うちの先生は関東に本拠地を移した。
今までも関東だったけれど、出雲自宅を引き払った。
それは正解だと思う。というよりも、ここからは私の個人的な考えである事を強くお断りしてお話するけれど。
はっきり言ってそうせざるを得ないという事を最近本当に強く考える。

40歳以下の人口の割合が少ないという事は、全体として未だに既存メディアが情報源であり、そこから常識が生まれる。
勿論、一概には言えないかもしれないが、この事は言われている話である。
テレビ新聞を全く見ないから知らないが。

声楽にしても書道にしても、無知蒙昧のまま屁理屈で行き詰まっている事に凡そ気がつかないでいる、と言うのが私の個人的な見立てである。


ところで、父は宇野雪村氏から筆法の益を得たが、本当の事を言えば、直接筆法を習ってはいない。
宇野氏は、オレは教えない、と公言していたし、実際そうであった。だから、父は毛先ではなく、ある時、筆の軸に注目して、そして、回転している事に気がつき、自分で工夫して、書いた。それを氏が見て、よく分かったな、と言われてから、通信で、月に一枚臨書して添削して貰っていた。
それにしても、どこそこが悪い、はははははと言ったコメントくらいであった。

これが事実だ。

だから、宇野雪村氏に習った、弟子だと言う人がいても、それは、当てにならない。
その事は先の西宮市の個展である方の話や、そもそも、巷に溢れる字を見れば分かると言うものだ。

つまり、伝わってないのだ。

誰も伝えていない。伝えていたとしてもレッドブック記載レベルだ。

難しくて出来ないのではなく、そもそも伝わってない。私の常識は、世間の非常識であった。

それにしても疑問はないのか?と思う。

臨書なんて普通に言うのにも関わらず、どこを見ているのか、と。

まぁ、父の手本はどれも作品として世に出せるものであるけれど、ゴミとして捨ててなんとも思わない人間がいるのも事実で、それが何十年も習ってもそれなのだ。



求められる所で力を発揮するのが正しい。


西宮市での個展では、スーパーの袋を片手にやってきたふっつうのこっちでもいるようなおばちゃんでさへ、帰る頃にはにこやかな顔で良い物を見た、良い話を聞いたと言って下さる。またやって下さい、これで終わらせるのは惜しい、と口々に言われた。
皆さん、来た時は、書道なんて知らんけど、読まなくて良いって聞いて来てみた、と言って。

この現実を私達親子は直視して生きていかねばならない。

島根県は田舎だ、しかし、田舎だから人がいないのではない。人がいないから田舎なのだ。
今の世の中、バックマーカーである事は田舎のせいではない。



どんなに訓練をして自然に書けるようになって、西宮市のギャラリーで高評価を受け、買う人もあっても、私の現実は、今ある現実は、ゴミ屑と同じに扱う人の中にある。習っている先生の良し悪しも分からずに。

田舎だから人がいないのではない。人がいないから田舎なのだ、とつくづく思う。

勿論、みんながみんなではない。
しかし、あまりと言えばあまり。

そして、問題は私がどうするかである。
腹を決めてかからなくては殺される。





新古今和歌集 巻五秋下 0449

山里の
稲葉の風に
寝ざめして
夜深く
鹿の声を聞くかな
孫過庭は初唐の官僚であり、有名な能書家であります。そこのあたりは私が話すよりも詳しい方が沢山おられるので、お任せするとして、彼の著書に「書譜」があります。書論であり、草書の手本としても有名で、よく臨書されます。

父も言うのですが、この「書譜」に限らず、書論など読んでも実際に、字が書けるようにはならないという事です。
書譜の訳など読んでみても、まぁ、確かに書かれている事は成る程と思いますが、では、若し自分が字を習う、本気で筆使いを学びたいと思ったら、「書譜」に限らず、書論など読まない。

理由は至極簡単で、こんな抽象的なものは現実的に技術を学ぶことには役に立たないからです。
技術とは究極の具象です。

ところで、私が高校生くらいの時にNHKという某公共放送で、名前は言いませんが、高名な大学の先生で書家の先生が、志賀直哉だったか、幸田露伴だったかの手紙を臨書しながら、字や流れなどから、その時々の志賀直哉だか幸田露伴だかの心象風景を説明する番組がありましたが、申し訳ないですが、私には全く馬鹿げていて、例えるならば、あくまで例えですが、暴走した考古学者が、発掘現場で、2000年前のその場であった事をまるで見てきたかのように話す妄言のように思えたのでした。

大体、ごく私的な手紙を書くのに一々ここの止めは、どうで、ここな払いはああでなんて考えますかね。文章を書く時は文章の事だけ考えますでしょう。
他人様のしかも死んでしまった人の心の底など解説できるものでしょうかね。
浅学非才の私には未だにあの番組のあのご高名な大先生のお話が理解できません。
高尚過ぎてオカルトに思えます。

因みにその先生、今でもご活躍みたいで、書道とか書家とか大嫌いな私も極たまにお名前を見たりします。
まぁ、夢現の方はいらっしゃいますし、個人の趣味をとやかくは言いません。

まぁ、構いませんが、うちの父にまともに技術を学んだ方が安上がりで書けるようになるのになぁ、と思います。
これは本当に思います。
その上で、教養は絶対に必要なのですが、それにしても、有名なだけの大先生のお話を拝聴するよりも、他にまともな人は幾らでも探せるし、話を聞ける世の中なのに、なんだかなぁ、とも思います。

まぁ、ようは、自分で考えないという事なのでしょう。