世の中
いつ何が
どう流行るか分かりませんで…
米津玄師 なる若い歌い手が
落語の 死神 を題材に
曲を作り
新宿 末廣亭でそれを…
なんてしたもんだから
その映像の中で
彼が座った5つの席が
落語を知らない若者たちで
争奪戦なんてことらしい
末廣亭と言えば
日頃から
暇あらば ぶらり顔を出す場所で
歴史的と言えば
もちろん文化財ほどの建物でもあるけれど
失礼ながら
今にも壊れそうな建物の風情
先週
芸協の新真打たちの披露目も
浅草へと移り
今はそこそこ空いたはずの客席そこへと押し寄せる若者たちは
その座席の争奪戦と
落語 死神が聞いてみたいとの想いところがこの死神なる落語
そこそこの大ネタなもんだから
トリあたりの師匠たちが
季節物として
その日の客層を見ながら
夏場に掛けるもの
そう
この季節
どこかで
どなたかが
演じてはいるけれども
ネタ出ししない寄席では
偶然 聞くしか出来ない
しかし
これからが
お化けの本番な季節
粋な師匠方が
きっと気遣って掛けてくれるのでしょう
江戸時代に
三遊亭圓朝が作ったと言われるこれは
もちろん
生で圓朝を聞いた方が
今いるはずはなく
また
映像はもちろん
音声も残ってはいない
古典と言われるこれらは
何100人 何1000人もの
噺家たちの中で口移しにより受け継がれ
また
多くのアレンジを施され
今の死神となったはずで
それは
今もってその改良はされ続けており
オチはもちろん
短くも長くも
言葉を足され消され
時代と共に変わって行くのだろう
今
新作とされる落語もまた
いずれ作者から弟子へと受け継がれ
いつかどなたでも なんて頃には
もう 古典と呼ばれているはずで
それもまた
時代背景の中で
設定が変わるもの
言葉が変化するもの
世の中から消えてしまったもの
新たに生まれて来るもの
ただし
現代は映像も音声も綺麗に残り
未来の方々は
間違いなく
生きた動いた
若い頃も 年老いた頃をも
その姿を観れるのだろう
すると
あまりにも具体的過ぎて
僕らは
神にも 仏にも
なれないのだろう
そう
人間たちは建物と違い
わずか100年
その時代に姿を消す
寄席が混むことは有難いことで
しかも
新たな若者たちが
出会うはずもなかった場所へと
そんなきっかけで足を踏み入れる
もちろん
ブームが去れば
また平常へと戻るのだろうけれど
わずかでもそこへと残る者がいたならば
将来返り咲くかもなDNAに
種がこぼれ落ちたならば
それで良いのだろう
いつか還暦でも過ぎた頃
ふと思い出したかのように
アジャラカモンレン
キューライス
テケレッツノパ なんて呟いて
パンパンと
手を2度 叩いたならば
きっと
その種も芽を出すのだろう

