勿論私もですけれど、ちょいちょい人はエラーを起こす。ヒューマンエラー、でもそれは鼻から考えに入れておくべきリスクであって、その上で、行動する。
行動を起こすと失敗をする。
この失敗に対して、どういう意味で寛容になるのか、というのは重要だと思う。
それは自分自身も含めての話。
けれども、別の見方をするならどこにおいては寛容であってはならないか、という事であって、そこがないと単なる自己正当化して20年1日の如くエラーを起こし続ける事になる。つまり、あいつが癌だとトラブルメーカーと言われる。
どうすれば建設的な事になるのか、考えなくてはいけないし、それは人任せにして良いものではない。
最近、昔の父の書いたものを引っ張りだして見ると、その巌に噛り付いて藻搔いた跡を見る思いがする。
それが今の父を形作っているのだが、それは美の女神の衣の裾をつかまんという大前提があった上で、今を模索し生き続けた結果であり、当然の帰結の連続。
どっかで覚めた目で自分を見続ける覚悟がないと、そこから逃げると、ろくな事になりはしない。
ところで、私は、といえば、蓋し、ずっと父の第3の目であろうとしたと今更ながら、気づく。