先生が出雲の家を引き払うとの事、日本一小さなレッスン室も既になく、あの部屋でのレッスンももう出来ない。

けれども、月日は百代の過客にして人もまた旅人なのだから、それは当然の事。

水も人も流れているから生きるのであって、澱めば腐るだけだ。

果報は練って待て、というのが父の口癖だった。






父の式部への酔心の夢うつつに浮かぶ様など思いつつ、形にしてみた次第。


私も練習します。
筆には腹と背があって、背が何処を通っているか、何処を通る様に筆を扱うか、が技術の1つなのだけれど、思うに、あまりその事を言う人が見受けられない気がします。
あくまで私の思い込みなので不確かな事この上ないのが申し訳ないのだけれど、多分、そんなに間違ってないと考えられます。





山の間に雪は降りつつしかすがにこのかわやなぎは萌えにけるかも

万葉集 詠み人知らず

2枚目のつ、か、ニの墨の濃い部分を見て頂きたいのですが、毛先の通った跡です。
親指の動かし方なのですが、中国の古筆法の技術の1つです。
筆がボロで割れて毛先の動きが見やすくなってます。
これは三蹟の技術にも通じているので、漢字だけの話ではありません。
こうして線と技術の認識を設定して見ていくとおいおい目がそれに慣れていきます。
そうすると世界が広がると思います。


字の見方は様々ありますが、その1つに加えていただけると幸いです。

不図したことで思い出した事。

 

白洲正子さんは二人の先生に能を習ったと記憶している。

初めは、梅若実さんで、それから息子の六郎さんだった。実さんは昔の人だから、言葉での説明は不得手で、違う、こうだ、みたいな感じだったから、白洲さんも理解できずに難儀した事を書いている。一方、息子の六郎さんは、言葉での説明が上手で、他のお弟子さんもすぐに理解したらしい。それくらい分かりやすかったそうだ。

けれども、だからと言って、白洲さんは実さんのことを教え下手と言っているのではない。むしろ、あの実さんの教え方でないと、本質まで迫れない、そんなことだったと思う。

 

白洲さんの若い頃のご著書に、実さんと対談した時の事が書かれている。

そして、確か、世阿弥の『花伝書』をその場に持っていって、名人と言われる実さんに直に話を聞こうとしたそうだ。

その時の白洲さんの、とても楽しみにしていた事が伝わるが、『花伝書』のことを話しに出すと、実さんは、そういう立派な本があることは知っているけれど、父から、未熟なうちは決して読むなと言われていたので今まで読んだ事がない。けれども、そろそろ読んでも良いころかと思っている、というような事を言われて、白洲さんは、只々恥じる気持ちで帰ったそうだ。

この時の実さんは晩年と言っても差し支えのないお年だったはずだ。

 

おそらく、白洲さんはこの時のことをもう少し詳細に書いていたと思うけれど、記憶していない。というのも、これだけ覚えていれば、事足りると思うからだ。別に全てわかっていると言う意味ではなく、芸事というのはそういうものだと。それ以外に特に今は思うところがない。

 

これまたうる覚えで申し訳ないのだけれど、『荘子』の中に、ある人が、何某という昔の人のこれこれという素晴らしい本を知っているか、読んだ事があるか、と荘子に問うと、読んだことはない。それは今、生きていない、と答えた。そういう話がある。もちろん原文はもっと言葉があるのだけれど、自分にはこれだけで十分だ、と思ってそのままにしている。

 

私は、何も文字というものを、言葉というものを否定しているのではないことはわざわざお断りしなくてもご理解いただけると思うし、拙文ゆえに書ききれていない事とは承知で、それでも、そうしていただきたいのだ。

というのも、学ぶの語源は真似るだと言い、そして、学んだものは一旦忘れろとも言う。

青山二郎さんは、これらをもっともスマートに言語化して、分かるとは分かったものが夜泣きする事だ、と書いている。これらはとても示唆に富んでいるし、何よりも自分にとっての大前提の話だ。

 

例えば、発声を見てもらって、もっと後ろに、うなじ辺りを斜め下に・・・と言われたとしたら、勿論、そのようにするのだけれど、では、先生の表情、体の動き、声、それらを無視しているかといえば、むしろ、言葉よりもそちらの情報の方を見ているように思う。言葉はあくまできっかけであって、全てではなく、いかに真似るか、モノマネできるか、を考えているようだ。

そのモノマネがうまく言っているか否かを見てもらっている、その積み重ねが、声の再現に繋がるのだと思う。

 

論理と感性は一如であるが、私は、感性を主にして論理を従にしている。

感性は主観、論理は客観もしくは良心。

 

自己分析して見た次第。