はろー!アルメニア 〜わたしの夢かなえたるねんスペシャル③〜 | 世界の切れっ端

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〜ひっそりと生息中@TOKYO〜

先日、職場の人から「榊原郁恵と柏原芳恵の区別がつかないよね」と言われたので、南野陽子と荻野目洋子もわからないですよね、と返したら、「いやそれはわかるやろ」と突き放されたとーこです。こんにちは。

 

アフリカとアメリカも似てるけど、アンモナイトとアンモニアも似てるし、アルメニアとアルバニアも似てますよね

 

アルメニアへ行ったことを書こう書こうと思って、あっと言う間に1年経ってしまった(いつもこのパターン)。

記事に残すより先に健忘症が進みそうですので、今のうちに振り返ってみよう。

 

***

 

アルメニアと聞いて、

 

で、どこ??

 

と思われる方がほとんどのはず。

ジョージア、アゼルバイジャンは、何となく聞いたことがあっても、「アルメニア」と言われて「ああ、コーカサス3国の一つね!」とピンと来る人は多くないはず。

(えらそうに語ってる私もそうでした。)

 

東はカスピ海、西は黒海に囲まれているけど、アルメニアは内陸国。

↓Google Mapから拝借

 

いつもフラッと一人で旅に出るけれど、今回は職場の先輩と気ままな女二人旅。弾丸の2泊3日。

 

まず、当時滞在していたウズベキスタンからジョージアまで直行便で3時間。

そしてジョージアの首都トビリシから、アルメニアの首都エレバン(英語ではイェレヴァンと発音するかっちょいい名前!)まで、車をチャーターして国境越えするという計画。

↓北は山岳地帯で、南の低地へ徐々に下っていく。国境付近に世界遺産が点在しているので、エレバンに行く途中で止まってくれるらしい。考えただけでワクワク!

(ソース元:Google Map)

 

ジョージア、アゼルバイジャンに引き続き、いよいよコーカサス3国制覇の旅、残るはアルメニア。

陸地の国境越えは初めてなので、それだけでもドキドキ。。

 

ジョージアに到着するや否や、国境に向かって車で南下。ジョージア滞在時間、たったの1時間半。

国境越えを手伝ってくれる運転手さんはジョージア人だった。

 

↓ジョージア側の国境とワンちゃま。動物に国境は無いね。もう向こうはアルメニア。車から一旦降りて、歩いて国境越えする。

 

 

 

では行って来ます!

 

 

***

 

とは言っても、日本人には馴染みがない国、アルメニア。

残念ながら、それが事実かもしれない。

 

アルメニア人と言えば商売上手、と藤田田さんは著書で語っている。ヨーロッパでは、屈強な傭兵のイメージが強いらしい。

アルメニア人の苗字には、〜アン/ヤンという名前が多く、「魔術師」と呼ばれた指揮者カラヤンは元々アルメニア系だと言われているし(※諸説あり)、現代でいうとアメリカで有名なお騒がせ(?)セレブ、カーダシアン一家もアルメニア系。

そう言われると、なんだかアルメニアを急に身近に感じるはず。

 

また、アルメニアは紀元301年に、世界で初めてキリスト教を国境にした国

ジョージアから国境を越えてすぐの山間に、世界遺産が点在している。

丘の上にそびえ立つレンガ造りの美しい教会たち。

当時からローマやペルシアの緩衝地帯になったり、アラブ人やトルコ人、モンゴル人に攻撃されたりと、苦難が耐えないアルメニア人たちの心の拠り所が、親から子へと受け継がれてきた信仰だった。

 

ジョージアとの国境から南下すること約30km。

ハフパット修道院の鐘楼。10世紀に建てられた後、地震による崩壊やトルコの攻撃を受けた。

 

独特なアルメニア教会の十字架。

よく見るとアルメニア文字が細かくびっしり刻まれている。当時の修道士が聖書の一説や教義を刻んだのかな。

 

 

一周しているうちに結婚式が始まっちゃった。新郎新婦のおじいちゃんおばあちゃん達もここで挙式したのかも。

 

 

サナイン修道院。

トルコやモンゴルの攻撃を受けたが、その後もアルメニア使徒教会の研究の中心であり続けた。

 

天井が黒いのは煤(すす)かな。世界遺産になった現在も信者達の信仰の中心。

 

 

スパイになった気分。

 

お土産物屋さんと丁寧に作られた可愛い小物たち。

 

 

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さて、これからこの山道を車でとっとことっとこ南へ向けて下っていきます。

 

 

 

・・・その前に、途中で腹ごしらえ。

 

ただの茹でたトウモロコシに塩をかけただけなのに、激ウマ。

先輩も「これから、茹でトウモロコシを食べる度に、この旅のことを思い出しそう」だって。

 

屋台にはアルメニア文字の表記は無く、観光客向けに英語とロシア語でトウモロコシと書いてある。

ちなみにロシア語でトウモロコシは「ククルーザ」。なんだか可愛い。

 

↓トウモロコシ君、あなたの言う通り。確かにNo.1ですわ。

 

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北部の山も綺麗だけど、南に下ったところにも魅力はいっぱいある。

 

セヴァン湖に臨むセヴァン教会。

昔は湖の水位が高かったので、この教会があった場所は島になっていたらしいが、今は半島になっている。

 

 

そして、アルメニアは知らなくても、これは聞いたことがあると人がいるんじゃないかな。

 

旧聖書にも登場する、アララト山

ノアの方舟が洪水の後に流れ着いた山、と言われている。

近年、木の化石や船の跡っぽいものが出て来たことで巷を騒がせているらしい。

 

左が小アララト山、右が大アララト山。

 

「今はトルコ領になってるんだけどね。元々はアルメニア人が麓にたくさん住んでいたんだ」と言うのはアルメニア人の運転手のおっちゃん。

 

第一次世界大戦時、オスマントルコにより強制的に移住させられ、今のトルコ領側にはアルメニア人がいなくなってしまった。

アルメニア人にとっては、先祖代々の土地が奪われただけではなく、移住時に大勢のアルメニア人が犠牲になったことが、爪深く刻まれている。

(虐殺の組織性や計画性について、現トルコ共和国政府は認めていない)

 

アララト山は、日本人にとっての富士山みたいな存在なのかな?

↓アルメニア入国・出国時のスタンプ。アララト山が描かれている。

ちなみに、陸路で入国すると車のマークになるの、初めて知った!帰りは空路だったので飛行機マーク。

 

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アララト山からの帰り道。

「俺のMITSUBISHI、サイコーだぜ〜」と言いながらぶっ飛ばす運転手のおっちゃん。

私はここに来る前に風邪が完治せず、まだ少し咳き込んでいた。

 

そんなマスク姿の私をバックミラーから見たおっちゃんが、

「お前にいいものやろうか!?これを飲んだら風邪なんて一発だ!」

と、キュッと車を脇に寄せ、ニコニコしながらダッシュボードから取り出したのが・・・

 

 

アルメニア名物・ブランデ〜!!!

 

 

小さい紙コップに注いでくれて、「クイっといけ、クイっと!すぐに咳止まるから!」だって。

 

鼻を近づけただけでも、匂いでわかる。こいつは強敵だ。。

飲んだら、カーーーーッと喉が熱くなる。あ〜確かにおいちい。好き。

その名も、「アララト」という銘柄のブランデーが超有名。買って帰ろう。

 

・・・でもなんでダッシュボードに入ってるんだ?運転中に飲んでないよねぇ?

 

 

そしてちょっと走って、また急に車を停めたかと思うと、桃畑から桃をもぎ取ってくるおっちゃん。なんて自由なの。

(知り合いの畑っぽいけど)

 

↓おまわりさ〜ん、こっちです!

 

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さて、今回の旅の終点、首都・エレバン。

旧約聖書「創世記」にも出てくる世界最古の都市の一つで、「エデンの園」があったのでは、という伝承もあるらしい。

20世紀にアルメニア人建築家により、計画的な近代都市へと開発された。

 

 

 

 

広場では、アゼルバイジャンと係争中のナゴルノ・カラバフについて、領土回復を声高に叫ぶ集会が開催されていた。

アルメニア人が多く居住するその地は、「アルツァフ共和国」とも呼ばれていて、元々アルメニア王国の一部だった。

 

***

 

アルメニアを初めて知ったのは、イギリス留学中。

 

ロンドンで開催されていた、ナブルーズ(春分の日を新年として祝うペルシアの祭り)に、アルメニア人の彼女も呼ばれていた。

 

「アルメニアは小さい国で有名じゃないから、あなたが知らなくても大丈夫よ。

でも独自の言葉や文字があるし、一番古いキリスト教国なの。何世紀も昔の教会がたくさんあって、山も湖もあるとっても美しい国だから、一度行くときっと好きになるわ!」

 

どの民族も独立を望むけど、国家を形成して維持するのって簡単じゃない。

長い物には巻かれた方が楽だよ、なんて周りは囁くかもしれない。でもそうはいかない

 

小国の矜持、ここにあり、か。

 

彼女の名前は忘れてしまったけれど、キラキラとした目で語ってくれた黒いカーリーヘアの彼女のことを、15年近く経った今も覚えている。

街ゆくアルメニア人女性の顔をチラチラ見ながら、どこかにいるかもしれないな、なんて思っちゃう。

 

・・・なんでこんな良い思い出話を冒頭に書かなかったんだろうか。

なんだよ、アンモニアとアンモナイトが似てるだなんて。

「トウモロコシ」と「とーこアホやし」の方がよっぽど似とるわ。

 

***

 

アルメニアを後にした約2週間後の2023年9月19日、アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフへ軍事作戦を行い、事実上占領下に置いた。アルツァフ共和国の大統領府にはアゼルバイジャン国旗が掲げられたが、エレバンへ逃れたアルツァフ政府は解散を否定している。

現在、アルメニア本国に住むアルメニア人は世界全体の4割で、彼らのディアスポラは中世の昔から止むことがない。

彼らの祖国は今でも近くて遠い、遥かなるあの山の麓。

 

 

 

旅が終わる頃、私の喉は治っていた。アララっと。

 

 

 

<おしまい>