さて本日は討ち入り
そう 忠臣蔵
本来ならば旧暦の12月14日
しかも
すでに15日になった早朝だと言うけれど
それよりも
新暦でも12月14日と言う日付が
歴史の中では重要なのだろう
いつもの年ならば
仕事前の早朝にでも時間を取って
まだ人影のない泉岳寺へと…な頃
しかし
こんな世の中と諦め
仕事を優先した本日
年内のどこかでまた
両国から歩いてみようかと思いながら…
昨今
テレビでもなかなか取り上げられず
忠臣蔵も忘れ去られてしまうのではと
心配などするけれども
多くはその後に作られた
歌舞伎の中で美化され
また
講談や浪曲の中では
更にカッコ良く
史実とは異なった物語に変化を遂げて
それでも
そのおかげでこの物語は
300年も語り継がれて来た
しかも
おおよそのことは分かっても
本当を観た人が居るはずもなく
また
写真や音声もあるずがないから
どなたかの口伝えや
書物による記録の中では
やはり
伝言ゲームのように
わずかづつ都合良く美化されたのだろう
ただし
大きな戦もなく
平穏だったはずの時代に
武士道とやらは確かにあって
主君の為にと
命を張った男たちがいたことは
日本人として誇らしくも思う
赤穂事件とされる
江戸を揺るがした事実は
直後 忠臣蔵として
娯楽となり庶民に広まった
数100人いた家来のほとんどが
勝ち目はないと逃げた中で
残った47人の
それぞれが持つ物語は
やはりすべてが別れの物語として
感涙を受けるものとなり
令和なる時代となっても
心通じることなのだろう
不思議なことに
両国の吉良の屋敷跡辺りでは
悪者とされる吉良は
なぜか丁寧に祀られ
また
吉良の地元とされる西尾市でも
また名君とされているわけだから
それらもまた
その後の物語を語る上で
悪役と仕立てた方が
都合が良かったのかもしれない
それは
綺麗に整備された泉岳寺の
義士たちの墓石とは裏腹に
功運寺に建つ吉良の墓石は
傷だらけで
きっと
その直後の時代に
血の気の多い江戸っ子たちに
倒されたでのあろう
今春
出掛けてみた赤穂では
もちろん
義士を讃えているわけだから
やはり
それぞれが持つ感覚の中で
それぞれを支持し
それぞれに思えば
本当は分からなくて良いのだろう
いつか
タイムマシンが出来たならば
日本人たちは
真っ先に覗きに出掛ける
そんな場面なのかもしれない…
その時には
僕も歴史に名を残すが如く
討ち入りの手助けをするかな…
いや
内匠頭を事前に止める役かな…
いやいや
志の輔らくごのように
ギリギリまで
もがくのだろうな… 笑















