毛針釣りの師匠のひとり
テツ西山

去って
もうすぐ21年

今頃なんだか
無性に会いたくなって
頂いたサインの帽子を
額装して飾ってもみた…



もう会えずとも
試行錯誤しながら
僕の釣りは
あの頃よりも
わずかながら上手くなったと思う

そう
あの日
魚の気持ちを理解するのが
1番の釣りの上達方だよと
微笑んだ師匠


しかし
まさかの病
52歳だったとは
あまりにも切ない

世界中を釣り歩き
僕らに
その多くを残した先駆者

特に
この国のフライフィッシングは
当時
ほとんど情報なき中で
多くの戦略を紹介してくれた

僕らは
それにかじりついて
ひとつでも多くの技をと
必死に追い掛けた



そんな日から30年もが過ぎ
一時
とても膨らんだ
フライフィッシング人口も

急激に減少したのは

やはり
釣りに至るまでの
ラインを投げる練習や
道具の高価さ

それから
簡単に出来るルアー釣りに
阻まれて


僕ら世代の
あれこれ苦労した
オヤジたちしか残っていない


河の魚は減り続け
放流しても
その解禁日に大半が持ち去られる

もちろん
その為に作られた魚ではあるが
その繰り返しでは
河に魚は戻らない

もちろん
魚なしでは釣りにならない

そう
釣りで1番大事なことは
魚のいる場所で釣ること なのだ

だから
河を守らねばならない

それには
森を守らねばならない

森があってこそ
河がある

それを理解出来た者だけが
釣りをする資格があるのだろう

すでに
里山では釣りにならない
そう
もう魚がいないのだ

ならば
人が入らない山の奥の
更に奥まで
足を伸ばさねばならない

しかし
そこは僕ら人間たちの場所ではない
もちろん
招かざる客であり
そこで暮らす生き物たちの邪魔をしてはならない

そんなことは
とうにわかっているから
もう
無理して入ることはない



昨年
久々に
西山さんが作った
白河の管理釣り場へと出掛けてみた

そこは
相変わらず綺麗に整備されていて
まるでゴルフ場のよう

おまけに
大きな魚だけしか入れてないから
釣れた瞬間
ものすごい勢いで
魚が 走る 飛ぶ 逃げる



そう
昨日今日の連中には
なかなか釣れないという
手強い魚に調教されていて

まさに
そこそこの腕ならば
これほど面白い釣り場はないが

その大半は
1匹も釣れずに敗退もする



しかし
その環境を保つが為
都会から遥か遠く
はいそうですかと
気楽に行ける距離ではない


西山さんがいたならば
山は河は海は
どんな だったのだろうか

ニックさんと
命懸けで守ったのだろうか?

開高さんの時代は良かった
まだまだ 銀山平には

魚がうじゃうじゃいたはずで


それでも

そこへとは

皆 辿り着けなかったのだろう




おそらく

これほど優雅な遊びはないのだろう

大正から昭和に掛けて

イギリスの外交官たちが

日光の湯川へと持ち込んだ遊び


それが

やっと広まったけれど

イギリス紳士の

マナーまでは付いて来なかった国


そうそう
思えば本当になりたかったのは
フライフィッシングのツアーガイドで


そう
ニュージーランドで…
日本人相手に…

もしや
まだ間に合うか

いや
こんな世の中

次の世に しよう…