…


芸協だって…

落協ですらも…


そんなことを
ちょいと心配などして…

そしてまた

もちろん

まくら噺も

時代に合わせて変わるのだろう


ただし

テレビとは違い

ライブ会場ならば

面倒なコンプライアンスなど

取っ払って

好き勝手言えるのだろう


僕たちは

その好き勝手を聴きに

寄席に出掛けるのだろう