いつの頃からか
本物をと
歴史的な場所へと
この身を置きたくなって
日本中を彷徨い出した

目の前のそこへと身体を置くと
案の定 何かを思うもんで
それが言葉に出たならば
忘れない内に書き留め
言葉にならない感情ならば
そのまんまその中へと浸る

多くの先祖のDNAが
そう動かしたのだろうと思い
思うがままに歩き廻ると
その場その場で頂く案内や
見知らぬ出会いの中から
その先の道のりさえも変わり

それもまた旅と
一瞬の変わり目に
従うことにしてみる

いや
本当は僕が行きたいのではなく
そこへ連れてってくれと
耳元で囁く誰かがいるからなのかもしれないけれど…


本日
つくばみらいでの仕事での帰り道
坂東を通ることとなり
ならばと回り込んだ2度目のそこは

神田山 延命院

表札さえなければ
檀家の多い
なんてことのない田舎町の古寺で

ところがここに
あの 
平将門公の胴体が眠っているというから驚かされる


強く華やかに守られた
大手町の首塚とは違い

ひっそりと人影もなく
ここに? ってな場所 

持参したワンカップを供え
線香を1束そのまんま置き
手を合わせる

すると
なんともな姿の
大きなカヤの木を背に
その雰囲気に抵抗することなく
呑み込まれる





菅原道真
崇徳院 と並ぶ 
この国の 3大怨霊

感じる方ならば
凄まじいエネルギーなのだろうが
僕には何も起こらない

敵とすらば
最大の手強さ
味方ならば
これ以上なき誇り

時折 立ち寄る
首塚とは違い
賑わいなく
このままでと願いながら…



心が落ちると墓前を目指す
実家の墓前ならばフル充電となる

ありがとう
元気です
それから…と 
今を報告するだけで良い

願いは
すべて神社にて
健康
安全
安定
その3つだけで良い


先日
養老先生が
墓とは その人がいたという
記録だけだと 言ってたけれど

そして
死とは
特別なことではないと

寝て
起きなければ
それが 死だと…

そう
ちょうど昨年の今頃
養老さんとニコルさんとの
講演会の場にいた

それがもう
今は
ニコルがいないという現実

名を残そうとは思わないが
そこにいたという記録だけは
残してみたい

それで良い