脈々と受け継がれしDNA②〜肝っ玉母ちゃんの血脈〜 | 世界の切れっ端

世界の切れっ端

〜ひっそりと生息中@TOKYO〜

「あんたのおばあちゃんも、そのひいおばあちゃんも、それはまあ気の強いことなんのって。

 

私は全然似ぃへんかった。

私もあれくらい気ぃ強かったら、こんなに苦労することなかったのになぁ・・・」

 

なんて呟くのは、私の母(飼い主)。

 

・・・でも、あなたも、チンピラを蹴散らしてましたよね?

 

私は知っている。

飼い主が寿司屋のチェーン店でパートをしていた時の伝説。

同僚のパート仲間がずっと客からの電話に捕まっており、とうとう助けを求めてきた。

「うう〜・・・、飼い主さん、どうしましょ。。お客さんが、困ったことゆうてきはって・・・。」

「・・・私、代わりましょか?(ニコリ)」

 

「もしもしぃ?」

『おい!お前さっきからゆうてるやろ!さっさと30分以内にイカの握りとマグロの握り、1000個ずつ持ってこいや!!』『キャハハハハ(後ろで聞こえる女の高笑い)』

「できかねます。」

 

『うっさいわ!!客が早よ持って来いゆうとるんじゃ!早よ持って来んかい!!』『キャハハハハh「あのねえ、おたくねえ、30分以内に握り1000個ずつなんてそんなもん出来るわけないでしょ。普通に考えたらわかることでしょうが。で・き・か・ね・る・ゆうとるでしょ!!ガチャン!!!

 

 

その翌週も同じ電話が掛かってきたらしいが、「あら、またおたくなの?」嬉々とする飼い主の餌食になってしまったそうだ。

 

私だったら、下手なこと言って店に押しかけて来たらどうしよう・・・なんてビビっちまいますよ。

 

・・・そんな飼い主さえ頭が上がらなかったのが、その母の母、私の祖母である。

 

***

 

関東大震災が発生したその年、関西某県の山に囲まれた小さい村に、私の祖母は産まれた。

戦後の混乱期に年若くして未亡人になった祖母は、私の母含め4人の子供を女手一つで育てた。

 

私は年に数回会うだけだったけれど、とにかくみんな祖母のことをビビっていたのを覚えている。

あのチンピラを一蹴した飼い主も、「適当な服着て行ったらお母ちゃんに叱られる・・・」とか言って、正月は着物を着て実家に行く始末。

一族郎党、祖母の家に集まり、畏まって挨拶をするのは参勤交代で将軍に謁見するかの光景。そしていい歳した大人たちがダメ出しされて、ぴえん状態になるのを見守る孫たち。

 

おそらく、近所でも相当幅を利かせていたのだろう。

「道に迷ったら、ミツコさんの家どこですか?って聞いたらええわ。あの人有名やから、みんな知ってるねんって。

ばあちゃん、あんた何したんや。

 

↓今から30年以上も前に、白髪に紫のメッシュを入れていたアバンギャルドなばあちゃん。見た目から敵を威嚇。

 

そんなばあちゃん、「あ、今日墓参り行くの忘れてたわ」って、コンビニに行く感覚で夜の20時過ぎに墓地へ繰り出すような人。

夜の墓地に好き好んで行くなんて、シ●ナー吸いにたむろするひと昔の不良か、うちのばあちゃんくらいでしょ。「あの人は幽霊もなんも怖いもんあらへん」なんて言われてたね。

 

↓悪霊も道を開けるレベル

 

10年近く前に大往生した祖母はきっと、若くして亡くなった祖父と再会するや否や、「あんたが早よ死ぬから私えらい苦労したやないか」なんて説教したに違いない。

 

***

 

さて、そのばあちゃんの産みの母はフジノさんと言う。

 

色白であることが美の基準だった明治・大正の頃、「色黒だけど、別嬪さん」ということで非常に有名だったらしい。

フジノさんの実家は美男美女が多い家系だったけど、彼女は特にそう言われていたので、よほどの美人だったんだろうと思う(そのDNAどこ行ったんや)。

 

行商で全国各地を転々として家を留守にしがちな旦那は各地で女遊びをしていたらしく(おいおい、ひいじいさん・・・)、その相手の女性達に対抗してフジノさんはいつも綺麗に化粧をしてたそうな。

 

 

有名なのはもう一つ。超気が強かったらしい。

時代柄、従順な細君というのが持て囃されただろうけど、そんなもん知るかってなもんだったようだ。

子々孫々まで「別嬪やけど、それはそれは気が強かったらしい」というのが伝わっているので、よほどだったんだろう。「喧嘩上等」系だったのかな?

 

 

私の祖母が産まれた1923年、大正12年9月1日のお昼前、南関東を震源とした関東大震災が発生。

遠く離れた関西某県もかなり揺れたらしい。

当時は木造家屋がほとんどなので、みんな大きな揺れにびっくりして、道に飛び出した。

みんなで「大丈夫かー!?」なんて言ってお互いの無事を確認し合っていた頃、機織りをしていたフジノさんも家から飛び出してきた。

そして、キョロキョロして周りの様子を見渡してから、

 

サッと家の中に入ってしまった。

 

ひと通り揺れが収まってから外に出ていた人たちが家の中に戻って来た時、フジノさんは地震の前と同じ様子で何食わぬ顔して淡々と機を織っていたらしい。

それを見た誰かが、「フジノさんはえらい肝の座った女や・・・」

と言ったこのエピソードが未だに子孫達に伝わっている。

 

残念ながらフジノさんは、シワシワのおばあちゃんになる前に亡くなってしまった。だから余計、「別嬪さん」な印象が強く残されたのかも知れない。

会って話してみたかったわ、フジノさん。

 

***

 

関東大震災が発生するその数年前、この田舎の小さい村にとんでもない人物が生を受けた。

 

フジノさんの次男坊である。

 

<つづく>