時が時ならば
齢が齢ならば
そこにいたならば

加勢したかもしれない なんて
ふと 思うことがある

もう
50年だそうで
記憶は確かにあれど
それに気づいたのは
興味を持ったのは
大人になってから…

しかも
読み漁ったのは
三島さんの齢を越えた頃

半世紀が過ぎて
あれこれ気づいた方が多いのだろう

本物であったことは
間違いない

生きていたら95歳
何が変わったのだろう? と思う

いや
いなくなったから
変わったのかもしれない なんて思う

会いたかったな
そう
10年早く生まれていたならば
会えたかもな
会いに行ってたはずだからな

いや
若い頃には
そんな根性はなかったな

楽したい
遊びたい

モテたい

カネ欲しい…  だけだったからな


最近では
失くして気づくことばかり

いや
気づいていたけれど
動けなかったのかもしれない

人生は
あまりにも短い

やっと生き方がわかった頃
その幕を降ろす時間となる

生まれ変わることなく
そのままの時間が倍も続けば
更に奥を見つけ出すことが出来るだろうに

人生とは
そんな時間なようだ 

だから
誰かに託すしかない
だから
託す誰かを探す後半なのだろう

太く短くも良し
長く細くもまた良し

大事に生きたならば
120年はもつと言う
日本人の身体

ストレスを減らし
身体を動かし
良い物を食べ
必要なだけ眠る

健康
安全
安定

それで
なんとかなるが
こんな世の中

さて
どう生きよう

楯を持って
弾丸を避けながら
前に進むしかないのだろう

そう
前向きに倒れるしか
ないのだろう

50を過ぎた頃から
命日前後に立ち寄り始めた墓前
今年はちょうど50年

きっと墓前は賑わっているだろうと
日時をずらして待っている今日
そろそろ
出掛けてみるかな…


毎年
感じることが
変わって行く自分に気づく今日

空は青く晴れ渡るのに
国は灰色に淀んでしまった

三島さんなら
なんと言ったのだろうかと
返るはずなき言葉に
耳をそば立ててもみる

そう
もっとも美しい日本語で
表現した方だから…