娘が出産し
入院中の今

孫子たちは
旦那さまと共に
旦那さまの実家へと移り

僕らは今
特に手伝うことがない

しいて言えば
破水した時の下着やら
家族の洗濯物が
そのままだと言うので

ではと
それを預かりに出掛け
洗濯し
戻したくらい

お見舞いにと思えば
これまた産院の面会規則は厳しく
都合良く出掛けられない

ならば
退院までは
僕らが出来ることはなし

そう
退院した晩から
また1ヶ月ほど
カミさんが付き添う予定だから

それまでは
のんびりしようと

そんなわけで
今朝
突然決めた 箱根観光

以前
旧東海道
箱根の峠を歩いてみようと
出掛けた時

大混雑で乗れなかった
登山鉄道

あの
スイッチバックを何度か繰り返し
急な坂を登って行く列車に
乗ってみたかったわけで



紫陽花の季節と重なって
混雑かと思いながらも
さすがに平日

思ったほどの混雑もなく
多くの外国人観光客の中
その列車を楽しんだ





スイッチバックとは
あまりの勾配差により
何度も進行方向を入れ替え
その都度
運転手と車掌とが
駅のホームに降りて
歩いて入れ替わる

それがなんとも楽しく
まだまだアナログな
山の列車に微笑んだ




さて
窓から見える風景は
多くの種類の紫陽花で賑わい

スマホに映像を残す

天気にも恵まれ
さほど暑くもならず
梅雨の中休みとなった今日
命の洗濯となりました




20年ぶりに
新たなデザインの新札が出るそうで
それも
いよいよ来月となって

僕らの手元には
いつ頃届くのかと思ってみるが

1万円札は
お釣りで来ることはなく
やはり
銀行で下ろした時にだけとなる



失礼ながら
この3人共に
まったく知らなかった方々で

誰がどうやって決めたのか
分からないことばかり

もしも
僕が決めて良いのならば
坂本龍馬かな
それとも
信長に家康に秀吉かな なんて
思ってもみるが

いっそ
存命な方々でも良しとしたならば
この国でのスーパースターは
わずかに2人

矢沢永吉と
大谷翔平だな…

そんなことを思いながら
これだけ手の混んだ紙幣
まさか
偽造出来るはずもなく

返ってそれ以上に
掛かってしまうのだろう

それとも
政府は
タンス貯金を引き出す手段かな


さて
それよりも
僕の財布には
2000円札が5枚もあって

当時 回って来たそれを
出さずにしまったまま

それ
いつ使うのよ? って
訊かれるけれど

これは
イザという時にと答えて来たが
その時には
果たして使えるのだろうかなんて

いや
使えるが
受け取ってくれるのだろうかとも

一時
沖縄だけには流通してると
聞いたけれど

それも
そろそろ無くなったそうで

ならば
価値が出るかな? なんて
思ってもみるが
難しいようだ

♯533



新札が出ると
どのくらい凄いのか
どんな柄なのかと
真似して描いてみるが

すると
やはり最高峰の札
チンケな
ドル紙幣とはあまりにも違うと
実感して誇らしくもなる

しかし
この柄
いったい何なのか
もちろん何か意味あっての柄

それすらも分からず
分からずとも
結構なんて…

ちなみにこの落書きからは
偽造出来ませんので
あしからず… 笑

令和の初日に入籍した娘夫婦

気が付けば

令和も6年となり

転勤族を終え戻って来た


お互い3人兄弟の真ん中同士

3人兄弟の楽しさを知ってるのか
始めから
子供は3人って決めてたわけで

転居する度に子供が増えて
その3人目が誕生した今日


どなたになのか
神様になのか
ありがとうと深く一礼し
涙が出た

そう
強いツワリでのSOSにより
昨年末から
2人の孫と共に
2ヶ月半も我が家に居たから
その想いは更に増して

とにかく無事にと願い
昨今では
見掛ける神社では
すべて安産をとお願いして来た

さて
先週からそろそろかと
いつ産まれてもな時期となり

日中
旦那さまの留守には
カミさんが常駐し
その時にと備えて来た

すると
昨晩
真夜中に連絡が入り
破水したので
これから産院へと向かうと

ならば
孫2人を預からねばかと
思ってみたけれど
なんとか対処出来たのだろう

立ち会い出産だそうだから
まずは安心かと思ってみるが
そこはやはり親心

いつものように
この命と引き換えてもと
願い手を合わせた

それでは
命がいくつあっても足りないよと
カミさんは笑うけれども

子供たちこそ
未来

引き換えても結構と
自分よりも大事なものが
多く出来たようだ

ありがとう


さて
1週間もすれば
母子共に退院となる

そしたらまた
カミさんがそこへと付き添って
1ヶ月ほど留守となるのだろう

すると
僕もまた
忙しくなるってことのようだ

ジムのトラックの荷台に揺られ
ニューポートビーチへと向かったのは
もう40年も前

そんな日のことが
今朝の夢に現れたけれど
一緒に荷台に転がったはずの
キミの姿を
もう思い出せない

83年のクリスマスは
教徒たちで借り切った
ショッピングアーケードだった

翌朝
ジムたちに誘われた僕らは
彼のトラックの荷台に揺られ
ビーチへと

そこから
わずか2〜3台しか乗らない

小さなフェリーで海を渡り

どこかの島へ

それから
それから…
忘れてしまった

そう
忘れてしまった



そんな
♯532

今 思ったことを
今 ここに書き込む日々

そう
何かを感じたならば
何らかの言葉が現れたならば

忘れないようにと
ここはまるで
メモ帳代わり

だから
時には多く
時には少なく

気になったこと
気が付いたこと
ふと
思ったこと

そんなだから
内容は特になく
また
どなたかへのメッセージでもない

どちらかと言うと
自分へと残して置きたいだけの
その日
その時の言葉で

公開する必要もないが
もしや
どなたかでも
同意してくれたならばと
思うだけ

さて

昨日は 雨の1日

気持ちはわずかに落ちたけれども
すると
落ちた中での言葉が現れた

それでも
それを言葉として吐かないのは
やはり
言霊というものを信じているから


♯531


それは
もしかすると
側で聞いている玉響たちに
影響を及ぼして

目の前の交差点
ちょいと悪戯してやろうかなんて
逆方向に囁くかも…



だから
常にポジティブにと
心掛けてもみるが

はてさて
今のこの道は
正しかったのだろうか

僕たちの身体は
多くの細胞の集合体で
微生物の集まりで

そのひとつひとつが
同じ方向に動いてくれたならば
健康なのかもしれない

すべては食事からで
食べたその物たちの細胞や
そこに付いていた微生物たちが
腸の中で意見を纏めて
脳へと伝達し
自分として動き出すのだろう

それが
添加物やらの
面倒な物を食べたりすると
それらの意見が纏まらず
身体や脳の
不調を及ぼすのではないかと思う

更に推測するならば
僕らの身体は腸を
38℃に保つが為に作られたもので
腸が基本となり
それを制御するが為に脳が出来
また
移動するが為に手足が出来た

そんな進化だったのならば
36兆にも及ぶ
細胞の集まりもまた
わずか3ヶ月で入れ代わり

一見
同じ姿であれど
物は違うということにもなる


♯530


すれば
3ヶ月前の僕は
今の僕ではないので

それ以前の罪は
すべて許したまえ 笑


大手町へと出掛ければ
素通り出来ずに
手を合わす



ビル群に囲まれたその一角は
なんとも異様な空気感で

その男は

何か用か! と
強く問い掛けて来る氣がする

丁寧に一礼し
これからをと願う


将門


平将門の首塚と言われ
京から江戸へと
飛んで来たと言われる首

一見 怨霊にも思われるが
これが
ここ1番の願いには強いと
大手町のサラリーマンたちは
やって来る

多くの言い伝えや
伝説はあれど
令和にもなった今ですら
多くの方々がキリなく訪れている

ならば
胴塚もあるはずと調べ
そちらへも伺ったけれども
こちらほど
丁寧には祀られず
それでも
ここか!と身震いした

平将門


さて
その将門が夢に現れたことがある

お前

覚悟はあるか? と問われ

いえ
ありません と答えてしまった

そう
何の覚悟か分からずに…

お前にやって貰いたいことがある
それは
この国だ!

やれるか
やれないかだけ答えよ!

やれません…
きっと無理です

すると
そうか
ならば良い
あいつに頼むことにする

あいつとは?

太郎だ!
山本太郎だ

そう言って消えたのを
覚えている

まあ
単なる夢かと
忘れていたが

まさかね?

ならばまた
応援に入るかな

そんなことを
ふと思い出して

♯529


そうそう
東京都最高峰
雲取山の登山道に
将門迷走ルートなる場所がある

時代を思ったならば
本当ならば
かなり壮絶な運命だったのだろう

雲取山


菅原道真・崇徳院と並び
3大怨霊と言われるが
道真は学問の神様となり
崇徳院は落語にも残り
将門は勝負事の神様となった

いずれにせよ
令和の今もまだ
丁寧に祀られ
その恩恵に授かっている


最愛の相棒を失って
1年半もが過ぎた

そう
誰よりも近くで
そう
カミさんよりも近くな



相変わらず
リビングの祭壇には
花を備え
水を
食事をと
毎朝の最初の日課となっている

それはあの頃と一緒で
早朝から
まずは ぱふのことをと

トイレに
水に
食事にと済ませ

それから
一緒に
散歩へと向かった

1年が過ぎた頃
さてと思い
ではそろそろ絵でもと
思ったけれど

500枚後
そこへと向かう気力はなく
ならば
501枚目を描くことがあれば
まずは
ぱふからと思っていたけれど

それが
とてつもなく下手であっても
わずかでも似ても来ると

やはり悲しみは増幅し
涙ものだと思っていたので
あえて
避けて来たけれど

今朝
寝起きに
ワン! って
リビングから聞こえた気がして
慌てて飛び起きた

居るのか?
戻って来たのか? と問うが
もちろん
返事はなく

いつものように
僕の食事を
少し祭壇へと分けながら
手を合わすと
オーブが飛び出して来た

もちろん
本当のことは分からないが
居たかと
いや
居たことにしたら
嬉しくなって

♯528




ご近所の方々は
そろそろ次は? と言う

出会いがあればと
答えて来た

でももう
出会わなくても良いらしい

それでも
もしも出会ったならば
そう
ぱふと再会出来たならば
また
あの日と同じに戻れるのだろう

そう
目を見れば
分かるからね

そう
あいつだと
分かるからね



今年もまた
帝釈天では
寅さんサミットが開催されると
発表があった





その日は
全国から
多くの寅さんファンが集まり
帝釈天の参道を埋め尽くす

中でも
寅さんに扮した
あの姿の熱いファンたちが
誇らしげに歩き回り

僕らはその姿を追い
かつてそこに居たはずの
寅さんと重ね

似てるかな?
違うんじゃね?

なんて
嬉しくもなる



そう
大抵の方は
その衣装だけがそっくりで
顔姿は別人なわけだけれど 笑

数年前に出会ったその方は
なんともそっくりで
嬉しくなって 一杯なんて 
高木屋さんでご一緒した





帝釈天裏の
イベント広場には
山田洋次監督や
倍賞千恵子さんもお越しになり

今まだ
まだまだな
寅さん人気に拍手を贈った

寅さんミュージアムから
荒川の土手へと出たら
渡し船に乗り

すれば更に
寅さん気分は膨らんで
昭和はまだ健在と
この町を誇らしくも思う




しかし
昨今
駅前は開発され

かつての
寅さんの像も位置を変え
後追いで備えた
倍賞さんの像もまた

仕方なくも
狭くなってしまった
その駅前広場では
あの頃って時が
消えてしまったようだ

寅さん


それでも
寅さんを知る方々が
今まだ多く残るから
この秋もまた
帝釈天は
寅さんサミットは
賑わうのだろう

この日ばかりは
僕も寅さんの姿で
帝釈天を
歩いてみたいとも思うが
なかなか
あの衣装は手に入らない 笑


そんなで
♯527


時折
新宿の地球堂へと
画材を買いに出掛けると

わずかに足を伸ばし
寅さんの墓前で手を合わす

そこは
ビルの谷間に佇み
寅さんとも
渥美清とも書かれず
ひっそりとしている

すると
あんたね
時折 こうして来るけれど
ここは
寅でも
渥美でもないから
おかえんなさい なんて
言われた気がするが

それでも
まことすんません と呟き

失礼ながら
また来ますがと
一礼し振り返る


そうそう
ぱふがいた頃
大井川に掛かる蓬莱橋
寅さんの橋にと出掛けたっけ

それが今頃
旧東海道だと知り
また出掛けようかな なんて
思ってもいる

しかしまあ
ここ数日は
夢に美女ばかりが現れる

もしや
心の奥底に
気付いたオーブたちの仕業かな
などと思ってもみるが
分からない




世界1の美女と言われた
ナタリードロンが去って3年

もう会えないのかと
諦めた フランス

そう
いつかフランスへと行けば
きっと会えると
根拠もないのに思っていたガキも
いつの間にか還暦を越し
孫まで出来た

あの頃ならば
無理せずに行けたはずのフランスも
もう
長い飛行時間は無理と
この人生ではと
次の世に回すことにした

みゆき座


ガキの頃に
名画座へと
こっそり入って観た映画は
大人の世界の入り口だった

そう
もちろん 
オードリーもいたけれど

妖艶さでは
ナタリーを越す者は
現れなかった

映画
個人教授のような
年上の女性と
あんな恋をしたいと願ってはみても

中学生がいくら背伸びをしても
追い付くはずはなく
月刊誌
ロードショーを買っては
遥か彼方の女優たちに憧れた

成人映画を観れる齢となっても
そちらに出向くことはなく
なんだか鼻から抜けるのような
心地良い言葉が流れる
フランス映画を追い掛けた

それでも
時遅し
生まれも遅く

リアルタイムでの
ナタリーの映画は
この国では観れなかった


さて
今朝は
いつもと同じ

そう
ナタリーはいつも
黄色いミウラで現れる

僕の前に付けると
乗らない? って

乗る乗る って僕

すると
いつものように
そこから事運んで
もう少し って場所で
夢から覚める

その続きをと願い
目を閉じても
もうその場には戻れない

そんなことの繰り返しなのは
相変わらず
背伸びをしたままだからか


そんな
♯526