ある古本屋さんで貰った、英字新聞で作った紙袋を工作したらしい。


昨晩、こんな事してみた。と言って見せてきた。

日本語だとダメだけど英字は良いなぁ、と。

英字新聞を料紙と見ても良いし、落書き風に、と見ても良いし、ご自由に、と思っていますが、あくまで、毛筆の本筋はその線の良し悪しであり、流れであり、卒意であり、構成力であり…とそこさへ外さなければ、後は自由です。感性のままに。


告知です。

父飯塚敏員の初の仮名の個展を西宮市にあるねうねうギャラリーさんで来月13日から15日の三日間ですが、開きます。

自分としても初めての事ですのでドキドキしていますが、何か、お伝え出来る事があればと思っております。

画像では分からない事が沢山あります。
見に来て下さいませ。

くずし字や万葉仮名は分からない!

構いません。寧ろ好都合です。

何故か?

来ていただければお話します。

1つ言える事は、読める読めないは字そのものの良し悪しとは全くの無関係である事。そういう視点は、平安時代の貴族たちも持っていたという事、勿論読めたら読めた方が良いでしょうが、違う視点がある、そういう事を少しでもお伝え出来れば、と思います。

もう一度言います。

読めなくても全く問題ありません。

そこではないのです。

交差点で信号待ちをしていたら、マラソンなのか?信号待ちをしている一群がいた。そうしていると、自転車に乗った高校生らしき3人もやってきて、そのマラソンの一群の後ろで信号待ちをしている。
そのうちの1人が、おもむろに右手を上げて人差指と親指でLの字を作って笑って他の2人を見たりしている。

一瞬、ん?と思ったが、ああー、と思った。面白い事するなぁ、よく思いついた!
と思った。

ヨーイ、ドン!

というわけだ。

タイミングも青に変わる時だった。

これで気を取られては危ないが、安全運転で発進した事は明記しておきます。


別の時。


交差点の前あたりで、前の車が遅い。三台先の車が異様に遅い。赤信号から青信号に変わるのを見て、落としたスピードを安全に上げようとした時の事。
これは危ない位だ、脇に寄せるつもりなのか?とも思ったが、フラフラしつつもその気配がなく追い越そうとした車も素ぶりだけ見せたが、追い越せない。
何のこっちゃ?と思っていると、左の歩道をその牛歩の車と並走している自転車いる。思いもよらない事だった。

先導してもらって目的地に着く事は普通にあるが、あくまでそれは車同士とかであって、普通に走らせてるママチャリに車が先導してもらうなど見たことがない。
距離にして500メートル程で自転車に着いて、左折したけれど、???だった。

自転車に乗ってる人も車の運転手も60代か?そのくらいだった。

後ろに何台かいる車など眼中にないのだろうか?
または、直ぐだから、という事だろうか?
本人達からすれば良い考えだったかもしれないし、それなりの状況や理由があったのだろう。しかし、交差点待ちからの、不審な動きというのは危ない。通常の動きではないからだ。事故にはならなかったけれど、よく思いつくな?と思った。


最近考える。

他人の迷惑を考えろ、という当たり前の事が当たり前にならなくなっていると。

老若男女問わずの話。